<< 2012-03 >>
SunMonTueWedThuFriSat
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

2012/03
記事の分類
 (クリックで分類毎に表示)
以前の記事
 (クリックで月毎に表示)
村便り:2012-03-30(金) (歩みの遅い春にニンジンを蒔く)
投稿日:2012-03-31(土)

播種ニンジン

 今年は春の歩みが遅い。

エンドウの支柱
(クリックで画像の拡大)
エンドウの支柱。3月25日。
 支柱の手前では、「村便り:2012-03-19(月) (踏み込み温床)」で掲載した梅の蕾が、咲き始めている。支柱の右向うには、踏み込み温床が見える。
 3月25日(日)に実エンドウのウロ(支柱)を立てた。エンドウの隣では梅がようやく開花を始めていたが、その花びらを吹き飛ばすかのように強風が小雪まじりに吹き荒れた。


レタスとエンダイブの発芽
(クリックで画像の拡大)
レタスとエンダイブの発芽。(画像はあとから追加)
温床での発芽状況
 踏み込み温床のなかのナス科の育苗箱では、ほとんど発芽が見られない。二日ほど前に、トマトがひとつだけ発芽していただけ。トマトはナス科(第一温床で育苗を始めた野菜はすべてナス科)の中でも寒さに比較的強い。しかし、他のプラグトレイは発芽の気配さえない。3月21日に種蒔きをしたから、すでに一週間をすぎている。順調なら、この時期には他のナス科も発芽を始めている。

 アブラナ科のカリフラワーは順調に発芽している。しかし、キャベツの方はまだ発芽していない。キャベツの方が低温に弱いか、あるいは、種が古くなっているのか、原因ははっきりしない。

 ベランダ育苗のレタスとエンダイブはすでに発芽。


ニンジンの播種
(クリックで画像の拡大)
ニンジンの播種。(画像は後から追加)
露地での初種蒔き
 今日は夕方、ニンジンの種蒔きをした。露地での種蒔きの第一号である。ダイコンも蒔こうと思ったが、まだ気温が十分に上がっていないので、延期した。春に蒔くダイコンは薹立ちが早いが、低温時に蒔くとさらに早くなる。
村便り:2012-03-22(木) (畑の耕耘)
投稿日:2012-03-25(日)

 明日は一日雨の予報。

防寒を取り除いたポンプ
(クリックで画像の拡大)
井戸から水を汲みあげるポンプと蛇口は冬の間、凍結防止のため防寒しておいた。彼岸が過ぎたので、防寒の装備を外すことにした。
 ソメイヨシノの開花始めが種蒔きを始める目印だが、彼岸も過ぎたので、そろそろ露地野菜の種蒔きを始めたい。とはいえ、畑の準備がまだできていない。昨シーズンは野菜作りに力が入らなかったので、空いている畝が多い。本当は冬の間に土を一度ひっくり返しておきたかった。冬の寒気にさらされた土は崩れやすくなる。たとえば赤土の塊があるとする。冬を経るとぼろぼろに分解する。ところが、春から秋の間だといつまでも固まったままである。畑が気になりながらも、しかし、とうとう春になってしまった。空いている畝には草が生えた。除草して耕耘すれば、すぐに使える畑になるが、広さからして、また草のはびこり方からして、除草といった悠長なことはしていられない。それでもともかくも、荒起こしはしておきたい。

