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村便り:【週間短信】2019年03月11日(月)-17日(日)
投稿日:2019-03-13(水)

03月12日 温床の準備; カブト虫の幼虫
03月11日 エンドウの支柱; ヒヨは意外と賢い!



 03月12日(火) 
投稿日:2019-03-13

温床の準備
夏野菜を育苗する踏込み温床の準備。例年、3月半ばから育苗を開始するが、その前に去年の温床の残骸を片づけて温床の骨格を作り、藁を踏み込んで温床を作る。三日かかる作業である。内訳は、一日目が温床の《敷地》作り、二日目が温床を囲む枠組みに藁を編みつける、温床の枠作り、三日目が藁の踏込み。今日は、一日目の、温床の《敷地》作りをした。

温床は、夏野菜(トマト、ナス、ピーマン、カボチャ、ズッキーニ、ニガウリ等)の育苗が終わる6月始めから翌春までの間、放置する。春になると温床はいわば廃墟になる。まずその廃墟周辺の草を刈り、踏み込んで腐熟した藁を廃墟の中から掘り出す。

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廃墟化した去年の温床。


カブト虫の幼虫
藁は完熟堆肥になっている。毎年のことだが、藁を掘り出すと中からカブト虫の幼虫が出てくる。今年は例年になく多く、結局70匹ほどいた。例年の倍ほどであろうか。今年の冬は暖かかったのが幸いしたのかもしれない。いつものように別の場所に掘り出した堆肥でベッドを作り、そこに移動してやった。初夏になり無事孵化するのかどうか確かめたことはないが、私の心づもりとしては、それまで順調に育ってもらうためのベッドである。孵化すれば、また温床にもどって卵を産むだろう。近くにはドングリの木もあることだし。

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新しいベッドに移動したカブト虫の幼虫。

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《藁屋根》を被せてベッドの完成。


竹で枠組みを作り、温床の《敷地》作りが完了。

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 03月11日(月) 
投稿日:2019-03-12

昨日は一日雨で、とくに午後から夜にかけて強く降った。今日は雨は上がったが、朝はまだ畑に水が残っているだろうから、と考え、午後から野良に出た。

エンドウの支柱
午後にしても、土をいじる仕事はできない。そこで気になっていたエンドウのウロ[支柱]を立てることにした。エンドウは例年どおり、11月の頭に種蒔きをした。発芽したエンドウは冬の間は小さな草姿のまま寒さに耐えているが、3月になると伸び始める。そのころにウロを立ててやる。人によっては早くからウロをたて、《手がかり》にぶら下げた藁(画像参照)で防寒する。しかし厳冬期までに大きく伸びないかぎり、エンドウは寒さに強い。だから私は春の始めにウロを立ててやることにしている。

やはり昨日の雨で足場は悪い。作業の必要上、畝を踏むと、そこがへこんでしまう。できるだけ畝を踏み荒らさないようにしながら作業を進める。

支柱の組み立てには、X型に組み合わせたポールと、合掌部分でそれらをつなぎ合わせる水平のポールを縛る時はしっかりした麻紐(稲刈りのバインダーに使う紐)を使う。しかし、それ以外の箇所は藁で縛る。エンドウのウロは収穫期の5月後半まで3ヶ月ほど立っているが、このくらいの期間なら縛るのにすべて藁を使ったとしても、ウロは崩れることはない。(エンドウのウロは、強度のある麻縄は念のため、骨格部分だけには使った。)藁はいろいろな使い道がある。私はビニール紐は使わず、また、自給できる材料があればそれを使う。

ヒヨは意外に賢い!
ヒヨが野菜の葉を食害しだした。それを避けるために、キャベツにキュウリネット(画像参照。支柱の一部にネットが張ってある)を被せておいた。ネットがあれば、足が引っかかるので警戒する、と考えたからである。ところが、今日気づいたことだが、奴らはネットの目が大きいと、かまわずキャベツの頭に止まって、葉を食べている。引っかかる目の大きさと、そうでない大きさをちゃんと区別できるようである。意外と賢い。そこで、キュウリネットを外して、防虫用ネットでキャベツを被った。


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スナップエンドウの実エンドウの2種類を植えている。
 下の方の水平のポールに結びつけているのが、エンドウがよじ登るための《手がかり》。寒い時期だと、これがエンドウの幼苗を寒さから守る役目をする。
 支柱の一部にキュウリネットが張ってある。エンドウは、大きくなると、これにひげ蔓を絡ませる。

村便り:【週間短信】2019年03月04日(月)-10日(日)
投稿日:2019-03-10(日)

03月09日 ジャガイモを伏せる; 隣百姓?
03月04日 ウグイス; 鯉の養殖場; クズ



 03月09日(土) 
投稿日:2019-03-09

今年の春は暖かい。

ジャガイモを伏せる
ジャガイモは例年、3月15日に伏せる[「伏せる]とは、種芋の芽出しをする作業]ことにしている。ジャガイモは霜に弱いので、発芽してから霜に遭うと、葉が枯れてしまう。3月15日は、霜害に遭わないような植え付け時期である。だから、伏せるのは数日あと、というのが例年のやりかだが、これから農作業が忙しくなるのを考えて、暖かい春なので、早めに伏せることにした。

