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村便り:2012-01-22(日) (田んぼで藁を広げる)
投稿日:2012-01-27(金)

南天とヒヨ
 南天の実がふと目を引いた。ありふれた木だが、冬枯れの季節、実のたわわについた房が陽光を受けて赤く輝くのは印象的である。

南天の実
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南天の実
エンドウ
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実エンドウ。

 去年の11月1日に蒔いた。発芽してから藁を敷いた。藁は防寒と抑草のため。

 エンドウのこちら側、藁の間からわずかに顔を出しているのはソラマメ。また、手前にの枝は梅。蕾はまだまだ小さくてかたい。
 屋敷や、屋敷前の畑には南天が所々に生えている。わざわざ植えたものもあろうが、鳥が落とした種から生えたと思われるものもある。今年はまだ実がたくさんついている。年によっては春先までにすっかりなくなってしまうこともある。鳥が啄むからである。おそらくはヒヨである。啄む現場を目撃したことはないが、ヒヨが頻繁に飛来する年には南天の実がなくなる。南天の実はだから、ヒヨの飛来の指標となる。

 むろん何か指標がなければヒヨの飛来が分からないわけではない。彼らは夜陰に紛れたり、物陰に身を隠しながら、不意をついてやってくるわけではない。それどころか、ピー、ピーヨと寒気をつんざくように正々堂々《名のりをあげ》てやってくる。だから、南天の実は、飛来の指標にもなるが、むしろ彼らの飢えの指標であると言えるかもしれない。

 ヒヨの食欲はすさまじい。野菜をまたたくまに食べてしまう。いまは亡き隣のおばあさんが、その健啖ぶりを評して「あいつらは日にちじゃなあ、時間じゃ」と言ったが、まさにそのとおりである。しかも、食いっぷりが半端ではない。ホウレンソウの畝であれば、まるでバリカンで刈り払ったかのように食べ尽くす。

 今年はエンドウの生育がいい。二月になれば支柱をたててやろうか、と思っているほどである。そのエンドウもヒヨに狙われる。やっと伸び始めたツルの先っぽを啄む。それでもエンドウは、残った葉っぱの根元から新しいツルを伸ばして生長するが、収穫に影響する。昨秋は畑の植え付けが不調に終わったので、いまある野菜でヒヨの餌食になりそうなのはエンドウくらいである。

 南天の実を見て、その鮮やかな赤を愛でるよりは、エンドウが気になった。山が不作であれば、ヒヨは里に降りてくるだろう。


田んぼで藁を広げる
 今日は田んぼでの作業。脱穀機が切った藁を広げる作業である。


脱穀風景

脱穀。

 右側は、脱穀し終わった稲架。

 脱穀機はこちら側が前。右側の台に稲束を載せる。そこから、稲束をコンベアに載せて右から左に移動させる間に脱穀がおこなわる。ついで、稲束は、脱穀機の左側に付けてある藁切り機に送られて、カットされて左側に排出される。脱穀機の前側についている筒は、脱穀中のゴミを吹き出すためのもの。

 背後にも藁がたまったところが二カ所あるが、そこの横に稲架が立っていた。
藁を広げる
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藁を広げる。
 脱穀機には藁切り機が付けてある。脱穀の際には普通、それを使って、同時に藁を切る。切った藁は稲架の周りに排出されて溜まる。藁を切るのは、田んぼに有機質肥料として鋤きこむためである。だから、鋤きこむ前に、藁の塊を田んぼ全体に均等に広げる必要がある。「藁を広げる」とはそういう作業である。

