てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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自然農法爾

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2009-10-02(金)  村便り:2009-10-02(金) (自然畝を《壊す》)
 不除草が自然農法の原則のひとつだから、自然畝には草は生えている。その草を必要に応じて刈り敷いて管理する。しかし、多年草が生えると...

 不除草が自然農法の原則のひとつだから、自然畝には草は生えている。その草を必要に応じて刈り敷いて管理する。しかし、多年草が生えると始末に悪い。種で畑にやってきて地下茎で繁殖するものには、根を縦横にのばし、茎が硬く背が高くなるものがある。セイタカアワダチソウ、ヨモギ、〇〇[名前が分からない]がそうである。また太い根を地中深くまで伸ばし、その根がある限り生き延びるものがある。スイバがそうである。背は高くはないが、密集して増殖するものもある。ノギク[?]がそうである。メヒシバも長年耕さない畑に侵入してくるが、地下茎で繁殖するので、畑周辺からじわりじわりと入ってくるので、侵入は比較的阻止しやすい。いくら草を敵にせず、と言っても、多年草は種類によっては野菜栽培に支障をきたす。しかし、不耕起も原則だから、多年草がいったん畑に入ると駆除するのがむずかしい。根まで取り除きながら一本一本処理すればいいが、実際には、そんなことはできない。そこで、思い切って、自然畝を更新することした。


自然畝の草刈り
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自然畝の草刈り(2009年9月6日)。
 向こうの建物は、隣家の納屋。
 
自然畝の耕耘
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自然畝の耕耘(2009年9月19日)。
 >ネットが被覆してあるところは、隣家の畑。その手前、耕耘中の畝の両端にウリ類が支柱にからまっているが、左はキュウリ、右はニガウリ。キュウリの手前は、草のなかにトウガンがまだ《生きて》いる。ニガウリの手前は瓢箪形のカボチャ(バターナッツ)があったが、もう《あがっ》てしまっている。
 
自然畝の畝立て
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自然畝の畝立て(2009年9月19日)。
 わが家の畑は、屋敷の前、横、裏に合わせて一反ほどがある。現在、自然畝があるのは、横と裏の畑である。それぞれ半分弱が自然畝になっている。畝の数としては横の畑で5条、裏の畑で6条。今秋から各々の畑で1条ずつ更新していくことにした。更新は、私の心づもりでは、一年ほど慣行畝(ただし有機農法)として使ったあと、ふたたび自然畝に戻すやり方でおこなう。すると、慣行畝である間に何度か耕耘することになるので、多年草は駆除できる、という算段である。

 自然農法に転換して8年の畝は、まず草を草刈り機で払った。土の表面は枯れ草で覆われている。刈った草と枯れ草を片づけて、耕耘機で土を返した。自然農法をはじめて年数がたつと土はやわらかくなる、と読んだことがあるが、実際には慣行畝の方がやわらかい。初夏にトマトとかピーマンとかを定植するときは、小型のスコップで踏み込んで植え穴を作るほどである。いまは秋の始め、畝が乾燥していることもあるが、鍬で起こすのは難儀なほど土は硬かった。耕耘機で耕すと、草の根っこがごろごろと出てきた。慣行畝の土は細かいが、自然畝のはぼろぼろしている。団粒組織とはこんなものか、と思う。

 更新を始めた自然畝のうち、一条は秋ジャガを定植した。秋ジャガのあとはタマネギを定植する予定である。草の生え方はやはり慣行畝より早い。ニンニクも芽を出し始めた。このニンニクは、もともと薹のさきにつく種球から育ったものである。もう一条(画像の慣行畝)は、年明けてから収穫するキャベツを定植した。残ったところは、広島菜を定植する予定である。

 いまは、「自然畝5、6年 → 慣行畝1年」という自然畝のサイクルを考えている。このサイクルで作物をどう組み合わせていくか。私にとって、自然農法の新しい経験のはじまりである。
2009-02-24(火)  村便り:2009-02-21(土) (野良の現実に戻る)
管理:[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの追肥管理:ワケギの除草と追肥 午前中は野球の練習試合を観戦し、畑には午後にや...

