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村便り:2008-03-29(土) (アスパラガスの定植、里芋類とサツマイモを伏せる)
投稿日:2008-03-31(月)

定植アスパラガス
芽出し(温床)コイモ、八つ頭、京芋
育苗(温床)サツマイモ

 この頃は雨が多い。畑の土が乾きはじめたかと思うと、雨で湿ってしまう。そのため畑仕事が進まない。

アスパラガスの育苗と定植
 去年3月18日に種蒔きをして一年間育苗していたアスパラガスを定植する時期が来た。アスパラガスを育苗したのはこれで二回目だが、一回目は、畑で育苗し、秋に定植した。今回はポリポットで育苗した。12cmポットに種蒔きしてずっとベランダで育苗した。種は30ポットに、1ポットあて1粒蒔いた。去年の初夏、アブラムシ被害を受けた以外は順調に育ち、冬になると地上部が枯れた。そのときまで残ったのは24ポット。地上部がある間は、それが灌水の指標になりえた。しかし、越冬態勢に入ると生きているのは土の中の根。水浸しにすると根が腐ってしまわないか、逆に、乾燥しすぎるといくら冬眠状態とはいえ枯れてしまうのではないか、と見えない根に気をもみながらも灌水のタイミングが分からなかった。結局なんの根拠も手がかりもなく、冬の間は3、4日に一回、といったペースで水やりをした。

溝施肥
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アスパラガスの定植畝。
 溝を堀り、そこに発酵鶏糞、発酵牛糞堆肥、かき殻を施し、土と混和して、溝を埋めた。
アスパラガスの定植。
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アスパラガスの定植。
 条間(画像では横幅)は50cm、株間(画像では、縦方向の間隔)は40cmで定植した。
根巻き
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ポットの中でのアスパラガスの根の状態。
新芽
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このポットではすでに新芽が出ている。
イモ類を伏せる
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里芋類とサツマイモを伏せたところ。
 伏せ床にはまず土を入れる。そして、里芋類は、芽の出る方向を上にして、隙間なくならべ、その上から土を薄く被せた。画像では、サツマイモの手前に里芋類が伏せてある。さらに、藁で表面を覆う。
サツマイモを伏せたところ
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サツマイモは芽が出るまで、芋の半分が露出する程度に土を入れる。
 種袋の説明にしたがって、3月下旬から4月上旬に定植するつもりであったが、三月も半ばに入ると、新芽が出始めた。生きていた、という安堵感はすぐに、早く定植してやらなければ、という焦燥感に変わった。しかし、最近の、一週間もあけずに降る雨で畝が作れなかった。やっと昨日、畝を作った。耕耘機では土をこねてしまうので、四つ鍬で起こした。そして今日の定植。

 24株のどれもポットから出すと、根は成長しポットの中で巻いていた。すべて生きていた、ということである。

 アスパラガスは20年は同じ畝で収穫できる永年性の野菜、とのことだが、私の経験からは、そんなに長く栽培できたことがない。私が百姓をはじめたときは、父が植えたものがあった。私の代になってからは、株を買って定植したのが一度、自分で育苗したのが一度、都合二度アスパラの栽培を試みた。今年は百姓を始めて13年目であるから、どれも数年で栽培が終わったことになる。

 どうすれば長く栽培できるのだろうか? 酸性に弱い植物のようだから、草木灰を時折まいて酸度を矯正してやれば、ながもちするだろうか? 冷涼地に向いているようだから、気候が適合しないのだろうか?

里芋類とサツマイモを伏せる
 アスパラガスを定植したあとは、第二温床に里芋類とサツマイモを伏せた。里芋類は芽出しのため、サツマイモは苗作りのためである。第二温床は三日前の3月26日に踏み込んだが、今日地温計で堆肥の温度を測ると60℃になっていた。そこで、半分の面積に土を入れて、そこに芋類を伏せた。里芋類は、コイモ、八つ頭、京芋の三種類。
村便り:2008-03-26(水) (第二温床の、藁踏み込み)
投稿日:2008-03-27(木)

 16時頃から第二温床に藁を踏み込む。これからのスケジュールや天気の推移を考えると、今日あたりに踏み込まなければいけない、と判断した。この温床は、サツマイモと里芋類の芽出しが主目的。


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温床自体の深さが60㎝弱、踏み込んだ藁の深さが35㎝。その差が20㎝余り。藁枠の方が高いのは、夜間、横からの寒気を少しでも防ぐため。効果は気持ちだけかもしれないが…

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 踏み込みを終了した温床。このあとビニールで覆って作業が完了。
 私の温床育苗はイモ類の芽出しから始まった。最初の頃は、4月始めに作る温床がひとつだった。踏み込んだ藁が発熱すると、土を入れてイモ類を伏せ、残りに、ナスを直播きで育苗した。父のやり方を踏襲したものだった。それから13回目の春、いまは温床は、育苗時期にあわせてふたつになり、野菜の種類も増えた。