 作業は手作業。フォークを使ってふり撒いたり、一輪車に載せて運んでから手で撒いたりする。ともかく時間のかかる単調作業である。

 コンバイン[刈取りと脱穀を同時にこなす機械]で稲刈りをすれば、作業はだいぶ楽になる。コンバインは刈取りのために田んぼ全面を走り回り、走り回りながら切った藁を背後に排出するからである。しかし私は百姓にできるだけ金をかけない主義。それに金をかけるほど収入があるわけではない。機械がなければ今の時代、稲作はできないから、バインダー[刈取りして、稲束を結束する機械]と脱穀機[ハーベスターとも呼ぶ]はもっている。《コンバイン+天日干しのための稲架+脱穀機》の収穫システムは、《コンバイン+乾燥機》のシステムよりははっきりと安くつく。しかし、金をかけなければ、手間と時間がかかる。販売して利益を上げようととすると、その分、米の価格を高く設定しなければならない。すると、競争力が弱くなる。競争力が弱いと淘汰される。…などと考えていたら私のような小農・貧農はやっていけない。資本主義の論理を無視しなければ、やっていけいない。あるいは、その論理とは違う次元にあるのかもしれない。

 《妄想》休題。早く藁を広げおえ、寒の内に田んぼ(の土)をひっくり返しておきたい。土に混じった藁は冬の間に腐り、ひっくり返された土は、凍みたり融けたりしながら、春までにぼろぼろになる。
村便り:2012-01-14(土)/01-15(日) (センター試験業務から外れて畑仕事)
投稿日:2012-01-20(金)

センター試験の業務から外れる! ラッキー!
 この週末は大学入試センター試験。私の所属する部局は受け入れる受験生の数が多く、教職員は基本的に全員、試験関係の業務につかなくてはいけない(と私は思い込んでいた)。ところが今年は私はその業務から外れた! おそらく大学に就職してからはじめてのことだと思う。受験生が減少してきている、という話は聞いたことがあるが、そのせいで(おかげで?)業務から外れる人が出てきた(私はこれまで、そのことに注意をはらっていなかったが、たしかにそんな話を、教授会であろう、耳にしたことはある)。その幸運な人に今年、私もなった!

 センター試験のある前の週にはいつも、教授会で入試委員から、事前に配布済みの監督要領にしたがって、監督業務の説明が行われる。いままでは、毎年ほぼ同じ内容だったので、退屈して聞いていたが、今年はなにか様子が違う。幸運な人になった私はなかば居眠りしながら聞いていたが、社会科の説明になると委員の不安げな口調と場内のざわつきで目が覚めた。全部聞いていたわけではないので、詳らかには理解できなったが、場内の雰囲気から試験当日、トラブルが発生するかもしれない、と感じた。今回、当事者から外れたのは、本当にラッキーなのかもしれない。

 (後日談:私の部局では、深刻な混乱は生じなかったが、大きく報道されたように、全国的には、センター試験始まって以来の最悪の混乱が発生した。)


マーシュ
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マーシュ。
 アスパラガスの畝を整えるため、枯れたアスパラガスを取り除いたら、マーシュがあちこちに生えていた。マーシュはサラダに入れる野菜。日本では普通は流通していない。初夏に種のつくまでおくと、次の秋から冬に生えてくる。雑草のように繁殖力が強い。しかし、体は華奢なので、邪魔にはならない。
 後ろの雑草のなかに見える赤い小さな粒は、アスパラガスの実。
 そんなわけで、センター試験の二日間は、緊張と興奮の大学構内を離れて、畑で過ごした。やったことは先週と同様の野菜の管理。具体的には一日中、せっせと草取り。追肥、中打ち、株間への藁敷き。先週に続いてかつお菜の畝。さらに、アサツキブロッコリーの畝。


