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2007/03/06
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村便り:2007-03-01(藁の切断)
投稿日:2007-03-06(火)

 今日は一日休暇を取って農作業。

 昨秋、稲の脱穀が済んだあと、田んぼでの作業は一度もしなかった。田んぼには藁が脱穀時のまま放置してあった。踏むべき手順に従えば、藁は切断して、年内に浅く鋤きこむ。すると翌春の荒起こしまでには藁は腐熟して、その年の稲作のための肥料になる。しかし、その手順を踏めなかった。理由は、藁を切断して田んぼ全面に撒くのが遅れたからである。

藁切り機-後ろから
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藁切り機。
 藁は一束ずつ投入する。機械の馬力が小さいので、束の尻を押す様にして勢いをつけてやらないと、束が途中で詰まり、機械が止まることがある。投入された束は、切断されて、向こう側の口から排出される。
藁切り機-前から
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藁切り機を前から見たところ。
 最初は作業の要領が分からなかったので、脱穀したところに置いてあった藁束をその場所で切断した。しかし、切断して溜まった藁は、今度はフォークなど使って全面に散布しなければならない。その手間を考えれば、藁束は、切る前に田んぼのあちこちに運んでおいた方がいい。藁切り機の背後に二列に藁束の塊が並んでいるのは、そのように考えて運んだからである。藁は、藁切り機を後退させながら、切断していく。
 機械の左右に藁を二列に並べたのは理由がある。身体の左右を偏りなく使うためである。
 最近、太極拳のお師匠さんが書いた短い論文を読んだ。論文は、太極思想が太極拳の動作にどのように反映しているかを「雲手」という型を素材に検討したものである。その論文で、右手と左手、右足と左足という二対の身体部分が陰・陽に配されている、と指摘してあった。そのくだりを私は勝手に解釈して、要するに左右バランスよく使えば、身体の力を有効に使え、かつ身体に負担をかけない、と読み、藁切り作業に《活用》した。
 藁切り機の投入口に向かって足を広げて立つ。足の位置は動かさず、たとえば右側の藁束をとるときには、右足を曲げ(左足を伸ばし)、右手で掴む。掴むと今度は左足を曲げ(右足を伸ばし)ながら、身体を投入口の位置にもっていき、右手で藁を投入し、さらに左足を曲げながら、今度は左側の藁束を左手で掴む。このように、身体を左右左右とリズミカルに動かして作業を進める。
 農作業では、偏った動きが多いため、しばしば身体の片側を痛める。しかし左右偏らずに使った今回の藁切り作業では、心地よい体操をしているかのような感覚を覚えさえした。「よし、今度お師匠さんにあったら、この話をしよう!」なんて思いながら、「右左、右左。陰陽、陰陽。」と頭で唱えて作業をした。(お師匠さま、太極拳の低レベルな《活用》で申し訳ありません m(_ _)m)
 昨秋の「村便り」にも書いた様に、去年から稲作は完全自立した。収穫は、コンバインで稲刈りし、天日干ししてから脱穀する、という伝統的な手順で行なった。ハーベスター(脱穀機)は、脱穀と同時に藁を切断する機能をもっているものもある。しかし、我が家のハーベスターは旧式の貰い物なので、藁切り機能はついていない。その代わり、ハーベスターと一緒に、単体の藁切り機を貰った。ハーベスターも藁切り機も、ある農家で放置してあったのを見つけて貰って来てくれたFさんの家の小屋に置いてあった。ハーベスターは脱穀期に引き取った。だが、藁切り機の方は、同時には引き取らなかった。脱穀が終わると、稲作に向けられていた気が緩んだ一方で、別の農作業に追いかけられ、それに、藁切り機が手元にないことも手伝って、藁切り作業は、気にはなっても絶えず先送りしていた。そして、とうとう春になったのである。

 藁を焼却しようかとも考えた。春に鋤きこんでも、田植え時期までには腐りきらず、水を張った田んぼの中でなおも腐熟が進行するため、稲の幼少期にガスを発生させる。ガスは稲の生育のためにはよくない、と言われている。しかし去年は四月になって初めて田起こしして藁を鋤きこんだため、ガスが発生したが、そのために稲の生育がとくに悪かった、ということはなかった。今年は去年に比べればまだ一カ月早い。そこで、意を決して、藁切りをし、さらに週末に鋤きこむことにした。

 午前中、Fさんの小屋から藁切り機を引き取り、作業を始めた。機械は、操作が簡単なので、すぐに慣れた。二区画の田んぼで藁切りを行い、夕方、そのうちの狭い方の田んぼで藁を全面に散布した。

 散布作業をしているとNさんが農道を通りかかった。彼は毎日この時間に犬の散歩をして、途中で自分の田んぼの様子を見る。彼の家の田んぼは私の家の田んぼと農道を挟んで隣である。Nさんと私は、私のやっている作業について短い会話を交わした。Nさんは「今から鋤いても[田植えまでに]腐るかのぉ」と心配そうに言った。「ガスが出るかもしれんの。去年もガスが出たけん。」と私。Nさんは、不安を煽りすぎたかもしれないと考えたのか、「まあ、ひとりじゃけん、やれん(*)よのぉ。ゆっくりやりんさいよ」と私の事情を気づかうような言葉を残して去っていった。
(*)「やれん」は、文字通りには「できない」という意味だが、「できないほど大変である」という意味で用いる。

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