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☆ 2016-01-31(日) ☆ 寒いので、それについて今の耐寒生活を記述しながら考えてみました。
投稿日:2016-01-31(日)

「てつがく村」ルネッサンスで最初の記事です。

 いまはまだ寒中。寒さの弛みがあるにしても、いまは、その名にふさわしい寒さの時期である。

 今冬は、去年の4月に引っ越してきた現在の住居で迎えるはじめての冬である。前の住居は、沿岸部の集合住宅。標高は海抜わずかで、市街地だった。ところが、今度の住居は、山間部の団地にある一戸建。海抜200mほどの標高である。冬に近づくにつれ、前の住居よりも寒さが身に沁みるようになった。(二つの住居は、市街地と山間部の違いがあるので、標高差のみに起因する気温差以上の温度差がある。)最初は、暖房器具を出すのが面倒なので、我慢していた。

 我慢していると、ふと昔の友人のことを思い出した。フランスで知り合ったスリランカ人留学生で、彼は母国では僧侶だった。フランスには夏にやってきたそうだが、秋になり、気温が下がりだした。それでも、彼は母国から着てきた僧侶の服のままでいた。冬服がなかった(スリランカ人であれば、母国では冬服は必要ない)こともあるだろうが、彼は僧侶であることに誇りをもっていた。母国では僧侶は尊敬の対象だったからである。その誇りも、僧侶服を着つづけていた理由のひとつだったかもしれない。(やがて彼は、僧侶の服装はフランスではむしろ奇異な目で見られることに気づきだすのだが。)しかし、とうとう寒さを我慢しきれず、冬服を買ったそうである。

 私はといえば、むろん、現在の住居では、服だけで防寒しようとしても、また重ね着をしたところで、本格的な冬になると、暖房器具は必要になることは分かっている。とうとう小さなストーブを出し、スポット的に暖房をした。(「スポット的」なのは、経済的な理由のために、光熱費を抑えたいから。)

 現住居は、住むには広すぎ、しかも築年数が古く断熱性が劣るので、冬になればその分よけいに冷え込む。冬が進むにつれ、寝具を前の住居の装備のままにしていると、明け方は、体全体の寒さで目が覚め、眠れないこともあった。室内でも5℃に下がることがある。それに対して、前に住んでいた、市街地の集合住宅では、5階建ての3階ということもあろうが、厳冬期でも10℃より下がることはなかった。

 思い起こしてみれば、18歳で進学のため家を離れるまでは、現在よりももっと寒さの厳しい住環境におかれていた。標高は現住居よりさらに高く、暖房具といえば、火鉢と炬燵(小学生のころに使っていたのは、櫓型の電気炬燵ではなく、炭を使う旧式のタイプ)だった。ちなみに、小学校に上がる前に短期間、住んだ藁葺き屋根の家には、囲炉裏もあった記憶がある。簡便な暖房方法ではないためか、また、倹約のためか、家では、暖房具を使う期間は、亥の子祭り[旧暦10月の最初の亥の日に行われた子供の祭り]から3月の終わりまで、と決まっていた。

 その頃のことを考えれば、今の住環境の方がはっきりとましである。ましではあるが、寒いのには変わりない。光熱費を抑えようとすれば、着込むしかない。保温性のいい下着をつけ、上にも重ね着した。寝具ももう一枚重ねたり、靴下をはいて寝た。(靴下をはいて寝ることは、今までの習慣にはなかった。小さいころ、病気でもしない限り、寝間着のほかに下着類をつけることは親が許さなかった。また、若いころは、冬でも足先を布団から出して寝ることもあった。)このようにして寒さを凌いできた。

 そうこうするうちに、温度変化に対する体の感性が変化してきたような気がする。体の耐寒性があがってくるとと同時に、寒暖に敏感になったようである。気温が2、3度違うと、朝の布団のなかでそれに気づいたりした(もっとも、これは普通の敏感さなのかも)。

 人間は生活が便利で快適になると、それが基準となり、以前の生活に戻ることが難しくなる。心理的な問題ではなく、体そのものの耐性とか感性が変わってしまう。そして、自然的傾向としては、利便性・快適性の基準はあがりこそすれ、さがることはない。ところが、今の私は、必要に迫られて反自然的に基準をさげた。すると、体そのものもそれにつれて変わったのである。(でも、リバウンドの勢いはしつこく潜在しているが。)

 「反自然的」と言ったが、技術を手にした人間の欲望の自然に反する、ということであり、環境に取り込まれている動物一般の自然に反する、ということではない。人間にとっては、動物一般の自然に反することが自然なのである。

…と論調を一段あげだしたところで、文章が続かなくなりました。しり切れとんぼですが、この記事はここで終わりにします。
「雑記帳」再開
投稿日:2016-01-24(日)

 「てつ人の雑記帳」を再開します。

 「てつがく村」を新しいサイトに移設したあと、「雑記帳」は、ブログシステムをしかるべき手順にしたがって移設しなかったために、利用不能な状態になりました。ブログを管理するシステムはそのまま移設されました。また、それまで書きためた記事も新サイトに全て移設されました。しかし、システムの配置と記事の保存場所とを記憶した、言わば《地図》に当たるものが、前のサイトでのままになっていたのです。その結果、システムが正しく機能しなくなりました。或る機能を実行するプログラムが存在する正しい場所が分からないからです。言い換えれば、失効した《地図》にしたがって、問題のプログラムが、いまは存在しなくなった前のサイトにあるように指示されているからです。ブログの管理ができなくなりました。また、記事も読み出せません。記事につけられている場所情報も前のままに、すなわち記事が存在しないサイトにあるように、なっているからです。

 現サイトに移設したブログシステムを使ってみた結果、新しいサイトで、それまで使っていたブログシステムを稼働させることはできない、と判断しました。そこで、同じブログ用ソフトを使いながら、現サイトに別のブログシステムを構築しました。そして、書きためた記事は、外からアクセスできるように、手作業で拾い上げてリストアップしようと思いました。

 しかし、旧ブログシステムを動かしているうちに、機能全体の回復を望めないにしても、記事の読み出しはできるかもしれないとの感触を得ました。そこで、プログラミングの知識はありませんから素人判断で、前のシステムのファイルと記事のファイルとに記載されている《地図》情報を書き換えてみました。具体的には、前のサイトの URL を新サイトの URL に書き換えたのです。記事は html ファイルですから、テキストエディターで読み書きができます。また、私の使っているブログ用ソフトは Perl で記述された cgi プログラムですから、これもテキストエディターで扱えます。相当数の書き換えを行いました。すると、前のシステムの機能全体までも復活したのです! したがって、管理システムも適切に稼働するようになったのです。

 わざわざ新たにシステムを構築したのですが、もうそれは必要ありません。復活した旧システムを再利用することにしました。

 という次第でもって、今日から「てつがく村」ルネッサンスにおける「てつ人の雑記帳」を始めます。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
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