ダイコンサルハムシ
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ダイコンサルハムシ。
 除草すると、よく目につくのがてんとう虫。ダイコンサルハムシもいる。てんとう虫は《益虫》であるが、ダイコンサルハムシは《害虫》。ともに越冬中。てんとう虫は青い草のなか、ダイコンサルハムシは枯れ草のなか、といった棲み分けがあるように思える。
 画像の真ん中の黒光りしている小さな甲虫がダイコンサルハムシ。ここはアサツキの畝。サルハムシの右側、枯れたネギのように見えるのがアサツキ。その右側の、土のついた金属板は、平鍬。
小鳥のように体をふくらませて
 この時期、朝晩は寒いが、昼間は晴れていればあまり寒さは感じない。むろん、寒さに対してそれなりの防備はしている。小鳥は、冬にはふくれている。あれは羽の間に空気を入れ、幾層もの空気で寒さを防いでいるからだそうだ。それと同様に、私も、厚い衣服ではなく、薄い下着やシャツを着がさね、一番上には、薄いが保温性・撥水性・透湿性・防風性のあるジャケットを着て、下に着た衣服を包んでいる。衣類とともに空気の層を何《枚》も着ているというわけである。


百姓をやっても体を傷めるだけ
 昼前、小屋に戻ろうとすると、向うから着ぶくれしたおばさんがやってくるのが見えた。私に用がありそうな様子だった。よく見ると、近所のおばさん(年齢は70半ばはいっていると思う)。近所といっても、小屋がたっている、旧来の屋敷の近所ではなく、小学校に上がる少し前から住んでいた、別の場所にある家(同じ「てつがく村」ではあるが)の近所である。その家にはいまは誰も住んでおらず、行くことは滅多にないので、そのおばさんには平生はたまにしか会わない。

 「Mさん(旧来屋敷のすぐ隣の人)のところに来たら、車が見えたんで、お兄ちゃん(と、そのおばさんは私を呼ぶ)がおるかの、思おて、来てみたんよ」とおばさん。おばさんは夫と二年ほど前に死別し、いまは大きな家で一人暮らしをしている。長男は私より一回り、あるいはそれよりも年下であろうか(その長男を基準にして、私を「お兄ちゃん」と呼ぶ)、同じ市内の市街地に住んでいる。おばさんの家は、わが家の田んぼの隣近所にも田んぼをもっている。長男はその田んぼで稲を作っている。といっても、田植えまでの作業と収穫作業が主たる仕事であり、田植えから稲刈りまでの水の世話はおばさんが受けもっている。市街地に住むサラリーマンであれば、毎日田んぼの水を見にわざわざやってくるわけにはいかない。だから、長男とおばさんが、ともに不可欠な人手として、稲を作っている、と言えよう。

 雑談から始まり、その長男とおばさんの家の百姓の行方とについての話になった。「H(長男の名前)は若いけど、腰が悪いんよ」とおばさん。H君は見た目には線が細い。おばさんは華奢だから(おばさんの夫は大柄な人だった)、母親似かもしれない。それにしても腰が悪いとは知らなかった。おばさんの話からすると、ぎっくり腰になったことがあるようである。「無理ができんのじゃが、井手堰きにいくと他の人は、若いけん期待するじゃろう。本人も頑張る。ほいじゃが、家に帰るとぐったりしてしまうほど疲れてしまうんよ。稲刈りのときは、重い籾袋(籾袋は20kgあまりである)を運ばにゃいけんけん、つらそうなんよ。この前は、来年からは米を作るのをやめようか、と言ようった。」

 この村の農業の経営規模は小さい。人並みに物質的な豊かな生活をしようとすれば、兼業農家をやらなければ、しかも農業以外の収入が主でなければ、生活はなりたたない。農業からの収入はほとんどない。いや、農機具の購入費などを考えれば、赤字経営とも言えよう。百姓をすると損をする。それがこの村では大部分の農家の実情だと思う。「百姓をしても何の甲斐もなあんじゃけん。からだを痛めるだけじゃ。Hを見ようると、かわいい[かわいそう]よの。」

 そんな村だから、今の経営者が年老いてリタイアすると、それからは、たとえ次の若い世代が同居していても、その家の田んぼと畑が荒れてしまう。おばさんは、自分が死んだあと、子どもが百姓を続けることは期待していないようである。じっさい、二人三脚でやっている稲作は一人が欠けると続けられなくなる。私としても、よそ事ではない。私が百姓をできなくなったとき、おそらく百姓としてのわが家は終わると思う。子どもに、百姓をやれ、とはとても言えない。村での百姓の実情を身にしみて分かっているからである。生身を傷め、サラリーマンとしての《身》を削るだけの《甲斐》だからである。

