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村便り:2016年02月02日(土) (急く心で畑の草焼き)
投稿日:2016-02-03(水)

立春がすぐそこまで来ている。



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畑の草焼き。
 後方の高い木がドングリの木。生えてから20年近く経とうか。すぐ近くには同じ木はないから、鳥が種を山から運んできたもの思われる。芯を止めなければまだ伸びてしまう勢いである。
 ドングリの木の右後ろの常緑の木は、名前は知らないが、近所でよくみる庭木。これも鳥が種を運んできたもの。庭木としては芯を止めて低くしつらえられているが、放任すると結構高くなる。ドングリよりあとに生えたもの。
 その手前、庭木の木と重なるように開張した樹形の落葉樹は山桜。少なくとも30年前から生えている。
 ドングリの木の前に積んである藁は、3月中旬の踏込み温床に使うもの。1年積んでおくと、下の方の腐った藁のなかではかぶと虫の幼虫が育っている。
まさに《山》である。
今春から畑作を本格的に再開しようと思い、そのための準備作業を立春までにはおえたかった。予定していた作業は、耕作を休止したため草が生い茂っている部分の草刈りと耕耘、および、畑の周囲に生えている樹木の剪定と伐採である。そのうち今のところは、草刈りが済んだだけである。

定年退職したのは去年の3月31日。その次の日から新しい生活にすっと入って行くことは難しい。農耕に関して言えば、半農半サラ生活で溜まった《つけ》をまず《返済》しなければいけない。十分に管理できなかった耕地をしかるべき状態に回復する必要があるのだ。それも、季節とともに進行する栽培と平行しながら、そうしなければならないのだから、きちんとスタートラインにつくためには、少なくとも農耕の1シーズン、つまり暦の1年が必要となる。

そのことは退職する前から予想はついていた。私より年配の近所の人が、退職してから、その人の畑がきちんと管理されるようになるまで、1年ほどかかったのを見ていたこともある。1年が経過すればスタートライン、と思っていたものの、他の事情もあって、復旧作業がはかどらなかった。そして、とうとう立春が目の前に迫った、というわけである。

今日は畑の草焼きをすることにした。

この区画は、最後の作付けは2014年秋である。去年は何も栽培しなかったが、2014年春に植えつけたヤーコンをほとんど収穫しないままにしておいたところ、今春また発芽して生育した。それを除けば、《雑草生い茂る野原》状態だった。

草焼きが済めば、できるだけ早く耕耘したい。土を返して寒さに晒すと、凍結と融解とを繰り返して、土塊がこなれる。それから春の作付け前にもう一度耕耘すれば、作りやすい土になる。

この区画は周囲の一部に、木が生えている。庭木や果樹以外に、鳥が種を運んできたものもある。いわば《山》になりつつある。手入れをしないので、木は伸び放題。とりわけ、ドングリをつける木が思いの外、大きくなってしまった。木は実をつけるので、小鳥たちを呼ぶ。小鳥たちの姿を見、そのさえずりを耳にするのは楽しいが、木が大きくなりすぎると、管理が素人の手にはおえなくなる。

冬の作業として、大きくなりすぎた木の枝の整理や、芯止め、さらには伐採を考えていたが、まだ何ひとつ手がついていない。

冬至から1ヶ月余り経ったとはいえ、冬の短い午後はすぐに暮れる。急く心ではあるが、仕事じまいを始めた。まだくすぶる草をまとめ、飛び火しないように、上に土をのせて、一日は終わった。
☆ 2016-01-31(日) ☆ 寒いので、それについて今の耐寒生活を記述しながら考えてみました。
投稿日:2016-01-31(日)

「てつがく村」ルネッサンスで最初の記事です。

 いまはまだ寒中。寒さの弛みがあるにしても、いまは、その名にふさわしい寒さの時期である。

 今冬は、去年の4月に引っ越してきた現在の住居で迎えるはじめての冬である。前の住居は、沿岸部の集合住宅。標高は海抜わずかで、市街地だった。ところが、今度の住居は、山間部の団地にある一戸建。海抜200mほどの標高である。冬に近づくにつれ、前の住居よりも寒さが身に沁みるようになった。(二つの住居は、市街地と山間部の違いがあるので、標高差のみに起因する気温差以上の温度差がある。)最初は、暖房器具を出すのが面倒なので、我慢していた。

 我慢していると、ふと昔の友人のことを思い出した。フランスで知り合ったスリランカ人留学生で、彼は母国では僧侶だった。フランスには夏にやってきたそうだが、秋になり、気温が下がりだした。それでも、彼は母国から着てきた僧侶の服のままでいた。冬服がなかった(スリランカ人であれば、母国では冬服は必要ない)こともあるだろうが、彼は僧侶であることに誇りをもっていた。母国では僧侶は尊敬の対象だったからである。その誇りも、僧侶服を着つづけていた理由のひとつだったかもしれない。(やがて彼は、僧侶の服装はフランスではむしろ奇異な目で見られることに気づきだすのだが。)しかし、とうとう寒さを我慢しきれず、冬服を買ったそうである。

