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村便り:2007-04-15(日) (痛む腰を友に種蒔き)
投稿日:2007-04-16(月)

 相変わらず腰の調子が思わしくない。しかし痛みは軽くなっている。腰に負担がかかる田んぼでの仕事が本格化するまでに腰の状態をもとに戻しておこう(来週の日曜日には井手堰きがあり、稲を作る以上、作業には参加しなくてはいけない)。

 金曜日夜の雨で土が湿っていたため、土曜日の畑仕事は見送った。田んぼでの作業はできるが、腰に相談して、「出勤」してデスクワーク。授業に使うプリントを印刷したりした。

 日曜日の今日は昼前に畑にやってきた。土曜日は一日晴れていたので、金曜日に作った畝は、種蒔きや定植ができるまでに土が乾いていた。ただ雨に打たれたあとの土は、乾くと薄くて硬い表皮ができたような状態になる。そのままでは種蒔きができないので、まず、三つ鍬で畝の表層を軽く掻くように耕して「表皮」を崩す。普段なら造作ないことではあるが、今日は少しやっては腰を伸ばして腰をかばうようにした。それでも痛いところがあると腰の使い方が不自然になるのだろう、腰の右側に局在化していた痛みが腰全体に広がるのを防げなかった。忙しいとゆっくりと病気にもなっていられない、と変な不平を心のなかでぶつぶつと呟きながら、作業を継続。

 種蒔きは、人参、ビート、ふだん草(うまい菜)、極早生ミニ大根。

人参を蒔く
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人参を蒔いた畝。
 人参は、平鍬で畝の方向に垂直に切ったガンギ[蒔き床]にパラパラと蒔く。蒔き床の土は、蒔く前と蒔いた後との二回鎮圧する。種を蒔いたあと、土はかけないか、かけても気持ち程度にする。今日は手前の篩で細かい土をふるいかけた。そして、発芽まで畝全体を、保湿のため、寒冷紗などで覆う。乾燥した夏期には発芽まで毎日灌水する。
 我が家では人参は決まった畝で栽培する。写真で言えば、真ん中の畝と、その右隣の畝が人参用である。写真に写っているのは畝の三分の一強。人参は連作すると肌がきれいになる、と言われている。
 人参は蒔いてから三カ月は経たないと食べられる大きさにならないから(むろんそれまでにも間引き菜は利用できる)、七月下旬から収穫することになる。人参は年に四回蒔く。まず、二月にビニールトンネル内に蒔く。それからは、三月終わりから四月始め、七月上中旬のまだ梅雨が明けない頃、最後に、九月始めに、いずれも露地に蒔く。九月始めに蒔いた人参は年明けから収穫を開始して、三月に薹が立つまで利用する。そのころにまだ残っていれば、掘りあげて葉っぱを切り落とし、畑に浅く埋めて囲っておく。二月に蒔いた人参は順調に生育すれば、六月から収穫できるから、六月から翌年四月までは人参が手に入る計算になる。

 ビートとふだん草は、ホウレンソウと同じアカザ科。ビートは、我が家では定番野菜で、サラダとして利用する。草全体が赤いのと根が太るのを除いてはホウレンソウにそっくりなので、間引き菜はおひたしにして食べることができる。ふだん草は、我が家では不人気であるが、生鮮野菜が少ない夏に重宝する。市場には出回らない(市場では珍しい?)野菜なので都会生活者にはなじみのない野菜かもしれない。老母は煮物に入れて食べる(葉っぱは肉厚で煮崩れしにくい)。

 最後にジャガイモ(男爵)を定植。全部で60片の種芋を植えた。他の三種類のジャガイモはもうすこし伏せ床においてもいい状態であった。

 一日が終わると腰のあちこちにチクチクと痛みを感じた。夜、たっぷり時間をかけて丁寧にヨーガをすると痛みはほぼ和らいだ(腰の不調が完治したわけではないが…)。
村便り:2007-04-13(金) (休暇をとって、畑作業)
投稿日:2007-04-14(土)

