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村便り:2006-09-28(田んぼの落水)
投稿日:2006-09-29(金)

 稲刈りの前に田んぼから水を落とす。水があれば作業の邪魔になるからである。排水のいい田んぼであれば1週間前に、悪い田んぼは2週間前に作業をする。我が家の田んぼの場合、ほとんどは2週間前の作業になる。
 今の稲刈りは機械を使う。コンバインを使って、刈り取りと脱穀を同時におこなうか、バインダーを使って、刈り取りと結束をおこなう。バインダーは重量が90kgほど、コンバインになるとバインダーの十倍は重い(最軽量のコンバインだと、五倍の重さ)。手刈り時代にも、田んぼの地面が乾いているのにこしたことはないが、少々水が残っていても、刈り取った株の上に足をのせて刈り進むことができた。しかし、機械にはそんな芸当はできない。だから、落水はきちんとおこなう必要がある。

 28日(木)は有給休暇をとって、落水作業をおこなった。有給休暇は年に20日あるが、授業や会議のある時は、特別な場合を除いて、利用しない。10月に入れば授業が始まる。そこで9月の最後の週が、遅れ気味の田んぼの作業をするために休暇をとる最後のチャンスなのである。

田んぼ概念図
 我が家の田んぼの一枚の概念図を使って、以下で使う言葉の説明をする。

 田んぼは、太い実線で囲まれた部分(左側を向いたマッコウ鯨のようにも見える)である。地形は、図の上から下へと傾斜している。
 「横手」とは、田んぼの内部に作られた水路であり、図では太い実線と点線とで囲まれた水色の部分。「横」という文字はあるが、この田んぼのように田んぼの《上》辺を通る場合でも「横手」と呼ぶ。この横手は、昔は入排水路であった。横手の左上から、上の田んぼの横手を通じて水を入れていた(したがって、上の田んぼの横手は、通水路でもあったことになる)。しかし左側の井手[共有の用水路]をコンクリートに改修したさい、新たに「あて口」すなわち、入水口(左上の入水口)をつけたために、いまは排水路としてしか機能していない。
 「ムナクト」とは排水口を意味する。漢字をあてるとするとおそらく「水口」だろう。この田んぼには二ヶ所、ムナクトがある。
 この田んぼは、二つの井手に関係している。全体で700㎡あるが、500㎡が左の井手から、200㎡が右の井手から水を引くことになっている。しかしそれはあくまでも建前で、左の井手が枯れたときには、水量の豊富な右の井手から田んぼ全体に水を入れることを、右の井手の関係者から黙認されている。
 「ウワコウダ」は田んぼ内部の上側(地形全体の傾斜からして「上」)の部分をいう。

 落水は、ムナクトを切り開くのが基本であるが、それだけでは十分に排水されない田んぼがある。傾斜地の田んぼの場合、ウワコウダがダブ[湿田]であることが多い。ダブには排水路として横手を通す。しかし、横手は稲のシーズンが終わるころには泥が溜まったりして水の通りが悪くなる。だから、きれいに浚っておかないと、ダブの部分からいつまでも水が引かない。
 我が家の場合、ほとんどの田んぼが大なり小なりタブなので、落水作業は、横手浚いに時間がかかり、また、泥と水相手の作業のため泥まみれになる。我が家の田んぼのような場合、だから、稲のシーズンは泥仕事(代掻きや田植え)で始まり、泥仕事で終わる。

 横手を浚うと泥を棲息地とする生物が出てくる。イモリやドジョウである。今回はなぜかオタマジャクシが出てきた。秋にオタマジャクシはミスマッチのように思えるが、生物学的はどうか知らない。また、子亀も出てきた。シーズン中ときに亀を見かけることがあるが、この子亀は横手に棲息していたのだろうか。お節介だとは思ったが、亀が出てきた横手は干上がっていたので、水のある横手に運んでやった。

浚った横手
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 泥を浚った横手。
上の概念図でいうと、横手がほぼ直角に下に向かって曲がる手前の部分。右の農道側から写した。この横手は、シーズン中は水を確保するために直角に曲がるところで堰きとめてある。だから、シーズン中はいつも水がたまっている。しかし、堰を開放しても、完全に干上がることはまれ。
切り開いたムナクト
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上の概念図でいうと、左側のムナクトを切り開いたところ。シーズン中はここは土で塞いである。
自然畝への転換
投稿日:2006-09-27(水)