2月18日から浴光催芽をしていた種芋は小さな芽が出始めている。自家採種したデジマ、普賢丸、アンデス赤である。それ以外に、男爵とメークインの種芋を購入した。こちらの方は、買ったときすでに芽が出ていた。

小さくとも芽が出ていると、大きな種芋を切り分けるときの目印にもなる。私はデジマは種芋1片(重さの基準は50g)につき、芽を3つ、それ以外の品種は、2つ出させることにしている。芽がひとつだと、大きな芋ができて、使い勝手が悪くなるので、複数の芽を出させて大きさを抑制する。少数の大芋か多数の中芋か、という選択だが、収量は変わらないように思う。


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1片50gを目安に(実際には30gから50gの大きさになる)、芋を切り分け、切り口を乾かしているところ。


隣百姓?
伏せる畝は、定植する畝の近くを選んだ。草取りをして、鍬で起し、伏せる畝を作る。草取りをしていると、隣のお姉さんが「そこ、何を植えるん」と声を掛けてきた。それからひとしきりジャガイモについて雑談。彼女も近々植えるとのこと。彼女の妹(私にとって、年齢的には「お姉さん」)はいま種芋を干しているところらしい(すなわち浴光催芽しているらしい)。また、鍬で起していると、今度は隣の畑の人もジャガイモの植え付け時期についてきいてきた。彼は霜のことを心配して、尋ねたようである。その人は百姓経験が少ないので、時期について明確な意識はもっていない。私はといえば、20年余りやっている。この地の自然環境についてはそれだけの経験的知識はもっている。経験から言えば3月15日に植え付けすれば霜にやられることはまずない、と答えた。ジャガイモは、一般的には、春の最初の植え付け作物。多少の違いはあるものの、同じ自然環境で百姓をやっているので、同じ頃にみんな一斉に作り始める。「隣百姓」という言葉がある。他人を気にして横並びの行動をする、といった否定的意味合いがあるが、じつのところは、四季の歩みに合わせて作業を行なう百姓の、理に適った行動様式ではある。

夕方5時前に作業完了。今の時期、私は、夕方は4時を回ると帰り支度を始めることにしている。帰ってから、食事の支度を含めて家事をすることを考えれば、そのタイミングで仕事仕舞いしないと、寝るのが遅くなる。(したがって、起きるのも遅くなる。)でも、《残業》せざるを得ないこともある。四季の歩みに遅れることはできないので。もっとも、今日の《残業》はたいした時間ではない。


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種芋を伏せ床に並べたところ。
 このあと、ジャガイモが隠れるくらいに土をかける。

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土をかけたあと、防寒のために藁をかぶせる。





 03月04日(月) 
投稿日:2019-03-05

ダブ周辺の草刈りの続き。

ウグイス
(そういえば、今朝、今年はじめてウグイスの声を耳にした。すでに十分に練習したかのような、完成した囀りをしていた。ただし単発。)

今日はダブの上側、里道を挟んで隣り合う雑種地の草刈り。草刈りは単調作業である。作業しながら、いろいろ考えたりする。今日は昔の思い出。


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県道の側溝から左側、半月状の空き地が鯉の養殖場だったところ。その当時は県道はもっと狭かったので、養殖場はもっと広かった。当時に比べれば、県道の幅は倍ほどに拡幅され、側溝はそのとき新たにつけられたのではないだろうか。
 画像左端が、3月2日に草刈りをした、里道に沿った水路周辺。

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県道の向こう側が、旧養殖場の空き地。県道の手前、画像中央に、逆三角形と、その続きに、長方形の、狭い2枚の田んぼ(2枚の境界あたりに電柱がたっている。)が見えるが、それがかつては、旧養殖場と一体の田んぼであった。
 県道の向こう側は荒れ地のように見えるが、じつは耕作放棄された田んぼ。一帯は湿田であり、いまはごくわずかしか耕作されていない。


鯉の養殖場
ここはずっと昔は田んぼだった(はずである)。ところが、明治になり、峠ひとつ越えた瀬戸内海に面した寒村に軍港が築かれ、海軍工廠もできた。軍港に周辺の村から通勤する職工を運ぶ必要もあったからなのだろうか、村を通り抜ける車道が新設された。田んぼは車道に分断され、わが家の田んぼはもともと狭かったのに、さらに狭い二つの区画になってしまった。比較的広い方はいまも田として使っているが、狭い方は田としては狭すぎる。田として利用していた時代もあるかもしれないが、私の小さいころの記憶に残っているのは、鯉の養殖場である。養殖場は農協が経営していた。養殖した稚魚は田に放たれ、1年後に売られたそうである。養殖事業はやがて廃止され、施設は撤去されて、農耕可能な土地に戻った。しかし、それ以降は空き地のままである。いまさら耕作地でもないから、利用するとしたら果樹を植えるくらいか。