 ひとしきり立ち話をあとで、おばさんは立ち去った。おばさんは屋敷を出る前に、こちらを向いて身をかがめた。おばさんは屋敷から井手をまたいで狭い道に出たときまた、こちらを向いて身をかがめた。田んぼが隣の、したがって、同じ井手から取水している、私に、息子と仲良くしてくれ、と言うようにも思えたし、またしばらく会えないので名残を惜しんでいるようにも思えた。私は、おばさんがわが家の庭木(たんなる雑木も生えているが)の陰に隠れてしまうまで見送った。

芽キャベツ
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芽キャベツ。
 定植してから一度も追肥をしてやらなかったので、生育が悪い。芽が小さいし、葉っぱも寒さに負けて色が悪い。追肥したが、ここのところ雨が降らず乾燥しているので、効かない。雨待ち。雨が降って肥料を吸収しても、どこまでもちなおすだろうか。
冬の準備が肝要
 百姓の《甲斐》を考え、行く末を思うと明るい気持ちにはなれないが、心機一転、昼飯のあとは、また農作業に戻った。越年してから収穫する野菜の管理は、アスパラガスの畝を残して、除草、中打ち、追肥、藁敷きを終えた。雪遊びにも行きたいが、春からの農作業を順調に進めるには(もっとも、今まで一度も「順調に進ん」だことはないが)、冬の準備が肝要。つぎは空いている畝の耕耘と、田んぼの耕耘とを、できれば一月中にやっておきたい。
村便り:2012-01-07(土)/01-09(月) (越年してから収穫する野菜の世話)
投稿日:2012-01-12(木)

 今年初めての農作業、百姓の《仕事始め》である。1月9日(月)は成人の日だから7日(土)から三連休日での三連働になった。この冬枯れの時期に何をするのか、と不思議がられそうだが、私の農園では、冬になるまでに、あるいは年末までにやってしまうべき仕事が、畑にも田んぼにも残っている。

 畑では、春から夏にかけて収穫する野菜の管理。いま畑にある野菜のうちでは、春菊(収穫は、冬から初春)、搾菜(晩冬から初春)、かつお菜(初春)、ふだん草(初春)、ワケギ(初春)、アサツキ(初春)、ニンニク(初夏)、エシャロット(初夏)、アスパラガス(初春および夏)、ラッキョウ(夏)がそのような類。

春菊
 春菊は9月始めに種まきして、霜が降りるまで間引き収穫するが、寒さに弱いのでそれからは防寒してやる。昨秋は種まきが遅れて9月終わり(9月26日)になった。だから、小さいうちに霜の時期になった。除草をする間がなかったので、追肥もしていない。とりあえず霜対策として不織布をべた掛けにしておいた。裸のままだと、寒さにやられて葉っぱが黒くしおれてしまうからである。


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シュンギク。
 不織布をべた掛けにして、そのうえにビニールでトンネルを作っている。
 その春菊の畝を除草し、追肥・中打ちをした。冬野菜は寒さに耐える体にするため、必要に応じて追肥する。秋にたくさん食べ、脂肪をたくわえて冬に備える動物と同じ道理である。春菊は、さらに防寒してやる必要がある。春菊の場合、不織布だけでは防寒対策は十分ではない。そこで、くわえてビニールトンネルで被覆してやった。希望的観測ではあるが、これで冬の間でも成長し収穫できる大きさになるかと思う。暖かくなれば勢いを取り戻すが、まもなく薹立ちしてしまう。それまでに収穫したい。


ザーサイ
 搾菜は昨シーズンから栽培を試みている。漬け物が好きだが、漬けるのは手間と時間がかかるらしい。そこで野菜として食べてみることにした。独特の辛味がある、とのこと。

