てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:【週間短信】2020年01月13日(月)-19日(日)
投稿日:2020-01-15(水)
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01月15日 仕事始め; 今月の農作業:畑の《開墾》と庭木の管理; タマネギの追肥 01月15日(水) 投稿日:2020-01-15仕事始め今年の仕事始めは1...


01月15日 仕事始め; 今月の農作業:畑の《開墾》と庭木の管理; タマネギの追肥



 01月15日(水) 
投稿日:2020-01-15

仕事始め
今年の仕事始めは1月5日(日)だった。昨年末までに片づけておきたかった田の耕耘である。それに手をつけることなく正月を迎えたので、1月の早い時期にはやってしまいたいという気持ちが強く心にあった。とはいえさすがに正月三が日は野良にでるのは気が引ける。やっと5日にトラクターを田んぼにもっていった。

耕耘の目的は、稲こぎ[稲の脱穀]で出た切り藁を土と混ぜ合わせること。藁は、土に混ぜ合わされると腐熟が促進される。5月終わりの田植を考えると脱穀後できるだけ早く藁は鋤きこんだ方がいい。だから鋤きこみ時期の目安を「年内に、すなわち年が明けるまでに」としている。
(他家の田んぼはそうなっているが、私はじつはこれまで実行できたためしはない。弁解じみているが、脱穀したあと藁を田んぼ全体に藁を広げなければならないが、一人農家ではそれがなかなかできない。)

年が明けてからの作業で、また、田んぼ全部を終えることはできなかったが、大部分をやったので、まずは一安心。

(クリックで画像の拡大)


今月の農作業:畑の《開墾》と庭木の管理
今月の農作業は、畑と庭木の管理を中心にして進めて行くつもりである。

畑はルーティンの作業もあるが、屋敷周りに三枚ある畑(利用可能な面積はあわせて7畝=700㎡ほどか)を《開墾》することである。畑は、屋敷を中心に、「前の畑」、「横の畑」、「裏の畑」と名づけているが、長年管理が行き届かず、さらに、定年退職してからここ数年は《原野》化しつつある。去年はほとんど横の畑しか利用できなかった。だから、とくに前の畑と裏の畑を《開墾》して、春から畑として利用可能な状態に戻そうと考えている。寒の時期に荒起ししておくと、土が寒気にさらされ春までにこなれて扱いやすくなる。

庭木の管理については、屋敷に庭と呼べるようなものがあるわけではなく、ただ畑の隅っこに木が立っているだけである。しかしそれらも長年の放置のせいで《森》化している。だから枝払いしたり、場合によっては伐採して、風通しと日照をよくするつもりである。

私は《森》が好きだ。木があれば鳥がやってくる。他の生き物も棲息する。ドングリの木(コナラか?)が大きくなるとかぶと虫がその周辺に卵を産むようになった。松の木の下にはキノコが生えるようになった。(ただし食用になるかどうかわからないし、毒キノコの可能性もあるので、採取はしない。)でも、そのドングリの木や松は伐採も考えている。

ただ1月はあと半分しか残っていないので、計画は部分的にしか実行できないだろう。

タマネギの追肥
1月12日14日は、畑のルーティンであるタマネギの追肥をした。去年の6月に収穫したタマネギは、一部は3月まで保存できる品種だが、芽が出るのが早い。原因ははっきりしないが、肥料のやりすぎだったのかもしれない。12月の終わりに1回目の追肥をして、1月から3月始めにかけてさらに2回追肥した。そこで今シーズン(タマネギは、晩生タマネギを例にとれば、9月下旬に種蒔きして翌年6月初旬に収穫する。)は施肥量を減らそうと思っている。1月と2月にそれぞれ1回、合わせて2回にする予定。また止め肥(最後の施肥、つまり2回目の施肥)は早めに施す。しかも肥料は切れのいい化学肥料にする。

タマネギ畝はそろそろ雑草が生え始めている。そこでまず鍬で除草してから、追肥した。鍬は今までは三つ鍬を使い、条間[作物が植わっている条と条の間]を掻くように耕していたが、最近になって、平鍬を使っている。草が双葉程度であれば、平鍬による除草が効果的である。平鍬を土の表面を削る程度に動かせば、平鍬の幅いっぱいに除草できる。三つ鍬であれば、鍬の歯の間に隙間があるので、その部分は草を逃してしまう。

(クリックで画像の拡大)
平鍬で除草。


(クリックで画像の拡大)
三つ鍬。三つ鍬は4本もっているが、この三つ鍬は鍬の部分が他のものより小さい。子どもが小さいときに買ってやったものだが、今は柄を長いのに付け替えて、中打ち専用に使っている。


