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村便り:2007-07-12(木) (梅雨の晴れ間をぬって黒豆の定植)
投稿日:2007-07-13(金)

授業が終わって脱力感
 今日の授業で今学期の授業はほぼ終わり。来週火曜日に一科目授業をすると学期末の試験週間が始まる。今日は2科目授業があったが、2科目目の、午後の一般教養科目の授業を終えると、脱力感に襲われた。軽くひと眠りのあと、来客をこなすと、もうそれ以上頭を使う気にはなれなかった。日曜日以来、雨が続いたため畑にも田んぼにも寄らなかった。田んぼの水は心配ないし、畑に行っても作業はできないからである。部屋の窓から外を見ると雨は降っていず、日差しの気配もある。そこで、早めに学校を出て、農地の様子を見てまわることにした。

 村に向かって慣れた道を車を運転するあいだ、いろいろな思いが頭をよぎったが、農耕に関することでは、育苗中の黒豆の定植と日曜日に発見したキジの巣のことであった。明日から台風の関係でまた雨が続く。だから、畑の状態さえ悪くなかったら、今日のうちに黒豆を定植してしまいたい。畝は作ってあるし、苗はポット育苗だから、作業には時間はかからない。

 村に着くとまず田んぼを見回った。とくに問題になることはない。休耕田に作ってある黒豆の畝を確認すると、土は湿ってはいるが、定植は可能な状態。近くの他家の、畑に転換した休耕田で作業をしていた女性と立ち話をしているあいだに夕方5時のサイレンが鳴った。そこで急いで屋敷に向かった。

キジの巣
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 卵を抱き続けている雌キジ。
 キジは日曜日とほぼ同じ格好だが、日曜日に見えていた卵はない。親鳥に抱かれているだろう。また、周りの草がまばらになっている。キジは雨に打たれながらもずっと卵をあたためていたようである。思いなしか、憔悴しているようにも見えた。
黒豆の定植
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 黒豆の定植を終えた畝。
 ガンギ間を2鍬の幅にして、軽くガンギを切り、各ガンギに二つ穴を掘って、定植する。元寄せ[土寄せ]はするが、里芋やジャガイモのように大量に土を寄せないので、ガンギ間は、里芋などの畝が3鍬の幅なのに対し、狭くしてある。
 黒豆は、80個蒔き、78個発芽した。しかし、発芽したもののうち一株は生育が悪いので使わなかった。74株定植し、残りの3株は、近くで作業していた人にさしあげ、子芋畝のあいたスペースに定植してもらった。
キジの巣に屋根
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 翌朝、農協で買い物があったので、屋敷に寄った。雨が降り続くなか、キジは同じ場所にいた。そこで、ふと思いついて、小屋のなかにあった古い椅子を巣を覆うように置いて、屋根にしてやった。台風にそなえて、ブロックで重石をした。
 後ろに見えるのは隣家。我が家の屋敷に畑が隣接している家
キジは無事!
 屋敷につくとまずキジの巣を確認。のぞき込むと、草の陰から親鳥が見えた。日曜日の「事件」以来ずっと気になっていたので、巣が荒らされたり、放棄されたりしていなかったのが分かると、深く安堵した。強い雨の中でも親鳥は卵を抱き続けていたのである。親鳥の、そのひたむきな強さに、一日の終わりで下がりかけていた心のテンションが一気に再上昇。

イノシシ
 私の姿を認めた従姉が声をかけてきた。「昨夜、うちの畑にイノシシが入った。」彼女はわが家の畑の様子を確かめたそうだが、わが家のは無事だった。彼女は昼間、電気柵の周りの草刈りをして、新しいバッテリーを取り付けたそうである。バッテリーは冬の終わりに電圧が下がってから交換していなかった。彼女の畑の電気柵は、わが家の畑の電気柵につながっている。だから、わが家の畑でも、草刈りなどの整備が済み次第、電気柵に通電することができる。彼女はどうするか訊いた。私は「今から黒豆を植えるけん、[電気柵の整備は]今日はできんわい」と答えて、黒豆の苗を軽トラックに載せて、休耕田に向かった。

 作業はシャベル(移植コテ)で穴を掘り、そこにポットから出した苗を入れるだけ。全部で74ポットの苗を定植したが、一気に作業を進めたので、一時間ほどで作業が完了した。