 金曜日だが、休暇をとって畑で畝作りをした。

 温床やベランダで育苗する作物の種蒔きは着々と進んでいるが、春の露地作物はまだ種蒔きをしていない。伏せていたジャガイモもそろそろ定植できるようになった。今週末には畝作りをして種蒔きや定植をしようと考えていたところ、金曜日夕方から雨との予報。雨が降れば二、三日晴れなければ畑を耕耘できない。そこであわてて、授業と会議のない今日、畝作りをすることにした。

 作業を昼近く、11時に開始。今の時期は朝早くからでも作業はできるが、どうもまだ冬からの怠け癖が抜け切れない。肥料(発酵鶏糞と、畝によっては、カキ殻石灰)を撒き、それから耕耘機で土をひっくり返した。土を細かくするために二度鋤き[同じ場所を二回耕耘すること]して、畝立てした(言い換えれば、畝と畝との間に排水用の溝を掘った)。夕刻から雨が降るので、溝はどうしても上げて[掘って]おかなくてはいけない。土は耕耘すると隙間が多くなり雨をたっぷりと吸い込むので、排水溝を作っておかないとなかなか乾かないからである。

 午後は雨が時々落ちたが西の空はまだ明るかった。その空を見ながら、予報通り夕方まで本格的な雨にはならないだろう、と思いながら作業を急いだ。耕耘機はトラクターと違い、力が要る。鍬を使うのも力仕事である。ところが、数日前から右の腰が痛い。その腰をかばいながらも、次第に雨の兆しが濃くなる空に急かされて働いた。作業量と作業に残された時間を勘案すれば、昼食をのんびりと食べている暇はない。喉の渇きを癒し、多少の活力をつけるために、缶入り紅茶を飲むだけにした。

 午後も後半になったころ、段差のある個所を耕耘していたとき、耕耘機のバランスを崩して横転させてしまった。起こそうとするも、腰をかばうため力がでない。燃料とオイルが漏れだした。こうなると腰 のことを言っているわけにはいかない。慎重に腰をかがめ、身体全体のバネを使って、ハンドルを下から押し上げた。

 最後の畝を耕耘し終わったころから雨が本格的になった。おまけに雷。最後の溝上げを急いだ。雷は次第に近づいてきた。雷が頭上にやって来たところで作業を中断。17時半ごろだった。作業は、完了しなかったが、九割は終わった。
村便り:2007-04-08(日) (第二温床に里芋類を伏せ、育苗ポットを入れる)
投稿日:2007-04-09(月)

 第二温床に里芋類を伏せ、育苗用にポリ・ポットに蒔いた種を入れた。

 4月4日に藁などを踏み込んだ第二温床は二日後には発熱を始めた。温床は発熱を始めると《発火剤》に使った材料のにおいが辺りに漂う。第一温床は、踏み込み材料の上層まで発酵鶏糞を振り撒いたので、鶏糞のにおいが漂っていた。発酵してにおいが和らいでいるとはいえ、鶏糞はかぐわしいとはとても言えない。そこで第二温床は上層は、米糠だけを振り撒いた。目論見通り、今度は米糠のにおいが漂ってきた。

温床に伏せた里芋類
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温床に伏せた里芋類。
 左から、コイモ、八つ頭、京芋。コイモは、親芋も縦に二分割して種芋にする。八つ頭も、親芋を種芋にし、縦に数分割して使う。一番右側の空いたスペースはサツマイモのため。
 なお、コイモとサツマイモの伏せかたについては、記事「☆ 2002-03-31 ☆ 子芋とイモを伏せる」を参照。
灰ヶ峰の山桜
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山桜が満開になった灰ヶ峰の北斜面。
 「3月25日の村便り」では、コブシが咲き始めた灰ヶ峰を紹介したが、今は主役がコブシから山桜に変わった。山桜が斜面のあちこちに咲いているのがお分かりだろうか。
 温床の半分は土を浅く入れて、そこに里芋類とサツマイモを伏せる。里芋類は、コイモ、八つ頭、京芋を伏せた。サツマイモを伏せる予定であったが、種芋を畑にもって来るのを忘れたため、明日に日延べした。