最近、慣行農法で耕作していた畝を自然畝[自然農法で耕作する畝]に転換した。慣行畝から自然畝への転換は、「自然農法爾」の二番目の記事で、五年前に書いたことがある。当時のやり方は、秋に慣行畝で最後の作物を栽培して、そのまま翌春から自然畝にする、というものだった。今回は、転換したシーズンからただちに作付けをするつもりで、慣行畝を自然畝に転換した。この記事では、そのやり方を簡単に報告する。


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 耕耘して整地した畝に、向こう側から草を敷いているところ。
 畝の左右は自然畝。左側は去年、転換したばかりの畝で、右側は転換して六年目の畝。表面に土が見えるのは、新しい畝との境の溝を掘りあげたとき、あげた土を載せたため。
 左の自然畝のさらに左側は慣行畝。6月初旬にタマネギを収穫してから放置していたためエノコログサ主体の草が繁茂したが、その草を刈って燃やした。画像の左上に黒い塊が見えるのは、灰。
 黒いビニールマルチが敷いてある畑は他家のもの。

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 草を敷き終わった畝。
 草のうえには、燃やした草の灰が撒いてある。
畝作りして表面に草を敷く
問題の畝は、直前まで慣行栽培を行っていたわけではなく、去年の5月に落花生を植え付けたあと管理を怠っていたところである。落花生は発芽がよくなかったうえに、発芽したものも草の中に埋もれてしまい、結局、収穫をあきらめた。去年の秋、草だけは刈り、畝に敷いておいた。それからは草は生えるままにしておいた。両隣は自然畝なので、その畝も自然畝にするつもりであった。しかし、落花生を栽培したとき、元寄せをしたので、畝の表面が凸凹になっていた。そこで一度、畝を作り直して自然畝に移行しようとおもい、9月21日に耕耘して畝作りをした。

畝にはムカシヨモギがたくさん生えていた(土地の植相によるのだろうが、自然畝に転換すると最初はムカシヨモギが畝の優勢雑草になる)。そこで草は草刈り機で刈り払い、燃やした。ムカシヨモギの茎は枯れると硬くなり、それが畝にたくさん転がっていると作業がやりにくいからである。それから、耕耘機で土をひっくり返し、畝を作った。二年間、草が生え鍬を入れなかった畝なので、土をひっくり返すとミミズがところどころに出てきた。

表面は草などで覆う。別の区画の畑に、秋の植え付けをするために刈り払った草が積んであった。その草を運んできてたっぷりと畝に敷いた。草はエノコログサが主体である。むろん時期的にエノコログサの種は熟している。だから、畝に敷くと同時に、エノコログサなど草の種を蒔いたことになる。

自然畝には雑草の種を「蒔く」
自然畝に転換した最初のうちは、意外なことだが、雑草はさほど生えないものである。慣行畝の時代に草取りを励行したおかげで、畝に草の種が少ないからである。ところが、自然畝は草が繁茂し、しかも畝の表面は常時、枯れた草に覆われるようにならないと作物はうまくできない。慣行畝時代の管理によるが、私の経験からいうと、自然畝が成熟しはじめるまでに三年はかかる。いかにも自然畝といった風情になるのは、五年くらいかかる。草との共生栽培だと頭では分かっていても慣行農法時代に身についた習性はなかなか消えない。だから、自然農法を始めた当初は、畝に種のついた草を入れるのはためらわれた。しかし、自然畝の成熟を考えれば、積極的に雑草の種を蒔いてやればいいのである。たとえば、初夏には、種のついたカラスノエンドウを、それが生えていない畝に入れてやる。すると、秋には発芽し、春には繁茂する。豆科の植物だから畝を肥沃にする効果が大きい(と思う)。

モグラの穴で枯れたそら豆
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モグラが根元にトンネルを掘ったために枯れたそら豆(2006年5月)
 そら豆が萎れていた。最初は原因が分からなかったが、根元を見るとモグラの穴があいていた。我が家の畑にはモグラがいる。とりわけ自然畝は餌が多いので、畝のなかをモグラが縦横にトンネルを掘っているようである。作物の定植穴を掘ると、トンネルが見えることもある。しかし、トンネルのせいで作物が枯れる例はほとんどない。
ただ、草の種でも、多年草は入れないようにしたほうがいい。種類によるが、一度入ってしまうと、頑固に居すわって優勢雑草になり、始末におえなくなる場合がある。たとえば、ヨモギやチガヤがそうである。(やっかいと思える多年草とも共生できるかもしれないが、現在のところ、私は《迷惑》多年草には、畝からお引き取りねがっている。)


