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村便り:2016年02月16日(火) (キャベツ定植; ヒヨ)
投稿日:2016-02-17(水)

定植キャベツ

この頃、農作業に出るときは、たいてい午後になる。今日は寒いので家に閉じこもっていたい気分だが、春の農作業のことを考えると、雨の降らない日は野良に出た方がいい。昼前までためらっていたが、昼食後、意を決して出かけることにした。

キャベツ定植
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キャベツ定植。24株。
 10月20日播種。ポットで育苗していた。キャベツは本葉5枚くらいまでに定植するが、それ以上の大苗になり、下の方の葉は枯れ落ちていた。
 6月終わりに収穫が始まる予定。
 ヒヨ対策のためキュウリ用のネットで被覆している。
 
ヒヨに実をついばまれた
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ヒヨに実をついばまれた枝。
 木の名前は分からない。鳥が屋敷の隅に《蒔い》ていった木。まあ、だから鳥に、実に対する権利がある、とも言えるか。
 

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幹の方に焦点をあててみた。成長しても低木である。枝にトゲがある(上の写真で確認できる)。
夕方までの時間を計算して、キャベツを定植することにした。

苗は、10月20日に播種し育苗していたもの。3月になってから定植の予定だったが、暖冬のせいか、生育が進んでしまい、畑に放してやった方がいいくらい大きくなった。むしろ、大きくなりすぎてしまった。

急に思い立ったので、畝は作っていない。昨秋、ジャガイモを作ったところを鍬で起こして畝を作る。先週後半は春のような暖かさだったが、今日は一転して真冬に戻った。小雪がちらつきもした。鍬を使っても体があたたまらない。寒いなか久しぶりに鍬を使ったせいだろうか、腰に違和感が残っただけだった。

一週間前、ヒヨの襲来に気づき、餌食になりそうな野菜をネット被覆で防御しておいたが、今日もヒヨが来ている。一週間前には実が沢山なっていた低木を見ると、一粒も残っていない。自然落果はありえないから、状況証拠からして、ヒヨの仕業に間違いない。南天の実も同様の状態だった。木の実がなくなると今度は野菜が狙われる。定植したキャベツにもネットを被せてやった。

村便り:2016年02月11日(木) (タマネギの追肥)
投稿日:2016-02-14(日)

管理タマネギの追肥


タマネギの追肥をした。明後日は雨の予報だから、肥料を早速、効かすことができる。

タマネギの補植
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タマネギの補植。
 
極極早生
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極極早生タマネギの草姿。
 順調に育っている。
 草取り鎌は、柄の部分が20cm
 
ニンニク
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ニンニクも追肥した。
 画像のニンニクは、葉ニンニクに使う種類。3月から利用が可能だろうか。
 
エシャロット
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エシャロット。
 草の中に埋もれていたエシャロットを《救出》した。
 エシャロットと言っても、日本でエシャレットとかの名前で売られているラッキョウではない。
 
周年利用のためのタマネギの品種
昨秋、タマネギは4種類、定植した。極極早生、極早生、中晩生、赤タマネギ(色は、正確には「赤紫」)である。

極極早生(種袋には「極早生」と記してある)は、初めての栽培。去年6月に収穫したタマネギは、生育不良のため収量が少なかった。だから、今春は早くから新タマネギを収穫したいと思い、この品種を選んだ。種袋によると、3月半ばから収穫が可能。ただ、おそらくは、まずは葉タマネギとして収穫することになるのだろう。

晩生系のタマネギは、品種を選べば、6月に収穫して、翌年の3月まで貯蔵できる。すると、晩生系のみを栽培するとすれば、2ヶ月ほどタマネギの端境期ができる。その期間を埋め合わせるため、極早生を栽培する。すると1年中、タマネギを利用できることになる。

播種から定植まで
タマネギの播種は9月である。去年は、9月11日に極々早生、9月15日に極早生、9月21日に中晩生を蒔いた。定植は、播種後2ヶ月弱(種袋には「育苗日数55日」と記してある)に行う。(本葉が3枚の頃。4枚は大苗すぎる。)去年は、極極早生を除き、定植が遅れた。極極早生は播種後54日、極早生は播種後69日、中晩生と赤タマネギは播種後63日で定植した。

