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太極拳
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太極拳とヨーガ 【太極拳】
投稿日:2007-03-26(月)

去る人、来る人
  太極拳の記事はしばらく掲載しませんでしたが、稽古の方は続けていました。その間、弟子の一人、E君が大学を卒業し、太極拳の志半ばにしてキャンパスを去りました。彼にとって最後の稽古の日、弟子のK君が企画して、稽古終了後、私の研究室で簡単な送別会をしました。この送別会は、お師匠さんの第??回目の誕生祝いも兼ねていました。この送別会の顛末はなかなか面白く、記事にしようとも思いましたが、書く時間を作り出せませんでした。今となっては旧聞になるので、詳細は過去の闇に沈むがままにしておきます。

 去る人もあれば来る人もあります。学部学生のF君が新弟子としてやってきました。きっかけは飲み会でお師匠さんと太極拳を話題にしたことのようです。武術家然とした風貌の男かと想像していましたが、やって来たのは、背が高く細身の、むしろ優男でした。聞いてみれば、高校時代、吹奏楽をやっていたとか、なるほどな、と納得しました。

《ヨーガ教室》の併設
 F君が新加入した日から稽古メニューが変わりました。お師匠さんの希望で《ヨーガ教室》を併設することになったのです。教えるのは、恥ずかしながら、この私です。私のヨーガ歴は20年を超えますが、まったくの独習ですから(ただし詳しいテキストはもっています)、他人に教えようと思ったことは一度もありません。ヨーガはやり方が悪いと身体を傷めることもありますので、《実験台》は自分自身だけに限っておきたかったこともありました。ですから、お師匠さんから、ヨーガを習いたい、と初めて言われたとき、返事は濁しておきました。しばらく考えた末、メンバーが変わった時点でヨーガ実習を始めることにしました。

 第一回目の《教室》は太極拳の稽古時間のうち30分を使ってやりました。注意事項などをくどくど述べているうちに時間の大半が過ぎてしまいました。簡単なことを回りくどく述べる…どうも《shokugyoビョウ》のようです。第二回目は先週の金曜日。(新弟子のF君は春休暇帰省したので、欠席。)

太極拳・ヨーガ比較考
 太極拳とヨーガ、いかにも健康教室的な組み合わせですが、私自身はうまく融合できるかどうか今のところ自信はありません。

 両者の共通点と相違点に関して思いつくことを思いつくまま二、三書き留めてみます。

 いずれも身体意識を高めます。静態的な身体意識の覚醒にはヨーガの方が、動態的な身体意識の覚醒には太極拳の方が優れているように思われます。また、身体意識の細かさに関しては、ヨーガが勝るでしょう。太極拳は柔らかい身体、とりわけ股関節の柔軟性を要求します。それに対して、ヨーガは身体中の関節の可動域を広げます。その結果、ヨーガの体位法を実践していると、意識下にあったり、眠っていたりしていた、さまざまな身体意識が覚醒することになります。

 太極拳の動きは、動く安定ないし調和を目指しているように思えます。日常的な動きとはちがう動きを要求する、というよりは、日常的な動きを組み換えて、安定して調和した動きを実現するのが太極拳であるように、私には思えます。それに対して、ヨーガは関節の可動性、筋肉の柔軟性を、日常性の範囲を超えて生理的限界にまでおし進めようとします。そうすることで身体の可能性全体を実現しようとします。太極拳のように或る型(套路)を身につけるのではなく、身体からあらゆる型を外そうとします。あるいは、身体を、全可能性を実現しうる型にむけて解放する、とも言えます。たとえば上半身は胸を張った体型になります。この体型は心肺機能を極限まで高めようとした結果だと考えることができるでしょう。(ヨーガ実習の危険はここにあります。関節や筋肉の働きが日常性を超え出るとコントロールが難しくなり、その結果、身体を傷めることになりうるからです。)

 時々私は、ヨーガは一人でやるものだ、と思うことがあります。ヨーガをやるときの意識はひたすら自分自身に向かっています。アーサナを完成している時の身体の緊張(痛み)に意識を向け、アーサナを解いたあとの身体の弛緩に意識を向けます。身体の弛緩は、緊張が痛みであった場合には、快感にさえなります。その快感に意識を向けている(すなわち快感に浸っている)姿は人目にさらすようなものではありません。

 ところが、太極拳の意識は、対自意識であると同時に、対他意識です。太極拳が相手のある武術であることを思い出せば、当然のことと言えましょう。そして相手を意識した動作は美しい。ですから、お師匠さんの動きを見てうっとりとするのは、お師匠さんが若い女性であるというだけでなく、太極拳の本質に対他意識が属しているということにも起因するのだろうと考えています。

