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村便り:2007-04-03(火) (休耕田の草焼き)
投稿日:2007-04-05(木)

 夕方、休耕田の草焼きをした。その休耕田は、昨年、15年以上続いた休耕から復活させようとしたが、田植えを始めたとたんに田植機が泥に埋まりこみ、復田を断念したダブである。そのまま放置していたので草が繁った。寒い時期に草焼きをして一度耕耘したかったが、愚図愚図しているうちに枯れ草の下から新しい草が伸びはじめる、この時期になってしまった。

休耕田の草を焼く炎
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草焼きには こ つ がある。
??
(クリックで画像の拡大)
上の写真とは反対の側から写した写真。
 右側は他家の田んぼ。広さは我が家の田んぼと同じ程度。境は直線になっているが、地籍簿によれば曲がっている。曲がっていると耕作しにくいので話し合って直線にしたのではないか、と想像する。
 この田んぼに来るとよく父の話を思い出す。父は、田んぼが狭く作りにくいので、隣の田んぼの所有者に、売って来れないか、ともちかけた。しかし、その所有者は受諾しなかった。耕作を続けるつもりだったのである。そして強湿田を改良するためにマサ[風化した花崗岩からできた砂]を田んぼに投入した。ところがマサが入ったとたん、耕作されなくなった(人手の関係で耕作できなくなったのだろう)。休耕(むしろ耕作放棄)期間は我が家の田んぼより長く、草刈りなどの手入れもされない。あのとき売ってくれんさったら[隣の田んぼの所有者も我が家も]えかった[よかった]のにのぉ、と父は話を結んだ。
 復田を断念したとは言え、田植機が埋まるまでにごく一部分は田植えをした。手はいっさいかけなかったが、その部分の稲は成長し出穂した。ただ堅く結実する前に猪に荒された。他方、田植えをしなかった部分にはヒエが生い茂り、まるでヒエ田のようになった。休耕していた時期は水を張ったことはなかったので、ヒエは消えていた。ところが一昨年、水を張って土を掻き回した。その年、水で種が運ばれて来たのか、ヒエがわずかに生えた(*)。そして去年は一面がヒエである。ヒエの繁殖力をまざまざと見せつけられた。
(*)稲を作っていた時期のヒエの種が土中で生存していた可能性も考えてみたが、手元の本によれば、イネ科雑草の種子は土中では寿命が短く、強湿田では例外的に8年は生存する、ということなので、その可能性は否定されよう。

 草焼きは乾燥警報が出ていないことを確認してやらないと、消防署に叱られる。一度、休耕田で、刈り倒して集めた草を燃やしているとき、見回りの消防署員に注意されたことがある。風の強い冬の日だった。草を焼いていると、県道を通りかかった消防車が停まり、署員が一人降りたのが見えた。その署員は農道を歩いて私のいる方にやって来た。まだ若い男だった。彼は私に向かって「おとうさん」と話しかけた。おいおい、わしゃ、お前のお父さんじゃないで、と内心むかつきながら、彼の話を聞いた。すると、乾燥警報が出ているのですぐに火を消せ、との指示だった。野焼きするときは事前に消防署に連絡するように、と注意もした。それ以降は、警報が出ていないことを確認して草焼きをするようになった。

 ただ冬はしょっちゅう乾燥注意報が出る。また出るくらいでないと草はうまく燃えない。そして、注意報が出ると必ず消防車が日に二回ほど巡回してスピーカーで注意を呼びかける。その際にも、消防署への事前連絡を勧告する。私は事前連絡はしないので、消防車の巡回しないときを狙って火をつける。

 今日も乾燥注意報は出ていた。しかし、風はほとんどなかったので火はおとなしく燃えすすんだ。枯れ草をなめるように焼いていく炎を追いかけながら、今年も復田に挑戦するだろうかと、自分の気持ちを確かめていた。心は去年ほどには高まってはいなかった。あるいは今年は見送るかもしれない、あるいは泥だらけになっても田植えを敢行するかれしれない…私の心は定まらなかった。
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