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村便り:2007-12-20(木) (水選/洗した蕎麦を乾かす。 製粉機はどこ?)
投稿日:2007-12-21(金)

 12月23日(日)に同僚家族と蕎麦打ちして食べる予定である。そのため、先日から玄蕎麦の調整を行なっている。いままで行なった調整は、

 (1)脱穀した蕎麦を篩(目は、蕎麦の実が通る大きさ)を通して大きいゴミを除く。
 (2)箕で風選する。
 (3)再度、篩(目は、蕎麦の実が通らない大きさ)でゴミを除く。
 (4)玄蕎麦を真水につけて精選し、洗う。

である。(詳しくは「村便り:2007-12-16(日) (蕎麦の実の「磨き」)」を参照。)

洗った蕎麦を乾かす
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 洗った蕎麦をざるで乾かしているところ。
 ざるは、梅干し用の梅を乾かすときに使う、丸い竹ざるを使った。ざるの目から蕎麦が落ちてしまうので、布を敷いた上に蕎麦を広げた。
乾いた蕎麦
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 乾いた蕎麦。
 蕎麦を乾かすとき、ときどき蕎麦の位置を変えてやると乾きがはやい。位置の変え方に関して、籾を干す際のやり方を思い出した。何らかの理由で十分に乾燥していない籾は筵に広げて干す。籾の位置を変えるには、筵の両端を上げて籾を筵の中央部に集める。それから、道具(籾さがし)を使って、籾を再度、筵に広げる。(道具と、蕎麦を筵に広げた画像は「村便り:2007-11-24(土) (タマネギ定植)」にあります。)
 手前のざるを見ていただきたい。下敷きの左右の端を持ち上げて、蕎麦が中央に寄せてある。その蕎麦を再度、手でざる全体に広げる。このようにして位置変えをする。
調整した蕎麦
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水選/洗して調整が終わった蕎麦。
 (3)の工程を終えた玄蕎麦はいったん保存し、製粉するときその都度、必要量だけを(4)の工程を通すことにする。
 (3)の時点で1.1kg(一升枡、1杯)あった重量は(4)の工程を終了すると、1kg弱になっていた。(4)で、おおよそ10%のゴミや未熟蕎麦が除去されたことになる。

 製粉は蕎麦打ち当日の午前中に行なうつもりだが、2年間使っていない製粉機を点検しておかなければならない。ma femme の記憶では、小屋に納めてあるはずであった。しかし、小屋のどこにも見当たらなかった。そこで、蔵に入れたのだろう、ということになった。蔵は晴れた昼間しか開けない。湿気の侵入を防ぐためである。日程と天気予報を考えれば、今日しか開ける日はなかった。そこで、午後一コマ目の授業が終わると、車で40分離れた[蔵と小屋しか建っていない]屋敷に急いだ。

 蔵の中を探したが製粉機はなかった。いったいどこに? 私にはまったく見当がつかなかった。

 夜帰宅して、ma femme と一緒に記憶の中を探し回ったが、在り処に関する情報は見つからなかった。仕方ない。そこで、家の隅に以前おいてあった製粉機の記憶から辿りなおすことにした。小屋にもっていく前は、ここにあった…すると ma femme は何か閃いたようだった。そして、その横の押し入れを探すと…一番奥に製粉機が「隠れ」ていたではないか!なんともあっけない幕切れである。奥に押し込んだのは間違いなく ma femme であるが、おそらくは、それはあまりに普通の行動なので記憶にあとを残さず、邪魔だから小屋にでももっていけばいいのに、という思いが代わりに記憶になりすましたのだろう。

 せっかく玄蕎麦を3kgも洗って乾かしたのに、という徒労感の混じった苛立ちが、一転して安堵になった。

 残るは製粉と蕎麦打ち。請うご期待。
画像の追加
投稿日:2007-12-19(水)

「村便り:2007-12-16(日) (蕎麦の実の「磨き」)」 に画像を追加しました。
村便り:2007-12-16(日) (蕎麦の実の「磨き」)
投稿日:2007-12-17(月)