管理[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの追肥
管理ワケギの除草と追肥

 午前中は野球の練習試合を観戦し、畑には午後にやってきた。昨日は雪遊び、今日は野良仕事。風景も変われば、気持ちも変わる。野良に出ると《現実》に戻る。雪遊びは楽しいばかりだが、野良はそうはいかない。春を前にやるべき仕事を考えるとため息さえ出る。あせっても仕方ない。ひとつひとつ片づけていくしかない。

 田んぼには去年秋、脱穀して残った藁がそのまま置いてある。藁は切断し、田んぼに鋤き込む。作業は、理想的には、年明けまでにやる。遅れると、藁の腐熟が進まず、田植え後に地中に埋まった藁からメタンガスが発生することがある。経験からすると、いくら遅れても三月には藁を鋤き込まなければいけない(*)。そこで今日はまず、藁の裁断機のエンジンをかけてみた。最後に使ったのは、去年の三月、踏み込み温床を作るときだから、一年近く動かしていないことになる。機械からガソリンはきれいに抜いていたので、再びガソリンを入れると一発で始動。(ガソリンは入れたまま長い間放置しておくと《腐っ》て(《腐る》と臭いが変わる)、エンジンが始動しなくなる。すると洗浄が必要になる。)
(*)昨シーズンの記録によれば、藁を裁断したのは二月初旬、耕耘をしたのは三月の前半だったから、それに比べると今シーズンの作業は遅れている。



黒豆
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キュウリの支柱にぶら下がった黒豆。
 休耕田に作った黒豆は、いったんは稲を脱穀したあとの稲架に掛けておいたが、それから屋敷横の畑(自然畝)で下げておいた。この画像は去年の大晦日のもの。
 
キャベツの追肥
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キャベツの追肥。
 発酵鶏糞を一握り、株のまわりに撒いた。
 
 ついで、黒豆の整理。黒豆は、去年から畑のキュウリの支柱に下げたまま野ざらし状態だった。いまさら鞘を叩いて豆を取り出す気がおきない。廃棄することにした。焼いて灰にするか、田んぼに捨てる(つまり、肥料にする)かまだ決めてないが、当面畑に転がして置くことにする。ネズミか鳥の餌になるかもしれない。

 自然畝に定植したキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーは活着したものの、まだ小さいままである。老化苗を植えたので順調に大きくなってくれるかどうか分からないが、暖かくなるまえに追肥してやろうと思っていた。防蝶・防鳥ネットを外して、発酵鶏糞を施した。ブロッコリーはすべてが小さな花蕾をつけていた。これがはたして大きくなるのだろうか。《ブロッコリーの盆栽》という言葉がふと思い浮かんだ。老化した矮小苗でブロッコリーのミニチュア栽培、ということである。自然畝では適期栽培が原則である。季節にあわなかったり、定植期が遅れたりすると、うまく育たない。ブロッコリーとカリフラワーはミニチュアにしか育たない予感がする。



ワケギ
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ワケギの除草が半分終わったところ。
 畝の左側のワケギはまだ草に埋もれている。
 
ワケギ
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除草を終わり、追肥したワケギ。
 肥料は化学肥料を使った。生育期が始まるので、できるだけ速く効かせたいため。
 最後に、ワケギの畝を除草して、追肥・中打ちをした。ワケギは昨秋、植えてから一度は除草しただろうか。いまは草に埋もれながら育っている。ワケギは春の貴重な野菜である。できるだけ大きくして食べたい。(ここを書きながら思い出した。去年は久しぶりにアサツキを植え直した。そのアサツキ畝も除草してやらなければならない!)ワケギ畝の隣はダイコンがある。このダイコンは十月に種まきしたもので、九月中旬播きのダイコンが薹立ちする春先に収穫しようと思ったもの。それも草に埋もれている。私の畑では、種まきしても間引き、除草、追肥の手がまわらなく、大きく育たないことがしょっちゅうである。ダイコンにしてもニンジンにしても間引かなくては大きくはならない。言わば《間引くのが肥》。その《肥》を昨秋はしてやれなかった。ダイコン畝を見ると、また食卓に出てくるニンジンの太さ(というより細さ)をふと思うと、悔しい。蒔いただけはきちんと収穫したい。今年はどうなることか。

 17時のサイレンが鳴った。もう一息で除草が済む。サイレンを機に仕事はやめるつもりだったが、それからもう30分、冷えてきた夕刻の外気を感じながら除草を続け、追肥・中打ちを終えた。
2009-02-06(金)  村便り:2009-02-01(日) (野良に出れば鬱陶しさは風に吹き飛ばされる)
定植:[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー管理:早生ニンニクの追肥 どうしても家を出る時間が遅くなる。気持ちが野良に向か...

