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村便り:2007-01-20(あんたはカミジョウの子じゃけえ)
投稿日:2007-01-23(火)

 寒のころは緊急にやるべき農作業はないし、また外に出ると寒いので、野良に出る回数や時間が少なくなる。今日はゆっくりとしたリズムでのんびりと草焼きと畑の耕耘をした。冬の農閑期ならではリズムと気分である。

草木灰 title=
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 焼け残った灰は肥料にするため空いた肥料袋に詰める。
 草焼きをするときは、まず木切れや竹を地面に並べて火をつけ、それらにある程度火が回ってから草を上に載せる。火勢を見ながら少しずつ草を重ねていく。草は湿ったものもあるが、木切れが火の持続的な供給源になり、全体として強い熱が発生しているので、時間をかければ湿った草も燃えてしまう。昼に火をつけても日没時にもまだ煙が上がっている。上から蓋(たとえば、写真左上に見える、底の破れた金盥)をしておくと次の朝には燃え尽きてしまっている(焼け土の場合は次の日でも細々と煙が上がっている)。
耕耘した畑
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 耕耘した畑。
 生い茂っていた草は一応刈り払ったが、きれいに除草したわけではない。だから耕耘した土には草の茎や根が混じっている。土が湿っているせいもあって、溝をあげるとき最初から平鍬を使うと、鍬に草が絡まり土が付着して、うまくいかない。そこでまず三つ鍬で大雑把に土をあげてから平鍬で仕上げる。休耕田を畑にする場合も同様である。
 焼く草は主として先週刈り払った屋敷の草だが、屋敷には何年も放ってある木切れなどが転がっている。そんなものも少しずつ草と一緒に燃やす。燃え尽きたあとの灰は肥料にする。

 (屋敷の)前の畑は去年のシーズンにはニンジンとトマトを作っただけで、あとは草が生えるままにしておいた。草取りをしなかったのは、去年から掛け値なしの《一人農家》になったため、手がなかっただけのことである。また、手間の配分がうまくいかなかったこともある。しかし、今シーズンはできれば畑を有効利用したいので、先週末に草刈りをして、それを燃やしておいた。そして今日は三月からのシーズンを考えて耕耘機で耕耘した。

 夕方、耕耘した畑で作業していたとき、畑の横の道を軽トラックが通り掛かり止まった。「近ごろは見んけえ、どうしたか思よぉったで。」と軽トラックの主が声を掛けてきた。近所のお兄さんであった。「まあ、試験で忙しいかの、とは思うたがの。」それからしばし雑談をした。先週のとんどのことも私は話した、「とんどは、火がついて燃えるまでおったが、餅は焼かずに帰ったしのぉ」。餅を焼けばその人と言葉を交わす機会もあったはずである。とんどが燃え落ちるまで何人かとは話をしたが、集落の世話役をしているその人はそれまではいろいろと指図をしていたので、結局、挨拶もしなかった。とんどは集落の自治組織が主催する。私は街に住んでいるので、その組織には属していない。いわば外来者である。そのことを慮ってか、その人は「遠慮せんでもええで。とんどに来いや。」と言葉を返した。むろん私は遠慮したわけではなく、その夜は都合があっただけのことである。その人は以前にも「あんたはカミジョウ[集落の名前]の子じゃけえ、遠慮なんかいんらんで」とも言ってくれた。

 都市の住民からは農村は閉鎖的だと思われがちである。じっさい外側から見ると、そんな側面はある。しかし、それは内側に裏返してみれば、都市にはしばしば欠けがちな、人々のつながりの深さである。深さは家族的と形容してもいい。ただ、そのつながりに入っていことしなれば、都会的な個人主義を貫いていては、農村で生きて行くことはできない。10年前に《帰農》してから、つくづく実感することである。
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