今年は記事を続けたい。「おもいっきり、ふっきり、ひとり暮らし」(今年の年賀状)の晴耕雨読生活をライブ配信するような村便りにしたい。そのため、短めの記事にするようにつとめよう。長いと、書くのに時間がかかり結局、続かなくなるから。(と書きながら、長い文章になってしまったが。)
村便り:【週間短信】2019年03月11日(月)-17日(日)
投稿日:2019-03-13(水)

03月12日 温床の準備; カブト虫の幼虫03月11日 エンドウの支柱; ヒヨは意外と賢い! 03月12日(火) 投稿日:2019-03-13温床の準備夏野菜を育...

03月12日 温床の準備; カブト虫の幼虫
03月11日 エンドウの支柱; ヒヨは意外と賢い!



 03月12日(火) 
投稿日:2019-03-13

温床の準備
夏野菜を育苗する踏込み温床の準備。例年、3月半ばから育苗を開始するが、その前に去年の温床の残骸を片づけて温床の骨格を作り、藁を踏み込んで温床を作る。三日かかる作業である。内訳は、一日目が温床の《敷地》作り、二日目が温床を囲む枠組みに藁を編みつける、温床の枠作り、三日目が藁の踏込み。今日は、一日目の、温床の《敷地》作りをした。

温床は、夏野菜(トマト、ナス、ピーマン、カボチャ、ズッキーニ、ニガウリ等)の育苗が終わる6月始めから翌春までの間、放置する。春になると温床はいわば廃墟になる。まずその廃墟周辺の草を刈り、踏み込んで腐熟した藁を廃墟の中から掘り出す。

(クリックで画像の拡大)
廃墟化した去年の温床。


カブト虫の幼虫
藁は完熟堆肥になっている。毎年のことだが、藁を掘り出すと中からカブト虫の幼虫が出てくる。今年は例年になく多く、結局70匹ほどいた。例年の倍ほどであろうか。今年の冬は暖かかったのが幸いしたのかもしれない。いつものように別の場所に掘り出した堆肥でベッドを作り、そこに移動してやった。初夏になり無事孵化するのかどうか確かめたことはないが、私の心づもりとしては、それまで順調に育ってもらうためのベッドである。孵化すれば、また温床にもどって卵を産むだろう。近くにはドングリの木もあることだし。

(クリックで画像の拡大)
新しいベッドに移動したカブト虫の幼虫。

(クリックで画像の拡大)
《藁屋根》を被せてベッドの完成。


竹で枠組みを作り、温床の《敷地》作りが完了。

(クリックで画像の拡大)





 03月11日(月) 
投稿日:2019-03-12

昨日は一日雨で、とくに午後から夜にかけて強く降った。今日は雨は上がったが、朝はまだ畑に水が残っているだろうから、と考え、午後から野良に出た。

エンドウの支柱
午後にしても、土をいじる仕事はできない。そこで気になっていたエンドウのウロ[支柱]を立てることにした。エンドウは例年どおり、11月の頭に種蒔きをした。発芽したエンドウは冬の間は小さな草姿のまま寒さに耐えているが、3月になると伸び始める。そのころにウロを立ててやる。人によっては早くからウロをたて、《手がかり》にぶら下げた藁(画像参照)で防寒する。しかし厳冬期までに大きく伸びないかぎり、エンドウは寒さに強い。だから私は春の始めにウロを立ててやることにしている。

やはり昨日の雨で足場は悪い。作業の必要上、畝を踏むと、そこがへこんでしまう。できるだけ畝を踏み荒らさないようにしながら作業を進める。

支柱の組み立てには、X型に組み合わせたポールと、合掌部分でそれらをつなぎ合わせる水平のポールを縛る時はしっかりした麻紐(稲刈りのバインダーに使う紐)を使う。しかし、それ以外の箇所は藁で縛る。エンドウのウロは収穫期の5月後半まで3ヶ月ほど立っているが、このくらいの期間なら縛るのにすべて藁を使ったとしても、ウロは崩れることはない。(エンドウのウロは、強度のある麻縄は念のため、骨格部分だけには使った。)藁はいろいろな使い道がある。私はビニール紐は使わず、また、自給できる材料があればそれを使う。

ヒヨは意外に賢い!
ヒヨが野菜の葉を食害しだした。それを避けるために、キャベツにキュウリネット(画像参照。支柱の一部にネットが張ってある)を被せておいた。ネットがあれば、足が引っかかるので警戒する、と考えたからである。ところが、今日気づいたことだが、奴らはネットの目が大きいと、かまわずキャベツの頭に止まって、葉を食べている。引っかかる目の大きさと、そうでない大きさをちゃんと区別できるようである。意外と賢い。そこで、キュウリネットを外して、防虫用ネットでキャベツを被った。