一日人間ドック
 昨日、12月15日は一日人間ドック入り(実質は、半日ドック)。三年前から、職場の健診の代わりに、人間ドックでの健診を受けるようになった。それまでも一年置きに人間ドック入りしていたが、一年置きを毎年に変えたのは、家族の健診を促すためがあった。ma femme は専業主婦的状況にあるので、定期健診は強制されない。しかし年齢から考えれば、定期的な身体のチェックは望ましい。腰の重い彼女を自分が受診することで動かそうと考えたのだ。

 例年、8月終わりにドック健診を受けていたのだが、今年は申し込みが遅れたため、この時期になった。今まで通り、結果は、問題なし、だったが、8月と12月の時期の差は体重差にあらわれた。8月は農耕のシーズンの只中で、暑さの中で長時間農作業することが多い。栄養摂取量より消耗量が多いので、結果として、体重が減少する。冬は作業量が減るし、食欲も旺盛になる。夏冬の体重差は3kgほどになる。冬の体重増は脂肪分が寄与しているので、体脂肪率も増加していた(私は体脂肪率は低い)。

 昼は、健診施設でもらった食事券を使って ma femme と一緒に食事。午後は、農作業には行かないことにして、一人で本屋廻りをしてから帰宅した。夜、ma femme がぽつり。「久しぶりに一日中家にいたね。」家にいた、ではなく、ma femme と一緒にいた、と言う方が正確である。週日サラリーマン、週末百姓の二重生活者にとって、たしかに滅多にないこと。のんびりした一日であった。

 さて、日曜日の今日。私は、昨日と性格が一変し、苛々こせこせ動き回る週末農夫に戻った。

 メインの作業は蕎麦の「磨き」作業。「磨き」という言葉は、インターネット上の知友人(知人のようであり、友人のようでもあり…)、ムーさんのブログで知った。蕎麦は脱穀して篩や実でゴミを除いたあと、「石抜き」と「磨き」の工程を経て、粉にする。

「石抜き」

(クリックで画像の拡大)
本文にある(3)の工程。脱穀した蕎麦からゴミを除く最後の工程。
 作業しているところは自然畝。

(クリックで画像の拡大)
(3)の工程で10kgの玄蕎麦からでたゴミ。

(クリックで画像の拡大)
水選/洗の工程。ゴミと未熟蕎麦が浮かんでいる。

(クリックで画像の拡大)
水に沈んだ実を洗って篩に移し、水切り。
 「石抜き」とは、実に混入している石や泥を除く工程。機械化された工程では専用の機械はあるようだが、すべて手作業の私は、その工程を特別には設けない。脱穀した実を、
(1)まず目の粗い篩で大きなゴミ(蕎麦の葉や枝)を除き、
(2)ついで箕を使って、残ったゴミを除く。
(3)最後に、目が、蕎麦の実より小さい篩を使って、小さなゴミ(葉っぱが微塵になったものとか、雑草の実とか、昆虫や昆虫の幼虫が残した糞とか)を振るい落とす、
という三工程の(2)と(3)で「石抜き」ができてしまう。とくに(3)のときに、篩に入れる蕎麦の量を少なくすれば、石や泥は発見しやすい。

私流「磨き」すなわち水選/洗
 ムーさんのブログで初めて知った「磨き」はどうやら「蕎麦の実についている汚れや泥を磨き落とす」工程のようである。これにも専用の機械があるようである。
 私は「磨き」という言葉と工程を知る以前に、今年は製粉する前に蕎麦の実を洗ってみようと考えていた。そう考えるきっかけになったのは、種蒔き前に、種を塩水で選別した経験である。塩水(塩10%)の場合、目視によると半分ほどの実が水面に浮かんだ。そこで真水だと、未熟な実と細かなゴミが浮かぶはずである、と考えた。去年の種を使って実験したところ、予測した通りになった。粉にして茹でると、汚れや泥が微量混入していたとしても健康には関係ないとは思ったが、今年は、昨今の食品偽装事件に触発されて、製粉工程を衛生的に管理しようと考えた(なんてことは、嘘! で、動機はたんなる好奇心)。
 ということで、今日は「磨き」目的で、蕎麦の水選/洗をしてみた。

今年の収量
 まず、脱穀しておいた実を全部、(1)から(3)の工程を通して、ゴミ除けと石抜きをした。今年の収量をはかると、10kgだった。一升枡一杯の実が1.1kgで、全部で1斗あったので、こういう計算になった。播種量は1kgだから、10倍に増えたことになる。今までで一番収量が多いが、栽培の仕方次第ではまだ伸びるかもしれない。

