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村便り:2007-08-21(火)/22(水)/23(木) (人参播種、ヒエ刈り)
投稿日:2007-08-29(水)

 8月21日(火)から23日(木)の三日間、夏休暇をとった。7月から9月の間に、連続して(土日を挟んでもいい)三日間休暇をとる権利がある。その〈権利〉を行使して、農作業をした。

積極的休養(?)
 21日の朝、先週末(18日、19日)炎天下で農作業をした〈後遺症〉がまだ続き、胃のあたりがむかついた。体調を崩しては、心身リフレッシュためにある夏休暇の趣旨に反するので、完全休養日にして家でゴロゴロしていようか、と弱気になった。休養には消極的休養と積極的休養とがある。家でゴロゴロは消極的休養であるが、身体を軽く動かして心身のリフレッシュを行うのが積極的休養である。よし、それではこれから三日間は〈軽く〉農作業をして積極的休養をしよう、と自分をごまかしながら励まして、野良に出た。(炎天下の農作業はどうやったとしても「積極的休養」にはならないが、三日間はともかく作業時間は少なくした。)

人参の播種
 21日のメインは人参の播種と空芯菜の定植。人参は洋人参と和人参(金時人参)の二種類を蒔いた。畝の準備をしていると近所の人が通りかかった。人参をこれから蒔く、と私が言うと、その人は、こんなに日照り続きのときに芽が出るか、と訊いた。日照りのときはどんな野菜でも芽は出にくい。ましてや人参は種蒔きのあとほとんど土を被せないので(土を被せると発芽しない、ないしは、発芽しにくい)発芽はまず期待できない。毎日水をやるから大丈夫、と私は答えた。

人参と空芯菜
(クリックで画像の拡大)

 手前が空芯菜。その向こう側、防虫ネットで覆ったところが、人参を蒔いた部分。
 空芯菜はもっと密植した方がいいかもしれない。
 防虫ネットは乾燥防止のため。人参は種をまいたあと、もみ殻で蒔き床を被覆し、さらに防虫ネットを被せる。その上から発芽するまで毎日、水をかけてやる。
 畝の横にはイノシシ除けのダミーの電気柵が張ってある。
ヒエを燃やす
(クリックで画像の拡大)

 刈りとったヒエは、畦で燃やすか、屋敷までもって帰ってから燃やす。種を焼き払うためである。
 百姓を始めたころ、ヒエを農道の隅に放置していて、隣のおばあさんに注意されたことがある。「ヒエは持って帰って燃やさんにゃわからん」とおばあさんは言った。昔は除草剤を使わなかったので、ヒエの種に対しては敏感だったのだろう。それからは私はヒエの種には神経を使うようにしている。
 人参は連作ができて、しかも連作するとよくできる数少ない作物のひとつである。だから、わが家では人参を作る畝は決まっている。その畝のある畑は地下水位が高いため、湿り気が多い。水分の多い土を好む子芋を、私は休耕田に作っているが、私以前は、その畑で作っていたほどである。そうした土質もあるのだろう、乾燥している時期でも水やりをしてやれば人参の発芽に問題が生じることはない。

空芯菜
 空芯菜は初めての栽培である。東南アジアでよく栽培される野菜のようだが、夏野菜として利用可能かを確かめるために試験的に植えつけた。ポット育苗しての定植。場所は多湿を好むらしいので、人参の続きにした。

ヒエ刈り
 22日と23日の二日は田んぼのヒエ刈り。

 一カ月近く前、一度、ヒエを中心に田んぼの草取りをした。しかし、その後、そのとき見逃したヒエが伸びて穂を出した。そのヒエを、稲が穂を出し始める前に、刈り除きたい、と思っていた。出穂すると、穂が充実し始めるまでは田んぼの中に入れない。再び田んぼに入れるようになった頃には、ヒエの種は脱落を始めている。脱落すれば、その分だけ来年もヒエに悩まされることになる。

 稲はモチとウルチを作っているが、モチのほうが一週間ほど出穂が早い。そこで、まずモチの間に生えているヒエから処理しようとした。ところがモチはすでに全面、出穂が始まっていた。さいわい、ウルチは極一部を除いてまだ出穂は確認できない。そこでウルチの田んぼで作業することにした。