 私はといえば、むろん、現在の住居では、服だけで防寒しようとしても、また重ね着をしたところで、本格的な冬になると、暖房器具は必要になることは分かっている。とうとう小さなストーブを出し、スポット的に暖房をした。(「スポット的」なのは、経済的な理由のために、光熱費を抑えたいから。)

 現住居は、住むには広すぎ、しかも築年数が古く断熱性が劣るので、冬になればその分よけいに冷え込む。冬が進むにつれ、寝具を前の住居の装備のままにしていると、明け方は、体全体の寒さで目が覚め、眠れないこともあった。室内でも5℃に下がることがある。それに対して、前に住んでいた、市街地の集合住宅では、5階建ての3階ということもあろうが、厳冬期でも10℃より下がることはなかった。

 思い起こしてみれば、18歳で進学のため家を離れるまでは、現在よりももっと寒さの厳しい住環境におかれていた。標高は現住居よりさらに高く、暖房具といえば、火鉢と炬燵(小学生のころに使っていたのは、櫓型の電気炬燵ではなく、炭を使う旧式のタイプ)だった。ちなみに、小学校に上がる前に短期間、住んだ藁葺き屋根の家には、囲炉裏もあった記憶がある。簡便な暖房方法ではないためか、また、倹約のためか、家では、暖房具を使う期間は、亥の子祭り[旧暦10月の最初の亥の日に行われた子供の祭り]から3月の終わりまで、と決まっていた。

 その頃のことを考えれば、今の住環境の方がはっきりとましである。ましではあるが、寒いのには変わりない。光熱費を抑えようとすれば、着込むしかない。保温性のいい下着をつけ、上にも重ね着した。寝具ももう一枚重ねたり、靴下をはいて寝た。(靴下をはいて寝ることは、今までの習慣にはなかった。小さいころ、病気でもしない限り、寝間着のほかに下着類をつけることは親が許さなかった。また、若いころは、冬でも足先を布団から出して寝ることもあった。)このようにして寒さを凌いできた。

 そうこうするうちに、温度変化に対する体の感性が変化してきたような気がする。体の耐寒性があがってくるとと同時に、寒暖に敏感になったようである。気温が2、3度違うと、朝の布団のなかでそれに気づいたりした(もっとも、これは普通の敏感さなのかも)。

 人間は生活が便利で快適になると、それが基準となり、以前の生活に戻ることが難しくなる。心理的な問題ではなく、体そのものの耐性とか感性が変わってしまう。そして、自然的傾向としては、利便性・快適性の基準はあがりこそすれ、さがることはない。ところが、今の私は、必要に迫られて反自然的に基準をさげた。すると、体そのものもそれにつれて変わったのである。(でも、リバウンドの勢いはしつこく潜在しているが。)

 「反自然的」と言ったが、技術を手にした人間の欲望の自然に反する、ということであり、環境に取り込まれている動物一般の自然に反する、ということではない。人間にとっては、動物一般の自然に反することが自然なのである。

…と論調を一段あげだしたところで、文章が続かなくなりました。しり切れとんぼですが、この記事はここで終わりにします。
「雑記帳」再開
投稿日:2016-01-24(日)

 「てつ人の雑記帳」を再開します。

 「てつがく村」を新しいサイトに移設したあと、「雑記帳」は、ブログシステムをしかるべき手順にしたがって移設しなかったために、利用不能な状態になりました。ブログを管理するシステムはそのまま移設されました。また、それまで書きためた記事も新サイトに全て移設されました。しかし、システムの配置と記事の保存場所とを記憶した、言わば《地図》に当たるものが、前のサイトでのままになっていたのです。その結果、システムが正しく機能しなくなりました。或る機能を実行するプログラムが存在する正しい場所が分からないからです。言い換えれば、失効した《地図》にしたがって、問題のプログラムが、いまは存在しなくなった前のサイトにあるように指示されているからです。ブログの管理ができなくなりました。また、記事も読み出せません。記事につけられている場所情報も前のままに、すなわち記事が存在しないサイトにあるように、なっているからです。

 現サイトに移設したブログシステムを使ってみた結果、新しいサイトで、それまで使っていたブログシステムを稼働させることはできない、と判断しました。そこで、同じブログ用ソフトを使いながら、現サイトに別のブログシステムを構築しました。そして、書きためた記事は、外からアクセスできるように、手作業で拾い上げてリストアップしようと思いました。

