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村便り:2009-02-21(土) (野良の現実に戻る)
投稿日:2009-02-24(火)

管理[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの追肥
管理ワケギの除草と追肥

 午前中は野球の練習試合を観戦し、畑には午後にやってきた。昨日は雪遊び、今日は野良仕事。風景も変われば、気持ちも変わる。野良に出ると《現実》に戻る。雪遊びは楽しいばかりだが、野良はそうはいかない。春を前にやるべき仕事を考えるとため息さえ出る。あせっても仕方ない。ひとつひとつ片づけていくしかない。

 田んぼには去年秋、脱穀して残った藁がそのまま置いてある。藁は切断し、田んぼに鋤き込む。作業は、理想的には、年明けまでにやる。遅れると、藁の腐熟が進まず、田植え後に地中に埋まった藁からメタンガスが発生することがある。経験からすると、いくら遅れても三月には藁を鋤き込まなければいけない(*)。そこで今日はまず、藁の裁断機のエンジンをかけてみた。最後に使ったのは、去年の三月、踏み込み温床を作るときだから、一年近く動かしていないことになる。機械からガソリンはきれいに抜いていたので、再びガソリンを入れると一発で始動。(ガソリンは入れたまま長い間放置しておくと《腐っ》て(《腐る》と臭いが変わる)、エンジンが始動しなくなる。すると洗浄が必要になる。)
(*)昨シーズンの記録によれば、藁を裁断したのは二月初旬、耕耘をしたのは三月の前半だったから、それに比べると今シーズンの作業は遅れている。



黒豆
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キュウリの支柱にぶら下がった黒豆。
 休耕田に作った黒豆は、いったんは稲を脱穀したあとの稲架に掛けておいたが、それから屋敷横の畑(自然畝)で下げておいた。この画像は去年の大晦日のもの。
 
キャベツの追肥
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キャベツの追肥。
 発酵鶏糞を一握り、株のまわりに撒いた。
 
 ついで、黒豆の整理。黒豆は、去年から畑のキュウリの支柱に下げたまま野ざらし状態だった。いまさら鞘を叩いて豆を取り出す気がおきない。廃棄することにした。焼いて灰にするか、田んぼに捨てる(つまり、肥料にする)かまだ決めてないが、当面畑に転がして置くことにする。ネズミか鳥の餌になるかもしれない。

 自然畝に定植したキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーは活着したものの、まだ小さいままである。老化苗を植えたので順調に大きくなってくれるかどうか分からないが、暖かくなるまえに追肥してやろうと思っていた。防蝶・防鳥ネットを外して、発酵鶏糞を施した。ブロッコリーはすべてが小さな花蕾をつけていた。これがはたして大きくなるのだろうか。《ブロッコリーの盆栽》という言葉がふと思い浮かんだ。老化した矮小苗でブロッコリーのミニチュア栽培、ということである。自然畝では適期栽培が原則である。季節にあわなかったり、定植期が遅れたりすると、うまく育たない。ブロッコリーとカリフラワーはミニチュアにしか育たない予感がする。



ワケギ
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ワケギの除草が半分終わったところ。
 畝の左側のワケギはまだ草に埋もれている。
 
ワケギ
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除草を終わり、追肥したワケギ。
 肥料は化学肥料を使った。生育期が始まるので、できるだけ速く効かせたいため。
 最後に、ワケギの畝を除草して、追肥・中打ちをした。ワケギは昨秋、植えてから一度は除草しただろうか。いまは草に埋もれながら育っている。ワケギは春の貴重な野菜である。できるだけ大きくして食べたい。(ここを書きながら思い出した。去年は久しぶりにアサツキを植え直した。そのアサツキ畝も除草してやらなければならない!)ワケギ畝の隣はダイコンがある。このダイコンは十月に種まきしたもので、九月中旬播きのダイコンが薹立ちする春先に収穫しようと思ったもの。それも草に埋もれている。私の畑では、種まきしても間引き、除草、追肥の手がまわらなく、大きく育たないことがしょっちゅうである。ダイコンにしてもニンジンにしても間引かなくては大きくはならない。言わば《間引くのが肥》。その《肥》を昨秋はしてやれなかった。ダイコン畝を見ると、また食卓に出てくるニンジンの太さ(というより細さ)をふと思うと、悔しい。蒔いただけはきちんと収穫したい。今年はどうなることか。

