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村便り:2006-10-07(月明かりの稲架掛け)
投稿日:2006-10-11(水)

 昨日は仲秋の名月。今夜は満月である。しかし都会に住んでいると月を意識することはほとんどない。

 今日はもち米の稲刈りをした。もち米はうるち米に比べると熟すのが少し早い。いずれも八月半ばを過ぎると出穂するが、もち米のほうが三、四日早い。そのぶん登熟も早いというわけである。もう少し熟させてもいいかな、という熟れ具合だったが、刈り取り後すぐに乾燥機にかけるコンバインでの稲刈りではなく、後熟が期待できる稲架掛けをするバインダーでの稲刈りなので、予定通り実行することにした。

 もち米は3畝(300m2)作っている。その面積であれば、刈り取りから稲架掛けまで二人でやれば、去年の経験によると、四時間ほどである。今年は一人での作業だから、まる一日かかると計算した。
 日没までに仕事をおえようとすれば、朝の8時から刈り取りを始めなければならない。しかし、一人なので好きな時間に始めることができる。また、百姓仕事は息の合う相棒とやると、心も軽くなるし能率も上がるものであるが、一人だとついつい億劫な気分が足を引っ張る。そんな心理から、家を出るのが遅れ、稲刈りを始めたのは11時半だった。

 村に着くまでは気乗りしないままだったが、いざ仕事を始めれば嫌気は吹っ飛んでしまうものである。2時間で刈り終え、昼食後、稲架を組み立てた。そして、その周囲に刈り取った稲束を集めると、稲架掛けの準備完了。稲を掛け始めたのは17時半ごろ、日没直後であった。

のぼり始めた満月
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のぼり始めた満月(18時20分)。写真では月は輪郭がぼけているが、実際には夜空にくっきりと浮かんでいた。
もち米の稲架
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前日掛け終わった稲架を翌日に写した。
 今日中に全部掛けてしまいたい。でも日が暮れてしまう。しかし、私は焦らなかった。作業工程に今夜の満月が織り込まれていたからである。
 満月は日没しばらくして、東の空からのぼる。雲のない日なら、太陽に代わって月が野良を照らしてくれる。コンバインなどの機械操作は無理だとしても、稲架掛け程度になら十分な明るさである。
 夜になるとさすがに気温が下がり、寒いほどであった。日本の米は秋の収穫期に夜寒にあうのでおいしくなる、と本で読んだことがある。その話が事実かどうかは知らぬが、感覚的には肯ける。野良にいると薄暗い冷気に身震いをする。稲もまた実を引き締めてキラリと結晶するのだろう。
 満月に照らされながら作業を進めている最中、ふと暗くなる。反射的に空を見上げると月が雲に隠れている。月夜では、日中と違い、まわりのわずかの変化でも体が反応する。稲束をひとつひとつ摑み上げてはナルに掛けながら、従姉の昔語りを思い出した。「近代化」以前には、農家は月齢をも勘定にいれながら働いていたのである。

 稲架掛けを完了したのは夜8時前であった。
村便り:2006-10-04(広島菜)
投稿日:2006-10-06(金)

 昨夜テレビのローカルニュースを眺めていると、「…広島菜を植えました」というアナウンサーの説明が耳に入った。「広島菜」という言葉にひかれて画面を見ると、幼稚園児たちが映されていた。「植える?苗を定植したのだろうか?」と気になり、画面を追っていると、種が蒔かれたポットが映し出された。「…苗を定植して、来年2月に収穫して漬けます」と説明が流れた。
 広島菜は百姓を始めた当初は蒔いたが、もう長いこと作っていない。しかし、漬け物にするかどうかは別にして、あの、緑の濃く、歯ごたえのある広島菜をまた作ってみたい、と思って種は買っておいた。ところが作ることが習慣になっていないので、すっかり種のことを忘れていた。ニュースは、その種を思い出させてくれたのである。

 夕方、帰宅途中に畑に寄り、広島菜を蒔いた。日没は日に日に早くなり、夕方の作業はやりづらくなった。小さな種が夕闇に紛れてしまわないうちに、なんとか種蒔きをおえることができた。それからついでに、暗がりの中、すでに野菜が生育している畝での中打ち[「なかうち」。普通、「中耕」と言われる作業で、株間の土を鍬で軽く掻くようにして耕し、水をしみこみやすくしたり、除草をしたりする]少々と、白菜の追肥をしてから帰宅した。