 種は、長ナス、ニガウリ、スイカ、カボチャ、バターナッツ[ヒョウタン型の、表皮が黄色いカボチャ]、マクワウリ、半白キュウリ、ヒョウタン、スイートコーンをポリ・ポットに蒔いた。ズッキーニも予定に入っていたが、育苗土が足りなくなったので、これも明日に日延べ。

 今日は家族で畑に来た。子どもはツクシの玉子とじが好きなので、まだたけて[食べごろを過ぎてしまって]いないものを探し、夕飯に食べる量を採った。午後、弟がやって来た。弟は広島市内に住んでいるが、畑にはたまにしかやって来ない。やって来ても農作業を手伝うためではない。今日はワラビ探しが目的のようであった。ひとしきり私の子どもと遊んでから、近くの《ワラビ山》に向かった。なかなか帰って来ないので、猪に襲われて《遭難》したんで、と子どもと笑いながらしゃべっていると、ビニール袋にかなりの量のワラビを採って《生還》。ツクシは盛りを過ぎたが、ワラビはまだはしりだ、と言いながら、半分を分けてくれた。《ワラビ山》は草木がだいぶ繁っていたようである。手袋をはめて行かなかったので、スイバリ[手などに刺さったトゲ]が指に刺さった、とまだ刺さったままになっているスイバリを確かめていた。想像した通り、猪が地面を掘った跡があった、と言っていた。
村便り:2007-04-04(水) (第二温床の踏み込み)
投稿日:2007-04-06(金)

 第二温床の踏み込み。この温床は、サツマイモと里芋類を伏せ、また空いたスペースにウリ科やナス科の野菜の育苗をする。

第二温床
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藁と青草を交互に踏み込んでいるところ。
 藁は後方に見える、赤色の藁切り機で切断した。第一温床は、踏み込み材料に藁だけを使い、藁の量は200束であった。今回の第二温床(容積は第一温床と大体同じ)は青草も踏み込んだため、藁の量は減り、140束だった。青草を利用した分、乾燥鶏糞と糠も少なくてすんだ。ちなみに、作業時間は3時間。
 作り方は第一温床と基本的に同じ。相違点は、踏み込み材料に青草を加えたこと。去年、人参を作った畝に、カラスノエンドウを主体とした雑草が繁っていた。その雑草を草刈り機で刈りはらい、藁に混ぜた。まず、藁を積み、その上から《発火剤》として乾燥鶏糞と糠を振りかけて、踏む。必要に応じてジョロで灌水する。ついで、その上に草を積む。草には《発火剤》も水も加えない。青い草には水分と窒素分が十分に含まれているからである。このようにして藁と草を交互に積んでいく。

 今日は寒くて風が強かった。第一温床を踏み込むときも似た気象状況であったが、いまはもう春である。まるで冬に後戻りしたような寒さだった。材料を踏み込み始めたころ、みぞれが落ちて来さえした。みぞれは雨に変わって、作業中、降ったりやんだり。里は雨に変わっても、灰ヶ峰の山頂付近は氷雨か雪が降っているような様子だった。

 作業をしていると、隣のお姉さんが通りかかった。「今日は何しよるん?」「イモ床を作りょぉるんよ」と私。「苗が出来たら、二本ちょうだいや」とお姉さん。彼女は家の横で一畝だけ野菜を作っている。彼女に去年、余ったキュウリ(半白キュウリ)の苗をあげたところ、実がよく成り、喜んだ。人に頼まれて種をとりもしたそうである。私は「苗を買いんさる人は早よう植えんさるが、うちは苗が出来るのは遅いで」と答えた。「遅うてもええわいね。あんた方の[苗]は遅うてもよう出来るんじゃけん」とお姉さん。そこで彼女に苗を約束した。
村便り:2007-04-03(火) (休耕田の草焼き)
投稿日:2007-04-05(木)

