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村便り:2007-03-25(日) (温床での発芽、コブシ)
投稿日:2007-03-27(火)

 三月も下旬になった。この一週間は、21日(水)の春分の日(彼岸の中日)は墓参りで過ごし、24日(土)は雨だったので、農作業に使える日を二日潰してしまった。代わりに、22日(木)の午後、一時間ほどトラクターを動かして、田んぼ一枚を荒起こしした。もう一枚、起こしたかったのだが、作業の開始が遅れたので、日没時を考えると、二枚目の荒起こしは断念せざるをえなかった。トラクターは一日の作業の後、水洗いして泥を落とすように心がけている。泥がついたままだと金属部分(特に鋤)の錆が進行しやすく、またタイヤのゴムも劣化しやすい(肥料を撒いたあとの土を耕したときにはとりわけ注意が必要)からである。だから、トラクターを使うときはできるだけ広い面積を耕耘したい。この日のように作業時間が短いと、水洗いのためにトラクターを動かすようなものである。しかし細切れ時間でも活用して作業を進めざるをえないのが、今の私の境遇である。作業が終わり、一時間かけてトラクターの泥を落とした。

発芽したカラーピーマン
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発芽したカラーピーマン
防虫ネット
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発芽を確認すると、温床内部に防虫ネットを被せた。三月の温床では、発芽すると双葉のうちに食害される苗が出る。双葉が首をもがれたように消えてしまうのである。こうなると以後の生育は望めない。だから虫除けは絶対必要である。
コブシの咲き始めた灰ヶ峰の北斜面 title=
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コブシの咲き始めた灰ヶ峰の北斜面。 写真中央下、急斜面の田んぼの最上段より少し上の水準の斜面に白い斑点が見えるのがコブシの花。一番下のコブシから灰ヶ峰の頂上(左上方の、無人気象観測所のある山頂)までの標高差は約400メートル。この標高差をコブシの花が駆け上がる。
 25日(日)は晴れ。しかし家族とつきあって午後の半ばまで時間を過ごしたため、この日も農作業はできなかった。温床が気になり、夕方畑に向かった。

 温床の中ではやっと発芽が始まっていた。3月10日に種蒔きしたので、発芽開始まで二週間かかったことになる。去年はたしか20日ほどかかったように記憶している。今年は暖かいので一週間ほどで発芽すると期待していたのだが、やはり発芽に時間がかかった。昼間は堆肥熱と太陽熱とで温床内の温度が上がるが、夜は氷点下に下がることもあるので、どうしても発芽が遅れるのだろう。四月始めの温床で育てると一週間で発芽するものも、まだ寒さが残る三月の温床の中ではその倍の時間がかかる。

 ちなみに温床の管理は畑のすぐそばに住んでいる従姉に手伝ってもらっている。昼間、温床内の温度が上がりすぎると風を入れ、夕方には温床内に保温のためのコモをかけて、ビニールトンネルを密閉する。育苗ポットに灌水する。そのような作業を私ができないときには、彼女にやってもらっている。私は通いの一人兼業農家なので、彼女なしには温床育苗はできない。

 気がつくと、村の南側にそびえる灰ヶ峰の斜面にコブシの花が咲き始めていた。コブシは麓から山頂に向かって駆け上がるように咲きのぼる。コブシの花が麓に見えるようになると農耕の季節はいよいよ、しかも咲きのぼる速度に似て、急速に、忙しくなる。コブシがのぼり切ると、今度は山桜が駆けのぼる。コブシを遠望し、山桜を想像すると、私の心と身体が急にせわしなくなった。
太極拳とヨーガ 【太極拳】
投稿日:2007-03-26(月)

去る人、来る人
  太極拳の記事はしばらく掲載しませんでしたが、稽古の方は続けていました。その間、弟子の一人、E君が大学を卒業し、太極拳の志半ばにしてキャンパスを去りました。彼にとって最後の稽古の日、弟子のK君が企画して、稽古終了後、私の研究室で簡単な送別会をしました。この送別会は、お師匠さんの第??回目の誕生祝いも兼ねていました。この送別会の顛末はなかなか面白く、記事にしようとも思いましたが、書く時間を作り出せませんでした。今となっては旧聞になるので、詳細は過去の闇に沈むがままにしておきます。

 去る人もあれば来る人もあります。学部学生のF君が新弟子としてやってきました。きっかけは飲み会でお師匠さんと太極拳を話題にしたことのようです。武術家然とした風貌の男かと想像していましたが、やって来たのは、背が高く細身の、むしろ優男でした。聞いてみれば、高校時代、吹奏楽をやっていたとか、なるほどな、と納得しました。