枯れ草に覆われていると、素人の大雑把な観察であるが、その下ではいろいろな生物が棲息する。裸の慣行畝よりも、当然のことながら、自然畝には生物が多い。耕耘機で土をひっくり返した時とばっちりを受けて土の表面に掘り出されたミミズも繁殖するはずである。むろん、ミミズなどを探して、モグラもやってくる。モグラの穴掘りのせいで萎れた野菜が出ることもある。


さて、この転換畝には、今秋、実エンドウを蒔く予定である。最初に植え付けする野菜としてはあまり肥料を要求しないものがいいだろう、と考え、エンドウを選択した。結果は来夏、五月下旬をお楽しみに!
村便り:2006-09-24(一日は短い!)
投稿日:2006-09-25(月)

 週末は畑仕事。野菜の種を蒔くためである。
 週末に入る前は、土曜日は畑仕事、日曜日は田んぼ仕事と目算を立てていたのだが、いざ始めてみると二日とも畑仕事にとられることになった。田んぼでの仕事は、稲刈りにそなえて田の水を落とす作業。稲刈りは10月の第二日曜日あたりと第三日曜日あたりを予定しているので、最初の稲刈りを予定している田んぼはそろそろ落水しなければいけないし、それから一週間後に稲刈りをする田んぼも周囲の溝を浚って下準備をしないと追いつかなくなる。だからといって、野菜の種蒔きものんびりとやっていられない。結局、緊急度を考慮して、畑仕事を選んだ。

ltr060914inaho.jpg
(クリックで画像の拡大)
 ふと交尾中のカマキリが目に入った。一匹の雌カマキリに二匹の雄カマキリがとりついて、ムカシヨモギの枝に止まっていた。秋晴れのさわやかな日など彼らの眼中にはない。まるで凝固しているようであったが、彼らのなかでは生の最後の炎が、静謐な激しさで燃え上がり、生の継承の営みが行われていた。
 自然全体の季節的な移ろいにあって己の生の時節をあやまたず見抜く。その時節を懸命に生きる。それを本能と言い切ってしまうのは皮相的すぎはしないだろうか。本能から《自由》になった知性の、むしろ戯言ではあるまいか。全体のなかで己の時節を生きる、そんな農の営みでありたい。
 畑には夏の間に草が繁茂してしまった。これには相応の理由がある。去年の夏あたりから、我が家の農業事情が変化し始めた。ひとつは、それまで草取りなどの作業をときおり手伝ってくれていた老母の手があてにならなくなったことがある。その後継として私の家族(すなわち、ma femme)に多少の期待をかけたが、家族は、町生まれ町育ちのため、老母に輪をかけて百姓のことは知らない。しかも、私と一緒に農地から離れたところで暮らしている。したがって、作物の収穫以外は、ほとんど期待できなかった(これからも期待できないだろう)。もうひとつは、今年から稲作を委託なしで、すなわち私《一人》でやることになったことがある。稲作は、自立(定年後を予定していた)を目指して、少しずつ委託作業を減らしてきたが、いたしかたない事情で、自立を今年まで前倒しせざるをえなくなった。だから、農業事情は今年から私にとって未経験の領域に入った。掛け値なしの《一人農家》になった。その無勢の《一人》の周りで草がはびこった、というわけである。

 丸一日作業をしたとしてもそんなに多種類の野菜を植えつけできるわけではない。土日の二日では、カブ(白カブと赤カブ)の種蒔き、ネギ(九条ネギ、下仁田ネギ)の定植、ワケギの植え付けである。むろん種蒔きや定植以外にも、相変わらず草刈りと耕耘、草焼きなどの作業もある。日曜日の最後には、暗くなるのと競争で白菜を定植する畝を耕耘して畝立てした。残った野菜は、今週中に早朝、出勤前に畑に立ち寄って、少しずつ植えるしかない。

 一日が短い!そんな思いをもたいない日は《一人農家》にはない。悲痛な叫びのようにも思えるが、裏返せば、生の充実からのほとばしりでもある。
村便り:2006-09-21(タマネギ播種など)
投稿日:2006-09-22(金)

 あと10日ほどすると新学期が始まり、サラリーマン稼業が忙しくなるので、農作業の遅れを少しでも取り戻すため、一日の有給休暇をとって農作業をした。

 大根は9月9日に蒔いたが、他の野菜はまだ種蒔きをしていない。そもそも畝がまだできていない。夏の間繁った草は9月に入ってから刈ったが、その草は畝に転がしたまま。だから、草をまず処理してから、耕耘機で耕耘した。
 草の一部は新たに作った自然畝[自然農法を実践する畝]を覆うために使った(この件に関しては近いうちに「自然農法爾」に簡単に報告する予定)。残りの草は燃やした。草木灰は肥料として畑に撒く。