 雨がたっぷり降れば、数日間は、耕耘できない。そこで、今日は一日休暇をとり、畑の荒起こしをすることにした。


 2月終わりに刈った草は枯れている。その草を取り除き、以後また伸びた草を刈り払った。それから、耕耘を始めた。

畑の耕耘
(クリックで画像の拡大)
畑の耕耘。草の生えている畝を荒起こしする。
 
畑の耕耘
(クリックで画像の拡大)
上の画像とは別の区画の畑を耕耘し終わったところ。
トラクター、耕耘機、牛耕
 今回は畑にしては耕耘する面積が広い。耕耘しながら、トラクターを導入する前、田んぼを耕耘機で起こしていたことを思い出した。トラクターに比べれば耕耘機は、耕耘幅が狭いし、速度も遅い。また、扱うのに力が要る。トラクターは女性でも操作できる。しかし、耕耘機になると男性でないとなかなか扱えない。いま思えば、時間もかかり、力も必要な耕耘機でよくも辛抱強くたがやしていたものである。もっとも、耕耘機もそれ以前の動物耕に比べれば、はるかに能率的である。おそらくは2、30㎝幅の鋤を使い、牛の歩く速度で進みながら。何回も何回も往復して少しずつ土を起こしていく牛耕。機械で耕耘することに慣れた身からすれば、気の遠くなるような単調作業である。そんな昔話を、若いころに牛耕をしていた古老から聞いたことがある。その人は「今の百姓は百姓じゃなあ」と昔の労苦と今の安楽とを比較して言った。

 耕耘し終わると、排水溝を耕耘した区画の周りに作っておく。9時ころから作業をはじめて、耕耘機の土を洗い流しおえたのは18時ころだった。あたりは薄暗くなっていた。
村便り:2012-03-21(水) (温床育苗開始)
投稿日:2012-03-24(土)

播種(温床育苗)【第一温床】ピーマン(普通ピーマン、パプリカ)、トマト(普通トマト、調理用トマト)、日光トウガラシ、鷹の爪、シシトウ、伏見甘長、長ナス、【第二温床】キャベツ、カリフラワー
播種(露地育苗)レタス、エンダイブ[苦チシャ]

 3月19日に踏み込んだ温床は発熱が始まった。踏み込んだ藁に手を当てると熱を感じるが、まだ温度は上がりそうである。温床に育苗箱を入れるまえに、地温計を差し込んで堆肥の熱をはかることもあるが、今回は省略して、午前中にプラグトレイに種蒔きをした。

温床で育苗を始めたプラグトレイ
(クリックで画像の拡大)
温床で育苗を始めたプラグトレイ。
 この時期の温度が発芽適温としては低すぎるナス科は、第一温床で育苗。また、保温したら発芽が早まるアブラナ科は第二温床で育苗。さらに、25℃以上になると種が休眠してしまうレタスは自宅のベランダで育苗。

 日光トウガラシは今年はじめて作る。正確には去年はじめたが、去年の温床はイノシシに荒されて苗ができなかった。まだ青い莢を使って醤油漬けなどにして食べられるというので、作ろうと思った。暑い時期には食が進みそうな加工品である。

 エンダイブは日本ではあまりなじみのない野菜だろう。形はサニーレタスに似ているが、色は緑。レタスと同じキク科だが、別名で苦チシャというように苦い。軟白すると苦みがやわらぐ。サラダに混ぜて食べる。初秋蒔きが本来の作型だと思うが、種袋に春蒔きもできるように書いてあったので試そうと思う。(初秋蒔きはすでに経験済み。)

(エンダイブを私がはじめて食べたのは、巴里での留学生時代。仏蘭西語ではシコレ[chicoree]と言う。英語に直せば、チコリ[chicory]。ところが、チコリは日本では(英語圏でも?)、別の野菜の根っこを伏せて発芽したものを軟白して、サラダとして食べる野菜。逆に、エンダイブ[endive]を仏蘭西語風に発音すれば、アンディーヴだが、仏蘭西語圏ではこれが日本のチコリに当たる。私が二つの野菜をはじめて経験したのは仏蘭西語圏だったので、日本では、チコリとエンダイブが入れ替わっていたのには面食らった。ただ根っこから発芽したものを軟白して食べる野菜も苦いので、両者は近い親戚かもしれない。ちなみに、アンディーヴ=チコリは手間がかかるためであろう、高価な野菜。日本でも種は販売していて、また栽培もできる。栽培は経験済み。)[この段落の説明、分かりました?]
村便り:2012-03-19(月) (踏み込み温床)
投稿日:2012-03-22(木)

