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村便り:2008-03-12(水) (エシャロット。エシャロット!)
投稿日:2008-03-14(金)

播種:エシャロット

 早朝出勤で始まった業務が終わったのが15時ごろ。早めに退出して畑に向かった。エシャロットを定植するためである。

 エシャロットの植付けは今年で3年目である。1年目は、種はフランスから友人に送ってもらったものを使った。2年目は、自家採種したもの。そして3年目の今年も自家採種したもの。初春に植えて7月に収穫したものは、翌年の春になると半分は腐ってしまう。そこで、昨年、近縁種のワケギにならって、秋(9月15日)に植えてみた。8球植えたが、秋のうちに芽が出たのは2球ほど。期待に反して発芽率は低く、しかも生育も芳しくなかった。そのうち草の中に埋もれてしまい、冬の間は消息を確かめる気はおきなかった。

エシャロット、種
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種になるエシャロットの球を選り分けたもの。
 念のために…このエシャロットは、日本で同名で栽培されている早採りのラッキョウではない。《本物の》エシャロットである。
エシャロットを植える
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エシャロットを植えているところ。
越冬したエシャロット
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草の中から姿をあらわした、越冬したエシャロット。(撮影は翌日。)
 今日は残った種を昨春同様に植えてみることにした。種は、やはりかなり腐っていた。利用できるのは、腐りかけたものも含めて13球。しっかりと硬いものもあれば、腐ってしまっているものもある。同じところで栽培したので、どうしてこう保存性の違いが生じるのか分からない。タマネギには、保存性が違う品種がある。保存期間が長いのになると、6月始めに収穫して3月までもつ。すると、エシャロットが収穫後6カ月あまりして腐ってしまうのも納得できないわけではない。でも、腐らないで残った種を植え続けることによって保存性のよいものに改良できるのでは…などと期待してもみる。でも本家(フランス)ではどのような栽培をしているのだろうか、実態を知りたいとも思う。

 植付けを終わると薄暗くなった。昨秋植えたエシャロットが気になったので、確かめてみることにした。去年発芽していたものは草の中から葉っぱをのぞけていた。8球のうちいちばん端に植えたものである。30㎝間隔に植えたので、そこを起点として、一球ずつ消息を確かめてみることにした。草を鎌で丁寧に削ると、ひとつ、またひとつと短い葉を伸ばしているエシャロットが出てきた。結局、8球すべてが冬を越して生きていた! 葉先が枯れているのも多かったので、おそらく秋のうちに発芽して越冬したものと思われる。一列に並んだエャロットの葉を見ると、もしかしたら、という期待がふくらんだ。昨秋植えたときは冬になるまでに収穫するつもりであった。越冬すると薹立ちの危険があると本には書いてあったからである。しかし、小さい草姿を見ると、薹が立たないかもしれない、とも思えた。もしかすると夏まで生育を続けて収穫できるようになるかもしれない。ひどく嬉しい気分になった。
村便り:2008-03-08(土) (鎌の刃のつき方、温床作り)
投稿日:2008-03-14(金)

 そろそろ温床を準備しなければならない。

 今まで、一回目の踏み込み温床での育苗は3月初旬にはじめていた。温床での温度は、踏み込んで三日ぐらいすると急に上昇するが、一種間ほどすると落ち着く。しかし、3月初旬はまだまだ寒い。だから夜間は、発芽まで、育苗箱には藁コモを、温床を覆うビニールのトンネルの上にもムシロを、被せたりする。それでも、ナス、トマト、ピーマンなどは、必要な温度が確保できないためか、なかなか発芽しない。それに対して、4月初旬に育苗をはじめる二番目の温床では、同じものでも発芽が比較的早い。こうした経験から、電気温床とは違い、発酵という自然の営みによって温度を確保する踏み込み温床は、外気温を無視してはうまくいかないのではないか、と判断し、今年は、育苗開始を中旬に遅らせることにした。

草取り用鎌
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上がホームセンターで買ったもの、下が亀嵩温泉で買ったもの。
草焼き
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草焼き。
 ここは以前、農協が養鯉場として使っていた。鯉は田んぼに放った、と記憶している。道路沿いなので、煙が道路側に流れると、車の運転の邪魔になるのでは、と心配になる。
温床作り
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温床の枠作り。藁を巻きつける。
 左側奥から藁を巻きつけはじめた。枠の竹が下がらないように、Y字型の木の枝二本で支えてある。
 午前中、温床の枠組みを作った。枠組みに藁を巻きつけるのは午後にして、草焼きをすることにした。田んぼに行く前に、常に携帯している鎌を二本研いだ。小振りで、刃の付け根が曲がっている鎌であり、草取りに使うと便利なものである。一本はホームセンターで購入したもの、もう一本は、1月に亀嵩温泉に一日旅行したさい購入した手打ちもの。研いでいると、刃のつき方が違っているに気づいた。