タマネギ栽培は、経験からすれば、若くて健康な苗を定植して、寒くなる前にしっかりと活着させることがポイントのひとつ。そうすれば、冬の寒さに負けにくいし、春の生育がよくなる。大苗になると収穫前に薹立ちしやすい。また若苗に比べて、活着が遅れる。しかも、大苗になるまで苗床においておくと気温も下がり、そのぶんも活着のための条件が悪くなる。日照時間が短くなり気温が下がる秋は、種蒔きや活着の遅れは、少しでも、生育に大きく影響する。そういうことを考えれば、去年の、極極早生を除く、タマネギの定植の遅れは痛かった。

追肥
追肥は、定植して年内に1回、年を越して、2、3回行う。止め肥は3月始め(極極早生は2月中旬)。私の考えでは、最初の2回ほどは冬の寒さに堪える体を作るため。冬の野菜は栄養をため込んで、寒さに備える。(冬のほうれん草が甘いのはそのためである。それに対して、夏のほうれん草は甘味がない。)

立春頃に補植
それでも、冬の間に土が凍みたり融けたりするうちに、浮いてしまう苗がある。最近、近所では黒ビニールのマルチが目立つ。マルチをすると地温が高まる。裸地の畝とマルチの畝を比べれば、あきらかに後者の方が育ちがいい。しかし私はビニールマルチは嫌い。ならば、藁とかスクモ[もみ殻]とかでマルチをすればいいのだが、それは面倒なので、結局、裸地で栽培している。すると、厳冬の間に、消えてしまう苗がある。今回の追肥は立春をすぎてだから、そろそろ苗の根も動き始める。そこで、追肥の前に、苗の消えた箇所に、苗床に残っている苗を使って、補植をした。

追肥のあとは、中打ち(中耕)。肥料(発酵鶏糞)を土と混和し、《見えない草を草ぎる》ため。(《上農》になった気分 - 笑)
村便り:2016年02月09日(火) (大根の播種; ヒヨ襲来)
投稿日:2016-02-10(水)

播種ダイコン[3月下旬までトンネル]


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大根の播種。
大根の播種
大根を蒔いた。画像は、播種して、ガンギ間に藁を被覆した状態。(「ガンギ」とは、蒔き床のこと。画像では、畝の方向に直交する形でガンギが切ってある。)藁マルチは、保温のため。さらに、畝をビニールで被覆する。

大根は、幼苗のうちに低温にあうとすぐに薹立ちしてしまう。そのため、初春に栽培する場合は、トンネルやマルチで温度を確保する。それでも、秋に蒔く大根と比べて、薹立ちは早い。



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防鳥のためネットで覆った畝。
 手前は、のらぼう菜、向こうは、エンドウ。
ヒヨ襲来
今日は、ヒヨの鳴き声や姿が目立つ。今冬は今までヒヨはあまり見かけなかったので、山に餌が豊富にあるのだろうと思っていた。しかし、春先になり山の餌は少なくなったのだろう、餌を求めて里にやってきた。

まだ木の実をついばんでいるだけだが、すぐに野菜を突つきだすだろう。彼らの食べ方は速い。今は亡き隣のばあさんが「あいつらは、日にちじゃなあ、時間じゃ」と言っていたが、日数をかけて食べるのではなく、数時間のうちに食べてしまう。軟らかい部分を好んで食べるから、春に向けて大きくなりだした野菜がまず狙われる。晩秋に定植したキャベツ、蒔いたそら豆やエンドウが最初の餌食になる。

大根を蒔いたあと、ネットをそれらの野菜にかけてやった。すると鳥はネットが足に絡むので、近づかない。
村便り:2016年02月08日(月) (え? 切りすぎた!)
投稿日:2016-02-09(火)

畑の隅に生えている木の枝を整理したり、伐採したりした。H市内に住む弟と、車で1時間半ほど離れた、山村に住むMさんが加勢に来た。私とMさんはチェーンソーをもっている。まず、私は柿の木にのぼり、弟が始動したチェーソーを紐で引っぱり上げ、枝を整理した。その間、Mさんは一人で枯れかけた松を根元から伐採した。最後に、三人で高く伸びた常緑樹(名前は分からないが、近所では庭木に剪定してあるのをみかける)を切り倒した。


