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村便り:2006-10-22(稲刈り、ほぼ終了)
投稿日:2006-10-26(木)

 昨日、7畝の田んぼを刈り取り、稲架掛けまでするつもりであったが、全体の5分の1ほど稲架掛けしただけで夕暮れになり、作業を中断した。一昨日は日が暮れても作業をしたので、昨日は早めに切り上げたのである。友人の加勢を得て、金曜日から日曜日までの三日間で一気呵成に稲刈りを終えてしまおうと計画していたが、昨日の作業の遅延で計画通りにはいかない情勢になった。

 朝9時ごろに田んぼに行くと、案の定、稲架のそばに積んでおいた稲束の露はまだ乾いていなかった。できれば乾いてから稲架掛けしたい。立っている稲穂の方はもう露は残っていなかった。そこでまず別の田んぼ(3畝)の稲を刈ることにした。
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稲架掛けの終わった田んぼ。
 いちばん手前の稲架(7畝分)とその左の稲架(3畝分)が、今日掛けたものである。一番左が、二週間前に掛けたもち米の稲架。
 写真中央、二つの山塊の谷間から遠く別の山塊が見える。その麓に、筆の生産で有名な熊野がある。私が小さいころは、村では《筆巻き》の内職をしていた女性が多かった。
 今日は妹も手伝いに来てくれた。しばらくすると従姉もやってきた。日曜日は手伝える、と以前から約束してくれていたのである。「稲を掛けようか」と従姉。露はほとんど乾いていた。「よう掛ける?」と私は尋ねた。妹にしろ友人にしろ稲を掛けるのには慣れていない。従姉もできないのではないか、との思いがよぎり、ふと尋ねたのである。「掛けられるわいね!」少々憤慨したような口調の返事が返ってきた。従姉は妹と作業を始めた。妹から二つに割った稲束を受け取り、ナルに掛ける。その従姉を横目で確かめながら「彼女は昔の人間じゃ!」と忘れていた当然事を思い出した。私との年齢差を考えれば、稲架掛けの手伝いは当然やったはずである。頼りになる助っ人が加わり、昼過ぎに、7畝の稲架掛けと同時進行で、3畝の刈り取りと稲架掛けが終わった。

 午後は、従姉が抜けたかわりに、私の家族が加わった。そこで最後に残った5畝の田んぼも一部刈ることにした。天気予報では夜は雨になる。雲に覆われた空からそれは感じられた。刈った稲は稲架にかけておかないと濡れてしまう。そう思うと気持ちが急いた。晴れた午前中のゆったりとした作業のリズムとはうって変わって、動作や言葉が殺気だってきた(私だけだが ^^;)。
 稲架を組み立てて稲を掛けはじめると夕暮れ近くになっていた。それまでに私の家族は帰宅した。稲架掛けは二人一組の作業である。友人と私が組むと妹は余る。そこで妹も帰宅させた。もち米を一人で稲架掛けした二週間前の満月とは違い、今日は新月。さらに空は雲で覆われているから、昔であれば真っ暗闇。ところが街灯が田んぼのそばに立っている。一昨日と同じように、ただし今日は電灯の光りのもとで、友人と二人、夜になっても作業を続けた。

 友人は稲刈りはずぶの素人である。それでも手が足りない、という私の声を聞いて、遠路を厭わず駆けつけてくれた。イベント的な稲刈りならそれなりの演出はあろうが、我が家の場合は生活としての稲刈り。散文的な作業の連続である。でも黙々と手伝ってくれた。失礼な言い方だが、猫の手とは雲泥の差がある有力な《手》であった(なんといっても大の男の《手》です!)。これに味をしめて来年も援農に来てくれたら、と思ってみたが、《これに懲りて》の可能性が高いかも…
 ともかく、merci beaucoup!!
村便り:2006-10-21(稲架の材料)
投稿日:2006-10-24(火)

 バインダーで稲を刈り終えると、稲架を立てる。稲架は支柱(稲架杭、稲架足)と横木(ナル)で組み立てる。

 稲架杭は昔使っていたものが保存してあった。バインダー+稲架+ハーベスター(脱穀機)で稲を収穫することを決心した昨冬、一本一本地面に叩きつけては強度を試し、使えそうな杭を400本選び出した。15年は使わなかったが、木は強い。朽ちていて、叩きつけると折れてしまったものもあったが、思いの外、使えるものがあった。
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(クリックで画像の拡大)
 山から切り出した直後の孟宗竹。
 稲架を立てるため確認すると、それから1年近くも風雨にさらしたままにしていたので、傷んでいたが、今後の保存に気をつければ当分使えるはずである。
 ナルは、やはり昨冬、近くの山から、孟宗竹を15本ほど切り出しておいた。先端を切り落とした1本の長さは10mはあろうか、切った直後は水分を含んで重い。肩に食い込む重量によろめきながら屋敷まで運んだ。
 稲架杭やナルは金属製(鉄製かアルミ製)のものを買うことができる。しかしできれば木製や竹製のものを使いたい。金属製の稲架は風景になじまない。風景になじまないものは農耕にもなじまない(農耕の理念を自給的生活だとすれば)。はっきりした予定があったわけではないが、場所ふさぎになっても稲架杭はとっておいた。廃棄するのは簡単だが、同じ数だけの木製杭を手に入れるのは並大抵のことではない。支柱が木製であれば、ナルも木製か竹製を使いたい。そこでわざわざ孟宗竹を切り出した。