 17時のサイレンが鳴った。もう一息で除草が済む。サイレンを機に仕事はやめるつもりだったが、それからもう30分、冷えてきた夕刻の外気を感じながら除草を続け、追肥・中打ちを終えた。
SkiAgain:2009-02-20(金) (低気圧のなかのゲレンデ)
投稿日:2009-02-22(日)

 スキー場に着いてもやはり雨… 一時間半前に家を出たときには雨でした。でも、標高の高いスキー場ではみぞれが雪かと期待していたのですが、かないませんでした。このスキー場は今冬スキー遊びの3回目、1月11日にも訪れたOソラkanです。ここは経営主体が違う二つのスキー場が隣り合っていますが、事前の調査で雪の状態の悪いと判断されたスキー場にまず行ってみました。リフト乗り場がある一番低いあたりを見ると地面が露出しているところがありました。両スキー場共通のリフト券が買える(両スキー場はゲレンデ部分でつながっている)ので、雪の状態さえよければどちらのスキー場から入ってもいいのですが、もうひとつのスキー場から入ることにしました。

 ゲレンデは雨のうえにガスが出て、見通しが悪い状態でした。リフト券を買う前に雪の状態を確かめるために試し滑りをしてみましたが、滑れない状態ではありません。そこでリフト券売り場に行ったのですが、しばらく近くの椅子に座って外を眺めながら思案しました。そのまま引き返すことも考えたのですが、ままよ、と一日リフト券を購入しました。ただし共通リフト券ではなく、このスキー場単独のものです。

 あ、書きわすれるところでしたが、今日は今冬9回目にして初めての一人雪遊びでした。土日の予定と、また県内のスキー場から雪が少なくなる現状を考え、今日はわざわざ休暇をとったのです。百姓を始める前、今から15年ほど前には週末になると一人で県内の山歩きをしていました。このOソラkanにも二度来たことがあります(ただし雪のない季節ですが)。そんな昔を思い出しながらゲレンデへの林道を走りました。

低気圧のゲレンデ
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中級コースに向かうリフトから。
 上空の雲は山頂からこちらに向かって早い速度で動いていた。西風である。すると低気圧の中心は、このスキー場の東方にあって移動している、ということだろうか。面白いことに、上空の空気の流れと地表近くの風の動きとは一致してはいなかった。
 さて、滑り始めると山の天候はどんどん変化していきました。ガスは晴れましたが、その代わり、強い風が吹き始めました。風がガスを蹴散らしたと言うべきなのでしょうか。風は雪を巻き上げ、リフトをときおり強く揺らしました。谷間から吹き上げる風を体に受けると滑走スピードが落ちてしてしまうほどでした。雨はやがて微細なあられに変わり、さらに雪になりました。午後は晴れ間が出もしました。しかし、上空の雲はいつも同じ方向に早い速度で動いていました。低気圧の圏内に入っていたのでしょうか。

 雪質のせいだと思いますが、滑り跡のないところに入ると足をとられ何度か転倒しました。積もった雪が雨にさらされ、水を含んで固まった状態です。圧雪ではないのでスキー板は雪の中に沈みますが、かたい雪が板の動きを邪魔します。私の技術ではそのような雪質をこなすことができません。同じ箇所を二度三度と挑戦してみもしたのですが、その度に転倒しました。総じて、今日は転倒が多い日でした。久しぶりに頭を打ちもしました(軽度ですが)。

 昼食は家で作ってきた弁当を車の中で食べます。昼に車のところに帰ってくると、隣の車でも二人が昼食の様子でした。ふと見ると、車近くの雪の上にビールジョッキがおいてあるではありませんか! 私も酒好きですが、この寒いのに屋外に近い温度の中でビールを飲む気はしません。でも、そのジョッキを見て、前回の SkiAgain へのにらさんのコメントを思い出しました。昼食時にビールを飲むと、それからは恐怖心が薄らいで上級コースのこぶも転倒せずに滑り降りることができる、という内容のコメントです。私はビールこそ飲みませんでしたが、にらさんのそのコメントを思い出しながら、急斜面を攻略しました。谷に気持ちを向けて(ショートターンのときは体も向けて)、谷への落下に心も体も背を向けないで、(もっと言えば、重力に逆らわずに、自然に、ということでしょうか)滑り降りました。結構いい感じで滑ることができました。それと、カービング・ターン[雪面をエッジで彫り込む carve ような仕方で曲がること]のこつも、なんとなくつかめかけた気がします。