 いずれも片刃であるが、ホームセンターで購入したものは、右手で握ると、手前に刃がついている。亀嵩で購入したものは、向こう側についている。ホームセンターのは、根元が大きく湾曲しているだけでなく、全体が同じ方向にわずかに湾曲している。そのうえ、湾曲している内側に刃がついているので研ぎにくい。

 ところが、亀嵩で購入したものは、根元は同じように湾曲しているが、刃のついているところはほぼ平ら。しかも、刃が湾曲している外側についているので、研ぎやすい。右手用の鎌は、ホームセンターのもののように、手前に刃がついている。ふと思い出して、以前青森の方から送っていただいたニンニク包丁を確かめてみた。それも刃が湾曲しているが、刃のつけ方は亀嵩製と同じであった。こちらの包丁も手打ち。これらの手打ちの刃のつけ方は、機械打ちと比べての製造過程の違いによるのだろうか、それとも、何度も研ぎなおしながら長期にわたって使うことを考えてのことだろうか。想像を刺激してくれる発見であった。

 草焼きが終わり、温床の枠組みに藁を巻きつけた。去年との違いは、枠の幅を少し広げたことと、藁を巻き付けるとき、枠組みが崩れないように支柱を立てたこと。あとは今までとは変わらない。
村便り:2008-03-07(金) ダブの草焼き
投稿日:2008-03-13(木)

 午後、休耕田の草焼き。その前に、耕作している田んぼの畦の草焼きをしようとしたが、昼間一時雨が降ったためか、枯れ草に火をつけても、火に勢いがない。中断して、休耕田に向かった。


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 一度復田を試みた田んぼでの草焼き。
 右側の高くなっている田んぼ、左側の草が生えているところは、他家の田んぼ。左側の田んぼとの間には、草刈り機で草を払い、防火帯を作った。右側の田んぼの畦をイノシシが掘り返したので、その土がわが家の田んぼに崩れ落ち、両者の境に作った横手が埋もれてしまっている。また、左側の田んぼとの畦もイノシシが崩してしまっている。横手と畦を修復しておかなければ、境が分からなくなる。おそらく一日仕事になると思われる。

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 耕作放棄状態の田んぼの草焼き。
 日が向こうの山に落ちてから火をつけた。一年間草刈りをしなかったので草が伸びていたのと、時折、南からの強い風が吹いてきたのとで、炎が高く上がることがあった。ここでも延焼しないように処置はとってあるので、経験からすると、ほかに燃え移ることはない、と思っていたが、炎が舞い上がるとやはり緊張した。
 休耕田はダブ[湿田]地帯にある。狭い田んぼ二枚が草焼きの対象だが、いずれも私が百姓を始めてから一度も作っていない。一枚は一度は復田を試みたが、田植機が埋まってしまい挫折。もう一枚は深い湿田なので、耕作放棄状態。しかし、草刈りとか草焼きとか横手浚いとかをやらないと、畦が崩れて、隣の田んぼとの境が分からなくなってしまう。草だけを育てている田んぼだが、年に何回か面倒をみる。

 暗くなり始めて草焼きを終え屋敷に帰ると、従姉が野良犬の話をしてきた。

 去年から捨て犬がこのあたりに住みはじめた。2月だったか、その犬の腹がふくらんでいるのに気づいた。妊娠していたのである。そのとき、雌犬だったので捨てられたのか、と思った。子どもは4匹生まれた。雌犬は子供が生まれると神経質になり、小犬と一緒にいるときは人間を見ると吠えるようになった。小犬も一緒に吠えた。畑のなかを走り回ることもあった。このまま大きくなったら、と思うと、不安だった。猫と違い、犬は集団で行動する。大きな犬が数匹で集団行動すると大人でも怖い。どうしようか、と従姉と話していた。

 従姉の話によると、近所の人が、小犬は4匹ともつかまえて動物愛護センターに連れていったとのこと。親犬はつかまえられなかった。センターに連れていかれた小犬も、小犬を奪われた親犬もかわいそうではあった。しかし、村里で野良犬数匹と人間とは、人間の側からすれば、共存しがたい…
村便り:2008-03-04(火) (今冬の白菜漬け)
投稿日:2008-03-04(火)

