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☆ 2017-03-28(火) ☆ 拳が咲き、春が駆け上る。
投稿日:2017-03-28(火)

朝起きると、石油ストーブの火がついたままになっていた。灯油はあまり入っていなかったが、最小の火力にしていたので、一晩燃え続いたのだろう。メーターは燃料切れ近いことを示している。灯油は、買い置きの18リットル缶は空っぽ。もう一つのストーブに少し残っているだけである。「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸もすぎ、4月も目前なので、今冬の暖房はこれで終わりにしよう。

朝食が終わり、洗濯物を干しに二階の物干し台に出ると、向いの山に拳の花が咲いていた。見えるのはまだ2本だけ。ここより100メートル近く標高の高い村ではまだ拳は咲いていない。しかしすぐに村から見える灰ヶ峰の北斜面を拳は咲きのぼる。その速さは私にとって、春の速歩を具現する。花の上昇とともに野良仕事もどんどん忙しくなる。

今日これから野良仕事。
村便り:2017-03-05(日) (今日も春の畑を耕耘)
投稿日:2017-03-06(月)

春のシーズンが始まる前の準備作業。今日も畑の耕耘。

耕耘する畑には、まだ冬の野菜が残っている。


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横の畑の耕耘。
 耕耘機の左側、薄緑色の株が二つ見えるが、それはアルティショ[artichaut(fr.) アーティチョーク]。「てつがく村」のトップページでは蕾をつけている西洋大アザミ。
 すぐ右側の畝には、分かりにくいが、そら豆が育っている。5月後半に食べごろになる。そのすぐ右の畝に、赤茶けた小さな株が数株あるが、芽キャベツ。茎に芽キャベツが鈴なりになっている。等々。
菜っ葉類(ビタミン菜カツオ菜水菜)は薹立ちの気配を見せている。ロケット[ルッコラ。サラダに使う。]はそれらに先立って2月の下旬から薹が立ち始め、花も咲き始めた。

白菜は残っていたものを数日前に収穫して、新聞紙に包んで囲った。両親(むしろ父と言うべきであろうか)がやっていたのを真似しているのだが、両親はさらに上下を逆さにして立てていた。逆さにするのは、薹立ちを遅らせる処置だと思うが、どれほど効果があるか分からない。なかには、生育が遅れて結球しないままに冬を越したものがある。それは畑に残した。菜の花を食べるためである。白菜の菜の花は、茎が太く、おいしい。

ブロッコリーは主たる花蕾は収穫してしまった。でも、そのあと小さな花蕾がつくので、それを食べている。だから、まだ畑に残しておく。芽キャベツ[choux de Bruxelles(fr.)]もまだ収穫できる。ほかには、キャベツ大根人参ヤーコンが残っている。小屋にはジャガイモが保存してある。去年の秋ジャガ、さらに、萎びながらも、これも去年の、春ジャガがある。

店の野菜コーナーに行けば、遠くの産地から運ばれてきた「商品」としての農産物が並んでいるが、農家は、店頭には並ばないような、すなわち、出荷できないような、いろいろな生育ステージの野菜 も 食べながら、身を養う。四里四方の野菜、それが自給できる野菜であり、また、時々の身に合った野菜とも言えるかもしれない。

そうした春先の野菜がある場所を避けながら、昼から耕耘をした。


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スコップの右隣はノビル。その右は自然生えの人参、その右、画像の右端はカリフラワー。
時間は前後するが、午前中は、昨日、畝に生えていた草を刈り払ったので、その草を耕耘予定の畝から移動させた。草を刈り払っていた昨日、思わぬ収穫物があった。人参とノビルである。人参はブロッコリーの畝に生えていた。去年春に近くの畝で薹立ちしてできた種子が自然に散らばって生えたものと思われる。。じつは去年の秋に生えているのには気づいていたが、大きくなるとは思っていなかった。抜いてみると食べられるほどに成長していた。ノビルは畝の端に生えていた。掘ってみると種球が大きい。その畝は昨秋に耕耘しているから、そのときすでに畝に生えていたものと思われる。いったんは掘り返され、ふたたび活着して、冬の間に種球が大きくなったのだろう。このくらいまでに大きくなるなら、秋播き春収穫の野菜として栽培できるかも、という思いが浮かんだ…でも、やらないだろうな。