 広島菜漬はやったことがない。私が手がけている漬け物は、沢庵漬と白菜漬である。白菜漬けは春先まで、12月に漬ける沢庵漬は5月まで食べる。広島菜漬に関しては、漬ける時期とか保存できる期間とかは知らない。しかし、テレビのニュースから推測するとおそらくこうである。
 秋蒔きで春先まで育てる。大株になったところで、薹立ちの始まる前に漬け込み、おそらくは春から初夏にかけて食べる。夏越しできる、という話も聞いたことがあるので、塩加減を調節すれば古漬けとしても利用できるのかもしれない(*)。
 ともあれ、これから久しぶりの広島菜が生育するのが楽しみである。
(*)【追記-記事を書いてから調べてみました-】
『日本の食風土記』と題する本をめくってみると広島菜漬についての簡単な紹介が載っていた。11月末に漬けて6月まで食べる、とある。
 インターネット上には、広島菜の産地、広島市安佐南区川内では、9月25日ごろ種蒔きし、12月初旬から収穫する、との情報があった。テレビで紹介された幼稚園児や私のように10月始めに種蒔きすると、おそらく収穫できる大きさになるのは2月になるだろう。
村便り:2006-10-02(レンゲ)
投稿日:2006-10-04(水)

 私が小さいころは、レンゲの咲く田んぼは普通の風景であった。しかし今では珍しい。
 稲作の近代化により、田植えは手植えから機械植えになった。すると、機械植えでは幼苗を使うので、少なくとも20日田植えが早まる。実際には1カ月は早くなっている。だから、たとえレンゲが育っていたとしても、花が咲く前に荒起こしで鋤きこんでしまわねばならぬ。
 また、牛耕から機械耕になると、稲刈り後、年内に一回耕起するのが普通になった。冬の間また耕起する人もいる。すると、たとえレンゲが発芽していても育たない。
 それにそもそもレンゲのように、扱いに手間がかかる緑肥を使わなくても、肥料は、有機肥料でも化学肥料でも簡単に買える。
 そのような理由でレンゲの風景は珍しくなった。

レンゲの種
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レンゲの種。レンゲの種は硬くて小さい。
稲刈り前の田んぼ
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早朝、空にはまだ昨日の雨の名残があった。
 今年は田んぼにレンゲの種を蒔いた。一日雨の降り続いた日曜日の翌日である今朝である。
 レンゲは何年かぶりである。以前は、翌年休耕する予定の田んぼに花を楽しもうと蒔いた。稲刈りは委託していた。コンバインでの稲刈りなので、同時に切り藁が田んぼ全面に散布される。すると稲刈り前に蒔いておいたレンゲは、藁に邪魔されて発芽が悪くなる。このことを知らず、失敗したことがあった。発芽率を高めるためには、わざわざ藁を取り除いてやらない。だから、レンゲを二、三回蒔いた後やめた。しかし、今年からは自分でバインダーを使って稲刈りをする。藁は脱穀した後、カッターで切る。だから、田んぼに切り藁を撒かないこともできる。そこでレンゲを蒔こうと思い立った。
 レンゲは田んぼの水を落とした後、稲がまだ立っているところに蒔く。朝はまだ前日の雨のため、稲は濡れていた。そこで下半身にカッパをつけて田んぼに入り、稲の上にふりまいた。こうすれば、種が落ちた地面は湿り気が保たれているので、稲刈りのころにはもう発芽が始まっている。

 今回は2枚の田んぼに蒔いた。1枚は、レンゲを緑肥として使う実験のため、来年休耕予定のもう1枚は、花を咲かせて楽しむため。田んぼの広さは共に3畝(300m2)で、種は各々1kg使った。

 緑肥にするとは、すなわち、有機的栽培の試みである(有機《的》とニュアンスをつけて書いたのは、穂肥[出穂約二週間前に施す追肥]には化学肥料を使うため)。ところが、レンゲの種の生産地は中国。私の考える有機栽培の意義によれば、、輸入種は矛盾である。皮肉の種を蒔き終わると、職場に向かった。
村便り:2006-09-30(明日は雨?…!)
投稿日:2006-10-02(月)

 土曜日は子どもの運動会だった。だからその日一日は農作業を休む予定にしていた。そして日曜日の天候予報は曇り後雨だったが、午前中ぐらいなら作業はできるだろう、と踏んでいた。ところが、昼休みに帰宅して電話で最新の天気予報を確認すると、日曜日は朝から雨。そこで、子どもの出場番組が終わり次第、村に向かった。

