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村便り:2007-01-28(二回目の白菜漬の準備)
投稿日:2007-01-31(水)

 この冬、二回目の白菜漬の準備。

 冬の間、二回白菜を漬けて、一月から沢庵漬が熟成する時期まで、食べる。十二月終わりに漬けた沢庵漬が熟成するのは、二カ月半あと。つまり白菜漬は三月終わりまでに食べ終える。

寒害を受けた白菜
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 寒害を受けた白菜。
 外葉に守られていても、寒害でふやけて黒くなっている。
白菜を洗う
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白菜をかなだらいで洗う。
 出荷用の広島菜を漬ける風景をテレビで見たことがある。広島菜は、水が入れっぱなしになっている大きな水槽で洗われたあと調製されていた。そのときは、出荷用のものはわざわざ洗うのか、と洗わないで漬ける私流の白菜漬と比較しながら思った。広島菜は白菜とは違い、葉が開いている。その分、ゴミなどが中に入りやすい。そのために洗うのか、と考えたが、白菜漬も出荷用は洗うのだろうか?
白菜を干す
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 洗った白菜は水の切れをよくするために、上下逆さにして干した。木箱の下には外葉を敷き、白菜がもたれかかる側には背もたれとして外葉を置いた。
 二回漬けることを予定して、白菜の品種は早生と晩生を作り、一回目は早生、二回目は晩生という具合に使い分けている。

 畑から収穫してきた白菜を水場で剥がしてみて、内側の、比較的若くて軟らかい葉が寒さにやられているのに気づいた。白菜は年内に頭を縛って、外葉を《防寒服》にして、内側の葉を寒さから防ぐ。今年は暖冬であるが、それでも内側まで寒気が侵入していた。そこで寒さのため枯れたり、腐ったようになっている部分は包丁でそぎおとした。

 二回目の白菜漬の時期を早めれば寒さで傷むことは少ないだろうが(実際、十二月終わりの一回目のときは、内側が寒害をうけた白菜はなかった)、サラリーマン稼業との関係で、どうしても二回目は一月半ば以降になる。来年からは、頭を縛った上に化繊のコモを掛けてやろうかと思う。するとコモが霜を締め出すので、大分寒さが和らぐはずである。

 枯れて汚れた外葉をはずした白菜を二つに割ると、中から蝶類の幼虫が出てくることがある。平年並みの寒さなら、寒を出るまではほとんど見かけないのだが、今年は目立つ。思い切って、白菜を洗うことにした。葉の間に水を通すようにしてざぶざぶと洗うと虫と一緒にゴミも洗い出された。その時ふと、隣のおばあさんが数年前、やはり白菜をしごう[調製]していた私のところに来て昔話をしたのを思い出した。

 「昔は、白菜を亀池[我が家から緩い坂を500メートルほどのぼったところにある水田用の溜め池]で洗うて干した。」おばあさんはそう話して「昔は馬鹿なことをしよった」とつけ足した。おばあさんは歳をとるにつれて次第に自虐的になった。そして自分を含めた昔の人たちのやりかたを「馬鹿」と形容した。私は洗う理由を訊きたかったが、自虐的な言葉を聞いたせいかどうか覚えていないが、訊きかえすことはしなかった。

 亀池の水はとてもきれいとは言えない。それでも今のように水がふんだんに使える時代ではなかったので、亀池まで足を運んだのだろう。それにしても何のために洗ったのだろう?もしかすると今日の私のように虫とかゴミとかを除くために洗ったのだろうか。干すのは、水を切るためもあるのではなかろうか。

 そんな風におばあさんの話を思い出し、自分なりに洗う理由を考えてみた。
低さ競争!【太極拳】
投稿日:2007-01-27(土)

 昨朝の稽古はいつものように私が一番乗り。電気をつけて大鏡を並べる。次に到着したのはお師匠さん。定刻に遅れること数分。しかし残りの弟子二人がなかなか来ない。そこで二人で稽古を開始。今日はもしかしたら二人っきりかな、ムフフ…なんて心の中でにやけていると、残りの弟子が30分も遅れて到着(がっかり)。ひとりがコンタクトレンズを落とし、二人で探していたとのこと。コンタクトは無事発見されたので、私の心の中とは対照的に、二人の顔は晴々。

 さて、昨日の稽古で、ここ一週間、頭にあったことをお師匠さんに質問してみた。

 いま稽古している二十四式太極拳では、第一の動作で、両足を軽く開いて直立した状態から両膝を曲げて腰を落とす。すると当然のことであるが、頭の位置が下がる。この位置が最後の二十四番目の動作までの基本的な頭の位置になる(動作によっては、この位置より高かったり、反対に低かったりする)。低くなった頭の位置は変えずに動作を続けるのであるから、体重がかかる足(両足の場合も片足の場合も)は膝が曲がる(分かりにくければ、中腰のまま歩くのを想像してください)。すると普通に歩く時に比べて、足腰の筋肉によけいな負荷がかかる。