定植:[自然畝]キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー
管理:早生ニンニクの追肥


 どうしても家を出る時間が遅くなる。気持ちが野良に向かって動かない。寒のせいだけではない。農地から離れたところに住んでいると、農耕が見えないため観念の対象になってしまうからでもある。いったん否定的な考えが生まれると、観念になった農耕はその考えに蝕まれてしまう。


 今日の作業予定はキャベツ、カリフラワー、ブロッコリーの定植と、早生ニンニクの草取りと追肥。

花蕾のついたブロッコリー
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花蕾のついたブロッコリー。
 苗のまま生育が進んだブロッコリーにはすでに小さな花蕾が見えるものもあった。はたしてこの花蕾が大きくなるか… まあ、ものは試しである。
自然畝に定植したキャベツ類
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自然畝に定植したキャベツ、ブロッコリー、カリフラワー。
 畝の中央線上に4本、細い緑のポールが立ててある。そのポールを目印に、長い緑のポールが中央線上においてある。このポールは物差しであり、5cmごとに印がしてある。株間を決める目安とする。
 キャベツは昨年10月11日にベランダでポット育苗を始めた。2月に入ってからの定植を予定していたが、暖かかったせいか年内に生育が進みすぎた。年末には定植できる大きさに生育していた。しかし私は冬のずぼらにとりつかれ、苗をベランダに置いたままにしていた。

 一昨日だったか、ベランダにカラスが来る、と家族が言った。ベランダに干しておいた野菜クズのせいだ、と原因を説明した。カラスが来たのを見たわけではない。ベランダの手すりのすぐ下に大型の鳥の糞とおぼしきものがいくつか落ちていた。今までになかったことだが、私も、怪訝に思いながらも、鳥はカラスだと思った。

 昨日、私は苗の状況を詳しく観察した。すると鳥がついばんだ跡がある葉っぱがあった。この跡から考えるに、鳥はカラスではない。ヒヨである。野菜クズを狙ったのであれば、ベランダ内に入り、したがって糞はベランダ内に落ちているはずである。だから、ヒヨはベランダの手すりの下に止まり、そのすぐ近くの苗を狙った、と思われる。幸い、被害を受けた苗は3、4株だった。

 キャベツ類は、生育状況からしても、ヒヨの飛来からしても、定植は猶予ならなくなった。

 観念となった農耕から排斥力を感じながらもようやく畑に到着したのは昼過ぎだった。まずキャベツ類を自然畝に定植した。この畝は昨年初夏にそら豆を収穫したあと遊ばせておいたところ。刈り払い鎌で背の高い枯れ草を処理してから定植を始めた。作業をしながら気づいたことだが、この畝には冬の初めに米ぬかを散布した。そのぬかがまだ完全には分解せず畝の表面に残っていた。定植と同時に米ぬかと発酵鶏糞を株まわりにまく予定だったが、それを見てやめた。今でなくとも、活着してしばらくして発酵鶏糞を施せばいいだろう。定植したあとは、蝶害と鳥害の防止のため、防虫ネットをトンネル状に被覆した。



 早生ニンニクは昨秋あたらしい品種を植えた。種苗カタログによると、葉ニンニクとし使え、ニンニクの芽も収穫でき、小粒だがむろんニンニク球としても使える、というものだった。葉ニンニクとして食するには、厳冬期がすぎて生長を再開するまでに施肥していた方がいい。寒のころ施してやるのがいいのだろう。先日、妻がニンニクがなくなった、と言った。昨夏は収穫量が少なかったためだ。そこで早生ニンニクのことを思い出した。

早生ニンニク
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除草、追肥、中打ちをしたあとの早生ニンニク。
薹の立ったロケット
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ロケット(ルッコラ)。
 畑の一角には自然生えのロケットがある。そのロケットにもう薹がたち始めていた。晩冬のなかに、もう春が始まっていた。
 ニンニクは(早生も普通のものも)、植えてからの世話は一度、冬前に中打ち[中耕]しただけだったので、草の中に埋もれていた。施肥するにはまず草取りをしなければいけない。そこで、昨日から始めたが、早生ニンニクの畝はまだ半分しかすんでいなかった。今日はその続きをやり、追肥をした。発酵鶏糞にするつもりだったが、もうなくなっていたので、化学肥料を使った。発酵鶏糞も効きは早いが、化学肥料の方がもっと早いだろうから、遅れ気味の追肥にはいいかもしれない。