《ヨーガ教室》の併設
 F君が新加入した日から稽古メニューが変わりました。お師匠さんの希望で《ヨーガ教室》を併設することになったのです。教えるのは、恥ずかしながら、この私です。私のヨーガ歴は20年を超えますが、まったくの独習ですから(ただし詳しいテキストはもっています)、他人に教えようと思ったことは一度もありません。ヨーガはやり方が悪いと身体を傷めることもありますので、《実験台》は自分自身だけに限っておきたかったこともありました。ですから、お師匠さんから、ヨーガを習いたい、と初めて言われたとき、返事は濁しておきました。しばらく考えた末、メンバーが変わった時点でヨーガ実習を始めることにしました。

 第一回目の《教室》は太極拳の稽古時間のうち30分を使ってやりました。注意事項などをくどくど述べているうちに時間の大半が過ぎてしまいました。簡単なことを回りくどく述べる…どうも《shokugyoビョウ》のようです。第二回目は先週の金曜日。(新弟子のF君は春休暇帰省したので、欠席。)

太極拳・ヨーガ比較考
 太極拳とヨーガ、いかにも健康教室的な組み合わせですが、私自身はうまく融合できるかどうか今のところ自信はありません。

 両者の共通点と相違点に関して思いつくことを思いつくまま二、三書き留めてみます。

 いずれも身体意識を高めます。静態的な身体意識の覚醒にはヨーガの方が、動態的な身体意識の覚醒には太極拳の方が優れているように思われます。また、身体意識の細かさに関しては、ヨーガが勝るでしょう。太極拳は柔らかい身体、とりわけ股関節の柔軟性を要求します。それに対して、ヨーガは身体中の関節の可動域を広げます。その結果、ヨーガの体位法を実践していると、意識下にあったり、眠っていたりしていた、さまざまな身体意識が覚醒することになります。

 太極拳の動きは、動く安定ないし調和を目指しているように思えます。日常的な動きとはちがう動きを要求する、というよりは、日常的な動きを組み換えて、安定して調和した動きを実現するのが太極拳であるように、私には思えます。それに対して、ヨーガは関節の可動性、筋肉の柔軟性を、日常性の範囲を超えて生理的限界にまでおし進めようとします。そうすることで身体の可能性全体を実現しようとします。太極拳のように或る型(套路)を身につけるのではなく、身体からあらゆる型を外そうとします。あるいは、身体を、全可能性を実現しうる型にむけて解放する、とも言えます。たとえば上半身は胸を張った体型になります。この体型は心肺機能を極限まで高めようとした結果だと考えることができるでしょう。(ヨーガ実習の危険はここにあります。関節や筋肉の働きが日常性を超え出るとコントロールが難しくなり、その結果、身体を傷めることになりうるからです。)

 時々私は、ヨーガは一人でやるものだ、と思うことがあります。ヨーガをやるときの意識はひたすら自分自身に向かっています。アーサナを完成している時の身体の緊張(痛み)に意識を向け、アーサナを解いたあとの身体の弛緩に意識を向けます。身体の弛緩は、緊張が痛みであった場合には、快感にさえなります。その快感に意識を向けている(すなわち快感に浸っている)姿は人目にさらすようなものではありません。

 ところが、太極拳の意識は、対自意識であると同時に、対他意識です。太極拳が相手のある武術であることを思い出せば、当然のことと言えましょう。そして相手を意識した動作は美しい。ですから、お師匠さんの動きを見てうっとりとするのは、お師匠さんが若い女性であるというだけでなく、太極拳の本質に対他意識が属しているということにも起因するのだろうと考えています。

 屁理屈を並べましたが、これから太極拳とヨーガを並行して稽古・実習しながら、理屈も深めていきたい、と思っています。
村便り:2007-03-18(日) (コイモの種芋の掘りあげ)
投稿日:2007-03-24(土)

 コイモ[里芋を村ではこう呼ぶ]の種芋は例年、三月半ばに掘りあげる。山間部とは言え、瀬戸内海から峠一つを越えたところにある村では、寒さに弱い里芋類でも畑で越冬させることができる。ただし、畝を厚くスクモ[籾殻]で覆ったりして防寒はしてやらなければならない。三月半ばに掘りあげると、冬の寒さにより腐り芋の多少はあるが、必要なだけの種芋は採れる。暖冬の年には、すでに発芽している芋もあるが、今年は意外と発芽は少なかった。