搾菜
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搾菜。
 主茎にできるこぶを食するようである。画像の茎はふくらみかけているように見える。
搾菜
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防霜のためネットで覆った搾菜。
 ところが、野菜としては私には(というか、日本では、といってもいいのではないだろうか)なじみがないので、栽培方法が分からない。種袋によれば、温暖な土地を好むが寒いところでも栽培できる、とある。しかし、寒さに強いわけではないようである。昨シーズンは、10月5日にボットに播種し11月11日に定植したが、寒さにやられて駄目になった。今年は9月27日に直播きし寒さに耐えるくらいに生長した。しかし、これでも遅いようである。寒さが厳しくなると、大きい葉っぱは外縁がしおれてしまった。来シーズンは、9月あたまにボット育苗をはじめて10月初旬に定植するスケジュールを考えている。寒さがくる前にある程度の大きさにしておきたいが、9月前半に直播きすると虫に食べられてしまう(わずかな経験から言うと、搾菜は虫が好むようである)。虫が多い9月を避け、かつ生育を早めようとすると、上のような方法とスケジュールになる。

 さて、今年はともかく、少量であっても味見できる大きさにしたい。12月24日に除草、追肥、中打ちをして株間には藁を敷いた。藁は抑草と防寒のためである。しかし、年末年始の寒さを経過して、藁マルチだけでは防寒には十分ではないのが分かったので、さらにネットでトンネル状に被覆した。ネットは霜除けのためである。


かつお菜
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かつお菜。
 葉っぱの様子から高菜の類だとお分かりだと思う。北九州ではこれを雑煮に入れるとのことである。
かつお菜、ふだん草
 いずれも年内と春先の利用を考えている。春は野菜の端境期である。かつお菜とふだん草は薹立ちが遅いので、春の野菜の端境期を少しでも埋めるために、春先の利用を考えている。ふだん草は蒔くのが遅かったので年内利用はできなかった。かつお菜の方は少しは利用できた。かつお菜は高菜と同類なので(ちなみに搾菜も高菜と同類であり、「筍たかな」との別名がある)寒さに強いというわけではない。だから、早めに蒔いてまずは年内に収穫し、ついで越冬させて、春に生育を再開するのをまた収穫する、という利用方法がいいと思われる。高菜は比較的虫がつきにくい(辛味成分のせいだろうか)が、搾菜と同じような方法とスケジュールがいいと思われる。いずれも、除草、追肥、中打ち、藁敷きをした。

ワケギ、ニンニク、エシャロット、ラッキョウ
 ユリ科一族、というべきか。いずれも晩夏から秋にかけて植え付け、越年して翌春ないし翌夏に収穫する。植えつけると年内に分球する。収穫が一番早いのは葉を食用にするワケギ。あとは初夏に葉茎が黄変してから掘りあげる。

 いずれの畝も草が生え(植えつけてから一度は中打ちして除草したかもしれないが)、放っておくと冬の間にユリ科一族は草に埋もれてしまう気配。このままにしておくと収量にも影響する。また草が繁茂していると追肥もできない。いやできないこともないが、追肥の効果が減ずる。だから、まずは除草した。根を張っている種類もあるので力と時間がいる。単純作業だが根気がいる。座り込んだり中腰だったりの姿勢なので腰にくる。立ち上がろうとするとすぐには腰が伸びないほどである。

使い痛み
 余談だが、歳のせいか、体に使い痛みを感じるようになった。

 一時的な関節の違和感とか筋肉の張りには自己整体・ストレッチ(すなわち yoga のasana)で対処する。これはよく効く。それでも左膝にときどき感じる違和感は、根深く、その対処法では解消できない器質的変化のように感じられる。