(クリックで画像の拡大)
スナップエンドウの実エンドウの2種類を植えている。
 下の方の水平のポールに結びつけているのが、エンドウがよじ登るための《手がかり》。寒い時期だと、これがエンドウの幼苗を寒さから守る役目をする。
 支柱の一部にキュウリネットが張ってある。エンドウは、大きくなると、これにひげ蔓を絡ませる。

村便り:【週間短信】2019年03月04日(月)-10日(日)
投稿日:2019-03-10(日)

03月09日 ジャガイモを伏せる; 隣百姓?03月04日 ウグイス; 鯉の養殖場; クズ 03月09日(土) 投稿日:2019-03-09今年の春は暖かい。ジャガ...

03月09日 ジャガイモを伏せる; 隣百姓?
03月04日 ウグイス; 鯉の養殖場; クズ



 03月09日(土) 
投稿日:2019-03-09

今年の春は暖かい。

ジャガイモを伏せる
ジャガイモは例年、3月15日に伏せる[「伏せる]とは、種芋の芽出しをする作業]ことにしている。ジャガイモは霜に弱いので、発芽してから霜に遭うと、葉が枯れてしまう。3月15日は、霜害に遭わないような植え付け時期である。だから、伏せるのは数日あと、というのが例年のやりかだが、これから農作業が忙しくなるのを考えて、暖かい春なので、早めに伏せることにした。

2月18日から浴光催芽をしていた種芋は小さな芽が出始めている。自家採種したデジマ、普賢丸、アンデス赤である。それ以外に、男爵とメークインの種芋を購入した。こちらの方は、買ったときすでに芽が出ていた。

小さくとも芽が出ていると、大きな種芋を切り分けるときの目印にもなる。私はデジマは種芋1片(重さの基準は50g)につき、芽を3つ、それ以外の品種は、2つ出させることにしている。芽がひとつだと、大きな芋ができて、使い勝手が悪くなるので、複数の芽を出させて大きさを抑制する。少数の大芋か多数の中芋か、という選択だが、収量は変わらないように思う。


(クリックで画像の拡大)
1片50gを目安に(実際には30gから50gの大きさになる)、芋を切り分け、切り口を乾かしているところ。


隣百姓?
伏せる畝は、定植する畝の近くを選んだ。草取りをして、鍬で起し、伏せる畝を作る。草取りをしていると、隣のお姉さんが「そこ、何を植えるん」と声を掛けてきた。それからひとしきりジャガイモについて雑談。彼女も近々植えるとのこと。彼女の妹(私にとって、年齢的には「お姉さん」)はいま種芋を干しているところらしい(すなわち浴光催芽しているらしい)。また、鍬で起していると、今度は隣の畑の人もジャガイモの植え付け時期についてきいてきた。彼は霜のことを心配して、尋ねたようである。その人は百姓経験が少ないので、時期について明確な意識はもっていない。私はといえば、20年余りやっている。この地の自然環境についてはそれだけの経験的知識はもっている。経験から言えば3月15日に植え付けすれば霜にやられることはまずない、と答えた。ジャガイモは、一般的には、春の最初の植え付け作物。多少の違いはあるものの、同じ自然環境で百姓をやっているので、同じ頃にみんな一斉に作り始める。「隣百姓」という言葉がある。他人を気にして横並びの行動をする、といった否定的意味合いがあるが、じつのところは、四季の歩みに合わせて作業を行なう百姓の、理に適った行動様式ではある。

夕方5時前に作業完了。今の時期、私は、夕方は4時を回ると帰り支度を始めることにしている。帰ってから、食事の支度を含めて家事をすることを考えれば、そのタイミングで仕事仕舞いしないと、寝るのが遅くなる。(したがって、起きるのも遅くなる。)でも、《残業》せざるを得ないこともある。四季の歩みに遅れることはできないので。もっとも、今日の《残業》はたいした時間ではない。


(クリックで画像の拡大)
種芋を伏せ床に並べたところ。
 このあと、ジャガイモが隠れるくらいに土をかける。

(クリックで画像の拡大)
土をかけたあと、防寒のために藁をかぶせる。





 03月04日(月) 
投稿日:2019-03-05

ダブ周辺の草刈りの続き。

ウグイス
(そういえば、今朝、今年はじめてウグイスの声を耳にした。すでに十分に練習したかのような、完成した囀りをしていた。ただし単発。)