 しかし、旧ブログシステムを動かしているうちに、機能全体の回復を望めないにしても、記事の読み出しはできるかもしれないとの感触を得ました。そこで、プログラミングの知識はありませんから素人判断で、前のシステムのファイルと記事のファイルとに記載されている《地図》情報を書き換えてみました。具体的には、前のサイトの URL を新サイトの URL に書き換えたのです。記事は html ファイルですから、テキストエディターで読み書きができます。また、私の使っているブログ用ソフトは Perl で記述された cgi プログラムですから、これもテキストエディターで扱えます。相当数の書き換えを行いました。すると、前のシステムの機能全体までも復活したのです! したがって、管理システムも適切に稼働するようになったのです。

 わざわざ新たにシステムを構築したのですが、もうそれは必要ありません。復活した旧システムを再利用することにしました。

 という次第でもって、今日から「てつがく村」ルネッサンスにおける「てつ人の雑記帳」を始めます。
村便り:2014-03-19(水) (イカナゴの釘煮)
投稿日:2014-03-19(水)

 昨日、同僚からイカナゴの釘煮をいただいた。お母さんのお手製ということである。イカナゴの釘煮を初めて食べたのは、ウェブ上で知り合った kao さんから送っていただいたお手製のもの。今が季節のようである。ご飯をいくらでもお代わりできそうな味である。

イカナゴの釘煮
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イカナゴの釘煮。
 2枚の写真のうち、どちらがおいしそうかな?
 
イカナゴの釘煮
(クリックで画像の拡大)
 ご飯といえば、一週間ほど家を空けて帰って来てから食べたご飯がいやにおいしい。外食ばかりの生活だったからだと考えたが、ma femme (my wife)は、新米よりも今頃の米の方がおいしい、と言う。本当だろうか、と訝ったが、サツマイモも掘りたてよりも保存しておいたものが甘味が増しておいしいので、米でもそんな現象があるのだろうか、と納得したような気にもなった。

 この頃、生活がばたばたしていて、農作業が手につかない。ジャガイモもまだ伏せてない。稲の苗は、注文の締め切りを忘れていて、締め切りすぎてあわててJAの店に駆け込んだ。心落ち着かぬ日々である。
村便り:2014-03-04(火) (庭木の剪定)
投稿日:2014-03-08(土)

 庭木の剪定をした。といっても、剪定技術があるわけではないので、伸びすぎて邪魔になった枝を切りはらった、というにすぎない。

柿の木
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柿の木(西条柿)。剪定《前》
 柿の木の高さの半分弱のところまで伸びているユズリハがお分かりだろうか?
柿の木
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柿の木。剪定《後》。 《前》と《後》の違いがお分かりだろうか?
古い柿の木
 古い西条柿(渋柿)がある。樹齢は分からない。樹皮に苔がつき、枝がとれたあとの窪みに宿り木が生えているところもある。根元あたりは洞になりかかった個所がある。20年ほど前だったと思うが、当時存命中であった父に指示されて、上部の枝をばっさりと切り払ったことがある。ところが、また枝が伸びてきて、電線に触れそうになった。そこで、大きな枝を切ることにした。

 脚立を梯子がわりにして、下の枝にとりつき、それからさらに目的の枝までよじ登る。それから太い枝を足掛かりにし、片方の腕で枝にしがみついて体を安定させ、もう片方の腕でノコギリを使う。下から見る分にはそれほどの高さは感じないが、木に登って下を見ると、足を踏み外すと怪我をしそうなあやうさを感じて、体の中がすく感覚がする。木に登るのは面白いが、この歳になると若いときのようには敏捷な身のこなしはできないので、十分に注意する必要がある。剪定をしていて脚立から落ちて怪我をした、というのはよく聞く話である。

ユズリハ
 この柿の木の傍には鳥が運んできた種から芽が出た小木が生えている。そのなかに、ユズリハがある。成長速度が早く、邪魔になりそうなので、いずれ伐採することになるだろう。
百日紅
(クリックで画像の拡大)
百日紅[サルスベリ]
 ここにはもっと大きな百日紅があった。その百日紅を移植したが(10年余り前だろうか)、小さな木が残ってしまった。それが成長したのが画像の百日紅。ピンク色の花をつける。画像の左側が屋敷への入口なので、後ろの南天とあわせて、門柱代わりというべきか。
 道路と屋敷との間には井手が流れている。百日紅の右後ろは昔からあった洗い場。井手は今はコンクリートで固めてあるが、昔は底は砂地で、貝(シジミや巻き貝)が住んでいた。
 畑の周囲が林になりかかっている。思いっきりよく剪定すれば、そして雑木は根元から切ってのぞけば、すっきりするのだろうが、結局、どうしても邪魔になるものだけを切りとるだけで、剪定作業は終わった。

イノシシの跡
 朝、屋敷に着いて、イノシシが掘り返している跡に気づいた。畑の中まで荒してはいなかったが、暖かくなるこれからは注意が必要。畑を取り囲む電気柵を補修し、(電気柵をイノシシに対して目立たせるために)その周りの草刈りをしておいた。いよいよ畑の中に入りそうな気配があれば、実際に電気を通すつもりである。
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