 屋敷に帰ると、まだ明るい。そこでともかく電気柵を隠すように伸びている草を刈ることにした。経験的に、電気柵は、たとえ電気を通していなくても、草を刈って目立つようにしておくと、イノシシに対して威嚇効果がある。しかし、草に埋もれていると、イノシシのほうは(たぶん)蔓にでも引っかかった程度の意識で突破してしまう。小雨が降り出すし、暗くなるし、おまけに虫に噛まれるし(夏は、とくに夕方になると、携帯用の蚊とり線香を腰につけておかないと、衣類を通してでも身体のあちこちを噛まれる)で作業環境は悪かったが、草刈りも一気にやり終えた。

二足草鞋は二重人格
 二足の草鞋とはすなわち二重性格、かもしれない。16時すぎ職場を立つときにはあんなにテンションが下がっていたのに、いったん農作業を始めると、身体からまた力が湧いてくる(ただし、サラリーマンとして必要とされるのとは違う種類の力ではあるが)。自宅に向かうため車のエンジンを始動したときには、もう20時近くになっていた。
村便り:2007-07-08(日) (キジの巣だ!)
投稿日:2007-07-13(金)

 午前中は屋敷の草刈り。

キジの巣
 屋敷は、蔵と小屋がある隅を除いては更地。以前は藁屋根の家があったが、壊してからもう20年になろうか。いつまでも新しい母屋が建たないかわりに、春から秋にかけて草が立つ。屋敷の中央部は車の出入りがあるので、背丈の低い草しか生えないが、周辺部はセイタカアワダチソウやヨモギなど背の高くなる草が生える。春先から伸び始めた草は梅雨時の今になると高く繁る。私は、屋敷の周辺に草が生えるのはあまり気にならない。しかし、隣接する家の人は気になるらしい。去年のこのごろ、従姉が「セイタカアワダチソウの種が畑に落ちる、ゆうて、隣が業にしよりんさるで(*)」と私に言ったことがある。面と向かっては言いづらいので、私に近い人に話すことで、草を刈ってほしい、と間接的に私に伝えようとしたのだろう。草が伸びる前に手を打てばいいのだが、その時期は田植えに続く農繁期、どうしても緊急の作業のを優先してしまう。そして草が存分に伸びきった今頃になって、やっと屋敷の草刈りにとりかかる。
(*)「業にする」とは、「苦にする」、「悩みの種にする」、「いらいらする」という意味。
キジの巣
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 写真中央に雌キジが見えるが、お分かりだろうか。雄と違い、雌は褐色で地味なので草に紛れやすい。キジの上側に卵が二つ見える。画像を拡大して確認すると、実際には4個ほど見える。
 家族によると卵は9個あるそうである。親鳥がいないときに数えたとのこと。でも、帰宅する前にもういちど見ると親鳥は帰巣していたそうだがら、巣を放棄したわけではない。
 屋敷の三辺はコンクリートの擁壁になっている。隣家の畑と隣接する擁壁側の草を刈り終えようとしていたときだった。セイタカアワダチソウが主体の草は擁壁に沿って狭い帯のようになって残っており、その帯の幅は草刈り機の一払いで楽に払ってしまえるくらいであった。その帯を一方の端から刈り始めたときだった。進行方向の草陰から鳥が見えた。目を凝らすと雌のキジであった。しかも、その横に卵が2個ある。キジの巣!私は草刈り機のエンジンを止めた。

 畑ではよく雄のキジを見かける。しかし、まさか屋敷の草の中に巣を作っているとは想像もしなかった。草は巣の間近まで刈ってあった。雌のキジは草刈り機が身近に迫っても巣を離れようとはしなかったのである。もし私が気づかずにもう一払いしていたら確実に巣と卵は微塵になっていたはずである。もしかすると親鳥も傷つけた、いや殺していたかもしれない。卵が2個見えていたのは、あるいは親鳥は、もはやこれまで、と身体をよじらせ飛び立つ体勢に入ろうとしていたのかもしれない。それにしても、この瞬間まで卵を見捨てなかったとは、母親の強さのようなものを感じないではいられなかった。

 私は、払っておいた木の枝をいくつかもってきて、巣の周りにおき、その枝の上に草を重ねて、巣を守る「バリケード」を作ってやった。私の作業の間も親鳥は卵を抱いてじっとしていた。

