明けましておめでとうございます
投稿日:2007-01-04(木)
謹 賀 新 年
今年もご愛顧のほどよろしくお願いします。
「てつがく村」の今年を抱負を述べます。
まず、通いの一人兼業農家の一年を「村便り」(「天地人籟」の下位コーナー)として掲載していきます。
「村便り」はすでに昨秋から掲載し、いまでは27記事になっています。しかし、その記事は試行的なものと考えていました。「村便り」の構想を抱いたものの、はたして継続的に掲載できるだろうか、という不安があったからです(いまでも、あります)。そこで、比較的余裕のある秋から冬にかけて試行的に掲載を続けて、余裕のない農耕のシーズン中でも掲載を継続できるかどうか、予測してみようとしました。三カ月近く試みた結果、不確かながらも見通しがついたような気がします。そこで、年頭にあたり「村便り」のコーナー開設を正式に発表することにしました。
以前にも(2002年)「農耕日誌」という名称で農耕の一年を綴ったことがあります。それにもかかわらず、改めて農耕の一年を綴ってみようと思ったのは、当時と違い、いまは畑作のみならず稲作も、田植えや稲刈りを委託することなく、自分一人で担うようになったからです。つまり、畑作も稲作もともに一人前の百姓になったからです。稲作の自立は去年でした。したがって、今年は二年目になります。一人前といっても、去年は見習いと言うべきで、れっきとした一年生になるのは今年からでしょう。
両作一人前になるにともって、二足草鞋の生活は、肉体的にも時間的にも一段と厳しいものになりました。正直なところ、辛かったり、苦しかったり、鬱屈したりするのは、日常茶飯のことです。まあ、どんな人生を送るにしても、状況はそう変わるはずはありますまい。でも重要なのは、部分的な負の価値ではなく、全体として正の価値だ、と考えています。二足草鞋の生活が全体として正の価値をもつものとして体験できれば、部分的な負は全体的な正によって浸透されて、絶対的な負であることをやめる、と考えています。たとえば、苦労のしがいがある、と言われるときの苦労が、そのような負でしょう。
通いの一人兼業農家という、私の、二足草鞋生活がはたして全体として正の価値をもつようになるかどうかは、分かりません。しかし、その生活を、いままで同様、これからも生き抜いてみよう、そしてその生活を一年間、農耕の側面から綴ってみよう、というのが「村便り」の意図です。
体裁上の制限として、字数を上限を1000字程度にします。いままでの試行からして、1000字の制限はきついのですが、字数を無制限にすると、最初、コンパクトな記事を、と心がけていても次第に長くなり、それにともない、気軽に記事を書けなくなることが、少なくとも私の、経験から分かっています。
1000字は本文の字数であり、画像につける説明は含まれません。したがって、舌足らずのところは、できるときには画像の説明で補うつもりです。また、長い文章が必要な記事は「天地人籟」の別立て記事として書くつもりです(もっとも「村便り」に執筆エネルギーのほとんどをとられてしまいそうですが)。
ついで、「太極拳」というコーナーを設けます。ただし、こちらはいつまで続くか/続けられるか、分かりません。執筆意図は、去年の11月半ばに始めた太極拳を中心に身体について綴る、と漠然と示すにとどめます。実際、私自身、先がはっきりとは見えていません。
以上です。
今年もご愛顧のほどよろしくお願いします。
「てつがく村」の今年を抱負を述べます。
まず、通いの一人兼業農家の一年を「村便り」(「天地人籟」の下位コーナー)として掲載していきます。
「村便り」はすでに昨秋から掲載し、いまでは27記事になっています。しかし、その記事は試行的なものと考えていました。「村便り」の構想を抱いたものの、はたして継続的に掲載できるだろうか、という不安があったからです(いまでも、あります)。そこで、比較的余裕のある秋から冬にかけて試行的に掲載を続けて、余裕のない農耕のシーズン中でも掲載を継続できるかどうか、予測してみようとしました。三カ月近く試みた結果、不確かながらも見通しがついたような気がします。そこで、年頭にあたり「村便り」のコーナー開設を正式に発表することにしました。
以前にも(2002年)「農耕日誌」という名称で農耕の一年を綴ったことがあります。それにもかかわらず、改めて農耕の一年を綴ってみようと思ったのは、当時と違い、いまは畑作のみならず稲作も、田植えや稲刈りを委託することなく、自分一人で担うようになったからです。つまり、畑作も稲作もともに一人前の百姓になったからです。稲作の自立は去年でした。したがって、今年は二年目になります。一人前といっても、去年は見習いと言うべきで、れっきとした一年生になるのは今年からでしょう。
両作一人前になるにともって、二足草鞋の生活は、肉体的にも時間的にも一段と厳しいものになりました。正直なところ、辛かったり、苦しかったり、鬱屈したりするのは、日常茶飯のことです。まあ、どんな人生を送るにしても、状況はそう変わるはずはありますまい。でも重要なのは、部分的な負の価値ではなく、全体として正の価値だ、と考えています。二足草鞋の生活が全体として正の価値をもつものとして体験できれば、部分的な負は全体的な正によって浸透されて、絶対的な負であることをやめる、と考えています。たとえば、苦労のしがいがある、と言われるときの苦労が、そのような負でしょう。
通いの一人兼業農家という、私の、二足草鞋生活がはたして全体として正の価値をもつようになるかどうかは、分かりません。しかし、その生活を、いままで同様、これからも生き抜いてみよう、そしてその生活を一年間、農耕の側面から綴ってみよう、というのが「村便り」の意図です。
体裁上の制限として、字数を上限を1000字程度にします。いままでの試行からして、1000字の制限はきついのですが、字数を無制限にすると、最初、コンパクトな記事を、と心がけていても次第に長くなり、それにともない、気軽に記事を書けなくなることが、少なくとも私の、経験から分かっています。
1000字は本文の字数であり、画像につける説明は含まれません。したがって、舌足らずのところは、できるときには画像の説明で補うつもりです。また、長い文章が必要な記事は「天地人籟」の別立て記事として書くつもりです(もっとも「村便り」に執筆エネルギーのほとんどをとられてしまいそうですが)。
ついで、「太極拳」というコーナーを設けます。ただし、こちらはいつまで続くか/続けられるか、分かりません。執筆意図は、去年の11月半ばに始めた太極拳を中心に身体について綴る、と漠然と示すにとどめます。実際、私自身、先がはっきりとは見えていません。
以上です。