 また、指の関節、とりわけ両手の親指の付け根の痛みも直らない。yogaのasana(体位法)は主として体幹に関わり、四肢については、中心的にかかわるものは少なく、また補助的であったりする。指にいたってはasanaはない。(asanaの原意が「坐法」であるから、なくても不思議はないが。)だから、指については無関心だった。ところが稲刈りころからだったと思うが、親指を動かすとき痛みを感じるようなった。確かめてみると、付け根の関節が痛みの源だった。稲束を稲架掛けするときは、束を二つに分けて竿に掛ける。そのとき、親指を使うからであろう。痛みは軽減したものの、いまも退かない。このままでは慢性化しそうな気配もある。ときどき自己流に関節をケアしながら、来シーズンが本格的に始まるまでに、直ればいいが、と思っているが不安でもある。

ニンニク畝
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ニンニク畝。
 抜いた草を敷き藁の上に載せている様子。
 ニンニクは4種類作っている。長い間、父が近所でもらったニンニクを作っていたが、それが絶えてしまった。いま作っているものの種は全部購入した。4種類とは、スワンミャオ(葉ニンニク)、嘉定(葉ニンニク)、田子在来ニンニク、平戸ニンニク。
 葉ニンニクといっても球は普通に使える。田子ニンニクは寒地系のニンニクだから、西日本のこの地では育たないかと思ったが、はじめて導入した昨シーズンはうまくできた。平戸ニンニクは暖地系だから「てつがく村」はいずれの系統でも栽培できる気候ということであろうか。
草も畑のうち
 閑話休題。除草が終わると、追肥と中打ち。中打ちは、肥料を土と混ぜるためと除草を仕上げるため。感覚的には、土に《空気を入れる》ため、と表現しようか。そして藁を敷く。抜いた草はその藁の上に重ねる。草は根についた土を落とすと、ふたたび根付くことは少ない。藁の上におけば、根が土に触れないのでまず根付くことはない。

 草も畝の《うち》である。畝が《分身》したものである。同じ畝で枯れてしまえば、畝の《うち》に再吸収される。草を畝からできるだけ出さないようにするのは、そのような考えから。
SKiAgain4:2012-01-02(月) (幻の林間コース)
投稿日:2012-01-02(月)

 今シーズン(2011-2012)の初滑りは、12月23日の恐羅漢。2回目は、12月29日の瑞穂。いずれも雪山にからむ自動車事故を目撃しました。

内黒林道での雪道スリップ事故
 初滑りは、同僚と、彼の車で行った。スキー場に行くコースは二通りあり、ひとつは、狭くて曲がりくねった古い林道(内黒林道)を経由するコース、もうひとつは、近年開通した大規模林道経由のコース。大規模林道は雪道にともなう危険は少ないが、遠回りになる。だから、私は内黒林道を利用する。私にとっては恐羅漢は通い慣れたところだが、同僚にとっては初めて。コース事情を説明し、彼に選択をまかせた。すると、内黒林道にチャレンジするという。彼の車は四駆でスタッドレスを履いているので、無謀ではない。わずかに滑るような瞬間は何度かあったが、彼は無難に運転をこなした。

 帰り道、暗くなり始めた谷筋を内黒峠から下っていたときである。カーブミラーにハザードランプを点滅させる車が見えた。道路脇の雪溜まりに突っ込んだかたちでとまっていたコンパクトカーであった。追い抜くとき停止して、同僚がその車に様子をきいた。「大丈夫です。レッカーを呼びました。」と助手席から返事があった。この林道は谷筋や急斜面を走っているにもかかわらず、ガードレールは所々にしかない。車は運良く道路際でとまっていた。車種から推測して、スタッドレスは履いているにしても、二輪駆動であろう。スキー場のホームページには、四駆でスタッドレス以外はチェーンを装着してください、と書いてあるが、大袈裟な警告ではないことを目で確かめることになった。