二回目のジャガイモ掘り(男爵と普賢丸)
 午後はジャガイモの掘りあげ。このごろ雨続きなので土は湿っていたが、今日を逃すとまた雨続きそうなので、ともかく男爵の残り半分と普賢丸を掘りあげた。残るは、メークインと roseval だが、天気の様子を考えると、しばらくあとになりそう。毎年のことであるが、春ジャガの収穫期は梅雨時になる。そのため、家によっては、まだ茎が青いうちに掘りあげて長雨を回避する。しかし、我が家は茎が黄変するまで待つので、梅雨の晴れ間を狙っては掘りあげることになる。

サツマイモの蔓を追加して植える
 サツマイモの蔓を12本、追加して植える。
村便り:番外篇 (ガンギについて)
投稿日:2007-07-10(火)

 ガンギの切り方について質問があったので、まとまった説明をしてみる。

「ガンギ」という言葉
 まず言葉の説明から。「ガンギ」は、播き床ないし植え床を指す。そうした床を平鍬で作ることを、「ガンギを切る」と言う。この言葉はきわめて狭い範囲で使われている方言と思っていたが、もしかしたら、昔は広い地域で使われていたのかもしれない。宮崎安貞編録『農業全書』を読んでいて、この言葉に出会った。(引用は岩波文庫版より。)
「[大根の]種子をおさめ置く事、霜月の初め大根多き中にて、なりよくふときをゑらび、毛をむしり、葉は其まゝをきて、一兩日も日に當てゝ、少ししなびたるを畦作りし、がんぎをふかく切り、肥地ならば凡一尺に一本づゝうへをくべし。」
文脈からすれば、文中の「がんぎ」は私の使う「ガンギ」と同じ意味であると判断される。校訂者によれば、宮崎は「安藝國廣島藩士宮崎儀右衛門の二男」で「元和九年[1623年]廣島に生る」とあるから、「ガンギ」は当時、安藝國で(普通に?)使われていた言葉の可能性がある。



縦ガンギと横ガンギ
(クリックで画像の拡大)
黄色い幅が「ガンギ」である。ガンギは平鍬で切る。だから、幅は鍬の幅になる。そこに作物を定植したり、種蒔きをしたりする。この画像は、里芋の場合を想定している。ガンギの中の×印は里芋が植えられている個所である。株間(ガンギ間ではない)は40㎝余り。
縦ガンギと横ガンギの関係
 さて、私はふつう縦にガンギを切って種蒔きや定植をする。縦ガンギと横ガンギの関係は、画像を見てもらえば分かるように、横ガンギを縦長のブロックに分割して、そのブロックを90度回転させて並べると、縦ガンギになる。だから、幾何学的には、ブロックの並べ方の違いにすぎない。

里芋の場合
 里芋を植える場合を例にとろう。手元の野菜栽培指南書をひもとくと、里芋は「畦[うね」幅100㎝とし30㎝から45㎝の間隔で植え付ける」と書いてある。私なら畝幅は60㎝程度にするだろうが、いまは指南書にしたがって説明する。さてこの説明に素直に従うと、横ガンギで植え付けることになる。実際、この指南書の図は横ガンギになっている。指南書の説明はたいてい横ガンギを想定したものであることからすれば、横ガンギがポピュラーなのかもしれない。ところが発想をわずか90度転換すると、縦ガンギでも対応できることが分かる。

 里芋は元寄せ[土寄せ]をする。横ガンギの場合は、畝の両側の土(緑に彩色してある部分)をすくって株元に寄せる。それに対し縦ガンギの場合は、ガンギとガンギの間の土(これも緑に彩色した部分)を寄せる。

縦ガンギの特徴
 さて縦ガンギの、メリットと言えるかどうかは別として、特徴は何か。

 まず畝幅は鍬の柄より20㎝ほど短い幅にする。この幅には理由がある。この幅だと、ガンギを切るとき、あるいは中打ち[中耕]や元寄せをするとき、畝のいずれかの辺に立って、言い換えれば、畝の中に足を入れることなく、鍬を使うことができる(ただし可能性の話であり、実際の作業では、畝に足をおいたりすることもあるが)。

