村便り:2008-05-02(金) (103歳のおばあさん、苗の鉢替え)
投稿日:2008-05-04(日)
鉢替え:ナス、甘トウガラシ類
定植:カボチャ[「バターナッツ」、ヒョウタン型の、皮が黄色い品種]
昨日、朝早く電話がかかり、近所のおばあさんが亡くなった、との知らせがあった。103歳。老衰状態で、娘さん(といっても私より年長で、世間一般の目からすれば「おばあさん」の範疇に入る年代)の介護を受けながら、久しく自宅で寝たきりの生活をしていた。朝早くにもかかわらず電話が入ったのは、近所の人だからでもあるが、もう一つ、わが家と同じ講[葬儀の互助組織で、この講は、15軒ほどで組織されている]の家だから、ということもある。通夜から葬儀にかけて、講に属する家から人が出て手伝いをする。
昨日は、予定を聞くために講長の家に朝から何度か電話をかけたが日中は繋がらず、また、私は授業がある日でもあったので、講の仕事には参加しなかった。夜遅く電話をかけてやっと繋がり、次の日(すなわち今日)の葬儀での予定を聞いた。
葬儀は12時から。講中は11時に集合し、受け付けの仕事に取りかかった。葬儀は従来は自宅でするのが普通だったが、今日の分も含めてここ二回は民営の葬儀会館で行われた。自宅でする場合は、講中は煮炊きをして昼食(の一部)を準備する。葬儀会館の場合は、帳場の仕事だけである。講は、人手と金が必要な葬儀を助け合う組織として成立した。40年ほど前までは村の外れにある焼き場[火葬場]を使い、その仕事も講中がやっていた。だから、昔は講がなければ生活が成り立たなかった。しかし、皆が豊かになり、生活も便利になった現在では、講中は次第に影が薄くなっている。それでも、過去の遺物にはなっていない講は、葬儀があると動く。
参会者の名簿を作成し、香典を計算したところで、一部の人を残して、講中は散会。
ナス、ピーマン、甘トウガラシ類の鉢替え、および、カボチャ(ヒョウタン型の、皮が黄色い品種、「バターナッツ」)の定植。
鉢替えは、ナスと甘トウガラシ類を終えたところで中止。ピーマンを入れ換える10.5cmポットが足りなくなったからである。残り作業は明日に回すことにした。
カボチャは自然畝に定植。生育を促進するためホットキャップを被せたが、12株定植したうち6株分しかホットキャップがなかった。これも残りは明日。
帰り道、ホームセンターによって、10.5cmポットとホットキャップを購入。
定植:カボチャ[「バターナッツ」、ヒョウタン型の、皮が黄色い品種]
昨日、朝早く電話がかかり、近所のおばあさんが亡くなった、との知らせがあった。103歳。老衰状態で、娘さん(といっても私より年長で、世間一般の目からすれば「おばあさん」の範疇に入る年代)の介護を受けながら、久しく自宅で寝たきりの生活をしていた。朝早くにもかかわらず電話が入ったのは、近所の人だからでもあるが、もう一つ、わが家と同じ講[葬儀の互助組織で、この講は、15軒ほどで組織されている]の家だから、ということもある。通夜から葬儀にかけて、講に属する家から人が出て手伝いをする。
昨日は、予定を聞くために講長の家に朝から何度か電話をかけたが日中は繋がらず、また、私は授業がある日でもあったので、講の仕事には参加しなかった。夜遅く電話をかけてやっと繋がり、次の日(すなわち今日)の葬儀での予定を聞いた。
葬儀は12時から。講中は11時に集合し、受け付けの仕事に取りかかった。葬儀は従来は自宅でするのが普通だったが、今日の分も含めてここ二回は民営の葬儀会館で行われた。自宅でする場合は、講中は煮炊きをして昼食(の一部)を準備する。葬儀会館の場合は、帳場の仕事だけである。講は、人手と金が必要な葬儀を助け合う組織として成立した。40年ほど前までは村の外れにある焼き場[火葬場]を使い、その仕事も講中がやっていた。だから、昔は講がなければ生活が成り立たなかった。しかし、皆が豊かになり、生活も便利になった現在では、講中は次第に影が薄くなっている。それでも、過去の遺物にはなっていない講は、葬儀があると動く。
参会者の名簿を作成し、香典を計算したところで、一部の人を残して、講中は散会。
ナス、ピーマン、甘トウガラシ類の鉢替え、および、カボチャ(ヒョウタン型の、皮が黄色い品種、「バターナッツ」)の定植。
鉢替えは、ナスと甘トウガラシ類を終えたところで中止。ピーマンを入れ換える10.5cmポットが足りなくなったからである。残り作業は明日に回すことにした。
カボチャは自然畝に定植。生育を促進するためホットキャップを被せたが、12株定植したうち6株分しかホットキャップがなかった。これも残りは明日。
帰り道、ホームセンターによって、10.5cmポットとホットキャップを購入。