 屁理屈を並べましたが、これから太極拳とヨーガを並行して稽古・実習しながら、理屈も深めていきたい、と思っています。
I字姿勢の合理性 【太極拳】
投稿日:2007-02-15(木)

 2月9日(金)の稽古は、弟子の一人が風邪で欠席。

 お師匠さんは、太極拳の記事に目を通したそうで、一ヶ所疑問の点を指摘した。以前の記事で、太極拳姿勢(背骨のS字をI字型に伸ばした姿勢)について書いた個所で、太極拳をやっていると内股になる、との師匠さんの言葉を引用したが、その点に疑義を示された。「ワタシ、内股になるって言いましたっけ。両足は平行にはしますが。」「ム…」と頭のなかでまず答えて「はい、訂正しておきます」と私はかしこまった。

 稽古中、お師匠さんは動きを止めた状態で弟子の体勢を確かめることがある。I字姿勢について、作り方のこつは掴めたつもりだが、実際の動きのなかで間違いなく実現することは私にはまだできない。だから、お師匠さんに「もう少し腹を引っ込めて」とか「胸をすぼめて」とか指示されることがよくある。体育館は寒いので着ぶくれ気味で稽古している。そこでお師匠さんは姿勢が怪しいと思われる個所を触って確かめて指示を出す。腹を押されると腹を引っ込め、背中を触られると背中を丸くする(言い換えれば、胸をすぼめる)、ということをやっていると、自分が粘土細工の人形になってお師匠さんにいじられているような変な感覚を覚える。

姿勢の合理性
(クリックで画像の拡大)
動作は左から右に変化する。右側で青い線は、右足の踵が地面を押す力が右手に伝わる経路を示している。身体の中を走る力線とも言えようか。左足にも青線が入っているが、その意味は、この姿勢では左足にも体重がかかっている、ということである。
 お師匠さんがある動作の説明をしているとき、I字姿勢についてあることが閃いた。指を上に向け掌を前に向けた手を、耳のあたりから前方に向かって押し出す動作がある。(図参照。図では右手を前に押し出している。)この動作は、小指の下の掌の部分で相手を突く動作である。だから、指より掌が心持ち先行して出て行かなければならない。さもなければ、弱い指の部分で相手を突くことになり、指にダメージを受けかねない。また、指はまっすぐ上に向ける。このとき、一番力が入れやすいからである。

 太極拳は本来、武術である。対戦相手がある。だから、相手の存在しない套路[型の練習のため一連の技を組み合わせたもの]でもつねに相手は想定されている。手の動きや姿勢は戦闘的意図に基づいた合理性をもっている。上に述べた手の動きは、手の平面が地面と垂直になり、かつ指がまっすぐ上を向いているとき、合理的なのである。

 こう考えていくと、I字姿勢は理解しやすく、かつ、作りやすいものになる。たとえば柱を押してみる。背中を丸め、腰を前に押し込むようしないと力が入らない。背骨がS字形では駄目である。I字姿勢はだから、向かって来る力に対抗するのに合理的な姿勢である。相手と戦う姿勢である。

 図の動作に即して言えば、こうである。動作は左から右に変化する。左手を、膝前を払うようにしながら左体側に移動し、やや遅らせて右手を前に押し出す。腰は進行方向に向かって回す。その一連の所作からなる上半身が、全体として前に移動する。移動は足の動きによる。右踵を少し外側に押し出すようにしながら、右膝を伸ばし、右足の力で前進する。すると、右踵が地面を押す力が、背骨を経由して右手に伝わる。言い換えれば、身体全体の力が右手掌に集中される。この合理的な力の集中に、I字姿勢は貢献しているのである。

 このように理解すれば、実際に動くとき、相手をイメージし、たとえば手で押すつもりになれば、背骨は自然にI字形になる。合理的なやり方とは言えないが、額で何かを押すつもりになっても、やはりI字形になる。

 お師匠さんにいじられ、お師匠さんの説明を聞いているうちに、このような姿勢の合理性に思いいたった。(お師匠さんいかがでしょうか、こんな理解は?)
低さ競争!【太極拳】
投稿日:2007-01-27(土)

 昨朝の稽古はいつものように私が一番乗り。電気をつけて大鏡を並べる。次に到着したのはお師匠さん。定刻に遅れること数分。しかし残りの弟子二人がなかなか来ない。そこで二人で稽古を開始。今日はもしかしたら二人っきりかな、ムフフ…なんて心の中でにやけていると、残りの弟子が30分も遅れて到着(がっかり)。ひとりがコンタクトレンズを落とし、二人で探していたとのこと。コンタクトは無事発見されたので、私の心の中とは対照的に、二人の顔は晴々。

