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2016/04/07
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村便り:2016-04-06(水)[2/2] (ノビル! それと、人参播種)
投稿日:2016-04-07(木)

午後は、畑で作業。4月3日に作った人参畝に種蒔きをするためである。この日に種蒔きのスケジュールを合わせたのは、4月3日の「村便り」に書いた通り、従姉の友人(Aさんとする)のために種蒔き実習をするため。

Aさんは去年と今年、人参の間引きをしてもらった。草取りが好きだ、と聞いていたので頼んだ。そしてAさんは間引きながら種蒔きもしてみたい、と思ったそうである。ただし、今まで種蒔きの経験はない。

種は15ガンギ蒔いたが、そのうち5ガンギを実際にまいてもらった。種蒔きの前に、蒔き条を、水分確保のために、鎮圧すること。人参種の蒔き方。人参は、好光性の発芽をするので、蒔いたあと覆土は薄くすること。種蒔きあとは再度、鎮圧すること。保湿のために蒔き条にもみ殻を蒔き、その上から、防鳥と保湿のため不織布を被せること。そんなことを説明しながら、私が実際にやってみせて、そのあとで、Aさんにやってもらった。

兼業農家だったころは、他の人に農作業を体験してもらうような時間的、精神的余裕はなかった。素人にやってもらうと結局、足手まといになるだけだからである。でも、今は少しは遊び心もできてきたということか。


話題転換。

畑の隅とか、畦とかに、ラッキョウのようなものが生えているのを百姓をやり始めた頃から気づいていた。ラッキョウとは葉の様子が違うし、掘っても小さい鱗茎しか出てこないので、ラッキョウとは違うものだろうとは思っていたが、正体は知らなかったし、知ろうともしなかった。ただ、抜いても鱗茎は残りやすいし、また種もつけるようなので、除草しきれず、むしろ増えていく、やっかいな《雑草》という認識はあった。


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ノビル。
 …で間違いないと思うのですが。
ところが最近、偶然その正体が分かった。ノビルである。調べてみると食用になるようである。葉っぱを食べてみると、ネギ類らしい刺激的な味がする。食用になる野草だということが分かっても、いまのところわざわざ採取しようとは思わない。誰かが採取して食べさせてくれれば、むろん食べたい気持ちは十分にあるのだが。

で、時々コメントを書きにやってくるベジタリアン縄文人さんを思い出した。あの人なら狂喜して採取するでしょうね。

村便り:2016-04-06日(水)[1/2] (田んぼのゲシに、石垣が埋もれているかも。)
投稿日:2016-04-07(木)

明日は終日雨の予報だが、今日は晴れ。農作業を急ぐ。

午前中は田んぼに出て、荒起こし前の作業。天気予報をみながら、来週月曜日か火曜日に荒起こしをすることにした。それまでに、トラクターが鋤き残す田んぼの際を掘り起こしたり、畦を切ったりする。


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前日の灰ヶ峰の画像と比較していただきたい。山腹左側1/3の花の様子が少し異なっている。
昨日の村便りに書いた、灰ヶ峰山腹の花事情を、再度確認してみた。昨日掲載した画像に「灰ヶ峰山腹の左側1/3はまだ辛夷が優勢」とコメントをつけたが、今日、あらためてみると、その部分は辛夷ではなく山桜のようである。遠目での判断だが、その部分の花(一本の木の花群)は昨日に比べて広がっており、その広がりから判断すると山桜である。場所による日当たりの、若干の違いはあるにしても、同じ山腹の同じ標高で、辛夷の花と山桜が混在するのは考えられない。昨日は、開花を始めたばかり山桜を辛夷と錯覚したようである。


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田んぼのゲシ。
 ゲシは大抵、その下側は石垣になっている。崩壊防止のためであろう。このゲシもやはりそうである。畦からさがっている草を取り除けば、もっとはっきりと石垣が確認できる。
 

(クリックで画像の拡大)
これが本文で説明しているゲシである。
 畦にポールが5本立ててあるが、大体その位置が石垣の条であると思われる。ゲシは、畦から土が崩れて堆積したように、傾斜している。
村全体は北側に向かって傾斜しているので、傾斜に沿って並んでいる田んぼは階段状になっている。上の田んぼとの境に溝を掘り上げていたとき、ふと思いついて、上の田んぼのゲシ[下の田んぼに接する部分の段差部分]の下部にポールを差し込んでみた。ゲシが土だけでできていればポールは入り込んでしまう。しかし、内部に石があればそこで止まる。互いに離れた場所で何カ所か試してみると、どこでもポールが止まってしまう。しかも、大体同じような位置で止まる。そのことから推測されるのは、ゲシの下部にはもともと石垣が築かれていて、長い年月の間に、上の田んぼから崩れてくる土によって、今ではゲシとなった土に埋もれてしまった、ということである。私が百姓を始めたのは20年前である。しかし、その時すでに件のゲシは石垣ではなく、土だった。だから、もともと石垣があったなどとは想像だにしなかった。考古学者の発見のような興奮、とは言い過ぎだが、ちょっとした驚きだったことはたしか。石垣のところまで土を削ってやろうか、と考えた。でも、実行するにしても、今のように忙しい時期は無理だから、冬の農閑期になるだろうが。

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