 お師匠さんは最初のころ、太極拳をやっていると足が太くなります(足に筋肉がつく)よ、と言っていた。私もそうです、と付け加えながら、お師匠さんは若い女性なので、あまり誇らしそうな顔はしなかった。しかし私は、つい最近までは、頭の位置など無頓着に動作をやってきたので、言い換えれれば、頭の高さを無意識に調整し、あまり足腰には負荷がかからないような姿勢でやってきたので、《足が太くなる》は、若い女性がゆえの、過剰な意識が言わせているのだろう、とくらいに思っていた。

 しかし、如上のことに気づいて、さらに自分で低さを意識して練習してみると、お師匠さんの言葉がずっしりとした実感をもって理解できたのである。

 私がお師匠さんに質問したのは、いま書いた理解を示した上で、太極拳では《低さ競争》はないんですか?ということであった。修練を積むと低い姿勢でも楽々と動作できる。だから、自分の修練を誇示するため、低~い姿勢で動作を行なうのではないか、というのが質問の心である。

 お師匠さんの答えは、しかり、だった。

 さらに、《遅さ競争》はないのか、と質問を重ねた。動作をゆっくりすることで足腰への負荷をさらに強くし、それに耐えうる力量をみせることはないか、という質問である。この競争はないそうである。競技の場合は、動作を行なう時間が決まっており、それを超過すると減点になる、というのが、その理由であった。しかし、ゆっくりやると自分の動作の確認ができるので、そのためには遅さは有効ですよ、とお師匠さんは説明を付け加えた。

 最後に、私が思ったこと。「太極拳は、オフシーズンの足腰の鍛練に使えるな。」むろん、オフシーズンは百姓のオフシーズンのことです。
姿勢のバイリンガル!【太極拳】
投稿日:2007-01-25(木)

 先週の日曜日はcenter-shikenの監督。その日は5科目の試験があった。1科目の試験時間は1時間なので、都合5時間、受験生と一緒に試験室に缶詰になった。問題用紙や解答用紙の配布と回収以外は、ひたすら受験状態の監視である。一日の終わりには退屈さでほとほと疲れてしまう。むろんそうであるのが理想的な状態であり、問題が起きては困る。疲れる退屈さのゆえに、午後になると椅子に坐っていると眠くなってしまう。しかし眠り込んでいびきをかいたりすると受験生からクレームがつく。center-shikenの監督はなんともつらい業務である。

 でも今年は、時々身体で遊んだので、終始覚醒した状態で業務がまっとうできた。遊びとは太極拳の歩行練習であり、I字姿勢である。基本的な歩行(「弓歩」と呼ばれる)で二、三歩歩いてみる。弓歩には席の間のスペースでは狭過ぎるので、教室後部のスペースでやった。むろん教室前部にも必要なスペースはあるが、そんなところでやっては受験生の気が散る。クレームがつく。席の間を歩いて監督する際には、意図的にI字姿勢をとってみた。それにyogaの基本呼吸法を交えれば、監督業務などなんのその!だった。(でも同室の別の二人の監督の方は私を見てなんと思ったでしょう?)

 …というように、最近は機会ある毎に太極拳の動きをやっている。

 I字姿勢をとりながら考えたこと。

 まず考えたことは…最初のうちは自分の「身体図式」が混乱したように感じた。日常的な胸張り・出っ尻姿勢をときおり太極拳の胸すぼみ・偏平尻姿勢に変えると、自分の基本的な姿勢が崩れてしまうような気がする。混乱しながらある時、「おっ!わしは姿勢のバイリンガルじゃ!」と閃いた。ある時は出っ尻、ある時は偏平尻、その変化のためには仙椎の角度を変化させなければいけない(*)。すなわち下腹部を動かす動作で姿勢をスイッチする(前の記事を参照)ので何かヘンな感覚がしないでもないが、そのスイッチを身体図式の混乱という表現ではなく「姿勢のバイリンガル」という表現であらわすと、楽しくなる。遊び気分になれる。

(*)前の記事で、I字姿勢をするためには尾てい骨をまっすぐにする、と書いたが、解剖学的には間違いのようである。尾てい骨は前に向かって曲がっているので、その上にあって後ろに突き出している仙椎をまっすぐにする、というのが正しいようである。

 つぎに、お師匠さんは、太極拳をやっている(I字姿勢になると)と男の子は内股になる、と言っていたが、納得した。平行股やがに股にすると足が曲がりがちになるのである。…ということは、太極拳の新人を発掘するためには、内股男を探せ!ということか?
赤い削除線の施してある部分は、お師匠さんの《検閲》により、削除します。理由は、「内股になる」とは言えないからです。私の聞き間違いでした m(_ _)m

 最後に、出っ尻より偏平尻の方が、体重による腰への負担が少なくなるのかもしれない。少なくとも体感的にはそうである。腰痛に悩む方、太極拳をやると治ります!(でも、保証はいたしません、念のため。)
村便り:2007-01-20(あんたはカミジョウの子じゃけえ)
投稿日:2007-01-23(火)

 寒のころは緊急にやるべき農作業はないし、また外に出ると寒いので、野良に出る回数や時間が少なくなる。今日はゆっくりとしたリズムでのんびりと草焼きと畑の耕耘をした。冬の農閑期ならではリズムと気分である。