高速道での事故
 2回目は、部活がオフになった子どもと瑞穂に向かった。広島市内から高速道利用でゲレンデに行くには、中国道から浜田道に分岐して、瑞穂ICで降りる。中国道から浜田道への連絡道に入ってすぐのことである。前に、車二台が停まっており、後ろのワンボックスカーは道路脇でハザードランプを点滅させていた。私は二台のからむ事故だと判断し、状況を確認しながら、その場を通過しようと思った。しかし、前のミニバン(H社のオデ〇〇〇)が道をふさぎ通り抜けできない。そこで、車を停め、外に出て状況を詳しく確認した。ミニバンは、中国道から左折して連絡道に入ったとき、右のガードレールに接触し、その反動で左側にはね飛ばされ、後ろ向きになって止まったようである。つまり単独事故。車には大学生くらいの年代の若者が5人乗っていたが、怪我はないようであった。事故の連絡はすでにすませているとのこと。ミニバンは前バンパーの右端がつぶれてタイヤに接触していたためか、うしろから押してもなかなか動かなかったが、なんとか車が通れるくらいのスペースができた。

 高速道には冬タイヤ規制が出ていたが、路面には雪はなく、また凍結するほどには気温は下がっていなかった。ミニバンは大分ナンバーだったので、朝早く出て、ここまで長い時間走ってきたはずである。事故がおきたのは8時半ころ。すると原因は、疲れか眠気か、あるいはまた、分岐点に気づいてあわててハンドル操作をしたせいか。彼らの様子からしてゲレンデに向かう途中と思われた。しかし、かわいそうに一日は事故処理でつぶれることになったろう。


《鵯越の逆落とし》コース
 さて、ゲレンデの話は、瑞穂ハイランドに絞ります。

林間コースの入口
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林間コースの入口。

 今日はゲレンデの上半分はガスが出て見通しが悪かった。入口はリフト終点にある。左の建物がリフト終点。

 子どもが手をかけている立て札には「最難関コース。初・中級者の方はご遠慮ください。コースが狭く、絶壁斜面連続の非常に難易度の高いアドベンチャーコースです。」と書いてある。

 左後方の立て札には、コース外滑走の禁止について書かれてある。コース外を滑走して事故が起きた場合、責任は取らないこと。救出などの費用は全額請求すること。コース外滑走を発見した場合には、リフト券を没収し、退場させること。このような内容である。
 このゲレンデには林間の難コースがありますが、雪の多い時期にしか開きません。ですから、《幻の》コースと言ってもいいくらいです。そのコースが、とりわけ斜度からすれば超難関コースと思われるところが、シーズン始めにもかかわらずオープンしたのです。子どもはホームページでそれを知り、初滑りはそのコースの攻略にしたい、と言い出しました。そういうわけで、12月29日は瑞穂ハイランドで遊びました。

 このゲレンデは尾根筋エリア(ハイランド・サイド)と谷筋エリア(バレー・サイド)に分かれています。林間コースは、谷筋エリアにあります。チェリートゥリー、ディア、ゼルコバと名づけられた3コースです。そのうちで、チェリートゥリーと、それから派生するディアがとくに難コースです。入口には警告の札が立ててあります。チェリートゥリーといっても桜並木があるわけではありません。針葉樹の中を走る狭い急斜面です。最大傾斜は35度、平均傾斜は18度。このコースは子どもはすでに《制覇》しています。しかし、ディアは一度も滑ったことはありませんでした。

 ディア(鹿)と聞けば、鵯越[ひよどりごえ]の逆落としを連想します。鹿が鵯越の断崖を駆け下りると聞いた義経が馬で駆け下りた、というあの故事です。ディアの最大傾斜は38度、平均傾斜は34度です。その斜度を聞いただけで、私などは震え上がってしまいます。広いコースならまだしも、狭い林間コースですから、真っ逆さまに落ちるしかありません。

 一回目は一緒にスタートしました。分岐で子どもはディアに向かいましたが、私は躊躇した末、チェリートゥリーを選びました。一度滑ったことがありますが、ともかく難渋しました。今回もスキーなのに、横滑りを多用してしのぎました。あっ、言い忘れました。子どもは今回はスノーボードです。