 稲架杭は軽トラックに積んで田んぼに運んだ。ナルは一本一本、担いで5、6分の道のりを運んだ。1本は8mほどに切りつづめた。切った直後に比べれば軽くなっているが、長さがあるのでバランスよく担がなくてはいけない。援農にきてくれた友人にも担いでもらった。あとから感想を訊くと、重かった、との答えが返ってきた。そこで担ぎ方の要領を説明した。
 肩を支点に前後の重量バランスを考えなくてはならないことは当然のことだが、竿を載せる肩の部分を選ぶ必要もある。肩の付け根、首のすぐ横に載せる。その部分は肉が盛り上がり、重みが直接、骨にかかることはない。肩の外側になるほど骨に重みが食い込み痛い。また、身体の縦の中心線付近であるから、揺れも少なくなる。ちなみに肥担桶も同じ要領で担ぐ。
 彼の肩の付け根を掴みながら、説明した。すると「早く教えてくれればいいのに。コンちゃんが軽々と運ぶのにどうしてこんなに重いんだろう、と思った。」と彼は口をとがらせた。でも、《援農》に来ていただいた方に、まるで弟子であるかのように、ひとつひとつ指図するのは憚られるのです。
村便り:2006-10-20(うるち米の稲刈り開始)
投稿日:2006-10-23(月)

 予定通り、休暇をとって稲刈りの開始。
 昨夜、東京から友人が《援農》に駆けつけてくれた。今日(金曜日)から日曜日までの三日間、稲刈りを手伝ってくれる。久しぶりの再会のゆえ昨夜は二人とも飲みすぎて、朝は出遅れた。

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(クリックで画像の拡大)
 刈り取ったソバを島立てにした。島立ては実際には見たことがないので、ソバの産地に住んでいる人(非農家)の、画像付きの説明をもとに、自己流にやってみた。ポールが立ててあるは、島立てを固定するため。
 後ろの、バインダーが入っている田んぼが今日稲刈りしたところ。
 稲刈りの前に、ソバの刈り取り。収穫適期を過ぎた状態なので、これ以上、刈り取りは延ばせなかった。友人にも鎌を渡し要領を説明して、二人で作業を始めた。しばらくすると友人が、腰が痛くなった、とはやばやと悲鳴をあげた。おまけに、鎌はほとんど使ったことがない、と言う。小面積ながらも市民農園を借りていた彼なので、意外な気がすると同時に、これからの《援農》に心もとない不安を感じる。

 稲刈りを始めたのは正午ごろ。今日中に田んぼ一枚は刈り取って、稲架にしなければ明日以降の予定に差し支える。そう思うと昼食抜きで作業を進めたかったが、なにしろ都会からの《援農》者が一緒、あまりハードなスケジュールでは、農耕に抱いているかもしれない《期待》と《意欲》を一瞬にして打ち砕いてしまうかもしれないと思い、三畝(300m2)の、変形田を刈り終えてから、近くの食堂に遅い昼食に出かけた。
 食堂は村の人が経営している。最近開店したばかりのまだピカピカの店内なので、野良着に長靴という格好では気後れしたが、午後2時半という時間では客は我々だけだったので、ひと安心。うちも今週始めから稲刈りをしている、という女主人と言葉を交わしながら食事を終えた。
 稲を稲架にかけ終えたのは、夜の闇がすっかりおりた午後7時。

 夕食時、酒を飲み交わしながらふと「稲刈りに情緒はないね」と彼が漏らした。やはりハード・スケジュールで彼を《幻滅》させたようである。
 農作業に《情緒》はない。のんびりとした稲刈りといったものは、通りすがりの非農耕者の感情移入によって成り立つ風景にすぎない。あるいは、流行りの「スローライフ」といった言葉でマスコミが虚飾する見かけにすぎない。いずれにせよ、《情緒》は農耕を対象化する主観が自分の側にかもしだすものであり、農耕自体にあるのは、生きるという感覚である。意識はしっかりと、たとえば刈り取ろうとする稲や前進するコンバインに向けられている。《情緒》という曖昧なものが入る余地はない。あるのはただどっしりとした身体感覚だけである。
 酒でなめらかに軽くなった口で、そんなことをしゃべった。
村便り:2006-10-14(絶品の枝豆)
投稿日:2006-10-16(月)