 早生ニンニクの続きには、普通ニンニク、エシャロットが植わっている。ついで、そこの草も取りはじめた。いつものことだが、いったん野良に出ると、それまでは動きたがらなかった心がなめらかになる。心の方から変わるのではあるまい。観念だった農耕が現実のものになり、現実にふれあい反応しながら体が動くと、観念の世界は消えてしまい、心も体と一緒に現実に向かう、ということなのだろう。

 やがて5時のサイレンが近くの小学校の方から鳴ってきて、帰り支度を始めた。
2006-10-02(月)  自然畝での夏野菜:ナス
自然畝での夏野菜の栽培記録。ナス篇。

自然畝での夏野菜の栽培についてまとめておこう。まずはナスについて。

一回目の定植-穴施肥-
ナスは例年通り、踏込み温床で自家育苗した苗を二種類定植した。最初のナスは3月9日に7cmポットに播種し、4月30日に12cmポットに鉢換えして、6月6日から18日かけて定植した(定植時期は一番花の蕾がふくらみかけた時)。元肥は穴施肥とした。記録するのは忘れたが、ピーマンなどの施肥記録からすると、発酵牛糞や発酵鶏糞を併せてカップ1杯から1.5杯施したようである(カップはプラスチック製の汁茶碗で、発酵鶏糞1杯は重量にして500g程度)。

定植したナス
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一回目に定植したナス(6月24日)。元気に生育している。

しおれたナス
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しおれたナス(6月24日)。写真には4株見えるが、結局全部抜いてしまった。(その後には、次に報告するピーマンを定植した。)

収穫が続くナス
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順調に生育する長ナス(9月7日)。この畝は、前作としてソラマメを栽培していた。「しおれたナス」の写真の左後方に収穫の終わったソラマメが見える。
定植した苗が肥あたりした!
定植してまもなく雨が降った。雨が上がるとしおれている苗が何株かあった。最初はまだ活着していないので水不足かと思い灌水した。しかし、朝は元気そうに見えるが日中しおれることを繰り返し、元気を回復しなかった。そのうち、肥料あたりしたのではないか、と考えなおし、その仕組みを次のように推測した。

わが家の畑は20cmから30cm掘ると赤土層になる。そこからは水が滲みにくい。だから、雨が降ると作土に滲みた水は赤土層のところで止まり、今度は傾斜にそって流れる。植え穴は赤土層まで掘って、底に肥料を入れて土と混和し、その上に2、3cmの間土を載せて苗を定植した。すると、雨量が多いと赤土層あたりで肥料分が高濃度に溶け込んだ水が滞留する。その水が根に作用して肥あたりを引き起こす。

ナスの元肥を穴施肥するのは、去年、二カ所で試みてうまくいった。一カ所は収穫用のなすである。今年の畝よりは作土が深いところを耕耘機で耕耘して畝を作り、肥料は化学肥料を使った。したがって、植え穴は今年よりも若干深く、また、水は滞留しにくく、さらに化学肥料は流亡しやすいために、肥あたりがおきなかったのだろう。もう一カ所は、苗2本を試験目的で定植して様子を見た。畝土の状態や気象条件が今年と違うためか、この苗も肥あたりの被害はなかった。

肥あたりした苗(8本定植したうちの4本)は抜いてしまったので、その後の経過は不明だが、活着した苗は元気に育った。

二回目の定植-置き肥-
二回目のナスは、4月7日に播種し、5月16日に鉢換え、6月28日から7月15日にかけて定植した。このナスは、最初のナスの勢いが衰えた頃から実をつけ始め、秋まで旺盛に実をつける。(最初のナスも切り返し[7月終わりから8月始めにかけて枝を三分の一から二分の一に切り縮める剪定]をしてやれば、長続きするのだろうが、二番目のナスを作っているという安心感があるため、ついつい切り返しを怠ってしまう。)一回目のナスで失敗したので、今回は元肥は定植したあと、株の近くに発酵鶏糞をシャベル1杯を置くだけにした。すると、定植に手間があまりかからない。小さな穴を掘って苗を入れ、肥料を置くだけの手間で済むからである。しかし、活着後の生育が心配だった。肥料は灌水したり雨が降ったときに少しずつ土に染みこんで根に供給されるだけであり、肥料分が不足するかもしれない、と考えたからである。