 ヒエは、穂が出るまで成長すると、根を張っているので抜き取ることは困難である。そこで鎌で根元から刈りとる。二日かけて、ウルチの間に立っていたヒエは取り除いた。
村便り:2007-08-19(日) (炎天下のトレーニング)
投稿日:2007-08-21(火)

 昨日の疲れ、暑さで眠られなかった夜のせいで、今日は調子があがらない。朝は食欲がなく、朝食はいつもの半分ほどの量だった。二週間ほど空調のきいた部屋でレポート読みをしていたので、なまったか、と軟弱な身体を情けなく思いながら、仕事にでかけた。

田んぼの草刈りの続き
 午前中は、昨日に続いて田んぼの畦の草刈り。昨日の作業から、草丈が高いので、一挙に片づけるわけにはいかないことが分かり、少しずつ刈っていくことにした。今日は、昨日刈った田んぼの上の田んぼ一枚分。

畦の草刈り
(クリックで画像の拡大)
畦の草刈り。
 草刈り機(回転刃が見える)と鎌(柄の部分が見える)が置いてあるところが畦。その左側に立っているのは稲。
 わが家の田んぼのようにヒエの多いところでは、畦にもヒエが生える。しかも畦と田んぼの際に生える。写真で分かるように、ヒエはすでに穂を出している。際のヒエを鎌で刈ってから、草刈り機で残りの草を払う。
 まず畦と田んぼの内部との境の草を手で刈った。その部分には田んぼの中に生える草、とくにヒエが丈高く生えている。草刈り機ではうまく刈れない。下手をすると稲まで刈ってしまう。そこで、まずそこだけを鎌で刈った。中腰なので、炎天下では少し刈ると息があがる。身体を起こしフーと一息をついてからまた刈り進んだ。そんなことを繰り返しているうちに、インターバル・トレーニングという言葉が頭に浮かんだ。一定の距離を全力で走り、それからたとえばグラウンド一周を軽く流して、また全力疾走する、ということを繰り返すトレーニングである。軽く流しているとき(インターバル)に、息を整え、力を回復する。草刈りで息があがると、しばらく息を整え、また草を刈る、という作業の仕方が、その言葉を思い出させたのである。それからは、むやみに水を補給せず、そのトレーニングの仕方で息を整えることにした。インターバル・トレーニング+持久走。農作業をそんな言葉で〈翻訳〉すると、自分が、冬の駅伝シーズンに向けて夏合宿をしている陸上部の一員のような気がしてきた。

てつ人少年の夏季練習
 中学生時代のてつ人少年は陸上班(実態は、長距離・駅伝部)に所属していた。学校は山のなかにあった。暑い時期は、練習のあと飲む井戸水が格別だった。当時は、今とは違い、練習中の水分補給は、水を飲むとバテる、という理由で禁止されていた。練習がおわると、皆一斉に校庭の片隅にある井戸に走った。ポンプのスイッチを入れると、深い井戸からくみ上げられた水が蛇口からほとばしり出た。上級生から順に蛇口からがぶ飲みした。その水の冷たいこと!おいしいこと!

 中一の夏期練習のとき、持久走をさせられたことがある。好きなスピードで走っていい。だからゆっくりでもいい。ただし30分走り続けること。炎天下の持久走だった。経験の浅いてつ人少年は、暑さと時間を見くびり、最初から快走した。力のない少年は、結局、15分ももたずに脱落してしまった。



 何十年も前の記憶である。炎天下の農作業をしていると朦朧とした頭のなかで、そんな記憶がよみがえった。てつ人少年に今の自分を重ね合わせると、なにやら身体に力が湧いてくるよう気がした(あくまでも「気がした」だけです)。午前中の水の消費量は、1.5リットル。

無理はしないで…
 記憶の中で少年時代に戻ったとしても現し身は中年の坂を転げ落ちているおじさん、午後は無理な仕事はせずに、あがることにした。15時から耕運機で人参を蒔く畝を耕耘。一週間前に草刈りして耕耘していたが、再度、土を崩して細かくする。その作業を中心に2時間、身体を動かして、今日の仕事は終了。

 バッティング・センターに寄ってから(遊ぶのは、私ではなく、子ども)の帰り道、夜空に稲妻が走り、しばらくして夕立が降り出した。夜は久しぶりに涼しい眠りに入ることができた。
村便り:2007-08-18(土) (レポート読みから解放される)
投稿日:2007-08-19(日)