 この冬(というか、立春を過ぎたので、去りし冬か)の白菜漬けは、多くを半結球の状態で漬けた。結球した白菜の葉っぱは大部分が白いが、半結球の場合、反対に緑の部分が多い。漬けて二週間もすると食べはじめるが、最初の頃は緑の部分に食味を損なうような苦みがあった。結球しない葉っぱの味をはじめて知った思いだった。漬けた白菜を食べきるまでこの苦さを味わうのか、と食べはじめたばかりの時点で辟易していた。ところが、一カ月がすぎ熟成の度合いが増してくると味に変化が出た。あの苦さが弱まり、いわばまろやかになったのである。苦みは味のアクセントに変わった。半結球の白菜も熟成させると独特な風味をもった漬け物になるのである。もしかしたら高菜漬けでも、高菜特有の苦みはこんな変化を辿るかもしれない。

白菜漬け
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 漬け物に青い部分が多いのに気づかれるだろう。
 白菜漬けにあう酒は日本酒、と私は思っている。日常的に飲む酒は、日本酒、ビール、ワイン。焼酎は普段たしなまないので、あうかどうか分からない。
 ここ数年、白菜は二度漬けていた。十二月終わりと一月の終わりから二月はじめである。しかし、二度目の白菜漬けは、理由は分からないが、おいしくは漬からなかった。そこで今回は一回だけにすることにして、白菜の作付けもそれを予定して、株数と品種を調整した。ただ菜っ葉の保存漬けもう少し長く食べたい。そこで考えたのは、十二月に白菜、二月に広島菜、というスケジュールである。広島菜は一度も漬けたことはないが、古漬けとしても食べられそうなので、白菜が終わったら広島菜を食べて、初夏ぐらいまで菜っ葉の漬け物の季節を伸ばしたい。季節の後半は沢庵と重なる。冬に漬けたものが終わると、夏野菜の糠漬けが始まる。漬け物好きの私はそんなことを考えている。できれば来る冬には試したい。

(今は時間的な余裕からして無理だが、五月の高菜漬けを加えると、菜っ葉の漬け物の季節はうんと伸びる。いつか実現してみたいものである。)
村便り:2008-03-01(土) (三つ鍬、見つけた!)
投稿日:2008-03-03(月)

見つかった三つ鍬
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 三つ鍬は横手(画像の上から下に流れている水路)を浚うとき使った。浚い終わって、右手の田んぼに置いたまま忘れた。一カ月以上野ざらしになっていたことになるが、土に埋もれていた鍬先がすこし錆びていただけであった。
荒起こし
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 変形田はトラクターを走らせるのに工夫がいるうえに効率が悪い。この細長い田んぼは約7畝で、手前が広く、向こう側が狭まっている。昔は二枚の田んぼを一枚にしたものと思われる。こちら側5畝と向こう側2畝とが別々の井手に属しているからである。
 昔の広さは、動物耕にはちょうどよかったのかもしれない。二、三十㎝の幅の鋤で、ゆっくりと歩くような速度で土を起こすのだから、この広さでも一日かけて鋤き終わらなかったかもしれない。
 自宅から村までは1時間の道のりなので車を運転しながら色々なことを考え想像する。有料の熊野トンネルに向かう曲がりくねった坂道を駆け上っていると、下ってきた車がバッシングライトを点滅させた。そのライトにはすぐには反応できなかった。そのとき物思いに耽っていたわけではない。このような場合、普段なら「ネズミ取り」をすぐに疑いスピードを落とす。しかし、その道路では一度も「ネズミ取り」を疑ったことはなかった。だからすぐには反応できなかったのだ。怪訝な思いのなかでアクセルを戻すと、さっき追い抜いた後ろの車が追い越して行った。そのとき左側の茂みからカメラがのぞいているのに気づいた。 慌ててスピードメーターを見ると「危険ライン」上! トンネル前の駐車場にさしかかると警官たちが立っているのが目に入ったが、止められなかった。罰金と時間のロスをまぬかれた、と思うと、今日はラッキーかも、と心の中でほくそえんだ。

 それから頭の中で今日の作業を予習しはじめた。田んぼをひっくり返して、つぎに、ダブ[湿田]の藁を切って広げる…そこまで想像すると、はたと思い当たることがあった。行方不明になった三つ鍬のことである。三つ鍬がないのに気づいたとき、畑での作業場ばかりを考えていて、田んぼでの作業を忘れていた。「村便り」には書いていたのにもかかわらず。もしかしたら、という思いは、しばらく考えているうちに確信に変わった。三つ鍬はダブに置いたままだ!

 トラクターの準備をして、軽トラックで田んぼに行くと、はたして二週間ほど記憶の闇の中を探し続けていた三つ鍬が、鍬先を少し土に埋もれさせた状態で、現実に露出していた。今日ふたつ目のラッキー。

 三つ目のラッキーはなかったが、ふたつ目のラッキーのおかげで、一日すっきりした気分で、稲刈り以来はじめての、田んぼの荒起こしができた。
 てつがく村の
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