 16時くらいになるとゲレンデもすいてきます。その頃には九州方面のバスが出発します。本州と九州の境界、関門海峡まで2時間半はたっぷりかかるでしょう。ついで16時40分には広島(市内)行きのバスが出発します。平日なのでもともとなので少なかった客がどんどん少なくなってきます。この時間帯になると、赤いユニホームのインストラクターたちが集団で滑降し始めます。やはり彼らは上手い! 最後にリフトに乗ったのが16時55分。今日最後の滑りを惜しみながら楽しんで、車のところに戻ると、営業終了の放送がありました。
SkiAgain:2009-02-14(土) (春一番が通りすぎたゲレンデ)
投稿日:2009-02-16(月)

 昨日、2月13日(金)は春一番が吹き荒れました。当地では、一昨年に比べて1日早いそうです(昨年は春一番はやってこなかった)。そのため気温が一気に上昇、さらに夕方から夜にかけて雨が降りました。私は、今年8回目のスキー遊びを翌日に控え、スキー場の雪を思ってやきもきもきしていました。

 今日の遊び仲間はいつもより多く、私たち《子連れ狼》に子どもの同級生二人と、そのうち一人のお父さんが加わりました。総勢、子ども三人と大人二人。二台の車は高速道のサービスエリアで待ち合わせて、スキー場に向いました。行き先は、今冬第三回目のスキー遊びと同じG.K.スキー場。

リフト
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6人乗りの高速リフト。標高差450m を、1120m 余りの終点に向かって上る。
 出発前にスキー場のホームページでゲレンデ情報を確かめたところ、全コース滑降可能、となっていました。たしかに滑走可能ではありましたが、昨夜の雨のせいでしょう、雪が消えて地肌が出たところが目立ちました。ゲレンデの雪はいわば《夏のかき氷》状態。スキー板に対する抵抗が大きく、膝に負担がかかりました。でも、地上の悪条件とは対照的に、リフトで受ける風は心地よく、前回まで寒風や雪に凍えていたのが嘘のよう。まさしく春スキー・モードでした。

 子ども三人は三匹の小犬のように雪遊びを楽しみました。大人二人は子どものサポート役。三人は技術レヴェルの差はあるものの、一緒に上級コースから滑降。初級レヴェルの子どもも果敢に滑り降りては転倒し、何度もスキー板を外しました。それでも、運動好きな子ども(三人とも同じ野球部仲間)なので、臆することはありません。むしろ、そんな滑り(転倒?)をみんなで楽しんでいる様子でした。

 シーズン当初は一人でも雪遊びに行くつもりでしたが、今日までの8回、いつも仲間がいました。ひとりで黙々と滑るのもいいかもしれませんが、つるんで滑るのも楽しいものですね。今日は仲間も増え、その分いっそう楽しくなりました。《手継楽》ですかね( >> にらさん)

コロッケ屋の前で
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コロッケ屋の前で。18時すぎ。
 県北西部のスキー場に行ったときの帰りにはいつもTogouchiインターから高速道に入ります。それが最寄りのインターのひとつだということもありますが、じつは、インターに入る前に、すきっ腹をいやすためでもあります。インター入り口近くの沿道に食べ物屋が何軒か並んでいて、そのなかにコロッケ屋があります。初めてその前を通ったとき、スキー帰りの若者たちが群れていました。近くの公衆トイレに行ったついでに様子を見に行くと、店の前では炭火で焼きとりがあぶられ、中には揚げたてのコロッケが並べられていました。コロッケを食べると、スキー場帰りのすきっ腹と冷えた体においしいこと! さらに、その店では温かい味噌汁が無料。これもまたおいしい! それ以来、そこを通るたびにコロッケを食べることにしています。今日は子どもたちは味噌汁を二杯も飲んでいました。
SkiAgain:2009-02-11(水) (通勤ラッシュ? いや、スキー場ラッシュ。)
投稿日:2009-02-12(木)