「磨き」は成功!?
 ついで水選/洗。水が八分目まで入ったバケツに一升枡一杯の実を入れた。そして浮かんだ未熟実とゴミをすくい取り、沈んだ実を軽く洗った。それを目が一番小さい篩に流し込んだ。水を切った蕎麦は、自宅に帰って、梅干しを干す竹製のざるに広げて乾かした。
 竹ざるの蕎麦を確認したところ十分に「磨か」れている様子。作業は手早くやったので、水がなかまでしみ通ってはいないと思われる。したがって、私流の「磨き」は成功、と言えそうである。

 さあ、どうでしょう、ムーさん。
村便り:2007-12-09(日) (田んぼで冬支度 - 里芋類と大豆)
投稿日:2007-12-10(月)

 昨日に続き冬支度。大豆を叩き、赤タマネギを定植する予定。それが予定ではあるが、赤タマネギの方は来年の二月に定植しようか、という気持ちが最初から動いた。

里芋類の防寒
(クリックで画像の拡大)
 里芋類の防寒。
 里芋は寒さに弱いので、掘りあげて室に入れるか、圃場で対策を講じるかしないと、冬のあいだ保存できない(*)。父は畑に穴を掘って、株ごと逆さにして入れていた(室での保存)が、晩年は圃場で株にスクモをかけていた。わたしは、父の晩年の方法を継承している。
 写真でスクモがかかっているのは、左側は子芋の種芋株、右側は八つ頭の種芋株。右側の畝の中程に、京芋の種芋株があるが、スクモが足りなかったため、藁束で覆った。
 三月半ばに種芋株を掘りあげるまでに食べる株は、当面は雑草に「防寒」してもらうことにする。

(*)ある人から、大量のスクモの中で株を保存する、という話を聞いたことがある。昔は、床下に作った室にスクモを入れて、サツマイモを保存していたから、類似の方法で里芋を保存できて不思議はない。
里芋類の防寒
 道具を荷台に積み、軽トラックで田んぼに向かった。大豆を叩く前に、里芋類を防寒した。里芋類は、今年は、子芋(子芋と孫芋を食用にする里芋)、八つ頭、京芋を作った。防寒するには、畝にスクモ[もみ殻]を被せるのだが、畝全体を覆うほどスクモのストックがない。そこで種芋にする株だけを防寒することにした。残りは、近いうちに新米を精米するので、そのときに出たスクモを被せてやるつもり。

大豆を叩く
 ついで大豆を叩く(*)。
(*)大豆を叩いて莢からマメを出す作業をしていると「こなす」という言葉が頭に浮かぶ。このような作業をすることを「こなす」、今の場合では「大豆をこなす」とこの辺りでは言うのではないかと思うが、自信がない。

 今年作った黒豆、青大豆、鞍かけ豆のうち、青大豆は抜く前に鞘が弾けてしまった。いままで経験しなかったその出来事のゆえに、稲架に干したまま三週間が経過した黒豆と鞍かけ豆が気になっていた。干してからは遠望することはあっても近くから様子を確かめたことがなかったので、もしかすると豆が弾け散っているのではあるまいか、と想像したりもした。

 大豆は案じた状態にはなっていなかった。すると、青大豆は鞘が弾けやすいのだろうか? 抜かないと弾けやすく、抜いて干すと弾けにくいのか? それとも、今年の偶然の条件ために弾けたのだろうか? …よく分からない。

 稲架がたててある田んぼにビニールシートを敷いて作業をはじめた。今日は晴れて暖かい。しかも、広々と開けたところで作業をすると心まで広がり、明るい気分になった。昨日感じた心の萎えはどこへやら。

 まず鞍かけ豆を叩いた。この豆は弾けやすい。ついで、黒豆。鞍かけ豆に比べ、株は大きく(大きくなりすぎると葉が繁るだけで、豆がつきにくいので、主枝の芯止めはしたが)、鞘もかたい。叩く道具は木槌と、仕上げに、まとりを使うが、木槌は重量がある。右腕が疲れ、痛くなった。

