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ゲーム・セット! (ある高校硬式野球部の夏)
投稿日:2012-07-16(月)

 ひとつの夏が終わった。無数の夏のなかの小さなひとつだが、それを生きた者たちにとっては大きく重い。当事者たちにとっても、彼らを見守ってきた者たちにとっても。広島城北高校野球部の、高校3年まで野球をつづけてきた子どもたちが戦った全国高校野球選手権(いわゆる夏の甲子園)地方大会の1回戦が、その終わりである。

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2012年7月15日、しまなみ球場の第1試合。
 
試合
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城北高校、3回裏の攻撃。
 瀬戸内海に近いしまなみ球場で、試合があった。7月15日(日)、10時プレイボール、相手校の先攻で試合は始まった。開会式が雨のため途中から屋根のあるスタンドでつづけられた一昨日、1回戦全試合が雨のため中止になった昨日がうそのように、空は晴れ強い日差しが照りつけていた。わが校(すなわち、私の子どもが通っている広島城北高等学校、以下同じ)の主戦投手は1、2番の打者は討ち取ったものの、3番打者に四球、つづく4番打者に二塁打を打たれて、1点の先行を許した。その裏、わが校も4番打者の二塁打で同点にした。それからはつねに相手校が先行しつつも、わが校の方も加点し追撃していった。6対5で迎えた9回裏、反撃の期待むなしく三者凡退におわり、ゲーム・セット。

┃尾北┃111120000┃6┃
┃城北┃100200110┃5┃

 わが校は中高一貫の男子校。中学校は軟式野球部、高等学校は硬式野球部がある。同学年で32名いた軟式野球部員のうち、高校に進学しても野球をつづけた者は13名。新たに5名が加わり、同じ学年の部員は18名となった。昨夏の地方大会も1回戦で敗退し、そのときから新チームが始まった。日曜日や休日は練習試合。生徒の保護者たちは役員を中心にしてサポートと応援について回った。最年長学年の部員を子どもにもつ私も時間の許すかぎり応援にいった。

 子どもも保護者も念願だったのは、夏権(「夏の全国高校野球選手権」の略称)での1勝。新監督になって今年で3年目だが公式戦では一勝もできていない。監督は、以前は中学校の監督をやっていたので、今年の3年生(私の子どももその一人)は、中高一貫で指導してきたことになる。監督にとっては、おそらく特別な意味をもつ子どもたち。その子どもたちが今年の夏権での主役であった。(ベンチ入り20名のうち、18名が3年生で、試合にでる可能性のある者はその18名。)

チームメートたち(1)
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城北高校グラウンドのバックネットを背景に、3年生全員。
 グラウンドは狭く、試合は変則ルールでおこなわれる。たとえば、ライト側ネットにあたれば2塁打、ネットを越えればホームラン、といった具合に。他の目的にも使うので、グランド状態はよくない。そのためイレギュラーゴロが多い。
 
チームメートたち(2)
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上の写真を《裏返し》にしたもの。ベンチ入り20名のうち、1番から18番までは3年生がつけた。
 昨秋に結成されたチームは秋から今春にかけては負けることが多かった。しかし、初夏になったころから勝ち数が圧倒的に多くなった。強豪校にも勝ったりした(ただし相手はBチームだが)。夏権前の最後の練習試合は県外、四国に遠征して、強いチームと2戦して接戦ながら2勝した。

 夏権の地方予選での勝敗は、わが校野球部のような普通の強さのチームにとって、組合せのくじ運によるところが大きい。強いチームにあたれば、一回戦で敗退する。組合せによっては3回戦くらいまでは進むことができる。今年は3回戦までは進めるかもしれない、と期待をいだかせる組合せであった。1回戦、2回戦と勝ち進めば、3回戦は三次きんさいスタジアムでおそらくは、今春の県大会の覇者である強豪校と当たる。すくなくとも三次まではいきたい、というのが、子どもたちと保護者たちの思いであった。(もっとも、チームの目標は「甲子園で校歌を歌う!」であるが。)最近のチームの状態からすると、その期待は実現可能かと思われた。

 中高一貫のいわゆる進学校であるが、野球部の練習はきつい。一週間のうち、月曜をのぞく6日は練習、ないし練習試合がある(定期試験の前一週間については、練習は休み)。学校のある日は帰宅するのは夜8時くらい。疲れて帰り、食事をすると眠くなる。この学校に入学した第一の目的は、勉強をするためであり、野球をするためではない。(私の子どもは、入学したとき一番楽しみにしたのは、野球部に入ること、高校で硬式野球をすること、ではあったが。)だから、疲れていても勉強はしなければならない、という意識はあったが、机の前で眠ってしまうのはしょっちゅうであった。家のなかにはいつも洗濯した練習着などがさがっていた。

 そうした5年半の野球部活動の《集大成》が夏権での1回戦敗退… もう先はない。もう同じチームメートと戦うことはない。野球部を軸とした生活のすべてが、この瞬間にばっさりと途絶えた。

 保護者として、悔いのない戦いをした、と子どもたちを讃えたくはある。しかし、正直なところ、達成感よりは虚脱感が残った。せめて三次(3回戦)までは行きたかった、と別の保護者に言うと、うん、うちは12年[野球を]やってきたから、と返事が返ってきた。私たち保護者は、子どもたちを通じて、青春を再体験していたのかもしれない。子どもたちから若い力をもらっていたのかもしれない。子どもたちがチームメートに恵まれたように、保護者たちもお互いに結びついていた。しかし、その《青春》が終わった。しかもこのようなかたちで。それが虚脱感につながったのかもしれない。

 試合後、子どもたちはチャーターバスで学校に帰り、保護者たちも車で彼らを追いかけた。学校に帰ると、子どもたちは、これまで一生懸命ボールを追いかけたグラウンドのバックネットの前に立ち、校歌を歌った。これまでも練習が終わるといつも校歌を歌ってきた。いつか公式戦で勝ち、球場で歌うことを夢見ながら。その夢を果たすことなく、これが彼らにとって最後の校歌斉唱。

おれたちの明るい未来のために
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試合後、学校に帰ってきてから、18人の3年生たちはキャプテン(きんちゃん、背番号は控えの10なので、今日は出番はなかった。でも、この1年間あかるい性格でチームをまとめてきた。)の「おれたちの未来のために!」という掛け声で、一斉に帽子を空に向かって投げた。試合に負けても、未来は空のように限りなく広がっている。その未来に向かって GO!
 青春は過ぎ行くもの。18人の3年生にとって、その一時期は夏権一勝を目標とした夏で終わった。重くて大きい目標であり、また結果であった。終わった青春は振り返るためにあるのではない。ふたたび進むためのもの。彼らには、大人のように虚脱感をかかえている暇はない。若いエネルギーがあふれてもいる。ゲーム・セットは、つぎのゲームの開始宣言。重くて大きかった夏は、それだけの前進の糧になる。野球部活動からえた力をもとに、野球部活動から解放されて、子どもたちは、こんどは冬の大学受験に向けて、《練習》をし、《練習試合》をこなす。

 だから、いまでも、フレー、フレー、じょうほく! フレー、フレー、城北野球部! フレー、フレー、18人のチームメイトたち!
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
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