 夕方、休耕田の草焼きをした。その休耕田は、昨年、15年以上続いた休耕から復活させようとしたが、田植えを始めたとたんに田植機が泥に埋まりこみ、復田を断念したダブである。そのまま放置していたので草が繁った。寒い時期に草焼きをして一度耕耘したかったが、愚図愚図しているうちに枯れ草の下から新しい草が伸びはじめる、この時期になってしまった。

休耕田の草を焼く炎
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草焼きには こ つ がある。
??
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上の写真とは反対の側から写した写真。
 右側は他家の田んぼ。広さは我が家の田んぼと同じ程度。境は直線になっているが、地籍簿によれば曲がっている。曲がっていると耕作しにくいので話し合って直線にしたのではないか、と想像する。
 この田んぼに来るとよく父の話を思い出す。父は、田んぼが狭く作りにくいので、隣の田んぼの所有者に、売って来れないか、ともちかけた。しかし、その所有者は受諾しなかった。耕作を続けるつもりだったのである。そして強湿田を改良するためにマサ[風化した花崗岩からできた砂]を田んぼに投入した。ところがマサが入ったとたん、耕作されなくなった(人手の関係で耕作できなくなったのだろう)。休耕(むしろ耕作放棄)期間は我が家の田んぼより長く、草刈りなどの手入れもされない。あのとき売ってくれんさったら[隣の田んぼの所有者も我が家も]えかった[よかった]のにのぉ、と父は話を結んだ。
 復田を断念したとは言え、田植機が埋まるまでにごく一部分は田植えをした。手はいっさいかけなかったが、その部分の稲は成長し出穂した。ただ堅く結実する前に猪に荒された。他方、田植えをしなかった部分にはヒエが生い茂り、まるでヒエ田のようになった。休耕していた時期は水を張ったことはなかったので、ヒエは消えていた。ところが一昨年、水を張って土を掻き回した。その年、水で種が運ばれて来たのか、ヒエがわずかに生えた(*)。そして去年は一面がヒエである。ヒエの繁殖力をまざまざと見せつけられた。
(*)稲を作っていた時期のヒエの種が土中で生存していた可能性も考えてみたが、手元の本によれば、イネ科雑草の種子は土中では寿命が短く、強湿田では例外的に8年は生存する、ということなので、その可能性は否定されよう。

 草焼きは乾燥警報が出ていないことを確認してやらないと、消防署に叱られる。一度、休耕田で、刈り倒して集めた草を燃やしているとき、見回りの消防署員に注意されたことがある。風の強い冬の日だった。草を焼いていると、県道を通りかかった消防車が停まり、署員が一人降りたのが見えた。その署員は農道を歩いて私のいる方にやって来た。まだ若い男だった。彼は私に向かって「おとうさん」と話しかけた。おいおい、わしゃ、お前のお父さんじゃないで、と内心むかつきながら、彼の話を聞いた。すると、乾燥警報が出ているのですぐに火を消せ、との指示だった。野焼きするときは事前に消防署に連絡するように、と注意もした。それ以降は、警報が出ていないことを確認して草焼きをするようになった。

 ただ冬はしょっちゅう乾燥注意報が出る。また出るくらいでないと草はうまく燃えない。そして、注意報が出ると必ず消防車が日に二回ほど巡回してスピーカーで注意を呼びかける。その際にも、消防署への事前連絡を勧告する。私は事前連絡はしないので、消防車の巡回しないときを狙って火をつける。

 今日も乾燥注意報は出ていた。しかし、風はほとんどなかったので火はおとなしく燃えすすんだ。枯れ草をなめるように焼いていく炎を追いかけながら、今年も復田に挑戦するだろうかと、自分の気持ちを確かめていた。心は去年ほどには高まってはいなかった。あるいは今年は見送るかもしれない、あるいは泥だらけになっても田植えを敢行するかれしれない…私の心は定まらなかった。
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