 また、ガンギが鍬の柄ほどで一定していると、リズムに乗った作業ができる。リズムの単位が一ガンギの長さである。

 ガンギ間は、基本的には、何センチといった単位では決めない。鍬の幅で測るのである。画像の縦ガンギを見ていただきたい。まず最初のガンギ(一番上の黄色に彩色した幅)を切る。それから、里芋の場合は、鍬の幅を目安に3鍬分スペースをあけて、次のガンギ(上から二番目)を切る。ガンギ間のスペースは作物によって変える。里芋やジャガイモのように元寄せする作物は3鍬分のスペース、大根は2鍬分、人参は1.8鍬分といった具合である。しかし、1.5鍬より狭くしない。中打ちや除草の際、ガンギ間で鍬を使いづらいからである。

 ガンギの切り方にはこつがある。下肥を使っていた時代は、ガンギの中程をこころもち低くした。すると、ガンギにまいた下肥は溝に流れ出ることはない。いまは下肥は使わないが、種蒔き前に水をまくことはある。また、種蒔きのあと強い雨が降ると、ガンギが溝側に決壊して、蒔いた種が流れだすことがある。だから、私はガンギを切るとき、中程を低くするとは別の工夫をしている。いずれにせよ、ガンギの長さは一定なので、中程を低くする、といった細工をしやすい。

 畝と畝との間は平鍬の幅だけの溝がある。元寄せする作物でも、土は畝の内部の土を使うので、溝の幅は変わることはない。人によっては、溝の幅が狭いと歩きにくい、と言って広くする人がいるが、溝の幅を広くすれば、それだけ、畝の幅が狭くなる。何畝も並んでいると、溝の幅次第で畝数が増減しうる。老人に聞くと、昔は溝をあげる鍬はいまよりもっと幅が狭かった、と言う。狭い農地をいかに広く使うか、という小農の苦労が伝わってくる。

 縦ガンギにすると、畝がみな同じ幅で固定される。私は溝の両側に石を埋め、それを畝と畝との境の目印にしている。固定すると、連作障害を回避しやすい。畝幅が固定せず、作物ごとに畝の場所が変わるとなると、以前、同じ作物を植えた場所が特定しにくい。

 思いつく特徴を挙げると以上のようになる。

 横ガンギが一般的なのであろうか。近所では縦ガンギと横ガンギは混在していて、家によってやり方が異なっている。
村便り:2007-07-07(土) (稲の追肥)
投稿日:2007-07-09(月)

 昨夜は学生たちと酒を飲んだ。学生は大学院のゼミと「太極拳・ヨーガ研究会」(適当につけた名前)に参加している者たち。なぜヨーロッパ哲学のゼミと「太極拳・ヨーガ研究会」がリンクするのか?後追いの理屈だが、身体論の、理論(ゼミ)と実践的検証(研究会)というもの。まあ、勉強で溜まったストレスを身体を動かして発散し、ときたま、酒の熱で焼き払う、と言っていいかもしれない。

 朝はまだ宴会の名残が残っている。そこで、昼食までは家でゆっくりと休んだ。

 午後は、稲の追肥。田植え後、20日から1カ月のころ、苗の色が褪めてきたとき、少量追肥してやる。肥料は、褪めていた個所に緑色がもどるが、田んぼ全体として見たときは、色の変化が目立たない程度の量。私は、農協が配る手引き書よりも控えめに施肥する。

 追肥のため田んぼの中を歩きながら、梅雨が上がるまでに一度、田を這わ(*)なければならないな、と思う。場所によっては、除草剤がうまく效かず、ヒエが大量に発生しているからである。
(*)「田を這う」。田んぼの草取りをすること。格好が「這う」のに似ているので、こう言う。

 今日の農作業は追肥だけ。
村便り:2007-07-03(火) (ガソリン購入と最後のナス定植)
投稿日:2007-07-09(月)

 早めに退出して畑に向かう。まず農協に寄り、草刈り機に使用する混合ガソリン5リットルを購入。

農協で混合ガソリン購入
 農協は今年5月までは金融部門もあったが、店舗再編によって金融部門は廃止され、購買部門だけが残された。購買部門で取り扱っているのは、肥料、農薬、園芸用品など農業に利用するものだけ。かつては日用品も扱い、鮮魚さえ売っていたこともあったが、今のようにスーパーやコンビニが乱立する時代では、そんなものは売れない。取り扱い商品は縮小され 現在のようになった。