 今日の農作業のもう一つの目的はタマネギの種を蒔くこと。
 タマネギは、9月20日から23日(秋分の日)を目処に種蒔きをすることにしている。この日を基準にして、あまり早く蒔くと寒くなる前に苗が大きくなりすぎて、6月始めの収穫期に薹がたつ危険性が強くなる(ただし、普通のタマネギより一カ月早く収穫できる極早生のタマネギは9月始めに蒔く)。しかし、遅く蒔くと、小さいまま冬になり、寒さにやられて消えてしまうことがある。理想は、葉数が三枚程度の健康な苗を育てて定植することである。その大きさに育てるための播種期が、村では、経験的には、秋分の日あたりになる。

 作業が済み耕耘機を洗い終わったのは19時前であった。
 耕耘機やトラクターは使ったらできるだけ(「必ず」に近い頻度で)その日のうちに洗う。といっても、乗用車のように全体を洗うのではなく、足回り、刃回りを重点的に洗い、付着している土を落とす。土が付いていると金属部分は錆びが進行しやすいし(いずれにしても、錆は避けることはできないが)、タイヤのゴムは傷みやすい。むろん、鍬も土を洗い流す。

 朝、畑に着いたのは9時で、帰途についたのは19時。昼食に一時間休んだから、おおよそ9時間働いたことになろうか。冬(11月から2月まで)を除いて、週末に一日農作業をすると、8時間から10時間作業するから、今日は平均的な作業時間ということになろう。
村便り:2006-09-18(台風13号通過後)
投稿日:2006-09-19(火)

 台風13号が、17日から18日にかけての夜半に最接近しながら日本海に抜けていった。深夜、間歇的に聞こえてくる凄まじい風の音で何度も目が覚めた。雨も同時に降っていたはずであるが、コンクリート製のアパートに住んでいる私の耳には雨の音は届いてこない(ふだん雨の気配は、アパートの前を走る車のタイヤ音から聞き取っている)。台風が通過する間、私は堅固に守られた空間で夜を過ごしていたが、同時に畑や田んぼが気になっていた。
 台風13号は、強い勢力と西側を通過するコースとから二年前の台風18号を思い出させた。その時は南からの強風で大きな被害が出た。村の主要道ではコンクリート製の電柱が数本傾いた。わが家では、小屋が吹き飛び、一段低い畑に落ちて崩れた。畑では、まだ若い柚子の木は倒れて根の一部が露出し、屋敷では、彼岸桜が大きく傾いた。(柚子の木は元気になったが、彼岸桜はこの夏に枯れてしまった。)

北に傾いた稲
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北向きに傾いた稲。その下は休耕田で、里芋と黒豆とソバを栽培している。

ソバ
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総倒れのソバ
 朝起きて、外を見ると、アパートの前に立っている大木の、太い枝が折れていた。私は朝食を済ますと、車で村に向かった。

 まず田んぼを見まわった。実りはじめた稲は、北向きに大きく傾いている箇所もあったが、おおむね強風に持ちこたえていた。ただ、ヒエを刈り残していたところは、稲よりも背丈が高く、しかも脆弱な茎のヒエが倒れ、稲を巻き添えにしていた。(台風対策という意味でも、ヒエはきちんと取り除いておかなければいけない、ということなのだろう。今後の教訓としよう。)
 休耕田で栽培しているソバは、さすがに全部が北向きに倒されていた。しかし、いまは生育の途上にあるので、姿勢を立て直しながら成長をつづけるであろう。

 屋敷周りの畑は、キャベツ類(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、芽キャベツ)を覆っていた防虫ネットがはがれているところがあった。8月終わりに定植したので、まだ葉数も少なく背丈も低い。ネットが覆われたままであれば、強風の影響は緩和されるが、ネットがはがされると、強風に直接さらされる。実際、茎が強い力で引き回されて根元にすり鉢状に隙間があき、葉が萎れているものもあった。そのようなものは根元に土を寄せてやったが、どこまで勢いを取り戻すだろうか。

 ともあれ、私がコンクリートの壁のなかで眠っていた間、田んぼと畑では生き物たちが暴風雨に懸命に耐えていたのである。耐えながら命を燃え上がらせていたのである。
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