 県内ないし隣県のスキー場にアクセスするにはChugoku自動車道を利用します。自宅の最寄りのインターチェンジからSanyo高速道に入ると、しばらくしてその自動車道への分岐に差しかかります。今日はそちらへ分岐していく車が多く見られました。多くはスキー場に向かうとおぼしき車です。しかも、追い越し車線を急ぐ車が目立つのです。今冬になって休日(日曜日)にスキーに行ったのは三度ありますが、こんなに車が多かった日は記憶がありません。不思議な気持ちになりました。時計見ると8時過ぎ。ああ、そうか! 今日は週半ばの休日です。勝手な想像ですが、これらの車は、時間からして、出勤モードで家を出てきたのではないでしょうか。そして出勤モードでアクセルを踏んでいる… スキー場に着くと駐車場はすでに車であふれていました。すると、高速道で私の車を追い抜いて行った車は出勤モードではなく、遅刻すれすれモードだったということでしょうか。遊びモードのときにも、日頃の行動パターンがつい出てしまうのかもしれません。

 今日は隣県のAsahi_tengu_suton(スキー場の正式名称はカタカナ表記)スキー場を雪遊びのゲレンデとして選びました。この"tengu_suton"という名前、おそらくは県境にある「てんぐ いし やま」(地名としては漢字表記)から来たのだと思います。このスキー場では、そのカタカナ表記を、英語では「十個の、良い、石たち」と表記していますから、言葉遊びとはいえ、なかなか考えた名前と思えます。

雪の初級コース
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雪の初級コース。
 昼間は雪だった。正確には、雪だったり、みぞれだったり、あられだったり、雨だったりした。午後の後半は晴れてきた。
 
 ゲレンデは混んでいました。家族連れも多く、初級コースでは、お父さんを先頭に、小さい子どもが続き、最後尾ではお母さんが子どもたちに「そこで腰を落として!」とボーゲンのターンを指示する微笑ましい光景も見られました。さながら雪の上をいく鴨の一家です。

 私は今日も《子連れ狼》(といっても子どもはもう《大五郎》のようには小さくありません)。スノボ3日目の子どもは午後は個人レッスンを受けました。うまくなりたい一心で自分から申し込んだのです。受講料も子ども負担(お年玉を振りあてた)。インストラクターは20代前半と思われるお兄さんでした。2時間、みっちりと指導してもらったようです(ちなみに、受講料は《樋口一葉》が二枚です)。そのお兄さん、高等学校までは野球(ポジションはサード)をやっていたそうで、その点でも、野球部の子ども(ポジションはショート)とうまがあったのではないかと思います。別れ際にはお兄さんから「野球もしっかりやれよ」と激励されていました。

 スノーボードはバインディング[ボードへ靴を締めつける金具]のセンティングから教えてもらったようです。レンタルのボードなので、セッティングが悪かったようです。そこで、レッスン前にセッティングをやりなおした、とのことでした。利き足はやや前方向なるよう金具をセットする、とインストラクターのお兄さんはレッスン後に私に説明してくれました。さらに、子どもにふさわしい金具の角度(両足それぞれ違う角度)をメモにして渡してくれました。基本をしっかりと教えてもらったおかげもあって、子どもはレッスン後、今までにましてうまく滑れるようになりました。子どもは個人レッスンに満足していました。


 私の方は、と言えば、相変わらず(低級スキーヤー)です。進歩と言えば、転倒する回数が減ってきたことぐらいでしょうか。今日は4回しか転びませんでした。頭部強打はなし。転び方がうまくなるのも、立派な進歩ではないでしょうか(笑)。リフトからうまい人の滑りを見ていると感嘆しますね。動きとスピードもさることながら、滑ったあとに残るシュプールまでも美しい。二本のレールのような跡が残ります。ターンしたところでもシュプールはぶれていません。私などはまっすぐ滑ったつもりでも、二本のスキー跡がそれぞれに曲がっていますし、ターンしたところなどは横滑りの跡しか残っていません。私はいつになったらあのような美しい滑りができるようになるのでしょうか。まあ、年齢から考えると一生無理でしょうが(笑)

