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☆ 2016-02-23(火) ☆ 自治会(町内会)
投稿日:2016-02-23(火)

自治会に入りませんか
沿岸部の市街地にある集合住宅から、山間部にあるこの団地に引っ越して来てから1年近くになった。(正確には10ヶ月。)

引っ越してきた当初、道路を隔てて向いの家の奥さんから、自治会(町内会)への入会の意向を聞かれた。奥さんは自治会の班長をしていた。私は、自治会に入ると、役員としての仕事、面倒な共同作業、気の進まない募金などがついてくるので、躊躇の気持ちがあり、即答はしなかった。しかし、他方、自治会は生活に直結するような活動もする。ごみ収集場を管理したり、市の広報誌を配ったりするのも自治会である。生活上の互助組織であり、また行政の末端組織のような存在でもある。奥さんに2、3度、意向を尋ねられ、結局、円滑な社会生活のために、と自分を説得して、渋々ながら入会した。

入会時、奥さんから、来年の班長はお宅の番です、と告げられた。「引っ越して来たばかりなのに班長ですか。家の事情もあるし」と嫌そうな口調でこたえると、「大丈夫ですよ、私も、最初は、引っ越してきてから3年目に引き受けましたから」と奥さんはたいした仕事ではない、と言わんばかりに、にこにこしながら説明した。

それから1年近く経ち、先日の夕方、帰宅してきたところを小走りに追っかけてきた奥さんに呼び止められ、今度の(4月からの)班長をお願いします、いいですか、と相変わらずにこにこ顔で聞かれた。1年前から予告され心の準備ができていたこともあり、今度はつべこべ言わずに受諾した。奥さんは、じゃ、名前と電話番号を書いてください、と受諾を見越してか手に持ってきた紙を私に渡した。

一昨日、朝、二階のベランダで洗濯物を干していると、下から奥さんが、回覧板ですよ、と声をかけてきた。

自治会として神社に寄進することは廃止
回覧板を見ると、4月から自治会活動を簡略化する旨の知らせが挟まっていた。金銭関係の簡略化は次の通り。

・自治会費の減額。集金は年に1回。
・自治会の秋祭りのための戸別の負担金の減額。
・町内にある神社への寄進は廃止。(去年までは自治会で戸別に集金し、寄進していた。)
・日赤、赤い羽根、年末愛の運動の募金を戸別に集金することは廃止。ただし、自治会として一定額を寄付する。
・地区体協への補助金を戸別に集金することは廃止。ただし、自治会として一定額を寄付する。

班長の仕事で煩わしいと思ったことのひとつは、集金だった。その仕事が一挙に軽減されるのである! 4月から班長を引き受ける私にとっては朗報であった。また、集金関係でわが意に適ったと思ったのは、神社への寄進である。去年、秋祭り関係の集金があった。自治会独自の秋祭りの負担金は義務だが、神社への寄進は任意だと、奥さん班長から説明されたので、私は寄進はしなかった。

都会化した地区での神社
寄進しなかったのは、日本国民には信教の自由が保証されているのだから、自治会は、神社という宗教施設への寄付を強制すべきではない、といった理由ではない。むろん、一般論として、生活互助組織である(べき)自治会が信仰にまで踏み込むべきではない、ということには同意する。そうではなく、団地に住む都市生活者にとって神社は外的な存在でしかなく、自治会として神社に寄進することは、生活互助組織としての自治会になじまない、と考えたからである。

私がいま住んでいる町は、以前は山間の農村だった。むろん、その当時から問題の神社はある。(今は宮司が住んでいるが、当時からそうであったかどうかは知らない。)住民は、全員と言わないまでも、大多数は神社の氏子だったはずである。そして神社は、地域挙げての秋祭りを中心にして、住民の生活の一部をなしていた。ところが、50年ほど前から急速に団地開発が行われ、現在では、この地方の一大団地地域となっている。いまでは、団地の住民が町民の大多数をしめ、農村であった時代からの住民は少数派になったはずである。団地住民は、農家ではなく、しかも多くは町外に職場をもつ都市生活者である。都市生活者にとって、秋祭りは、地区運動会といった様々なイベントのひとつでしかない。しかも、自分たちが主体的に盛り上げなければ成立しえないような(住民参加型の)イベントではなく、自分たちとは無縁な伝統によって繰り返されているイベントである。祭りは季節感を彩ってくれる恒例のイベントであっても、自分たちの生活に不可欠な行事ではない。

自治会として、神社に寄進することに対する拒否感は、根本的には、以上のようなことにある。それに、寄進先が宗教臭のある存在であれば、拒否感はよけいに強まる。

祭り囃子の聞こえる村
しかし、住んでいるのが、先祖伝来の農地と屋敷のある村であり、その村の自治会が神社へ寄進をする、というのであれば、寄進行為に対する私の態度は、おそらく、同じではないだろう。むろん都会で長年暮らし、また、ヨーロッパ近現代思想の研究と教育を生業とし、そのことで自分の意識を形成してきたのだから、何の抵抗感もなしに、何の批判意識もなしに、自治会による寄進に加わることはない。しかし、少年期までではあったが、神社を生活の一部として生きてきた経験がある。自分個人の生活というより、村の生活全体の一部であったと記憶する。神社は、農村での生き方の宗教的な表現であった、と言えるかもしれない。その意味で、生活互助の自治会が神社に寄進するのは、私には理解できる。