 野菜はこの一週間、作業は進捗した。農繁期には、週末に畝を作り、平日の早朝や夕方に種蒔きや定植をすることがよくある。畝作りには時間がかかるが、種蒔き・定植は短時間でできるからである。この一週間で言えば、月曜日と火曜日の早朝に、春菊高菜(いずれも種蒔き適期のぎりぎり)、およびビタミン菜を蒔いた。さらに水曜日の夕方、9月3日に種蒔きしてベランダ育苗していた白菜を75株定植した(定植株数が多いのは、冬の間、二回白菜を漬けるため)。朝は眠気に打ち勝って薄暗いうちに起き出さなければいけないし、夕方は沈む太陽とのせわしい競争になるが、二足草鞋の生活では、平日でも時間帯によって草鞋を履き替えないと追いつかない。

 野菜の種蒔きは進捗しはしたものの、急いで種蒔きをしなければいけない野菜がまだ残っている。小一時間かけて3時半に畑に到着し着替えをすると、まず今週蒔いた畝を確認した。春菊と高菜は順調に発芽している。しかし一日遅れで蒔いたビタミン菜は発芽にむらがある。ここのところ降雨がないので、発芽しやすいアブラナ科の野菜も畝によっては発芽が悪い。しかし、明日の雨で遅れているところも一斉に発芽するだろう。

 今日の種蒔きはロケット(ルッコラ)と水菜。水菜は10月初旬までなら播種適期に入っているが、できるだけ早く蒔きたい(*)。今年は冬の菜っ葉として今まで作っていた小松菜の栽培を中止した。その代わりにビタミン菜をいつもより多く蒔いたが、さらに水菜の間引き菜を利用して小松菜の穴を埋めたい。水菜も多めに蒔いた。
(*)気温が下がり日照時間が短くなる秋は、種蒔きが1日遅れると収穫が1週間遅れる、と言われている。白菜は播種適期をすぎて蒔くと結球しないほどである。

 畑作業が終わると田んぼへ。木曜日に休暇をとって作業をしたものの、まだムナクトを切っていない田んぼが残っている。そんな田んぼは雨が降ると水が溜まってしまう。稲刈りを間近に控えた今の時期は、それは避けたい。都合6箇所のムナクトを切り終えると、日は西の山に隠れたばかりであった。

種を蒔いた畝
高菜と春菊の種蒔き。
 畝の方向と直交する方向に、平鍬で表面の土を軽くすくいのけるようにして蒔き床を作る。ついで鍬の裏側を押しつけるようにして土を鎮圧する。すると、細長い長方形に窪んだ蒔き床ができる。そこに条状に種を落とす。乾燥している時には、種蒔きの前に蒔き床を水で湿らす。プラスチック製の担桶[たご]が見えるのはそのため。ひしゃくでたっぷりと水をやる。
 高菜のように小さな種の場合、篩で土をかけてやる。大根ぐらいの種になると、鍬に土を載せて蒔き床に振り落とす。再度、土を鎮圧して、もみ殻を振る。もみ殻は乾燥防止のため。(「天然動物性石灰」-牡蠣殻-と書かれた袋はもみ殻入れ。)
自然畝での夏野菜:ナス
投稿日:2006-10-02(月)

自然畝での夏野菜の栽培についてまとめておこう。まずはナスについて。

一回目の定植-穴施肥-
ナスは例年通り、踏込み温床で自家育苗した苗を二種類定植した。最初のナスは3月9日に7cmポットに播種し、4月30日に12cmポットに鉢換えして、6月6日から18日かけて定植した(定植時期は一番花の蕾がふくらみかけた時)。元肥は穴施肥とした。記録するのは忘れたが、ピーマンなどの施肥記録からすると、発酵牛糞や発酵鶏糞を併せてカップ1杯から1.5杯施したようである(カップはプラスチック製の汁茶碗で、発酵鶏糞1杯は重量にして500g程度)。

定植したナス
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一回目に定植したナス(6月24日)。元気に生育している。

しおれたナス
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しおれたナス(6月24日)。写真には4株見えるが、結局全部抜いてしまった。(その後には、次に報告するピーマンを定植した。)

収穫が続くナス
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順調に生育する長ナス(9月7日)。この畝は、前作としてソラマメを栽培していた。「しおれたナス」の写真の左後方に収穫の終わったソラマメが見える。
定植した苗が肥あたりした!
定植してまもなく雨が降った。雨が上がるとしおれている苗が何株かあった。最初はまだ活着していないので水不足かと思い灌水した。しかし、朝は元気そうに見えるが日中しおれることを繰り返し、元気を回復しなかった。そのうち、肥料あたりしたのではないか、と考えなおし、その仕組みを次のように推測した。

わが家の畑は20cmから30cm掘ると赤土層になる。そこからは水が滲みにくい。だから、雨が降ると作土に滲みた水は赤土層のところで止まり、今度は傾斜にそって流れる。植え穴は赤土層まで掘って、底に肥料を入れて土と混和し、その上に2、3cmの間土を載せて苗を定植した。すると、雨量が多いと赤土層あたりで肥料分が高濃度に溶け込んだ水が滞留する。その水が根に作用して肥あたりを引き起こす。