事実、始めのうちは花のつき方に(したがって、実のなり方に)勢いがなかった。しかし、ある程度時間がたつと、旺盛に花がつきだした。ただ、実の肥大具合をみるとやはり比較的緩慢のように思われた。それでも時間が経つと満足できる大きさにまで成長した。なお、定植後、二度、発酵鶏糞で追肥を施したが、施した肥料は総量としては少ない(*)。
(*)慣行栽培の場合、元肥を施し、さらに二週間に一度の頻度で追肥する。追肥に化学肥料を使えば、即効的に効く。ちなみに、発酵鶏糞は有機肥料しては即効性である。

ナス栽培の失敗体験
じつは、今年ナスを定植した畝は、自然畝に転換した最初の夏にナスを定植し失敗した畝であった。当時私は自然農法についての経験はなく、知識は本で読みかじっただけのものだった。栽培記録は残していなから記憶から当時を掘り起こしてみると、肥料は定植した場所から20cmほど離れたところに穴を掘り鶏糞(《発酵》鶏糞ではない)を入れた。定植してからの管理は時折草を刈るだけだった。今は天候と草勢をみて水やりをするが、当時はそれはしなかった。生育に勢いがなかったナスはそのうち草に埋もれて消えてしまった。収穫はほとんどなかった。それ以降、ナスは慣行畝で栽培してきた。

それから6年後の今年、同じ畝でナスを栽培する計画したとき、その苦い記憶がよみがえってきた。しかし、ピーマンは自然畝で十分な収穫があげられるようになり、また、ナスも去年の試験栽培でうまくいくとの感触を得たので、今年はうまくいくだろう、と予想していた。ただナスは比較的肥料分を要求するので、相応の元肥は必要と考えていたが、肥あたりで変則的な元肥しか施せなかった。しかし、結果は、成功といっていいだろう。

地肥、縦横に張る根
この結果は、理由をどう分析すべきだろうか。

ナスは大苗を定植することもあり、天候次第では活着がスムーズにいくよう灌水してやる。また、ナスは水分を要求するので、収穫が始まっても乾燥するようだと、灌水してやる。この点には配慮した。自然農法といえ、多少の手助けは必要であろう。
肥料に関して言えば、畝の状態によってある程度の施肥はするようにしている。今回の場合、肥料は予定していたほどには施せなかった。しかし収穫は予想を上回った。その理由として考えられるのが、ナスは肥料分をもとめて根を縦横に伸ばし、畝の地肥(こんな表現はないだろうが、畝自体が保有している肥料分の意味で造語した)を吸い上げた、ということである。地上部の緩慢ではあるが着実な生育が、この推測の根拠になろう。地肥について言えば、畝は自然畝に転換して6年目であるから、自然に肥えてきているはずである。
2006-09-27(水)  自然畝への転換
慣行畝を自然畝に転換した。そのやり方を報告する。

最近、慣行農法で耕作していた畝を自然畝[自然農法で耕作する畝]に転換した。慣行畝から自然畝への転換は、「自然農法爾」の二番目の記事で、五年前に書いたことがある。当時のやり方は、秋に慣行畝で最後の作物を栽培して、そのまま翌春から自然畝にする、というものだった。今回は、転換したシーズンからただちに作付けをするつもりで、慣行畝を自然畝に転換した。この記事では、そのやり方を簡単に報告する。


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 耕耘して整地した畝に、向こう側から草を敷いているところ。
 畝の左右は自然畝。左側は去年、転換したばかりの畝で、右側は転換して六年目の畝。表面に土が見えるのは、新しい畝との境の溝を掘りあげたとき、あげた土を載せたため。
 左の自然畝のさらに左側は慣行畝。6月初旬にタマネギを収穫してから放置していたためエノコログサ主体の草が繁茂したが、その草を刈って燃やした。画像の左上に黒い塊が見えるのは、灰。
 黒いビニールマルチが敷いてある畑は他家のもの。