最近、私が購読している新聞紙上で、自治会(町内会)の問題が取り上げられており、また、今回、私の加入している自治会で、神社への寄進を廃止することが決まったので、簡略に、その件についてざっと考えてみた。

なお、以前、秋祭りについて記事にしたことがある。いま読み返して見ると、情念に突き動かされながら、情念を制御しきれていない文章になっている。もし興味があれば、お読みください。ただしブログ記事としては、長文です。(400字詰原稿用紙30枚あまり。)途中で眠くなるかもしれません(笑)

「祭り囃子が聞こえる 2002-01-07」
☆ 2016-02-18(木) ☆ 「良好な景観」
投稿日:2016-02-18(木)

一昨日の朝刊(朝日新聞)に、鞆ノ浦の埋め立てを広島県が正式に撤回した、という記事が載っていた。埋め立て計画とともに全国に広がった「『利便性』と『景観保護』をめぐる論争」は、2009年10月に広島地裁で、「『鞆ノ浦の景観は文化的・歴史的価値をもつ国民の財産というべき公益』と認定」され、訴訟としては決着していた。(引用は新聞記事から。)

この記事をきっかけに、以前、景観について「てつがく村」に載せた記事を思い出した。最近トップページに設置したサイト内検索機能を利用して、記事を《発掘》して読み直してみた。

☆ 2004-12-31 ☆ 風景とは?
☆ 2005-08-17 ☆ イノシシは走り続ける

景観といっても、名だたる「文化的・歴史的価値」がなければ、波風を一切たてずに破壊されてしまう。しかし、破壊は、そこに住む者にとっては、身を切られるような出来事である。景観のいわば実存的価値を根拠に、景観破壊を慨嘆し批判した文章だった。

新聞を読んで、現在では、「良好な景観」(景観法で使われている表現)を保全し創造するための法律が存在することを、はじめて知った。平成16年(2004年)成立の景観法である。この法律によっては、私が慨嘆した環境破壊はとめることはできなかっただろうが、こんな法律が制定されるところからすれば、この国もまったき《野蛮》というわけではないな、とすこし安心した。
村便り:2016年02月16日(火) (キャベツ定植; ヒヨ)
投稿日:2016-02-17(水)

定植キャベツ

この頃、農作業に出るときは、たいてい午後になる。今日は寒いので家に閉じこもっていたい気分だが、春の農作業のことを考えると、雨の降らない日は野良に出た方がいい。昼前までためらっていたが、昼食後、意を決して出かけることにした。

キャベツ定植
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キャベツ定植。24株。
 10月20日播種。ポットで育苗していた。キャベツは本葉5枚くらいまでに定植するが、それ以上の大苗になり、下の方の葉は枯れ落ちていた。
 6月終わりに収穫が始まる予定。
 ヒヨ対策のためキュウリ用のネットで被覆している。
 
ヒヨに実をついばまれた
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ヒヨに実をついばまれた枝。
 木の名前は分からない。鳥が屋敷の隅に《蒔い》ていった木。まあ、だから鳥に、実に対する権利がある、とも言えるか。
 

(クリックで画像の拡大)
幹の方に焦点をあててみた。成長しても低木である。枝にトゲがある(上の写真で確認できる)。
夕方までの時間を計算して、キャベツを定植することにした。

苗は、10月20日に播種し育苗していたもの。3月になってから定植の予定だったが、暖冬のせいか、生育が進んでしまい、畑に放してやった方がいいくらい大きくなった。むしろ、大きくなりすぎてしまった。

急に思い立ったので、畝は作っていない。昨秋、ジャガイモを作ったところを鍬で起こして畝を作る。先週後半は春のような暖かさだったが、今日は一転して真冬に戻った。小雪がちらつきもした。鍬を使っても体があたたまらない。寒いなか久しぶりに鍬を使ったせいだろうか、腰に違和感が残っただけだった。

一週間前、ヒヨの襲来に気づき、餌食になりそうな野菜をネット被覆で防御しておいたが、今日もヒヨが来ている。一週間前には実が沢山なっていた低木を見ると、一粒も残っていない。自然落果はありえないから、状況証拠からして、ヒヨの仕業に間違いない。南天の実も同様の状態だった。木の実がなくなると今度は野菜が狙われる。定植したキャベツにもネットを被せてやった。

村便り:2016年02月11日(木) (タマネギの追肥)
投稿日:2016-02-14(日)

管理タマネギの追肥


タマネギの追肥をした。明後日は雨の予報だから、肥料を早速、効かすことができる。

タマネギの補植
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タマネギの補植。
 
極極早生
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極極早生タマネギの草姿。
 順調に育っている。
 草取り鎌は、柄の部分が20cm
 
ニンニク
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ニンニクも追肥した。
 画像のニンニクは、葉ニンニクに使う種類。3月から利用が可能だろうか。
 