ナスの元肥を穴施肥するのは、去年、二カ所で試みてうまくいった。一カ所は収穫用のなすである。今年の畝よりは作土が深いところを耕耘機で耕耘して畝を作り、肥料は化学肥料を使った。したがって、植え穴は今年よりも若干深く、また、水は滞留しにくく、さらに化学肥料は流亡しやすいために、肥あたりがおきなかったのだろう。もう一カ所は、苗2本を試験目的で定植して様子を見た。畝土の状態や気象条件が今年と違うためか、この苗も肥あたりの被害はなかった。

肥あたりした苗(8本定植したうちの4本)は抜いてしまったので、その後の経過は不明だが、活着した苗は元気に育った。

二回目の定植-置き肥-
二回目のナスは、4月7日に播種し、5月16日に鉢換え、6月28日から7月15日にかけて定植した。このナスは、最初のナスの勢いが衰えた頃から実をつけ始め、秋まで旺盛に実をつける。(最初のナスも切り返し[7月終わりから8月始めにかけて枝を三分の一から二分の一に切り縮める剪定]をしてやれば、長続きするのだろうが、二番目のナスを作っているという安心感があるため、ついつい切り返しを怠ってしまう。)一回目のナスで失敗したので、今回は元肥は定植したあと、株の近くに発酵鶏糞をシャベル1杯を置くだけにした。すると、定植に手間があまりかからない。小さな穴を掘って苗を入れ、肥料を置くだけの手間で済むからである。しかし、活着後の生育が心配だった。肥料は灌水したり雨が降ったときに少しずつ土に染みこんで根に供給されるだけであり、肥料分が不足するかもしれない、と考えたからである。

事実、始めのうちは花のつき方に(したがって、実のなり方に)勢いがなかった。しかし、ある程度時間がたつと、旺盛に花がつきだした。ただ、実の肥大具合をみるとやはり比較的緩慢のように思われた。それでも時間が経つと満足できる大きさにまで成長した。なお、定植後、二度、発酵鶏糞で追肥を施したが、施した肥料は総量としては少ない(*)。
(*)慣行栽培の場合、元肥を施し、さらに二週間に一度の頻度で追肥する。追肥に化学肥料を使えば、即効的に効く。ちなみに、発酵鶏糞は有機肥料しては即効性である。

ナス栽培の失敗体験
じつは、今年ナスを定植した畝は、自然畝に転換した最初の夏にナスを定植し失敗した畝であった。当時私は自然農法についての経験はなく、知識は本で読みかじっただけのものだった。栽培記録は残していなから記憶から当時を掘り起こしてみると、肥料は定植した場所から20cmほど離れたところに穴を掘り鶏糞(《発酵》鶏糞ではない)を入れた。定植してからの管理は時折草を刈るだけだった。今は天候と草勢をみて水やりをするが、当時はそれはしなかった。生育に勢いがなかったナスはそのうち草に埋もれて消えてしまった。収穫はほとんどなかった。それ以降、ナスは慣行畝で栽培してきた。

それから6年後の今年、同じ畝でナスを栽培する計画したとき、その苦い記憶がよみがえってきた。しかし、ピーマンは自然畝で十分な収穫があげられるようになり、また、ナスも去年の試験栽培でうまくいくとの感触を得たので、今年はうまくいくだろう、と予想していた。ただナスは比較的肥料分を要求するので、相応の元肥は必要と考えていたが、肥あたりで変則的な元肥しか施せなかった。しかし、結果は、成功といっていいだろう。

地肥、縦横に張る根
この結果は、理由をどう分析すべきだろうか。

ナスは大苗を定植することもあり、天候次第では活着がスムーズにいくよう灌水してやる。また、ナスは水分を要求するので、収穫が始まっても乾燥するようだと、灌水してやる。この点には配慮した。自然農法といえ、多少の手助けは必要であろう。
肥料に関して言えば、畝の状態によってある程度の施肥はするようにしている。今回の場合、肥料は予定していたほどには施せなかった。しかし収穫は予想を上回った。その理由として考えられるのが、ナスは肥料分をもとめて根を縦横に伸ばし、畝の地肥(こんな表現はないだろうが、畝自体が保有している肥料分の意味で造語した)を吸い上げた、ということである。地上部の緩慢ではあるが着実な生育が、この推測の根拠になろう。地肥について言えば、畝は自然畝に転換して6年目であるから、自然に肥えてきているはずである。
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