今日、ウグイスの声を今春はじめて聞いた。数日前、従姉がはじめて聞いた、と言っていた。けっこう上手い鳴き声だったので、どこかで練習してからやってきたのかもしれない。

村便り:2017-03-01(水) (ジャガイモ畝の耕耘)
投稿日:2017-03-04(土)

「追い出し牛」という言葉を、春先になると両親が使っていた。両親が、というより、父の死後、私が百姓を始めてから、母が、思い出話に、父がそう言っていた、と語っていた、という方が正確だろう。冬の間、牛は野良で働くことなく小屋で過ごす。ところが、春になると農作業に連れ出される。「追い出し牛」という表現には、嫌がる牛を追い立てて外にだす、というニュアンスが込められている。役牛はいなくなって久しい。追い立てられるのは、今は人間自身である。

冬の間、家に閉じこもっていることに慣れた体は、春の農作業をはじめる頃になっても、外に出たがらない。3月の半ばから畑の春が本格的に始まる。その前に畑の準備などやらなければならない。そこで、寒さの緩み始めた頃合いを見計らい、自分の体を野良に追い出してやる。


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耕耘の終わったジャガイモ畝。
 このあと、溝をつけて畝立てしておいた。ジャガイモ植え付け前にもう一度、耕耘するので畝立ては無駄なように思えるが、しかし、溝をつけて排水をよくしておかないと、土が粘土質なので、乾きにくい。
 

(クリックで画像の拡大)
2月の終わりに石を掘った。
 この石は上面だけをみると大きくなさそうだが、深くなるにつれ周囲が大きくなる。また、この画像の状態で、深さは50cmある。しかし、まだ底には届いていない。
 石は粘土層から作土層に少しだけ頭を出している。だから、耕耘機の刃が当たる。鍬で耕しても同じことである。思いっきり振り下ろした三つ鍬の刃が折れたこともある。(ちなみに、その刃は溶接して付けてもらったら、また使えるようになった。)
今日は、ジャガイモを植えつける畝の耕耘をした。その場所は、今まで積極的には利用してこなかった部分である。粘土質が強く、耕耘しても土がかたまりになってこなれない。また、大きな石が埋もれている。だから、冬の間に耕耘し、寒気にさらして土を砕き、また、耕耘機の刃が跳ね返されるような石を取り除いておきたかった。しかし、やっと「追い出さ」れたときには、すでに冬は終わっていた。

それでも、目星をつけていた大きな石は2月の終わりに掘り上げようとはした。石ふたつが畝の真ん中あたりに埋もれているのは数年前からわかっていた。以前、ショベルとツルハシで掘り上げようとしたが、だめだった。まだ現役のころだったので、腰を据えて作業する余裕がなかった。そこで、この前は、時間がかかっても掘り上げようと決意して作業をはじめた。結果は、やはりだめだった。ショベルとツルハシだけで一人で掘り上げるには石は大きすぎる。結局、そこは畝のなかの「未開地」として残しておくことにした。耕耘機では耕さない、野菜は作らないことにした。

今日の耕耘の際にも小さめの石はいくつか除いた。それでおおむね耕作の邪魔になる石は取り除いたつもりだった。が、最後になって、畝の隅っこに「未開地」の石よりはさらに大きな石が埋まっているのが分かった。角の隅っこなので、そこも植えつけしないところにした。このあたりは、遠い昔(恐竜のいる時代?)は湖か川の底だったのではないか、と思われるほど、石が多い。すぐ近くに、地名が「亀石」というところもある。

ジャガイモの植え付けは3月終わりになる予定である。種芋は、いまは、日中は日光に当てて発芽を促している。3月半ばに伏せ、二度目の耕耘をしてから、植えつける。

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