エシャロット
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エシャロット。
 草の中に埋もれていたエシャロットを《救出》した。
 エシャロットと言っても、日本でエシャレットとかの名前で売られているラッキョウではない。
 
周年利用のためのタマネギの品種
昨秋、タマネギは4種類、定植した。極極早生、極早生、中晩生、赤タマネギ(色は、正確には「赤紫」)である。

極極早生(種袋には「極早生」と記してある)は、初めての栽培。去年6月に収穫したタマネギは、生育不良のため収量が少なかった。だから、今春は早くから新タマネギを収穫したいと思い、この品種を選んだ。種袋によると、3月半ばから収穫が可能。ただ、おそらくは、まずは葉タマネギとして収穫することになるのだろう。

晩生系のタマネギは、品種を選べば、6月に収穫して、翌年の3月まで貯蔵できる。すると、晩生系のみを栽培するとすれば、2ヶ月ほどタマネギの端境期ができる。その期間を埋め合わせるため、極早生を栽培する。すると1年中、タマネギを利用できることになる。

播種から定植まで
タマネギの播種は9月である。去年は、9月11日に極々早生、9月15日に極早生、9月21日に中晩生を蒔いた。定植は、播種後2ヶ月弱(種袋には「育苗日数55日」と記してある)に行う。(本葉が3枚の頃。4枚は大苗すぎる。)去年は、極極早生を除き、定植が遅れた。極極早生は播種後54日、極早生は播種後69日、中晩生と赤タマネギは播種後63日で定植した。

タマネギ栽培は、経験からすれば、若くて健康な苗を定植して、寒くなる前にしっかりと活着させることがポイントのひとつ。そうすれば、冬の寒さに負けにくいし、春の生育がよくなる。大苗になると収穫前に薹立ちしやすい。また若苗に比べて、活着が遅れる。しかも、大苗になるまで苗床においておくと気温も下がり、そのぶんも活着のための条件が悪くなる。日照時間が短くなり気温が下がる秋は、種蒔きや活着の遅れは、少しでも、生育に大きく影響する。そういうことを考えれば、去年の、極極早生を除く、タマネギの定植の遅れは痛かった。

追肥
追肥は、定植して年内に1回、年を越して、2、3回行う。止め肥は3月始め(極極早生は2月中旬)。私の考えでは、最初の2回ほどは冬の寒さに堪える体を作るため。冬の野菜は栄養をため込んで、寒さに備える。(冬のほうれん草が甘いのはそのためである。それに対して、夏のほうれん草は甘味がない。)

立春頃に補植
それでも、冬の間に土が凍みたり融けたりするうちに、浮いてしまう苗がある。最近、近所では黒ビニールのマルチが目立つ。マルチをすると地温が高まる。裸地の畝とマルチの畝を比べれば、あきらかに後者の方が育ちがいい。しかし私はビニールマルチは嫌い。ならば、藁とかスクモ[もみ殻]とかでマルチをすればいいのだが、それは面倒なので、結局、裸地で栽培している。すると、厳冬の間に、消えてしまう苗がある。今回の追肥は立春をすぎてだから、そろそろ苗の根も動き始める。そこで、追肥の前に、苗の消えた箇所に、苗床に残っている苗を使って、補植をした。

追肥のあとは、中打ち(中耕)。肥料(発酵鶏糞)を土と混和し、《見えない草を草ぎる》ため。(《上農》になった気分 - 笑)
村便り:2016年02月09日(火) (大根の播種; ヒヨ襲来)
投稿日:2016-02-10(水)

播種ダイコン[3月下旬までトンネル]


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大根の播種。
大根の播種
大根を蒔いた。画像は、播種して、ガンギ間に藁を被覆した状態。(「ガンギ」とは、蒔き床のこと。画像では、畝の方向に直交する形でガンギが切ってある。)藁マルチは、保温のため。さらに、畝をビニールで被覆する。

大根は、幼苗のうちに低温にあうとすぐに薹立ちしてしまう。そのため、初春に栽培する場合は、トンネルやマルチで温度を確保する。それでも、秋に蒔く大根と比べて、薹立ちは早い。



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防鳥のためネットで覆った畝。
 手前は、のらぼう菜、向こうは、エンドウ。
ヒヨ襲来
今日は、ヒヨの鳴き声や姿が目立つ。今冬は今までヒヨはあまり見かけなかったので、山に餌が豊富にあるのだろうと思っていた。しかし、春先になり山の餌は少なくなったのだろう、餌を求めて里にやってきた。

まだ木の実をついばんでいるだけだが、すぐに野菜を突つきだすだろう。彼らの食べ方は速い。今は亡き隣のばあさんが「あいつらは、日にちじゃなあ、時間じゃ」と言っていたが、日数をかけて食べるのではなく、数時間のうちに食べてしまう。軟らかい部分を好んで食べるから、春に向けて大きくなりだした野菜がまず狙われる。晩秋に定植したキャベツ、蒔いたそら豆やエンドウが最初の餌食になる。

大根を蒔いたあと、ネットをそれらの野菜にかけてやった。すると鳥はネットが足に絡むので、近づかない。
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