 明日は春分の日。「暑さ寒さも彼岸まで」だとすれば、温床は次第に要らなくなるころともいえる。

 温床育苗を始めたころは、3月始めに温床を作っていた。3月前半はまだまだ寒い。最低気温が氷点下になる日もある。最初のころは踏み込む藁、すなわち《発熱剤》、の量が少なく、また、温床を防寒する工夫も分からなかったので、せっかく発芽しても、寒さで枯れてしまうことがあった。そこで、温床作りを半月ずらして3月半ばにした。いまであれば、踏み込む藁の量が多くなり、また、防寒の方法が分かってきたので、畑のあるところに住んでいてこまめに温床の世話ができさえすれば、3月頭から温床育苗を始めても失敗しないとは思う。しかし、通いの兼業農家という身を考え、無理はせずに、いまでも3月半ばから開始のスケジュールを踏襲している。

 今日は午前中を使って、温床に藁を踏み込むことにした。



(クリックで画像の拡大)
骨組みに藁を網つける作業を始める。第一温床。3月16日。温床の大きさは、幅80㎝、長さ260㎝、深さ(高さ)60㎝。
 

(クリックで画像の拡大)
藁を編みつけ外枠を完成。左が第一温床、右が第二温床。第二温床の大きさは、70㎝(幅)×200㎝(長さ)×45㎝(深さ)。
 踏み込み作業だけでたっぷり半日はかかるので、それまでの作業はあらかじめ済ませておいた。3月15日と16日には午前中、温床の外枠作りをした。竹で骨組みをつくり、それに藁を編みつける。温床は二つ作る。ひとつは藁をたっぷり踏み込む温床(第一温床)。そこでは、高温が必要な野菜の育苗をする(トマト、ナス、ピーマン、アマトウガラシ、サツマイモなど)。もうひとつは、藁を踏み込みはするが、発熱剤よりはむしろ断熱剤として利用する温床(第二温床)。こちらでは、里芋の芽出しを行い、空いたスペースは第一温床で育苗している苗が成長した際に、その移動先として利用したりする。

 さらに3月17日の夕方には、踏み込む藁を田んぼのワラグロから畑に運び込んだり、藁カッターに給油したりして、すぐにでも、藁の踏み込み作業が開始でき、また、作業が完了したらそのままビニールで被覆できる状態にしておいた。



(クリックで画像の拡大)
手前の藁カッターで藁を裁断し、その藁を温床に踏み込む。
 

(クリックで画像の拡大)
温床の完成。
 第一温床は、踏み込む藁は200束(稲刈りのときにバインダーが結束する束を1束と勘定する)。藁を数㎝重ねると、発火剤として鶏糞と米糠をその上から撒き(藁が発酵するにはチッソが必要である)、如露で水をかけて湿らせてから、足で踏む。その過程を何回も繰り返して、また、4時間ほどかけて、最終的には50㎝ほどの厚さに藁を踏み込む。じつに単調な作業である。

 百姓を始めたころは、ナスやトマトやピーマンなどの夏野菜の苗は購入していた。父がそうしていたからである。しかし、父はサツマイモの苗は自分で作っていた。また、里芋は芽出しをして定植していた。そのために小さな踏み込み温床を作っていた。そしてわずかに空いたスペースにナスを蒔いて、育苗していた。私が温床を作り始めたのは、父と同じ目的だった。しかし、さらに夏野菜の育苗もするようになった。(このあたりの事情は、本格的に温床育苗したころの記事「天地人籟:☆ 2003-03-20 ☆ 踏み込み温床」に詳しい。)


梅の花の蕾
(クリックで画像の拡大)
梅の花の蕾。
 今年は梅の花の開花が遅いのだろうか。畑の隅にあるこの梅は比較的咲くのがおそいが、彼岸が明日というのに、まだ開花していない。しかし、蕾の状態からして二、三日のうちに開花が始まるだろう。
 夏野菜の苗は高額ではない。手間と労力と時間を考えれば、購入する方が自分で育苗するより《安上がり》だろう。今の時代に、自分で、しかも昔のやり方で、育苗をするのは酔狂でしかあるまい。踏み込み作業をやっていると自分でもうんざりしたりする。それでもなぜ温床育苗をつづけているのか?
(ここまで書いて中断しました。書きついでから掲載しようとすると、結局は掲載できなくなる可能性があるので、途中ですが、このまま掲載します。)
SkiAgain4:2012-03-10(土) (残雪、春スキー)
投稿日:2012-03-17(土)