 叩いた大豆はゴミが混じっている。今日は風がないので、ゴミを飛ばすのに箕は使いにくい。そこで篩を使った。まず大きい目の篩で、大きなゴミを除き(篩を通過するのは豆で、ゴミは篩に残る)、ついでやや細かい目の篩で、小さなゴミを除いた(篩を通過するのはゴミで、豆が篩に残る。)あとから選別する(*)大豆は、大まかにゴミを取り除くだけでいいので、ゴミ除きはこれで完了。
(*)むろん手作業である。農作業から完全にリタイアした老母に、これだけは頼む。

 日没直後に叩き終わった。稲架を解体して、稲架杭[稲架の支柱]や豆や道具を軽トラックで運び帰り、ナル[稲架の横木]を担ぎ帰ったころには薄暗くなっていた。

赤タマネギは来年二月に定植するつもり
 赤タマネギは、結局、普通タマネギの小苗と一緒に、来年二月に定植することにした。これから定植するとすると、一週間後になるが、それでは活着する前に寒さにやられてしまうかもしれない。二月に定植すると、大きな球はできないかもしれない。しかし、赤タマネギは多くは利用しないし、普通タマネギは十分な数の苗は定植したので、焦って無理をすることはやめた。

 従姉がやってきて、タマネギの苗は残っていないか、と訊いた。購入苗の多くが枯れてしまったので補植したい、と言うのである。そこで、来年二月に定植する心づもりを説明し、その時に分ける、と約束。
村便り:2007-12-08(土) (冬枯れの冬支度 - 支柱を片づける)
投稿日:2007-12-09(日)

 午前中は街で買い物。

 週末は百姓の「草鞋」を履くので、街中に出て、食事や買い物をすることは滅多にない。今日は自分が着るものを買うので、当人が(も)出かけるしかない。服装にとくに興味があるわけでもないし、したがって、服選びも得意ではない。今まで着ていたものが駄目になって初めて重い腰をあげる。

 買い物を済ませると、家族で食事をして、そのあと私だけが農作業に向かった。


 村に着いたのは午後2時。4時半には日没だから、作業時間は3時間しかない。豆などの支柱を片づけることにした。

豆の支柱
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自然畝に突っ立ったままの、インゲンの支柱。左の畝には、ピーマンの支柱が見える。
縛った支柱
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支柱は、藁紐で縛る。藁紐は5本ほどの藁を使い、ひねって止める。
シカクマメの根塊
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 シカクマメの根塊。
 シカクマメの根塊は食べられるそうだが、あまりおいしそうではない。根塊が曲がっているのは、ポット育苗したので、ポットの中で根が巻いたためだと思われる。
 今年畑に作った豆類は、つる性のものは、初夏収穫のインゲン(梅雨豆)、モロッコ豆、秋収穫のインゲン、およびシカクマメ。つるなしのものは、金時豆と小豆(この二つは、金時豆を若莢のとき食しただけで、完熟豆は収穫できなかった、しなかった)。つる性の豆のために立てた支柱は、つるが枯れた今も畝に突っ立っている。それをまず片づけた。ついで、ピーマンと甘トウガラシの支柱を引き抜いた。いずれの作物も自然畝で栽培したので、枯れたつるや株は、抜いたりせず畝にそのままにしておく。いずれ朽ちて土に戻る。

 ニガウリと最後のキュウリの支柱も残っていた。それらとナスの支柱を片づけると、日没。

 冬になってやっと始める遅すぎる冬支度である。…すぐに日暮れてしまう午後、ひとり作業をしていると、なにとはなしに心が萎える。冬枯れのなかでも春に向かってじっと命を燃やしているものもあるのに。

 夕暮れに、近くのお姉さんが散歩で通りかかり「長ごう見んかったね。二週間ぶりじゃない」と声をかけてきた。毎週末には、しかも夏には平日の朝晩にも見える私の姿なので、ずいぶん久しぶりのような口調だった。

 今度は従姉がやってきて「長ごう来んかったけん、病気かと思おうて昼に電話したが、誰も出んかった」。「昼は、みんなで街に出とった」と私。

 明日は、田んぼで干したままにしている大豆を叩き、赤タマネギの定植をする予定。でも赤タマネギまでは手が回らないかもしれない…
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