コイモ
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一番手前のトロ箱に入っているのがコイモ[里芋]の種芋。左の大きい芋は親芋。親芋は二つに割って種芋にする。つぎの箱は、食用にするコイモ。手前から三番目の箱には、八つ頭の種芋(孫芋)、向こうから二番目の箱には、食用にする八つ頭の孫芋、一番向こう側の箱には、八つ頭の親芋(実際には、親芋と芋がくっついたもの)が入っている。八つ頭の親芋も種芋にする。
発芽したエシャロット
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 記事とは関係ありませんが…
 発芽したエシャロット。2月21日に植えたエシャロットは二週間くらいで発芽した。現在のところ9球発芽している。全部で11球植えたが、球の状態から発芽するのは7球だろうと予想していたので、儲かった気分。
 掘りあげたコイモは選別してトロ箱に並べ、二週間ほど置く。腐った芋は取り除いて、四月始めに温床に伏せる[芽出し育苗する]。伏せるのは、生育を早めるためである。直植えの場合は、五月に植えるが、その頃には伏せた種芋は、発芽が完了し定植する。育苗するとしないとで、その程度の生育の差が出る。コイモの発芽のためだけならわざわざ温床は作らないが、サツマイモの苗も育てるので、三月始めに続いて二番目の踏み込み温床を四月始めに作る。サツマイモは自家育苗だと、定植期の関係で、どうしても発芽と生育を早める温床が必要になる。

 コイモの種芋を掘りあげるときには、株数が多いし、選別もしなければいけないので、家族で作業することがよくある。私が掘りあげ、子どもと ma femme が選別する。今日も家族でやることにした。私と子どもが先に田んぼに行き(里芋類は休耕田に作っている)作業を開始。コイモは三つ鍬で掘りあげる。子どもは大人のやる農作業をやりたがる(むろん、遊び程度の作業量の範囲内で、であるが)。だから子どもが小学校の低学年の頃、柄が短く、鍬の部分が小さい四つ鍬を買ってやった。その鍬でコイモを掘りあげさせたこともあるが、今日は大人用の(すなわち普通の大きさの)三つ鍬を渡して数株を掘らせてみた。私なら一鍬で掘りあげるところを、子どもは二鍬、三鍬入れながら、鍬の柄を押したり引いたりしながら株を掘り出した。

 二人で作業を終了しかけた頃になってやっと ma femme がのろのろと到着(といっても、彼女は畑で収穫作業をやっていたのだが)。去年のコイモ(すなわち今日掘りあげたコイモ)は、手をかけてやれなかったため大きく育たなかった。そのため、冬の間コイモを食べる機会は少なかった。今日は残っていた株を全部掘ったが、芋は概して小振りだった。ただ、暖冬だったおかげで、腐ったり傷んだりしたものはほとんどなかったので、品質だけはよかった(*)。必要な数の種芋を取り除いた残りの芋は食用にする。ma femme は、選り除けられたクズ芋(ただし大きさからいって「クズ」であるにすぎない)の入ったトロ箱を見て「じゃ、今日は[クズ芋は]全部もって帰ろう」と喜んだ。不作だった一冬の穴を埋めるように、これからしばらくコイモを食べさせてもらうことになるだろう。
(*)冬も終わりになるころから、品質が落ちた芋が出始める。腐ってはいないが、割ってみると極細い筋が入っていたりして真っ白な肉質ではないものがある。そのような芋は、親芋から外した時の外れ方と切り口から大体判別できる。ポキッと外れ、切り口が真っ白なものは品質が落ちていない。力を入れなくてもポロリと外れ、黄色っぽいものは品質が落ちている。
村便り:2007-03-17(土) (一日中、田んぼ仕事)
投稿日:2007-03-22(木)

 一日、ダブ地帯の田んぼで仕事をした。

ビオトープ予定地
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中央の、溝で囲まれた紡錘形の部分がビオトープ予定地の「底無し沼」。
 写真右側が我が家の田んぼで、左側は他家の田んぼ。左側の田んぼは一昨年の晩夏、猪に侵入され、まだ乳状の米を食害された。ダブということもあり、去年は休耕。おそらくはこれから休耕が続くのではないか、と思う。
 ご覧のとおり、周囲は耕作放棄田。猪にとっては格好の遊び場であり餌場である。
 ダブの大町はウワコウダに「底無し沼」がある。数年前、荒起こしのとき、作業を委託した人のトラクターがスタックしてしまった。それ以前には、私自身が耕耘機をスタックさせた。そこは昔から底無しだったらしく、牛を入れるのを避けたくらいのダブだった、と牛耕時代の若いころ我が家の手伝いをしたことのある人が思い出話をしてくれたことがある。その田んぼは三年休耕をして去年からまた耕作を再開したが、「底無し沼」があるところだけは除外した。

