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☆ 2020年-02月-14日(金曜日) ☆ たまふり
投稿日:2020-02-14(金)

「小走りに動く」
年賀状に書いたが、昨秋の終わり頃から「おもいっきり体を動か」して「野良では、小走りに動いてせっせと仕事に熱中する」ことにしている。「小走りに」移動しようと思い立ったのは、近所の大工さんから、かつて彼の下で働いていた若い大工さんの仕事ぶりを聞いたのがきっかけである。若い大工さんは腕も立つが仕事も早い。そして、移動は歩くのではなく、走ったそうだ。

私も若い頃は農作業中は走って移動していたことがある。作業中の場所に持ってきていない農具が必要になったとすると、小屋まで走って取りに行った。サラリーマンであり、農業は主として土日にやっていたので、野良に出るとやるべき仕事がいくらでもある。わずかな距離ではあるにしても、移動するために潰す時間が惜しかった。走る大工さんはおそらく似たような気持ちだったのだろう。

若い頃を思い出しながら、走る移動を始めた。ここ何年も短い距離であってもほとんど走ったことがなかった。最初は足の運びがぎこちなく、またすぐに息があがった。それでもしばらくすると走る感覚が戻ってきて、呼吸も楽になった。

最初は意識的に走ったが、そのうち、移動は走る、が普通になった。最初は走る勢いは移動の間だけだったが、そのうち、作業意欲にも勢いがつき、てきぱきと仕事を進められるようになった。ひと纏まりの作業全体が途切れない一本の勢いによって貫かれている感覚である。


時間が経つのが早い…
退職が数年に迫った頃だったと思う。教授会の始まる前、3歳ほど年下の同僚と雑談していた。彼は「最近、時間が経つのが早いんですよ。朝起きて何もしていないのに、いつのまにか昼になってしまっているんです。」と自嘲気味に歎いた。たしかに歳をとるにしたがって、時間の経つのが早くなる。彼の嘆きは私も身に沁みて分かった。

幼いころ、おそらくは初老の、大人の動作をみて不思議に思ったことがある。歩くのにのっそのっそといった調子で進む。幼い私には、その人の一歩のうちに二歩、三歩を進めることができるような気がした。なんで大人はあんなゆっくりとした歩き方をするんだろう、といぶかしかった。

子どもの頃の1日は、いま思い返せば、なんと長かったことか! 何をやるにも全力で、素早いテンポで、熱中して動いた。そして夜になると、すぐに眠りに落ちた。だから、大人になって回顧すると、今の1日と同じ長さとは思えないくらいに、出来事をたっぷりと生きていた。老年になったいま、朝起きてから私はゆっくりとした動作で生きはじめる。サラリーマンだった頃のように、急いで家を出るように強制する組織の時間割があるわけではない。また、子どものように、一瞬一瞬を熱中して生きたおす内発的勢いに溢れているわけでもない。習慣となった動作を、古くなって出力のあがらなくなった機械のように、のろのろと実行するだけである。その私を尻目に、時間(時計)はあっさり昼まで経過してしまう。

だから、何もしていないのにすぐに昼になってしまう、という同僚の嘆きは、じつは、何もしないからすぐに昼になってしまう、と言いなおすべきかもしれない。


意欲のアンチ・エイジング?
小走りに移動することから始まった、意欲の勢いと作業のテンポの加速は、ただひと纏まりの仕事にとどまることはなかった。一日の作業全体がそうなった。歳をとるにしたがって意欲が衰えてきて、ひとつの仕事を終えるから次の仕事にとりかるまでに時間がかかる。一仕事終わると、意欲のエンジンが止まってしまうので、次の仕事にとりかかるには、改めて、よいこらしょとエンジンを起動しなければならない、といった具合である。それどころか、ひと纏まりの仕事の最中にも意欲のエンストが起きてしまう。つまり、加齢にともなって持続する集中力が難しくなる。

意欲のアンチ・エイジングが可能だとすると、私のような百姓の場合、小走りの習慣はそのひとつの手段かもしれない。
 てつがく村の
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