 今シーズンは、積雪量からすると、3月後半までスキーが楽しめそうですが、私は3月10日でシーズンを終えることにしました。3月になると農作業が忙しくなります。また、子どもの部活(硬式野球部)の練習試合が3月に入ると解禁されますので、観戦に行く機会が多くなります。すると、山に行く時間はもうありません。

 最後のゲレンデはどこにしようかと思案した結果、今シーズンはすでに三回通っている恐羅漢スノーバークにしました。結論はいくつかの条件を考慮して出しましたが、昨シーズンの思い出がつよく後押ししました。


(クリックで画像の拡大)
去年の3月11日。雪面にうつった自分の影。この10分前に地震が起きたことになる。
 

(クリックで画像の拡大)
去年の3月11日。今日の恐羅漢は雪も舞う曇り空だったが、去年は晴れていた。
 明日3月11日はあの大震災から一年ですが、じつは去年の3月11日は恐羅漢でスキーをしていました。帰りの車のなかでラジオのスイッチを入れると、津波情報を繰り返していました。地震があったのだろう、とは推測できましたが、ラジオはなかなか肝心の地震については語ってくれませんでした。恐羅漢から自宅までは車で一時間あまりです。東北地方に近い太平洋で大地震が発生したことが分かったのは、自宅に近くなってからです。それから一年。一日違いですが、また《あそこ》に行ってみよう、と思いました。11日当日を選択しなかったのは、その日は別の予定(練習試合の観戦)が入っていた、というだけのことです。


 今日は、今シーズン9回目の雪遊びになります。前回と今回の場所は、

⑧3月 3日(土) 瑞穂ハイランド(単独行)
⑨3月10日(土) 恐羅漢スノーパーク(単独行)

です。


木の芽
(クリックで画像の拡大)
3月3日。瑞穂ハイランド、ラビットコースにて。
 コース脇の木の芽はまだ堅いが、すでに春を感じさせる。スキーヤー/スノーボーダーはその《春》を突っ切って急斜面を滑り降りていく。
 

(クリックで画像の拡大)
恐羅漢スノーパーク。立山第1リフト下を流れる雪解け水。
 今シーズンの最後二回の雪遊びは、まさに春スキーでした。みぞれに近い名残雪が舞うことはありましたが、ゲレンデは、2月までに降り積んだ雪の、残り雪。朝はがりがりに凍ってエッジがたたないところもあるくらいですが、昼頃には溶けて、午後は夏のかき氷状態になりました。(朝のような雪を「堅雪(かたゆき)」というそうですね。前日に溶けた雪が夜間に凍りついたものを指します。春の季語。)ゲレンデの自然も春をはっきりと告げていました。



(クリックで画像の拡大)
恐羅漢。ヒエ畑コースから立山コースへの移動路。今シーズン最後のスナップ。
 今日は早めに切り上げて帰ろうと思っていたのですが、結局、リフト営業時間(17時まで)のぎりぎりまで滑りました。最後にリフトに乗ったとき、係員の人が「今日はどうもありがとうございました」と挨拶して私のすぐ後ろから席をたたみ始めました。リストは上級コースに向かうリフトでこの時間にはあまり利用客がいません。私のすぐ前のスノーボーダーが係員に「あと一回」とか言いながら、リフトに乗り込みました。私の後ろで席がたたまれていく音を聞きながら、スノーボーダーは終了作業を始めていた係員に頼み込んで乗ったのかもしれない、と想像しました。私は彼のすぐあとに付いていたので、乗せてくれたのでしょう。

 コースのトップにたち、今シーズンはこれで最後の滑降、と思うと名残惜しい気持ちがしないではありませんでした。有終の美とまでにいかないまでも、せめて転倒しないで滑走しようと(じつは、最後にしようと思った直前の滑降で転倒しました。そこで、時計をみて終了間際のリフト乗り場に急いだ、というわけです。)気をつけながら、ロングターンで急斜面を滑り、人気のなくなったゲレンデに降りていきました。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
最新20コメント
Powered by
Serene Bach 2.19R