今日はダブの上側、里道を挟んで隣り合う雑種地の草刈り。草刈りは単調作業である。作業しながら、いろいろ考えたりする。今日は昔の思い出。


(クリックで画像の拡大)
県道の側溝から左側、半月状の空き地が鯉の養殖場だったところ。その当時は県道はもっと狭かったので、養殖場はもっと広かった。当時に比べれば、県道の幅は倍ほどに拡幅され、側溝はそのとき新たにつけられたのではないだろうか。
 画像左端が、3月2日に草刈りをした、里道に沿った水路周辺。

(クリックで画像の拡大)
県道の向こう側が、旧養殖場の空き地。県道の手前、画像中央に、逆三角形と、その続きに、長方形の、狭い2枚の田んぼ(2枚の境界あたりに電柱がたっている。)が見えるが、それがかつては、旧養殖場と一体の田んぼであった。
 県道の向こう側は荒れ地のように見えるが、じつは耕作放棄された田んぼ。一帯は湿田であり、いまはごくわずかしか耕作されていない。


鯉の養殖場
ここはずっと昔は田んぼだった(はずである)。ところが、明治になり、峠ひとつ越えた瀬戸内海に面した寒村に軍港が築かれ、海軍工廠もできた。軍港に周辺の村から通勤する職工を運ぶ必要もあったからなのだろうか、村を通り抜ける車道が新設された。田んぼは車道に分断され、わが家の田んぼはもともと狭かったのに、さらに狭い二つの区画になってしまった。比較的広い方はいまも田として使っているが、狭い方は田としては狭すぎる。田として利用していた時代もあるかもしれないが、私の小さいころの記憶に残っているのは、鯉の養殖場である。養殖場は農協が経営していた。養殖した稚魚は田に放たれ、1年後に売られたそうである。養殖事業はやがて廃止され、施設は撤去されて、農耕可能な土地に戻った。しかし、それ以降は空き地のままである。いまさら耕作地でもないから、利用するとしたら果樹を植えるくらいか。

クズ
草刈りを定期的にしていないので、ここはクズが侵入してきている。単なる草地であれば、この面積なら、草刈機を使って除草するのに半日もいらない。しかし、クズの蔓は草刈機に巻きつく。そこでまず鎌で切りのけるのだが、思いの外、時間がかかる。(根から抜かない限り、また再生するが、そんな手間隙をかけることはできない。)

クズにはいろいろな利用法があるようだが、私が覚えているのは薪を縛る紐としての利用。小さいころ、小学校にあがる前だったろうか、父と一緒に薪をとりに山にいったことがある。そのとき、父が木の枝を束ねて縛ったのがクズの蔓。蔓は切り取ったすぐは柔らかくて粘りがあるので紐代りになる。

などなどと思い出しながら作業を進めた。想像が過去にしか向かないのは老齢がなす術か。

結局、一日働いて(といっても実働は4時間弱であるが)、この旧《鯉の池》の4分の3しか草刈りはできなかった。ここを含めて、草刈りをしてその草を燃やすまでには、あと3日は必要だろう。もう春。作業をしていると暑くて上着を脱いでしまう。急がなくては… 春の足は速い。
村便り:【週間短信】2019年02月25日(月)-03月03日(日)
投稿日:2019-03-04(月)

03月02日 昔の里道脇を流れる水路02月25日 アスパラガス畝の整理; マーシュ 03月02日(土) 投稿日:2019-03-04昔の里道脇を流れる水路2月の下...

03月02日 昔の里道脇を流れる水路
02月25日 アスパラガス畝の整理; マーシュ



 03月02日(土) 
投稿日:2019-03-04

昔の里道脇を流れる水路
2月の下旬から、ダブ[湿田]の整備をしている。2月22日の短信にも書いたが、ダブは去年は時間の都合でやむなく休耕にし、管理作業をすることもなく放置していた。今年は稲を作る予定なので、荒れてしまった田んぼとその周辺の整備をしている、というわけである。


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整備する前のダブの様子。

(クリックで画像の拡大)
左の画像の、左端にある横手はイノシシに荒らされていた。その横手を掘りなおしたところ。田んぼ内部に溜まった水を排出するため。
 長さはさほどないが、泥水の中の作業なので難渋した。


今日は、用水路(昔の用水路は、明治時代に作られた県道によって分断され、今は県道の側溝を利用している)からダブに配水する水路周辺の草刈りをした。この水路は、県道が作られる前は、里道[りどう。一般に、1mほどの幅で、馬車も利用できた。公道。]として使われていた道に沿っていたと思われる。道は今でも地積図には記されているが、実状は道の体をなしていない。県道によって分断されてからは、田んぼにアクセスする通路としてしか利用されて来なかったのではないか。