 前回は子どもが先導していたのと、滑り跡がはっきりしていたのとで、コースを間違いなく辿れましたが、今回は私一人です。しかも、滑り跡が消えているところもありました。コースの目印であるロープも張ってありません。(私には見えなかっただけのことかもしれませいが。)尾根筋を辿るようにしたのですが、いつのまにかコースを外れてしまいました。遭難! とまでは慌てませんでしたが、やばいことになったとは思いました。深雪の林間を、滑るというより歩きながら降りていくと、向こうにリフトが見えました。そこで自分の位置が確認できて、なんとかコースに戻ることができました。コースを滑り下りたときは汗びっしょり。帽子を脱ぎ、ネックウォーマーは外し、ジャケットを脱いでしばし冷気にあたりました。

 ディアを滑り降りた子どもはといえば、ディアは面白くはなかった、との感想でした。斜度はあるが、単調だったそうです。それでも、数人のスノーボーダーはボードを外して歩いて下っていたそうですから、やはり《鵯越》です。

滑れるんですか?
 この難コースの閉鎖時間は15時。午後の休憩後、分かれて別々に滑り、15時過ぎに待ち合わせのリフト乗り場で子どもと合流しました。チェリートゥリーを滑り降りてきた、とのことでした。ついで不満げにコースに入るときの出来事を話しました。コースに入ろうとしたのは閉鎖直前の時間だったようです。すると入口にパトロールの人がいて、入ろうとする子どもを遮るようにして「滑るんですか?」と訊いてきました。「はい」と答えて、再度入ろうとすると、その人はまたしても遮るようにして「滑るんですか? [いや]滑れるんですか?」と訊きながら足元をじろじろ見ました。子どものボードと靴はレンタルです。子どもは、靴とボードを見てパトロールの人は初心者と疑ったのだな、と推測しました。「滑れます。今日も何度か滑りました。」と答えると、「じゃ、行ってください」とやっと通してくれたそうです。子どもの推測があたっているかどうかは分かりませんが、ありうることだとは思います。パトロールの人としては、力量のない人間が滑降して事故が起きては困りますから。

 子どもは自分を上級レヴェルのスノーボーダーと評価しているので、この出来事で、自尊心を傷つけられたようです。帰りの車で、自分のボードが欲しい、と言ったのもそんな理由からだと思います。

 今シーズンで4シーズン目の SkiAgain です。さあ、どんな雪遊びになるか。
あけましておめでとうございます。
投稿日:2012-01-01(日)

 昨年は「てつ人の雑記帳」をわずか7回しか更新しませんでした。「てつがく村」は廃村になったのか、といぶかしがられた方もいらしたかと思います。今年は昨年以上には更新するつもりです。

 例年正月の準備は遅れがちなのですが、今年は年賀状をまだ投函していません。12月30日、年賀状をプリントアウトし、大晦日に宛て名書きをしました。近年は、宛て名までもワープロで印刷したものが増えてきました。私も挨拶面はワープロの世話になります。ずぼらなので、手書きで言葉をそえることはほとんどしません。それでも、宛て名だけは手書きにしています。紙に字を書くことが少なくなったぎこちない手で不器用に宛て名を書いていますと、その間に相手のことがイメージや言葉で頭をよぎっていきます。それに気を取られて書き間違いをすることもあります。書きつらねるにしたがって指が疲れ緊張してきたとき、ふと思ったのですが、手書きしながら相手に向かうこの気持ちが大切なのではないでしょうか。書かれた文字の形状や筆圧には気持ちが感じられます。両面ワープロの賀状にはないことです。

 「てつがく村」を訪れてくださる人のほとんどには賀状を送っていません。キーボードとモニターには無機的な感触と表情しかありません。でも発信する以上、相手に向かう気持ちは忘れないようにしたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
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