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村便り:2016年02月08日(月) (え? 切りすぎた!)
投稿日:2016-02-09(火)

畑の隅に生えている木の枝を整理したり、伐採したりした。H市内に住む弟と、車で1時間半ほど離れた、山村に住むMさんが加勢に来た。私とMさんはチェーンソーをもっている。まず、私は柿の木にのぼり、弟が始動したチェーソーを紐で引っぱり上げ、枝を整理した。その間、Mさんは一人で枯れかけた松を根元から伐採した。最後に、三人で高く伸びた常緑樹(名前は分からないが、近所では庭木に剪定してあるのをみかける)を切り倒した。


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2014年3月4日の柿の木。
まだ、枝は払っていない。
 

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今日、枝を払った後の柿の木。
 

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上の画像とは反対側から見た柿の木。
 胸が痛む。
 

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庭木にする高く伸びた木を伐採するMさん。当の木は、上の方だけ枝が残っているもの。こちらの方に倒した。
柿の木は、樹齢は分からないが、古木である。わが家の畑には、柿の木が4本、植わっているが、そのなかで一番古い。芯が止めあるところから伸びた枝が電線に引っかかりそうになっている。その枝は、30年ほど前、父の指示で私が枝を切り落とした幹から伸びたものである。2年ほど前に一部を切り落としたことがある。今回は、電線に引っかかりそうな枝は全部整理し、さらに、他の枝もつづめようと思った。

私は下から見ている弟の指示で枝を払い始めた。私はどちらというと決断の遅い方である。いろいろと考えないと決断に至らない。だから、私ひとりではなかなか枝の整理が終わらない。ところが、弟は次々と枝を短くするよう指示してくる。基本的には弟の指示に従って、かなりの枝を落とした。

作業が終わり柿の木からおりて弟と話をすると、弟は、柿の木を根元から伐採するのだ、と思い込んでいたようである。枝を短く払うよう指示してきたのはそのためであった。

下から見上げると、柿の木は、伐採前に比べると、幹だけになったように見える。柿の木は生命力が強いので、強い剪定のせいで枯れたりはせず、逆に切りあとから何本も枝を伸ばす。しかし、弟の思い違いに気づき、枝がほとんどなくなった柿の木を見上げると、自分だけならここまでは切り込まなかっただろうと思い、落ち込んでしまった。

柿の木は、西条柿である。近年、実の成りが悪くなりはしたが、収量のこととは別に、私にとっては、先祖たちが生きてきたひとつの象徴である。ここに住んではいないにせよ、長年ここで農作業をしてきただけに、その柿の木に対する思い入れは強い。だから、枝を刈り込まれた柿の木を見ると、私の生身になっているともいえる歴史を殺がれたような痛みを感じたのである。

しかし、切ってしまった枝は付けなおすわけにはいかない。幹自体はそのままなのだから、根本は保持しながら、若返りの手段として強剪定をしたと考えることにした。剪定前のように枝が張るのは、40年50年先になるだろう。(その頃はもう私は生きてはいないだろうが。)

そう考えても、すぐに気持ちが切り替わるわけではない。夕方から寝るまでの時間(さらに、寝てからも)、切り込まれた柿の木が強い残像のように残り、やはり落ち込むことになる。

庭木になる常緑樹を切り倒したあと、ドングリの木(「村便り:2016年02月02日」に画像がある)の取り扱いについて考えた。作業を始める前の心づもりでは、芯を止めるつもりもあった。しかし、常緑樹を切った経験から、ドングリの木も切り倒すのはさほど難作業ではないことが分かった。木があれば小鳥たちがやってくる。それは農作業のバックグラウンド的な楽しみである。だから、鳥たちが運んできた種から生えた雑木類は、全部ではないにせよ、成長するがままにしておいた。その楽しみを減じないため、また、柿の木で落ち込んだこともあり、今回は何もしないことにした。

村便り:2016年02月07日(木) (シーズン最初の播種)
投稿日:2016-02-08(月)



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人参の播種。
 播種した畝はビニールトンネルで覆う。ビニールの裾は土を載せて、トンネルを密封する。すると熱も水蒸気も抜けにくくなり、発芽と生育が促進される。
 