 さて、昨日の稽古で、ここ一週間、頭にあったことをお師匠さんに質問してみた。

 いま稽古している二十四式太極拳では、第一の動作で、両足を軽く開いて直立した状態から両膝を曲げて腰を落とす。すると当然のことであるが、頭の位置が下がる。この位置が最後の二十四番目の動作までの基本的な頭の位置になる(動作によっては、この位置より高かったり、反対に低かったりする)。低くなった頭の位置は変えずに動作を続けるのであるから、体重がかかる足(両足の場合も片足の場合も)は膝が曲がる(分かりにくければ、中腰のまま歩くのを想像してください)。すると普通に歩く時に比べて、足腰の筋肉によけいな負荷がかかる。

 お師匠さんは最初のころ、太極拳をやっていると足が太くなります(足に筋肉がつく)よ、と言っていた。私もそうです、と付け加えながら、お師匠さんは若い女性なので、あまり誇らしそうな顔はしなかった。しかし私は、つい最近までは、頭の位置など無頓着に動作をやってきたので、言い換えれれば、頭の高さを無意識に調整し、あまり足腰には負荷がかからないような姿勢でやってきたので、《足が太くなる》は、若い女性がゆえの、過剰な意識が言わせているのだろう、とくらいに思っていた。

 しかし、如上のことに気づいて、さらに自分で低さを意識して練習してみると、お師匠さんの言葉がずっしりとした実感をもって理解できたのである。

 私がお師匠さんに質問したのは、いま書いた理解を示した上で、太極拳では《低さ競争》はないんですか?ということであった。修練を積むと低い姿勢でも楽々と動作できる。だから、自分の修練を誇示するため、低~い姿勢で動作を行なうのではないか、というのが質問の心である。

 お師匠さんの答えは、しかり、だった。

 さらに、《遅さ競争》はないのか、と質問を重ねた。動作をゆっくりすることで足腰への負荷をさらに強くし、それに耐えうる力量をみせることはないか、という質問である。この競争はないそうである。競技の場合は、動作を行なう時間が決まっており、それを超過すると減点になる、というのが、その理由であった。しかし、ゆっくりやると自分の動作の確認ができるので、そのためには遅さは有効ですよ、とお師匠さんは説明を付け加えた。

 最後に、私が思ったこと。「太極拳は、オフシーズンの足腰の鍛練に使えるな。」むろん、オフシーズンは百姓のオフシーズンのことです。
姿勢のバイリンガル!【太極拳】
投稿日:2007-01-25(木)

 先週の日曜日はcenter-shikenの監督。その日は5科目の試験があった。1科目の試験時間は1時間なので、都合5時間、受験生と一緒に試験室に缶詰になった。問題用紙や解答用紙の配布と回収以外は、ひたすら受験状態の監視である。一日の終わりには退屈さでほとほと疲れてしまう。むろんそうであるのが理想的な状態であり、問題が起きては困る。疲れる退屈さのゆえに、午後になると椅子に坐っていると眠くなってしまう。しかし眠り込んでいびきをかいたりすると受験生からクレームがつく。center-shikenの監督はなんともつらい業務である。

 でも今年は、時々身体で遊んだので、終始覚醒した状態で業務がまっとうできた。遊びとは太極拳の歩行練習であり、I字姿勢である。基本的な歩行(「弓歩」と呼ばれる)で二、三歩歩いてみる。弓歩には席の間のスペースでは狭過ぎるので、教室後部のスペースでやった。むろん教室前部にも必要なスペースはあるが、そんなところでやっては受験生の気が散る。クレームがつく。席の間を歩いて監督する際には、意図的にI字姿勢をとってみた。それにyogaの基本呼吸法を交えれば、監督業務などなんのその!だった。(でも同室の別の二人の監督の方は私を見てなんと思ったでしょう?)