クズ
草刈りを定期的にしていないので、ここはクズが侵入してきている。単なる草地であれば、この面積なら、草刈機を使って除草するのに半日もいらない。しかし、クズの蔓は草刈機に巻きつく。そこでまず鎌で切りのけるのだが、思いの外、時間がかかる。(根から抜かない限り、また再生するが、そんな手間隙をかけることはできない。)

クズにはいろいろな利用法があるようだが、私が覚えているのは薪を縛る紐としての利用。小さいころ、小学校にあがる前だったろうか、父と一緒に薪をとりに山にいったことがある。そのとき、父が木の枝を束ねて縛ったのがクズの蔓。蔓は切り取ったすぐは柔らかくて粘りがあるので紐代りになる。

などなどと思い出しながら作業を進めた。想像が過去にしか向かないのは老齢がなす術か。

結局、一日働いて(といっても実働は4時間弱であるが)、この旧《鯉の池》の4分の3しか草刈りはできなかった。ここを含めて、草刈りをしてその草を燃やすまでには、あと3日は必要だろう。もう春。作業をしていると暑くて上着を脱いでしまう。急がなくては… 春の足は速い。
村便り:【週間短信】2019年02月25日(月)-03月03日(日)
投稿日:2019-03-04(月)

03月02日 昔の里道脇を流れる水路
02月25日 アスパラガス畝の整理; マーシュ



 03月02日(土) 
投稿日:2019-03-04

昔の里道脇を流れる水路
2月の下旬から、ダブ[湿田]の整備をしている。2月22日の短信にも書いたが、ダブは去年は時間の都合でやむなく休耕にし、管理作業をすることもなく放置していた。今年は稲を作る予定なので、荒れてしまった田んぼとその周辺の整備をしている、というわけである。


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整備する前のダブの様子。

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左の画像の、左端にある横手はイノシシに荒らされていた。その横手を掘りなおしたところ。田んぼ内部に溜まった水を排出するため。
 長さはさほどないが、泥水の中の作業なので難渋した。


今日は、用水路(昔の用水路は、明治時代に作られた県道によって分断され、今は県道の側溝を利用している)からダブに配水する水路周辺の草刈りをした。この水路は、県道が作られる前は、里道[りどう。一般に、1mほどの幅で、馬車も利用できた。公道。]として使われていた道に沿っていたと思われる。道は今でも地積図には記されているが、実状は道の体をなしていない。県道によって分断されてからは、田んぼにアクセスする通路としてしか利用されて来なかったのではないか。

草を刈っていくと、忘れ去られた過去の生活の痕跡が現れてきて、想像をかきたてる。女児二人をもうけながら離縁された女性は、子を残して出てきた家を振り返り振り返り「かわいいよう、かわいいよう」と泣きながら隣村に帰っていった、と今は亡き隣家のおばあさんから聞いているが、それはこの道を通ってだろうか、とよく思う。


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草刈り前。

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水路は画像の中心あたりから画像奥に向かってついている。里道はその水路の右脇を同じように画像奥に向い、ダブにぶつかってからは右に折れ曲がって県道に合流する。私が古老から聞いた限りでは、この道はかつては村の中心街道のひとつだった。





 02月25日(月) 
投稿日:2019-03-04

アスパラガス畝の整理
3月に入るとアスパラガスが出始める。その前に、去年収穫が終わった後、整理しないままにしていた畝を整える必要がある。昨日からその作業をしている。

まずやるべきは、枯れた去年のアスパラガスの茎を切り除き、これも枯れたままになっている昨秋から草を除き、生え始めている草を抜くこと。
アスパラガスは去年から収穫を始めた。種を蒔いてから3年目でやっと収穫が始まる。生育期間の長い作物である。その代わり、息も長い。10年あまりも収穫を続けることができる多年生植物と言われている。もっとも私自身はそんなに長くもたせたことはないが。

(クリックで画像の拡大)
 整理する前のアスパラガス畝。短い畝が3本。
アスパラガスと秋の草は枯れ、畝は春の草で被われている。


マーシュ
草を除いていくと、3畝のうち真ん中の畝からマーシュ([仏] mâche)が現れてきた。去年の春、別のところに生えていたものを移植した。マーシュはずいぶん以前にはじめて作り、それからはわが家の畑のあちこちで自生するようになった。冬の間、サラダとして利用するヨーロッパ原産の野菜だが、最近は採ったことはなかった。アスパラガス畝を新たに作ったとき、冬のあいだ空くこの畝をマーシュ畑にしようとふと思いついた。そこで1株だけここに移植してみた。

マーシュは5月になると白く可憐な花が咲き、小さな種をたくさん落とす。それが冬になると発芽する。

目論見どおり、昨初夏に落ちた種が冬の間に発芽していた。今年はさらに畝に何株か移植して、今冬は畝全体がマーシュで被われるようにしたい。それからが収穫。


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真ん中の畝の中央あたり、マーシュが群生している箇所がある。そこに昨春、マーシュ1株を移植した。離れたところにも種が飛んだようで、他のところにも生えている。

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マーシュの拡大画像。鎌は小型の草取り用鎌。



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他の畝にもマーシュを移植しておいた。

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