 藁カッターで藁を200束切断。発熱促進材は第一回目と同様、鶏糞と米ぬか。踏み込むだけにかかった時間は3時間。踏み込み終了19時半。屋敷を出たのは20時。車載温度計が4℃を示していた。
村便り:2008-03-24(月) (第二温床の枠に藁を編みつける)
投稿日:2008-03-25(火)

 4月9日からは新学期の授業開始。授業が始まると時間の使い方に自由がきかなくなるので、それまでに農作業の貯金を、というよりむしろ、遅れの取り戻しをしなくてはいけない。

 午後、早めに退出して15時半から第二温床の枠に藁を編みつけた。約二時間の作業で終了。

 第一温床では、ナス科はトマトがかなり発芽してきたが、ナス、ピーマン、甘トウガラシ類はまだひとつも発芽していない。播種から一週間経つので、そろそろ発芽の兆候を確認したいところである。

ルバーブの芽
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 画像中央、左は暗赤色、右は赤味がかった黄緑色、ふたつの芽が出ているのお分かりだろうか。芽は、正確には、縮こまった葉っぱである。
 温床の作業が終わり、農機・肥料小屋に行くところで、ルバーブの芽に気づいた。ルバーブは10年近く前に苗を3株買って植えた。その夏のうちに2株は消え、残りの1株だけが定着した。しかし去年は春は元気だったが、それ以降、姿が見えなくなったので、とうとう駄目になったか、と思っていた。ところがどっこい、生きていたのである。

 ルバーブは寒いところが原産なので、どうも温暖なこの地は苦手のようである。植えた当初は、ジャムにしようか云々、と考えていたが、利用できるほどには旺盛に育たない。
村便り:2008-03-23(日) (雨の中、人参播種)
投稿日:2008-03-25(火)

播種ニンジン

 昨夜の天気予報(インターネット「ウエザーニュース」)によると、今日は朝6時から雨が降り出す、とのことだった。雨になる前に、昨日できなかった人参の種蒔きを済ませたいので、今朝は早起き。インターネットで雨雲の推移を確認すると、西から県境まで雨が近づいていた。まだ薄暗い朝6時に家を出発。駐車場まで歩くうちに顔にわずかに雨粒が感じられだした。天気予報が的中である。

ニンジン畝
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 前の畑のニンジン畝。雨がやんだ翌日の午後、撮影。
 ネットで被覆してあるところに、人参13ガンギ、ダイコン5ガンギが蒔いてある。画像では分からないが、畝立てしてまもなく本格的な雨が降ったため、畝の右肩が崩れてしまっている。
 後ろの小屋は、農機と肥料専用。作業小屋として使っているのは、写真のこちら側の屋敷にある。
 畑に向かう車のフロント・ウィンドウにあたる雨粒は次第に増えていった。畑につくとあたふたと着替えを済ませて畝に急いだ。すでにガンギ[蒔き床]は切ってある。種をいれた茶碗を、身体を覆い被せるようにして、雨から守りながら、種蒔き。急いた手先ゆえ、雑な蒔き方になってしまったが、ともかく蒔いた。人参だから覆土はしなくても水分さえ確保されれば発芽する。また雨では、覆土しようにも乾いた土がない。そこで、もみ殻を種の上にまき、さらにネットで被覆して、作業完了。

 作業が終わると、家に引き返した。帰宅したのは、8時半、家族は遅い朝をやっと起きたところだった。
村便り:2008-03-22(土) (人参の種を忘れた!)
投稿日:2008-03-24(月)

播種:ダイコン

 明日は雨になる予報なので、昨日から畝作りをはじめたところに、今日中には種蒔きをしなくてはいけない。その前にまず鍬の柄直しをした。

つけ直した鍬の柄
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 付け直した三つ鍬の柄。
 柄の幅(画像で見えている左右の幅)は少し小さめに削り、楔を打ち込んで固定する。楔は左右いずれかの端、鍬と柄との隙間に、上から打ち込む。楔は、したがって、画像では見えていない。

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 草取り。
 私は、草取りには小鎌を使う。草は根元から刈ったり、鎌の刃先を地面に差し入れて、抜いたりする。この鎌はいつも腰に差している。

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 自然畝の実エンドウ。
 このエンドウは比較的生育のいいもの。同類のカラスノエンドウと支えあって越冬し伸びたものと思われる。