 除外するだけでは芸がないので、子どもと相談して、ミニ・ビオトープを作ろう、ということにした。しかし、去年はビオトープまでには手が回らなかった。そこで今年こそはビオトープに向けて作業を前進させようと思っている。底無し沼をビオトープにして常時水を溜めておくと、そこから田んぼに水がしみ入る。稲を作っている間はそれでもいいが、稲刈り時から春にかけては田んぼはできるだけ乾かしておきたい。そこで、底無し沼と田んぼとを切り離す溝を掘り、さらにその溝に畦板(鉄製やビニール製の波板)をはめて、田んぼ土の表層での水の流れを遮断しようと考えた。今日は、まず溝掘りをした。

 去年よりは除外する範囲を狭めた。欲を出して狭めすぎるとトラクターがスタックし、田植機が埋まってしまう。田靴を履いた足(泥が深いので普通の長靴は泥に埋まってしまう)で深さを確かめながら範囲を確定し、重い田土を、スコップ、三つ鍬、平鍬を使って掘りあげた。

 次は、去年復田を試みて失敗し一年間草が生えるままにしていた狭いダブ田の周辺を草刈りした。近々、枯れ草を燃やすための準備である。その田んぼの周辺は休耕田(むしろ耕作放棄田)なので草が生い茂っている。それでも、幅が1メートルほどの防火帯を作っておけば、草焼きしても延焼することはない。

 それが終わると、ダブの大町に戻り、脅しの電気柵の撤収。このダミーの電気柵のおかげか、猪が出没するダブ地帯の端っこにある、この田んぼは、去年稲を作っている間、猪に侵入されることはなかった。

 最後に四月始めに踏み込む温床の材料として、田んぼから持ち帰る藁を10束ずつ括り、全部で100束を軽トラックに積み込んだ。そのころには帰り支度をしてもよい夕方になっていた。
村便り:2007-03-15(木) (ジャガイモを伏せる)
投稿日:2007-03-16(金)

 朝、ジャガイモを伏せた。

 例年、ジャガイモは3月15日に伏せる[育苗床に植えて芽出しする]ことにしている。そこで昨朝、種芋を切り分け、トロ箱に並べて日光浴させておいた。二、三日、陽光に晒してもよかったが、今日は天気予報では午後は雨。そこで朝のうちにジャガイモを伏せることにした。(日光浴は、私の心づもりでは、切り口を乾かして、土に埋めてからの腐りを防止するためである。或る本には、催芽効果がある、と書いてもあった。)

ジャガイモ四種
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ジャガイモは四種類、伏せた。四種類を表皮と形、肉の色が分かるように二片ずつ並べてみた。上段左から、男爵、メークイン。下段左から、普賢丸、roseval系品種。
 男爵とメークインはよく知られている品種だから説明は省く。
 普賢丸は近年開発された春秋二期作対応の品種。秋より春の方が収量が多いそうである。昨秋、初めて種芋を買った。今春の種芋は、それから自家採種したもの。丸型の品種で、肉は黄色い。
 roseval系品種はrosevalを片親にしてフランスで開発されたもの。晩生種で芽が出るのが遅く長期貯蔵に向く。晩生種といっても夏に収穫すると春までには芽が出てしまう。そこで種芋は芽が大きくならないうちにかき取り、できるだけ生命力を温存し春を迎えさせる。種芋は自己採種。細長い品種で、肉は黄色い。また芽は浅い。
伏せたジャガイモ
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芽出し床に並べた種芋。奥から順に、男爵、メークイン、普賢丸、roseval系
作業完了
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種芋には露出しない程度に軽く土を掛け、さらに防霜のために藁を被せる。
 ところが畑に着く前に雨がぽつぽつと落ちだした。畑の土を見ると、まだ表面は乾いている。午後、雨が降れば、土が水を含んでしまうので、明後日でなければ伏せることはできない。そこで作業を強行した。

 ジャガイモは直植えもできる。近所には、すでに直植えした畑もある。しかし私は、畑に伏せてから定植をする。理由は、種芋が一ヶ所で管理できるので、ひとつは霜害対策がやりやすいこと、また、芽かきの労力が少なくてすむこと、さらに、定植は一カ月後になるので畝作りに時間的な余裕ができることの三つである。

 作業をしているとジョウビタキが富有柿の木に止まって様子を窺っていた。ジョウビタキは他の鳥ほどには人間に警戒心を示さない。柿の木は作業している場所のすぐ近くにあるので、他の鳥なら私の作業中に木に止まっていることはないだろうに、ジョウビタキはちがう。先日、同じところで草を抜きながら土を起こしているときも(同じ?)ジョウビタキがやってきて、私が場所を離れた隙に二度、掘り出されたミミズをかっさらって行った。今日は軽く土を動かしただけだったので、餌にはありつけなかったようである。
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