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ロケット(ルッコラ)の花。
 畑は春の気配がする。冬の間、食卓を賑わしてくれた野菜たちは残り少なくなり、残っているものも寒さにやられ、薹立ちの準備をしている。ロケットは早々と花をつけている。
播種人参[3月下旬までトンネル]

今シーズン初めての播種作業。人参をビニールトンネル内に蒔いた。(むろん、作業順序としては、播種してから畝をビニールで覆う。)ビニールトンネルは3月下旬に外す予定。収穫するのに十分な大きさになるのは、3ヶ月ほどあと。

人参を蒔くのは、2月始め、4月上旬、7月、8月下旬の4回。春の2ヶ月ほどは端境期になるが、それを除いては人参はいつも収穫できる。

村便り:2016年02月02日(土) (急く心で畑の草焼き)
投稿日:2016-02-03(水)

立春がすぐそこまで来ている。



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畑の草焼き。
 後方の高い木がドングリの木。生えてから20年近く経とうか。すぐ近くには同じ木はないから、鳥が種を山から運んできたもの思われる。芯を止めなければまだ伸びてしまう勢いである。
 ドングリの木の右後ろの常緑の木は、名前は知らないが、近所でよくみる庭木。これも鳥が種を運んできたもの。庭木としては芯を止めて低くしつらえられているが、放任すると結構高くなる。ドングリよりあとに生えたもの。
 その手前、庭木の木と重なるように開張した樹形の落葉樹は山桜。少なくとも30年前から生えている。
 ドングリの木の前に積んである藁は、3月中旬の踏込み温床に使うもの。1年積んでおくと、下の方の腐った藁のなかではかぶと虫の幼虫が育っている。
まさに《山》である。
今春から畑作を本格的に再開しようと思い、そのための準備作業を立春までにはおえたかった。予定していた作業は、耕作を休止したため草が生い茂っている部分の草刈りと耕耘、および、畑の周囲に生えている樹木の剪定と伐採である。そのうち今のところは、草刈りが済んだだけである。

定年退職したのは去年の3月31日。その次の日から新しい生活にすっと入って行くことは難しい。農耕に関して言えば、半農半サラ生活で溜まった《つけ》をまず《返済》しなければいけない。十分に管理できなかった耕地をしかるべき状態に回復する必要があるのだ。それも、季節とともに進行する栽培と平行しながら、そうしなければならないのだから、きちんとスタートラインにつくためには、少なくとも農耕の1シーズン、つまり暦の1年が必要となる。

そのことは退職する前から予想はついていた。私より年配の近所の人が、退職してから、その人の畑がきちんと管理されるようになるまで、1年ほどかかったのを見ていたこともある。1年が経過すればスタートライン、と思っていたものの、他の事情もあって、復旧作業がはかどらなかった。そして、とうとう立春が目の前に迫った、というわけである。

今日は畑の草焼きをすることにした。

この区画は、最後の作付けは2014年秋である。去年は何も栽培しなかったが、2014年春に植えつけたヤーコンをほとんど収穫しないままにしておいたところ、今春また発芽して生育した。それを除けば、《雑草生い茂る野原》状態だった。

草焼きが済めば、できるだけ早く耕耘したい。土を返して寒さに晒すと、凍結と融解とを繰り返して、土塊がこなれる。それから春の作付け前にもう一度耕耘すれば、作りやすい土になる。

この区画は周囲の一部に、木が生えている。庭木や果樹以外に、鳥が種を運んできたものもある。いわば《山》になりつつある。手入れをしないので、木は伸び放題。とりわけ、ドングリをつける木が思いの外、大きくなってしまった。木は実をつけるので、小鳥たちを呼ぶ。小鳥たちの姿を見、そのさえずりを耳にするのは楽しいが、木が大きくなりすぎると、管理が素人の手にはおえなくなる。

冬の作業として、大きくなりすぎた木の枝の整理や、芯止め、さらには伐採を考えていたが、まだ何ひとつ手がついていない。

冬至から1ヶ月余り経ったとはいえ、冬の短い午後はすぐに暮れる。急く心ではあるが、仕事じまいを始めた。まだくすぶる草をまとめ、飛び火しないように、上に土をのせて、一日は終わった。
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