 …というように、最近は機会ある毎に太極拳の動きをやっている。

 I字姿勢をとりながら考えたこと。

 まず考えたことは…最初のうちは自分の「身体図式」が混乱したように感じた。日常的な胸張り・出っ尻姿勢をときおり太極拳の胸すぼみ・偏平尻姿勢に変えると、自分の基本的な姿勢が崩れてしまうような気がする。混乱しながらある時、「おっ!わしは姿勢のバイリンガルじゃ!」と閃いた。ある時は出っ尻、ある時は偏平尻、その変化のためには仙椎の角度を変化させなければいけない(*)。すなわち下腹部を動かす動作で姿勢をスイッチする(前の記事を参照)ので何かヘンな感覚がしないでもないが、そのスイッチを身体図式の混乱という表現ではなく「姿勢のバイリンガル」という表現であらわすと、楽しくなる。遊び気分になれる。

(*)前の記事で、I字姿勢をするためには尾てい骨をまっすぐにする、と書いたが、解剖学的には間違いのようである。尾てい骨は前に向かって曲がっているので、その上にあって後ろに突き出している仙椎をまっすぐにする、というのが正しいようである。

 つぎに、お師匠さんは、太極拳をやっている(I字姿勢になると)と男の子は内股になる、と言っていたが、納得した。平行股やがに股にすると足が曲がりがちになるのである。…ということは、太極拳の新人を発掘するためには、内股男を探せ!ということか?
赤い削除線の施してある部分は、お師匠さんの《検閲》により、削除します。理由は、「内股になる」とは言えないからです。私の聞き間違いでした m(_ _)m

 最後に、出っ尻より偏平尻の方が、体重による腰への負担が少なくなるのかもしれない。少なくとも体感的にはそうである。腰痛に悩む方、太極拳をやると治ります!(でも、保証はいたしません、念のため。)
再度、太極拳における上半身の姿勢について
投稿日:2007-01-19(金)

S字姿勢からI字姿勢へ
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 左が胸張り・出っ尻姿勢、右が太極拳姿勢。(あくまでもイメージ図であり、解剖学的に正しいものではありません。)
 左の姿勢で頭の位置を動かさないようにしながら、赤い矢印で示した方向に尻を動かす(尻を押しさげながら前に回転させる)気持ちで尻を引っ込める。すなわち、尻を前に出す。すると右の姿勢になる。青い矢印は、左の姿勢に比べてへこむ部分を示している。
 今日の稽古が始まる前、前回の記事に書いた、上半身の姿勢の作り方についてお師匠さんに意見を請うた。「臀部を、少し下に押し込む気持ちで前に向かって回転させる」だけで、胸がすぼみ、腹が引っ込み、尾てい骨がまっすぐになる、といった、S字姿勢をI字姿勢に正すための動きがまるごとできる、というのが私が説明し実演した、姿勢の作り方である。お師匠さんの答えは、それでよい、であった。そして付け加えて、(ここから先は褒められたのか?)その一動作でI字姿勢ができるのは股関節についての意識が鋭いからであり、普通、臀部の動きだけを説明したら後傾姿勢になるので、同時に腹を引っ込めるように指示する、との教示があった。たしかに尻を前に出したために後傾姿勢になったのを前傾姿勢に修正するには、腹を引っ込める動作をすればいい。

 ただ私の場合、胸のすぼめかたがまだ足りないようである。いいかえれれは、まだ胸を張り過ぎているようである。練習中に何度か上半身の姿勢を矯正された。適正な胸のすぼめかたは背中を見ればわかる、とお師匠さんは弟子の皆に教えてくれた。胸を張ると背中が背骨に沿ってくぼみ、着ている服は背中の真ん中に寄って皺ができる。それに対して、胸を十分にすぼめると、背中が平らになり、服の皺も伸びる。お師匠さんが実演してくれた。そして、お師匠さんの許しが出たので、背中に実際に触ってみるとたしかに説明の通りであった。

 私はどちらかというと胸張り・出っ尻タイプの姿勢である。出っ尻は昔からだったような気もするが、あるいはyogaの実習のせいかもしれない。だからお師匠さんから、お尻の姿勢が《中正》(まっすぐ)になりましたか、と尋ねられると、いや《不正》です、と答えてしまった。わざと作っている姿勢のように感じられるからである。また、胸をすぼめるには(軽くであるが)意識して力を入れなければならない。さらに肩がもう少しさがらないか、と言われたが、力を抜いても今以下にはさがらない。(ただし、怒り肩ではない…と思う。)

 太極拳姿勢は、撫で肩・猫背・偏平尻タイプと言えるよう。

 今の私にとっては太極拳姿勢は《自然体》ではない。もっと正確には、まだ…ではない、というべきかもしれない。というのも、《自然体》は人によって、社会によって少しずつ違うからである。太極拳姿勢がI字姿勢だといっても、厳密な意味で背骨がまっすぐになるわけではない。胸張り・出っ尻のS字姿勢が弱まっただけである。生活がS字の強弱を作る。《自然体》とは絶対的ではなく、習慣である。

 私は、太極拳的姿勢習慣の《意味》が知りたい。ただその意味を、性急に、書物で知解しようとするのではなく、まずは、稽古を繰り返しながら、じっくりと体得しようと思っている。
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