営業終了間近のゲレンデ
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17時のゲレンデ風景。上級コース。画面には見えないが、まだ沈まぬ夕日が左側にある。
 今冬最初のスキー遊びは冬至だったが、その頃は17時になると日は沈み暗くなりかけていた。ゲレンデには照明が灯ったほどだった。しかし、いまは明るい夕日が残っている。その日差しに春が近づいているのをはっきりと感じる。今冬の雪遊びは終盤に入った。
 いつものように営業終了まで滑りました。来るときから分かっていたのですが、車の燃料が少なくなっていました。自宅にたどり着けるかどうか不安になるくらいの量でした。高速道路のサービスエリアで給油することはできますが、できれば高速に入る前にやっておきたい、と走りながらガソリンスタンドを探していると、JAのサービスステーションが見えました。ガソリンスタンドに入っていくと、建物に電気はついていて人の姿は見えるのですが、こちらを見ても動きが緩慢です。ためらっているようにも思えました。やっと出てきた年配の女性が「車にガソリンはもう残っていませんか。いま電気を落としたところなんですよ」。営業を終了しようとしたところだったのです。「もうないんです」と私。その人は建物の中にいた人に合図をして電気を入れました。「いま電気を入れましたから、少し待ってください」と女性。燃料タンクを満杯にしてもらいました。私は車を出す前、女性に「どうも済みませんでした」と挨拶しました。するとその女性「いやいいですよ。どうぞお気をつけてお帰りください」と挨拶を返してくれました。不機嫌な態度をとられても仕方ないのに、いやそもそも、営業は終了しました、とつっけんどんに追い出されても仕方ないのに、心なごむ言葉でした。

 遊び疲れ、満ち足りた気持ちで、高速道の暗闇のなか家路を急ぎました(といっても、途中のサービスエリアで、子どもとラーメン一杯を分け合い-たくさん食べて夕食が進まないと、シェフに不機嫌な顔をされますから-、減った小腹[大腹?]を満たしましたが)。
村便り:2009-02-08(日) (春をはらむ大気)
投稿日:2009-02-10(火)

定植タマネギ

 タマネギは昨年11月終わりに定植することができなかった。2月には普通、昨年定植したときに小さすぎたため苗床に残しておいたものを定植する。ところが、今年は、昨年やるべきだった定植をごっそり2月に延期することになった。厳冬をすぎ2月になるとタマネギの根が動き始める。その前に定植したい。すると2月始め、目安としては立春である。そこで昨日、やることにしていた。

 ところが昨日の朝食時、子どもが、今日はマラソン大会だ、と言った。学内マラソン大会ではOota川の堤防を走る。そこで予定を急きょ変更して午前中は、何百人もの生徒たちが走る姿を見て過ごした。半日ではタマネギの定植はできない。結局、予定していた定植はお流れになった。

 タマネギの定植日を決めるために、これからのスケジュールを検討してみた。サラリーマン稼業の方では、2月はスケジュールの詰まった月である。後期の授業(と試験)は2月上旬に終了するが、それからは、試験やレポートの採点、卒業論文の審査、入学試験等と期限の切られた仕事が続く。プライベートな予定も考えると、タマネギの定植は、今やっておかないと、2月後半にずれ込む。しかし2月後半ではいくらなんでも遅すぎる。今日は職場の日帰り親睦旅行であったが、正式なエントリーはしていなかった(気が向いたら参加します、なんて曖昧な返事をしておいた)ので、旅行はキャンセルして、タマネギの定植をやることにした。

 そう決心すると、野良に向けては気持ちが渋りがちなこの頃なのに、なぜか気持ちがすくと畑に向いた。立春を過ぎた光の明るさと、寒さのゆるみがそうさせるのだろうか。


 作業は、午前中は畝の耕耘、午後に定植という手順で行った。

タマネギ畝
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タマネギ畝。耕耘前。電気柵用のポールより右は他家の畑。
 
タマネギ定植
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定植したタマネギ。
左側、手前の草の生えている畝は自然畝。
 畝は11月に施肥、耕耘しておいたところで、草が生え始めていた。施した肥料は発酵鶏糞とサンライム(牡蠣殻石灰)だったので化学肥料のように流亡はしていないだろうが、再度おなじ肥料を軽めに施した。冬の間は、畑の土は晴天続きでも湿り気を帯びている。そのため、耕耘機でかき回すと、土を捏ねてしまう。深く鋤き返さないように調整したが、それでもやはり土は捏ね気味になった。

 冬はいつも着ている薄いジャンパーはつけないで作業をしたが、汗ばんできた。大気はすでに春をはらんでいた。

 午後だけで苗床の苗をすべて定植することはできない。大きいものを選んで、普通タマネギを300株、赤タマネギを100株定植した。株間は、11月に植え残した小さい苗の場合は密植するが、今回は条間30cm、株間12cmの(私流での)普通の規格に設定した。

 残り苗を定植する場合は肥料は元肥だけだが、今回は3月初めに追肥してやろうと思う。しかし、どのくらいの収量になるか、今年が初めての試みゆえに、見当はつかない。小振りな玉になるのは間違いないが…ともかく、これで心にかかっていた作業のひとつが片づいた。
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