レポート読み
 8月に入って記事を一本も書くことなく、すでに8月は後半になりました。その間、夏休みを利用して旅行に行っていたわけでも、病気をしていたわけでもありません。8月17日(金)入力締め切りの前期成績評価のため、レポートを読んでいました。レポートのテーマは自由に選択できるようにしているので、レポートは一本一本内容が違い、最初から終わりまで目を通して「理解」しなくては、評価をだせません。他の授業の試験やレポートに追われている学生の書く文章ですから、「解読」を余儀なくされるものも少なくなく、レポート読みは難行苦行になります。そのような事情で、「村便り」を書く気分的な余裕がありませんでした。締め切り日の夕方、無事に成績入力が終わり、難行苦行からもやっと解放されました。


 ここ一週間は、最高気温が40℃をこえるところがでるほどの猛暑酷暑。朝いきつけの理髪店で頭をさっぱりさせてから、10時すぎに作業開始。

田の草刈り
 まず気になっていた田んぼに行った。カッカと照りつける日が続いていたにもかかわらず、田の水は先週末にあてたきり。案の定、水はなくなっていた。日照り続きにもかかわらず、さいわい、井手には水が流れているので、田んぼに水を引くことができた。

 それから畦の草刈り。わが家の場合、他家の田んぼで2回から3回草刈りをするあいだに、一回しか草刈りをしない(できない)。だから、草刈りをするときは草の背丈は伸び、刈るのに手間がかかる。草丈が短ければ草刈り機だけで作業ができるが、長いと、二度刈りしたり、一部、手刈りしたりしなければいけない。「手がないのに手間がかかるようになって仕事をする」といつもの自嘲の言葉を心でつぶやきながら作業。熱中症にならないように、せめて水分補給だけはこまめにしながら作業を進めるが、さすがに体は重い。12時すぎ、手刈りしていたとき、草と一緒に手を切ってしまった。手袋を外すと、左手薬指の、爪の付け根が少し切れて血が出ていた。たいした傷ではない。この程度の傷はよくあること。農耕のシーズン中は生傷は絶えることはない。しかし、この暑さ、そろそろ作業をやめて休めよ、との天の声と受け止めて、午前中の作業は終了した。

金時豆の定植
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定植した金時豆。
 金時豆(インゲン)を作ったのは初めてではないが、わが家の定番作物というわけではない。若さやを食べ、残りは完熟させてから使う定番作物にしようと思い、今初夏、蒔いてみた。しかし、発芽率がよくなかった。
 金時豆は二期作ができる。5月始め蒔きと8月始め蒔きである。そこで、8月蒔きにも挑戦した。5月蒔きの不調を考慮して、今回はポット育苗にした。5月の時よりは発芽率はよかったが、大豆(たいてい90%は発芽する)ほどではなかった。
 1株、2本で定植。株間は40㎝ほど。半分は若さやで収穫し、残りは完熟豆にしようと思う。
苗床で育ったマクワウリ
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苗床で育ったマクワウリ。傍を通ると甘酸っぱいにおいがしたが、熟れすぎて食べられる状態ではなかった。
秋ジャガを伏せて、金時豆の定植
 昼はたっぷりと休んで15時から作業再開。1時間ほど田の草刈りを続けたあと、畑作業。秋ジャガを伏せ、ついで、金時豆(蔓なしインゲン)の定植。金時豆は先週末、草刈りして耕耘した[屋敷の]前の畑に定植した。前の畑は春の踏み込み温床があるところ。草が生えっぱなしになっていたが、先週末、一部を草刈りして耕耘した。草は抜いたわけではないので、畝を均していると草の根がごろごろ出てきた。もしかすると根切り虫が多いかもしれないが(根切り虫は雑草が繁っているところに多い、と読んだことがある)、それ以外は問題はあるまい。

マクワウリ
 草に埋もれている温床をのぞくと、大きくなりすぎて定植を断念したマクワウリが温床で実をつけていた。実は熟しすぎて食べられ状態ではなかったが、見捨てられても、おそらくは、ポットの穴から、踏みこんだ藁(今は堆肥化している)に根を伸ばしてたくましく生き延びたマクワウリに感激した。もっと早く気づいていたら、おいしいウリを食べることができたかもしれない、と口惜しさとともに。

 丸々一日働いたわけではないが、一日が終わるとさすがに憔悴していた。声がかすれてうまく出ないほどであった。
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