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2014年3月4日の柿の木。
まだ、枝は払っていない。
 

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今日、枝を払った後の柿の木。
 

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上の画像とは反対側から見た柿の木。
 胸が痛む。
 

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庭木にする高く伸びた木を伐採するMさん。当の木は、上の方だけ枝が残っているもの。こちらの方に倒した。
柿の木は、樹齢は分からないが、古木である。わが家の畑には、柿の木が4本、植わっているが、そのなかで一番古い。芯が止めあるところから伸びた枝が電線に引っかかりそうになっている。その枝は、30年ほど前、父の指示で私が枝を切り落とした幹から伸びたものである。2年ほど前に一部を切り落としたことがある。今回は、電線に引っかかりそうな枝は全部整理し、さらに、他の枝もつづめようと思った。

私は下から見ている弟の指示で枝を払い始めた。私はどちらというと決断の遅い方である。いろいろと考えないと決断に至らない。だから、私ひとりではなかなか枝の整理が終わらない。ところが、弟は次々と枝を短くするよう指示してくる。基本的には弟の指示に従って、かなりの枝を落とした。

作業が終わり柿の木からおりて弟と話をすると、弟は、柿の木を根元から伐採するのだ、と思い込んでいたようである。枝を短く払うよう指示してきたのはそのためであった。

下から見上げると、柿の木は、伐採前に比べると、幹だけになったように見える。柿の木は生命力が強いので、強い剪定のせいで枯れたりはせず、逆に切りあとから何本も枝を伸ばす。しかし、弟の思い違いに気づき、枝がほとんどなくなった柿の木を見上げると、自分だけならここまでは切り込まなかっただろうと思い、落ち込んでしまった。

柿の木は、西条柿である。近年、実の成りが悪くなりはしたが、収量のこととは別に、私にとっては、先祖たちが生きてきたひとつの象徴である。ここに住んではいないにせよ、長年ここで農作業をしてきただけに、その柿の木に対する思い入れは強い。だから、枝を刈り込まれた柿の木を見ると、私の生身になっているともいえる歴史を殺がれたような痛みを感じたのである。

しかし、切ってしまった枝は付けなおすわけにはいかない。幹自体はそのままなのだから、根本は保持しながら、若返りの手段として強剪定をしたと考えることにした。剪定前のように枝が張るのは、40年50年先になるだろう。(その頃はもう私は生きてはいないだろうが。)

そう考えても、すぐに気持ちが切り替わるわけではない。夕方から寝るまでの時間(さらに、寝てからも)、切り込まれた柿の木が強い残像のように残り、やはり落ち込むことになる。

庭木になる常緑樹を切り倒したあと、ドングリの木(「村便り:2016年02月02日」に画像がある)の取り扱いについて考えた。作業を始める前の心づもりでは、芯を止めるつもりもあった。しかし、常緑樹を切った経験から、ドングリの木も切り倒すのはさほど難作業ではないことが分かった。木があれば小鳥たちがやってくる。それは農作業のバックグラウンド的な楽しみである。だから、鳥たちが運んできた種から生えた雑木類は、全部ではないにせよ、成長するがままにしておいた。その楽しみを減じないため、また、柿の木で落ち込んだこともあり、今回は何もしないことにした。

村便り:2016年02月07日(木) (シーズン最初の播種)
投稿日:2016-02-08(月)



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人参の播種。
 播種した畝はビニールトンネルで覆う。ビニールの裾は土を載せて、トンネルを密封する。すると熱も水蒸気も抜けにくくなり、発芽と生育が促進される。
 

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ロケット(ルッコラ)の花。
 畑は春の気配がする。冬の間、食卓を賑わしてくれた野菜たちは残り少なくなり、残っているものも寒さにやられ、薹立ちの準備をしている。ロケットは早々と花をつけている。
播種人参[3月下旬までトンネル]

今シーズン初めての播種作業。人参をビニールトンネル内に蒔いた。(むろん、作業順序としては、播種してから畝をビニールで覆う。)ビニールトンネルは3月下旬に外す予定。収穫するのに十分な大きさになるのは、3ヶ月ほどあと。

人参を蒔くのは、2月始め、4月上旬、7月、8月下旬の4回。春の2ヶ月ほどは端境期になるが、それを除いては人参はいつも収穫できる。

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