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 野良のナナ。
 昨年から畑周辺に棲息しはじめた野良犬。昨春生まれたものが捨てられた、と思われる。雌。今春、小犬を四匹生んだが、小犬たちは動物愛護センターに《保護》された… 春の夕日を浴びながら日向ぼっこをしているのを写した。日は陰りはじめている。(ちなみに、ナナ[nana]はフランス語の俗語で、おんな、という意味。私が勝手につけた名前。)
三つ鍬の柄を付けなおす
 昨日もやはり柄を直したが、これは平鍬(昨日の「村便り」の2番目の画像に写っているもの)の柄が抜けやすくなっていたためであった。下手にやったため、柄を5㎝ほど縮める結果になった。5㎝でも縮めると使い勝手が違ってくる。いずれ新しい柄に付けなおしたいが、当分はこのままで使う。

 今日は三つ鍬。昨年の秋の終わりだったか、柄が刃近くで折れた。平鍬は土をすくうために使うが、三つ鍬では土を打つ。そのため柄に負担がかかり、場合によっては折れてしまう。冬の間に直すつもりで柄を買っていたが、同じような機能をもつ三つ鍬がもう一本あるので、直しを先のばしにしていた。泥縄でしか動かない性格のため、農作業が忙しくなった今になってやっと直すことにした。

 買った柄(樫)は、太さが鍬の刃の穴より大きく、そのままでは穴に入らない。鉋で少しずつ削りながら穴に合わせ、最後には楔を打ち込んで柄と刃を固定する。いままで3本は修理したので、大体こつは掴めている(はず)。今回はまずまずの仕上がりだった。

 ついで、昨日耕した続きの草取り。それが終わると、畝全体(1.2m×11m)に牡蠣殻[粉砕したもの、苦土石灰と同等の肥効]と発酵鶏糞を散布して、耕耘機でかき混ぜる。土はまだ湿っていたが、耕耘機を使った。人参畝の土質(砂が混じった感じで、粘つかない)からすれば、なんとか畝になるだろう、と判断したからである。畝立て、ガンギ切り[蒔き床を平鍬で作る作業]をして、さあ種蒔き!

 蒔くのは人参と大根。人参は12ガンギ、大根は5ガンギ蒔くことにした。

人参と大根の年間栽培暦
 人参は三カ月後から収穫をはじめ、夏蒔き人参が収穫できる9月まで三カ月間、収穫する。一週間に1ガンギ分食べるとして、12ガンギあれば十分、という計算である。昨年蒔いた人参は収穫を終了したので(たとえ収穫し残しがあっても薹が立ってしまう)これから三カ月、人参の端境期に入る。人参は、3月終わり、梅雨明け前の7月、8月終わりの三回種蒔きをすれば、春から初夏の三カ月を除いては年中食べられる。さらに2月始めビニールトンネル内に蒔けば、端境期を一カ月余りに縮めることができる。今年は2月の種蒔きができなかった。

 大根は9月に種蒔きした大根がそろそろ薹立ちをはじめる。ごく最近気づいたことだが、10月後半に種蒔きすれば、秋まき大根が薹立ちした頃に収穫できる。いわゆる二年子大根としての作型。それに春蒔きと初夏蒔きを加えれば、7月まで新鮮な大根を食することができる。二年子大根、春蒔き、初夏蒔きには晩抽性[薹立ちが遅い性質]の品種を使う。晩抽性でも、春から夏にかけてはすぐに薹が立つので、若取り、早取りが必要。大根5ガンギという秋に比べれば少ない蒔き量は、春夏取りの、そのような性質を考慮してのもの。

人参の種を忘れた!
 種蒔きしようとして気づいた。人参の種を自宅においたままである!一瞬あたまの中が真っ白。透明ガラスにぶつかりいたずらに羽をばたつかせる虫のように、現実味のないことを考える。種をとりに帰ろうか?時計を見ると3時半。往復すれば種蒔きをはじめるのは5時半。たかが種袋ひとつのために2時間かけて車で往復するか?でも、明日は雨が降り、雨が降ったら種蒔きが数日遅れる。ひとしきり頭のなかで虫の運動暴発を繰り返したあと、今日は大根を蒔いて、明日朝、雨が降り出すまでに人参を蒔く、という結論に落ち着いた。

 大根を蒔いたあと、自然畝に育っているエンドウの世話をした。エンドウは支柱を立ててやるべき大きさに育ちつつある。そこで、エンドウの生育状況を確かめがてら、その周りの草を刈ってやることにした。エンドウは、実取りエンドウとスナップ・エンドウの二種類を植えている。昨年11月始めに、一カ所に4粒ずつ種蒔きしたが、それを2株にする。発芽率は良好。二種類のエンドウを全部で70カ所蒔いたが、欠株になっていたのは2カ所のみ。そこはもしかしたら種蒔きを忘れたのかもしれない。

 朝10時にはじめた作業は、終わると夕方6時半になっていた。
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