 今週末の稲刈りを中止したので、田んぼに残っているヒエを刈り取ることにした。
 田植え後10日たって除草剤を撒く。我が家の場合、ヒエ退治が主目的であるが、完璧には除草できない。残ったヒエは、できればまだ小さいうちに抜き取って除草することにしているが、今年は穂が出るまで手を打つことができなかった。ヒエは、稲より早く穂を出し、背丈は稲より高くなる。すると稲の生育を阻害し、強風にあおられると茎が弱いので倒伏し、稲まで倒してしまう。稲刈りの時には邪魔になるし、一緒に束ねてしまえば実が米に混じる。
 だから稲刈り前に残ったヒエも除く。ヒエは穂を出すまで成長すると根が張っているので、刈り取るしかない。
 黄色の穂が垂れる稲の中を歩きながらヒエを刈った。時々、稲の穂を手にして熟れ具合を確かめると、心なしか、昨日より熟しているように見えた。9月後半からは晴天続きなので、いつまでも青かった稲もいったん熟し始めると熟れ切るまで早いのかもしれない。昼間の陽光を浴びながらザワザワザワと稲穂をかき分けながら進むと、月並みな表現ではあるが、《実りの秋》が身体に押し寄せた。

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(クリックで画像の拡大)
 今日はもうひとつの実りの秋を実感しようと思っていた。枝豆である。7月始めに種蒔きした黒豆はいまの時期に枝豆として食べることができる。今年は120株ほど作っている。枝豆として存分に食べたあとは、熟させて11月に収穫する。
 品種は丹波黒豆。大粒の品種で、熟すと表面にロウを塗ったような光沢がでる。枝豆として絶品だと個人的には思っている。これを食べると、飲み屋で出てくる枝豆は食べられなくなる。
 品種はなんであれ、枝豆はとってすぐが一番おいしい。時間が経つにつれてどんどん甘みが減少する。また、枝から切り外してしまうと甘みの減少が加速する。だから、抜き取ると葉っぱだけを切り取って、枝ごと家にもって帰る。豆は茹でる直前に枝から外す。(だから、「枝豆」という?!)
 豆は充実していた。去年は一回目の収穫時はまだ甘みが少なかったが、今年は…持ち帰った枝豆を早速茹でて夕食に食べると、絶品の、秋の味になっていた。これからしばらくは、枝豆が夕食のアントレ(かつビールのつまみ)である。
村便り:2006-10-13(稲はまだ青い…)
投稿日:2006-10-13(金)

 今日はうるち米の稲刈りを始めるつもりで、昨日、一日の有給休暇を届けておいた。予定の面積は、先週のもち米の時とほぼ同じである。しかし、今日は月明かりの助けは得られない。作業が可能な最終時間を夕方6時として逆算し、午前9時に刈り取りを始めることにした。

 朝5時半に起床。身支度をしてから、その間に炊きあがっていたご飯をむすびにした。それを弁当箱に夕飯のおかずの残りと一緒につめた。

 田んぼに到着したのは8時。稲穂は朝露にぐっしょりと濡れていた。熟れ具合を最終確認する。が、思ったほどには熟れていなかった。亡き父から教えてもらった刈り取り適期は、穂の軸が先から1/3から1/2黄変した時(インターネット上の情報には、2/3としているものがあった)。まだ先端しか黄変していない。よく熟れたものでも1/3に達していなかった。うるち米を栽培している4枚の田んぼを全部確認するが、いずれも同じ状態。1/3程度黄変なら刈るつもりだったが、青い穂軸を見てはたと考え込んでしまった。
 隣の、他家の田んぼの熟れ具合も同じ程度であった。同じ品種で田植え日も同じであったから当然であろう。ところが、バインダーの入り口になるところが一部、手刈りしてある。今日刈るんじゃろうか、といぶかしく思い、その家に行って確かめることにした。
 主人は出かけており、10時前に帰ってくる、とのこと。その時間まで畑で簡単な作業をしてから、また訪ねた。私より10歳年上の彼もやはり稲刈りをためらっていた。結局、今度の日曜日にある祭りが終わってから始めることにした、と言う。
 「マスヤに訊いたら、熟れそうでいつまでも熟れん年がある、ゆう[言う]わい。熟れるごろになって雨が降ったけぇかのぉ。」と彼は説明した。稲の登熟は積算日照時間の影響が強い。今年は稲の生育期間に雨が多かった。夏に一度も溜め池の水を抜かなかったが、そんな年は珍しい。稲はもう少し日光を浴びたいのかもしれない。
 彼の家を再度訪ねる前に、今日の稲刈りはやめることに決めていた。彼と話をして、その決心を固めた。あと一日二日で一挙に熟すことはないから、稲刈りはそっくり一週間後に日延べせざるをえない。稲刈りは今週末と来週末との二回に分けてすることしていたから、来週は今週分も含めて、かなりきつい仕事量になるだろう。

 玄関の上がり口に坐ってコーヒー一杯をいただいたあと、休暇をとったはずの職場に向かった。
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