村便り:2007-01-14(とんど)
投稿日:2007-01-22(月)
今夜はとんど。とんどは小正月の行事だから、15日が本来の日にちだが、村では1月半ばの日曜日に行なう。村の二つの地区のうち、山寄りの地...
今夜はとんど。とんどは小正月の行事だから、15日が本来の日にちだが、村では1月半ばの日曜日に行なう。村の二つの地区のうち、山寄りの地区は、子どもの減少を理由に、6年前にやめたが、平坦部の地区は今でも続けている。私が小学校に上がる前から住み、いまも老母が住んでいる家は山寄りの地区にあるので、以前はその家のすぐ裏の田んぼで行なわれるとんどに参加していた。しかし、いまは旧来の屋敷、畑、田んぼがあるもう一つの地区でのとんどに参加している。
我が家は今年は都合で、とんどに火がつけられ、燃え落ちるまでいて、餅は焼かずに帰ることにした。子どももそのことは知ってはいたが、とんどの炎が燃え上がり、それを取り巻く人たちが竹の先に餅をつけて火勢が弱まるのを待っているのを見ているうちに、自分の中にも《炎》が燃え広がってきたのだろう、「餅を焼きたい」とぽつりと言った。子どもは、小学校に上がる前に経験した山寄りの地区でのとんども覚えているようである。その頃からのとんどで、餅も焼かずに帰るのは今回が初めてである。冬の夜の闇を赤く照らすとんどの火で餅を焼くのは、大人でも楽しいものである。ましてや子どもは文字通り心踊るはずである。私は「来年は餅を焼こうや」となだめるしかなかった。
今年はだから、燃え上がる炎の勢いが、真っ赤に照らされた身体とひとつになる感覚だけを《食べ》て、これからの一年を巡っていくことにしよう。
(クリックで画像の拡大) 皆、竹の先に餅をつけ、とんどを遠巻きにして火勢の弱まるのを待っている。 |
今年はだから、燃え上がる炎の勢いが、真っ赤に照らされた身体とひとつになる感覚だけを《食べ》て、これからの一年を巡っていくことにしよう。