草を刈っていくと、忘れ去られた過去の生活の痕跡が現れてきて、想像をかきたてる。女児二人をもうけながら離縁された女性は、子を残して出てきた家を振り返り振り返り「かわいいよう、かわいいよう」と泣きながら隣村に帰っていった、と今は亡き隣家のおばあさんから聞いているが、それはこの道を通ってだろうか、とよく思う。


(クリックで画像の拡大)
草刈り前。

(クリックで画像の拡大)
水路は画像の中心あたりから画像奥に向かってついている。里道はその水路の右脇を同じように画像奥に向い、ダブにぶつかってからは右に折れ曲がって県道に合流する。私が古老から聞いた限りでは、この道はかつては村の中心街道のひとつだった。





 02月25日(月) 
投稿日:2019-03-04

アスパラガス畝の整理
3月に入るとアスパラガスが出始める。その前に、去年収穫が終わった後、整理しないままにしていた畝を整える必要がある。昨日からその作業をしている。

まずやるべきは、枯れた去年のアスパラガスの茎を切り除き、これも枯れたままになっている昨秋から草を除き、生え始めている草を抜くこと。
アスパラガスは去年から収穫を始めた。種を蒔いてから3年目でやっと収穫が始まる。生育期間の長い作物である。その代わり、息も長い。10年あまりも収穫を続けることができる多年生植物と言われている。もっとも私自身はそんなに長くもたせたことはないが。

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 整理する前のアスパラガス畝。短い畝が3本。
アスパラガスと秋の草は枯れ、畝は春の草で被われている。


マーシュ
草を除いていくと、3畝のうち真ん中の畝からマーシュ([仏] mâche)が現れてきた。去年の春、別のところに生えていたものを移植した。マーシュはずいぶん以前にはじめて作り、それからはわが家の畑のあちこちで自生するようになった。冬の間、サラダとして利用するヨーロッパ原産の野菜だが、最近は採ったことはなかった。アスパラガス畝を新たに作ったとき、冬のあいだ空くこの畝をマーシュ畑にしようとふと思いついた。そこで1株だけここに移植してみた。

マーシュは5月になると白く可憐な花が咲き、小さな種をたくさん落とす。それが冬になると発芽する。

目論見どおり、昨初夏に落ちた種が冬の間に発芽していた。今年はさらに畝に何株か移植して、今冬は畝全体がマーシュで被われるようにしたい。それからが収穫。


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真ん中の畝の中央あたり、マーシュが群生している箇所がある。そこに昨春、マーシュ1株を移植した。離れたところにも種が飛んだようで、他のところにも生えている。

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マーシュの拡大画像。鎌は小型の草取り用鎌。



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他の畝にもマーシュを移植しておいた。

村便り:【週間短信】2019年02月18日(月)-24日(日)
投稿日:2019-02-20(水)

02月18日 ジャガイモの浴光催芽 02月18日(月) 投稿日:2019-02-18ジャガイモの浴光催芽春ジャガの浴光催芽を始めた。ジャガイモは3月中旬に...

02月18日 ジャガイモの浴光催芽



 02月18日(月) 
投稿日:2019-02-18

ジャガイモの浴光催芽
春ジャガの浴光催芽を始めた。ジャガイモは3月中旬に伏せて[「伏せる」とは芽出しのために仮植えすること。芽が出ると定植する。]、4月中旬に定植する。伏せる前に、1ヶ月ほど種芋を日光にあてるとしっかりとした芽が出る。

春のジャガイモは、品種として、メークイン、男爵、デジマ、普賢丸、アンデス赤を植える予定。メークインと男爵は、種芋を購入する。春の植え付けしかできないので、昨夏に収穫した芋は今の時期にまだ残っていても、老化しているので種芋には向かない。(10月頃から芽が出始めるので、何度か芽かきをして、老化の進行を抑える。しかし、春先になると萎んでくる。)他方、デジマ、普賢丸、アンデス赤は春秋兼用種なので、初冬に収穫した芋を種として利用できる。

春夏兼用種の芋は今の時期、まだ芽が出ていない。そこで日光に当てて発芽を促すのである。(浴光催芽をしなくても、収穫できる。すなわち、必要不可欠な作業ではない。しかし、催芽すれば元気な芽が確保できるし、収穫も早まる。)


(クリックで画像の拡大)
左から、デジマ、アンデス赤、普賢丸

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