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 草を敷き終わった畝。
 草のうえには、燃やした草の灰が撒いてある。
畝作りして表面に草を敷く
問題の畝は、直前まで慣行栽培を行っていたわけではなく、去年の5月に落花生を植え付けたあと管理を怠っていたところである。落花生は発芽がよくなかったうえに、発芽したものも草の中に埋もれてしまい、結局、収穫をあきらめた。去年の秋、草だけは刈り、畝に敷いておいた。それからは草は生えるままにしておいた。両隣は自然畝なので、その畝も自然畝にするつもりであった。しかし、落花生を栽培したとき、元寄せをしたので、畝の表面が凸凹になっていた。そこで一度、畝を作り直して自然畝に移行しようとおもい、9月21日に耕耘して畝作りをした。

畝にはムカシヨモギがたくさん生えていた(土地の植相によるのだろうが、自然畝に転換すると最初はムカシヨモギが畝の優勢雑草になる)。そこで草は草刈り機で刈り払い、燃やした。ムカシヨモギの茎は枯れると硬くなり、それが畝にたくさん転がっていると作業がやりにくいからである。それから、耕耘機で土をひっくり返し、畝を作った。二年間、草が生え鍬を入れなかった畝なので、土をひっくり返すとミミズがところどころに出てきた。

表面は草などで覆う。別の区画の畑に、秋の植え付けをするために刈り払った草が積んであった。その草を運んできてたっぷりと畝に敷いた。草はエノコログサが主体である。むろん時期的にエノコログサの種は熟している。だから、畝に敷くと同時に、エノコログサなど草の種を蒔いたことになる。

自然畝には雑草の種を「蒔く」
自然畝に転換した最初のうちは、意外なことだが、雑草はさほど生えないものである。慣行畝の時代に草取りを励行したおかげで、畝に草の種が少ないからである。ところが、自然畝は草が繁茂し、しかも畝の表面は常時、枯れた草に覆われるようにならないと作物はうまくできない。慣行畝時代の管理によるが、私の経験からいうと、自然畝が成熟しはじめるまでに三年はかかる。いかにも自然畝といった風情になるのは、五年くらいかかる。草との共生栽培だと頭では分かっていても慣行農法時代に身についた習性はなかなか消えない。だから、自然農法を始めた当初は、畝に種のついた草を入れるのはためらわれた。しかし、自然畝の成熟を考えれば、積極的に雑草の種を蒔いてやればいいのである。たとえば、初夏には、種のついたカラスノエンドウを、それが生えていない畝に入れてやる。すると、秋には発芽し、春には繁茂する。豆科の植物だから畝を肥沃にする効果が大きい(と思う)。

モグラの穴で枯れたそら豆
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モグラが根元にトンネルを掘ったために枯れたそら豆(2006年5月)
 そら豆が萎れていた。最初は原因が分からなかったが、根元を見るとモグラの穴があいていた。我が家の畑にはモグラがいる。とりわけ自然畝は餌が多いので、畝のなかをモグラが縦横にトンネルを掘っているようである。作物の定植穴を掘ると、トンネルが見えることもある。しかし、トンネルのせいで作物が枯れる例はほとんどない。
ただ、草の種でも、多年草は入れないようにしたほうがいい。種類によるが、一度入ってしまうと、頑固に居すわって優勢雑草になり、始末におえなくなる場合がある。たとえば、ヨモギやチガヤがそうである。(やっかいと思える多年草とも共生できるかもしれないが、現在のところ、私は《迷惑》多年草には、畝からお引き取りねがっている。)


枯れ草に覆われていると、素人の大雑把な観察であるが、その下ではいろいろな生物が棲息する。裸の慣行畝よりも、当然のことながら、自然畝には生物が多い。耕耘機で土をひっくり返した時とばっちりを受けて土の表面に掘り出されたミミズも繁殖するはずである。むろん、ミミズなどを探して、モグラもやってくる。モグラの穴掘りのせいで萎れた野菜が出ることもある。


さて、この転換畝には、今秋、実エンドウを蒔く予定である。最初に植え付けする野菜としてはあまり肥料を要求しないものがいいだろう、と考え、エンドウを選択した。結果は来夏、五月下旬をお楽しみに!
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