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ひろば(BBS)

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2005-08-17 ☆ イノシシは走り続ける

《またイノシシが畑を荒らしに来た。半月前の侵入のときは、防御策として柵の回りの草刈りをしただけだったが、今度は、柵を延長してイノシシの侵入口と想定されるところを塞ぐことにした。》


(クリックで画像の拡大)
 イノシシに荒らされたサツマイモ。
朝七時に自宅を出て、出勤前に田圃と畑に寄った。


最初に田圃に向かう。一昨日、雷とともに激しい夕立がやってきたので、水が少なくなった田圃への心配もさっぱりと心から洗い流された。しかし、また数日、日照りが続くと水路の水が枯れてくるので、その前に、乾きやすい田圃に水を補給しておこうと思ったからである。水路は案の定、一昨日の雨のおかげでまだ十分に水が流れていたので、問題の田圃に水を入れる手配をしてから、畑に向かった。


一昨日の朝、ナス、トマト、ニガウリ、キュウリ、ピーマン、シシトウ、マクワウリをたっぷりと収穫したので、今朝の畑は見回りだけである。

サツマイモはまだ生育途中なので、ざっと様子を見ただけで通りすぎようと思ったが、異変に気づいた。近づいて確かめると、またイノシシがイモを掘り起していた。今夏はこれで二回目である。イモはまだ細かったが、すでにはっきりと形をなしていた。しかし、イノシシは茎の根元を少し掘っただけのようで、イモを食べた形跡はなかった。イモは全体の三分の一ほどがやられていた。他の作物は荒らされていなかった。

イノシシの夏」と題する記事にも書いたが、近くの山の一部が工業団地として造成され始めた今夏は、イノシシが頻繁に出没するようになった。棲息地の一部を失ったイノシシとしては、命を繋ぐためには、里に深入りするしかなくなったのだろう。里の畑は周りを針金や紐などで柵をして守りを固めた。しかし、柵は完璧ではない。隙間からイノシシは侵入し、畑を荒らす。


造成地が希少生物の棲息地であったり、景観として価値のある場所であったりすれば、造成が取りやめられたり縮小されたりすることがあるが、なんの変哲もない場所では、その場所が経済的な利益をもたらすと分かれば、造成は理の当然のごとく行われる。

しかし、何の変哲もない場所でも無数の生物の棲息地であり、その棲息地を形作っている景観は、平凡であっても、そのままに存続する価値がある。少なくとも、目先の経済的利益を優先して急激な変化を環境に加えるようなことは望ましいことではない。変化が加えられれば、ごく普通の生物種であるイノシシが苦しみ、これまた全地球上で普通に生存する生物種である人間が苦しむ。生物多様性のためには希少生物種は貴重であり、美しい景観は種々の理由のために貴重であろう。しかし、どんな開発でも多くの(たいていは平凡な)生物と広い(たいていは普遍的な美的感動を呼び起こさない)景観が犠牲にされる。そうした犠牲が希少な存在物の犠牲と較べてとるに足りない、ということは決してない。餌を求めるために里深くイノシシが走り回る。作物を守ろうと農民が苦慮する。もしかすると、このありきたりの光景にこそ、今の時代に進行している危機の深さが読み取れるのかもしれない。


畑を囲う柵は、隙間を潰すように延長しなければなるまい。柵が目立つように柵の近くの草刈りをしなければなるまい。しかし今日明日は、成績提出の締め切りが金曜日に迫っているので、レポート採点のため研究室に缶詰で仕事をせざるを得ない。イノシシの跡を目の前にしながらもすぐには何もできないもどかしさを身体中で感じる。造成中の近くの山に目をやると、丸裸になった山肌の一番高いところに、空を背景にいくつかの墓石が造成に抵抗するかのように立っている。墓石が抗議し、私も抗議する。イノシシが逃げ込み、私がそのイノシシに憤慨する。整理のつかぬ情念が心に渦巻く。しかし、出勤しなければならない。当面の処置を、畑近くに住む従姉に頼み、畑をあとにした。
 
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てつがく村
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