 ガソリンスタンドも併設されていたが、二、三年前に閉鎖された。しかし、農業機械を使う人の便を考えて、軽油と混合ガソリンだけは販売が続けられている。販売部に行って、油が欲しいと告げると、店員(村の女性で、ひとりしかいない)が旧ガソリンスタンドにある物置を鍵で開けて、大きなドラム缶に入った油を、手動のハンドルを廻しながら、小分けしてくれる。

 軽油は、私はガソリンスタンドで購入する。農協の購買部は、土日は閉まっているし、開店時間も9時から17時までなので、サラリーマンの私には利用しづらい。混合ガソリンもガソリンスタンドで手に入るが、ある時、ガソリンスタンドのものと農協のものとでは色が違うのに気づいた。ガソリンスタンドのは透明な薄褐色だが、農協のは半透明の青色である。色の違いを農協で尋ねてみると、機械のことを考えて質のいい油を混ぜている、との説明であった。それからは、混合ガソリンだけはできるだけ農協で買うようにしている。

ナス定植
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 手箕[てみ]の手前、萎れているのが最初の品種、向こうのしっかり活着しているのが二番目の品種。最初の品種は萎れたり、なかなか活着しないものが出る。それに対して、二番目の品種は問題なく活着する。
 なお、手箕に入っているのは、収穫が始まった半白キュウリ。このキュウリは自然畝で生育している。発酵鶏糞を定植したとき株周りに撒いてやり、収穫が始まったとき同じ肥料を一回追肥しただけだが、よく実がつく。種は自己採種のもの。
長ナスの定植。ナスの活着不良について。
 それから、長ナスの定植。長ナスは4月に作った温床で育苗した野菜で最後に残ったものである(ただし、サツマイモを除く)。残っている9本の生育状況を確かめると、一番花が開花直前(この時期が定植適期)のものは少なかったが、ともかく全部に最初の蕾がついている。そこで、一挙に定植して温床育苗にけりをつけることにした。

 ナスは3月の温床と4月の温床とでそれぞれ一品種、つごう二品種育苗する。去年からナスは自然畝栽培に移行した。

 ナスの自然畝栽培になかなか踏み切れなかったのは、自然農法を始めた年だったか、自然畝に定植したナスが活着不良を起こし、活着した少数の株も、くわえて肥料不足のためか、実をつけず、ほぼ収穫がなかった経験があったからである。それでも二年くらいは(記録を確かめれば正確なことは分かるが、いまは記憶で書く)試みたかもしれない。この経験にこりて、ナスは慣行畝栽培に戻していた。

 活着不良に関しては、いまでも完全に解決しているわけではない。去年もそうだったが、今年も最初の品種は活着がうまくいかない。定植した時期が遅かった(花が開ききってから定植したものが多かった)ためか、定植作業を雑にしたためか、理由ははっきりしない。

 本には、一番花が咲き終わっているような老化苗では活着不良を起こしやすくなる、とは書いてある。老化苗といっても、最初の蕾が膨らみかけてから、開花しきってしまうまでは一週間くらいである。その間に「老化」してしまう、ということなのだろうか。じゃ、早めに植えたらいいじゃないか、と思われるかもしれないが、若苗定植(蕾がついていても、小さいものは「若苗」)では過繁茂になり、枝はよく繁るが実のつきが悪くなる。

 あるいはまた、作業が雑なせいであろうか。自然畝に定植するときは、まず穴を掘りそこに、丁寧にポットから出した苗を入れる。穴は大きめにあけてあるので、苗の根鉢と穴の間には隙間ができる。その隙間は土を入れて潰す。しかし、土塊が大きいままに隙間に入れると、土は隙間の上の方だけに詰まり、下の方は隙間が残る。この空間が根の伸張を阻害し活着不良を起こすのではないか、と想像している。慣行畝栽培では大雑把に定植してもまず問題はない。慣行畝では土が軟らかいので、定植した根鉢をぴったりと土の中におさめることができるからしもしれない。

 9本の苗のうち3本は従姉に進呈して(従姉には水やりを頼んでいるので、そのお礼の意味で、苗を少しずつ進呈している)6本を定植。
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