草木灰 title=
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 焼け残った灰は肥料にするため空いた肥料袋に詰める。
 草焼きをするときは、まず木切れや竹を地面に並べて火をつけ、それらにある程度火が回ってから草を上に載せる。火勢を見ながら少しずつ草を重ねていく。草は湿ったものもあるが、木切れが火の持続的な供給源になり、全体として強い熱が発生しているので、時間をかければ湿った草も燃えてしまう。昼に火をつけても日没時にもまだ煙が上がっている。上から蓋(たとえば、写真左上に見える、底の破れた金盥)をしておくと次の朝には燃え尽きてしまっている(焼け土の場合は次の日でも細々と煙が上がっている)。
耕耘した畑
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 耕耘した畑。
 生い茂っていた草は一応刈り払ったが、きれいに除草したわけではない。だから耕耘した土には草の茎や根が混じっている。土が湿っているせいもあって、溝をあげるとき最初から平鍬を使うと、鍬に草が絡まり土が付着して、うまくいかない。そこでまず三つ鍬で大雑把に土をあげてから平鍬で仕上げる。休耕田を畑にする場合も同様である。
 焼く草は主として先週刈り払った屋敷の草だが、屋敷には何年も放ってある木切れなどが転がっている。そんなものも少しずつ草と一緒に燃やす。燃え尽きたあとの灰は肥料にする。

 (屋敷の)前の畑は去年のシーズンにはニンジンとトマトを作っただけで、あとは草が生えるままにしておいた。草取りをしなかったのは、去年から掛け値なしの《一人農家》になったため、手がなかっただけのことである。また、手間の配分がうまくいかなかったこともある。しかし、今シーズンはできれば畑を有効利用したいので、先週末に草刈りをして、それを燃やしておいた。そして今日は三月からのシーズンを考えて耕耘機で耕耘した。

 夕方、耕耘した畑で作業していたとき、畑の横の道を軽トラックが通り掛かり止まった。「近ごろは見んけえ、どうしたか思よぉったで。」と軽トラックの主が声を掛けてきた。近所のお兄さんであった。「まあ、試験で忙しいかの、とは思うたがの。」それからしばし雑談をした。先週のとんどのことも私は話した、「とんどは、火がついて燃えるまでおったが、餅は焼かずに帰ったしのぉ」。餅を焼けばその人と言葉を交わす機会もあったはずである。とんどが燃え落ちるまで何人かとは話をしたが、集落の世話役をしているその人はそれまではいろいろと指図をしていたので、結局、挨拶もしなかった。とんどは集落の自治組織が主催する。私は街に住んでいるので、その組織には属していない。いわば外来者である。そのことを慮ってか、その人は「遠慮せんでもええで。とんどに来いや。」と言葉を返した。むろん私は遠慮したわけではなく、その夜は都合があっただけのことである。その人は以前にも「あんたはカミジョウ[集落の名前]の子じゃけえ、遠慮なんかいんらんで」とも言ってくれた。

 都市の住民からは農村は閉鎖的だと思われがちである。じっさい外側から見ると、そんな側面はある。しかし、それは内側に裏返してみれば、都市にはしばしば欠けがちな、人々のつながりの深さである。深さは家族的と形容してもいい。ただ、そのつながりに入っていことしなれば、都会的な個人主義を貫いていては、農村で生きて行くことはできない。10年前に《帰農》してから、つくづく実感することである。
村便り:2007-01-14(とんど)
投稿日:2007-01-22(月)

 今夜はとんど。とんどは小正月の行事だから、15日が本来の日にちだが、村では1月半ばの日曜日に行なう。村の二つの地区のうち、山寄りの地区は、子どもの減少を理由に、6年前にやめたが、平坦部の地区は今でも続けている。私が小学校に上がる前から住み、いまも老母が住んでいる家は山寄りの地区にあるので、以前はその家のすぐ裏の田んぼで行なわれるとんどに参加していた。しかし、いまは旧来の屋敷、畑、田んぼがあるもう一つの地区でのとんどに参加している。

とんど
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皆、竹の先に餅をつけ、とんどを遠巻きにして火勢の弱まるのを待っている。
 我が家は今年は都合で、とんどに火がつけられ、燃え落ちるまでいて、餅は焼かずに帰ることにした。子どももそのことは知ってはいたが、とんどの炎が燃え上がり、それを取り巻く人たちが竹の先に餅をつけて火勢が弱まるのを待っているのを見ているうちに、自分の中にも《炎》が燃え広がってきたのだろう、「餅を焼きたい」とぽつりと言った。子どもは、小学校に上がる前に経験した山寄りの地区でのとんども覚えているようである。その頃からのとんどで、餅も焼かずに帰るのは今回が初めてである。冬の夜の闇を赤く照らすとんどの火で餅を焼くのは、大人でも楽しいものである。ましてや子どもは文字通り心踊るはずである。私は「来年は餅を焼こうや」となだめるしかなかった。

 今年はだから、燃え上がる炎の勢いが、真っ赤に照らされた身体とひとつになる感覚だけを《食べ》て、これからの一年を巡っていくことにしよう。
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