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村便り:2014-02-22(土) => 24(月) (立春前、肌寒い暖かさ)
投稿日:2014-02-26(水)

 朝起きて、室温を確かめる。11℃。室温としては厳冬期の温度である。しかしそれほど寒さは感じない。厳冬期を越してきた体が寒さに慣れたためだろうか、といぶかしむ。外に出る。晴れていれば、いままで以上の明るさを感じる。春に向かうにしたがって日差しが強くなる。それとともに、肌寒さのなかにどこか暖かさを感じる。そのとき、ふと思い当たる。暖かさの感覚は日差しのせいだろうか、と。太陽の光は明るさの源であるとともに熱の源でもある。明るさが増せば、暖かさも増すのは理の当然である。極まった陰に代わって陽が力を増してくる感覚が、肌寒い暖かさと言うべきであろうか。

藁を撒く
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肌寒い暖かさのなか、藁を撒く。
 脱穀したあとに溜まっている切り藁を、フォークを使って、田んぼに均等に撒く。
 この週末は、本来であれば、厳冬期にやっておきたかった作業をやった。

畑の耕耘
 ひとつは、空いた畑の耕耘。粘土質の土の場合、春になって耕耘すると、土塊がそのまま乾燥してごろごろした土質になる。ところが、寒い時期にひっくり返しておくと、凍みては解けてぼろぼろに崩れる。春からの農作業にとって扱いやすい土になるのである。切り干し大根は寒の時期に作ると上手く、そしておいしくできるのに似ている。

田んぼでの藁の散布
 似たような作業だが、田んぼの耕耘。昨シーズン、米を収穫して以降、田んぼは何の世話もしてやっていない。理想としては、年内に、おそくとも寒中までに、脱穀して残った藁を切断して(切断は脱穀機がやってくれる)散布し、それを鋤きこみながら土をひっくり返す。藁は土と混ぜられると腐熟が促進され、土は寒さに晒されて崩れる。その作業を立春近くなってやっととりかかった。まずは、田んぼで脱穀したあと所々にうずたかく溜まっている切り藁を、田んぼに撒き始めた。


大根と人参の播種
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大根と人参の播種。
 画像の奥、他家の納屋の軒下にまだ雪が残っている。
 残った雪と、ビニールトンネルの間の作物はラッキョウ。
 
ラッキョウ
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ラッキョウに追肥して、中打ち(中耕)した。
 ラッキョウは植えて2年目。以前は母が漬けていたが、母ができなくなってからは、一度も漬けてない。種だけを更新している。今年の夏には収穫して漬けたいと思っている。
大根と人参の播種
 さらに大根と人参の種蒔き。昨シーズンは畑仕事は例年以上に手抜きをしたため、野菜があまり自給できず、百姓としては情けないことに、購入することも多かった。たとえば人参は播種期を按配すれば、ほぼ周年収穫できる。その人参も昨シーズンはほとんど購入に頼った。今シーズンは自給を回復するため、まずは人参を早めに種蒔きすることにした。人参は、春は、普通3月終わりから4月始めに蒔く。それ以前だと発芽に必要な地温が確保できないからである。しかし、ビニールトンネル内であれば、2月始めからでも播種可能である。だから、2月始めに蒔くつもりであったが、タマネギの定植と同じ理由により、今の時期になった。
村便り:2014-02-17(月)(タマネギの定植)
投稿日:2014-02-20(木)

 年が明けてから農作業らしい農作業はほとんどしていない。

ソラマメの定植
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ソラマメの定植。1月13日。
 画像で縦方向の株間、40㎝。
ソラマメの定植
 1月13日にソラマメの定植をした。10月終わりから11月始めにポットに播種して育苗し、年内に定植する、というのが例年のスケジュールだが、昨シーズンに続いて今シーズンも年明けての定植になった。昨シーズンの経験では、2月始めまでに定植すれば、年内に定植する場合と、収穫の時期も収量も変わらない。2月始め、というのは、根が動き始めるのがそれ以降だからである。ただ、育苗の環境は比較的穏やかで苗が成長しすぎるため、定植後に(とくに降霜による)寒害を受けやすい。そのため、不織布などで覆って防寒してやる。

タマネギの定植
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タマネギの定植。(昨シーズンの画像。2013年2月11日。)
 条間、20㎝。株間、12㎝。
 
定植途中のタマネギ畝
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定植途中のタマネギ畝。
 右の畝には、1月13日に定植したソラマメが植わっている。左の畝の手前側は、苗床。向こう側は、赤タマネギの苗束を定植する条毎に置いている。
タマネギの定植
 通例の定植期を逸した苗がもう一種類ある。タマネギである。タマネギは9月20日頃に種蒔きし、それら2カ月後に定植する。ところが、定植に合わせて畝作りができなかった。農作業の遅れは、通いの一人半サラ農家にとっては普通のこと。作業を遅れないように急ぐよりは、遅れても何とか収穫ができるように按配することがむしろ重要になる。年度内の定植期を逸した場合、タマネギもやはり2月始めに定植した方がいい。12月や1月に慌てて定植しても、小苗は活着するまえに寒さで消えてしまうことがある。

 しかし、今年は雨や雪が断続して畑の土がなかなか乾かなかった。定植するためには一度耕耘して畝作りをしなければならない。そうこうするうちに2月も半ばを過ぎた。日和見を決め込んで日を過ごしていたが、さすがに気が急いてきた。天気予報によると、17日、月曜日は夜半からみぞれか雪になる。そうなると、土の乾き具合とサラリーマンのスケジュールから考えると、定植は数日後になる。そこで、まだ畑の土は十分には乾いていなかったが、17日に定植することに決めた。朝11時に作業を始め、まず、粘つき加減の土を耕耘機でかき回して畝作りをし、それから定植。《突貫工事》が終わったのは夕方5時半ころだった。さいわい今日はいくぶん寒さがゆるみ、野良での作業もとくに寒さは感じなかった。

春めく光
 久しぶりに体を動かすと気持ちがいい。ただ、バランスの悪い姿勢で中腰での作業が続いたため、腰が痛くなり腿の内側の筋肉が張ってしまったが。


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1月18日午前中。
 はたして夜のうちに雪が降った。画像真ん中の山は灰ヶ峰。
 この時期になると光に明るさが増す。そろそろ冬眠からさめ、動き出す時期に来た。
村便り:2014-01-04(土)(仕事はじめ)
投稿日:2014-01-07(火)

呑兵衛も歳をとると
 正月三が日は屋内で過ごした。正月なのでついつい酒量も増える。酒は、飲んでいるときは気持ちが高揚する。そして、そのまま寝てしまう。しかし、それからがいけない。明け方、目が覚める。その頃は酔い覚めてもいる。若いときはそうでもなかったが、歳を重ねるにつれ、酔い覚めたときの落ち込みが激しくなった。しらふの水準より凹んでしまうのである。酔いの高揚で生命的エネルギーを消耗してしまったような感覚である。祭りのあとの虚脱感に似ていようか。適量を過ぎた場合、この感覚に襲われる傾向がある。酒は百薬の長、ただし適量をこえなければ、である。若いころから一貫して、筋金入りの呑兵衛であったが、最近は酒量を考えるようになってきた。

隣家で納屋の解体
 正月も四日になれば、そろそろハレの時節から起き上がってもよかろうと思い、野良に出た。仕事はじめである。11時頃ゆるゆると畑に着いた。すると、畑の隣の、他家の納屋あたりから人声がする。そこにはおばあさんがひとりで住んでいたが、数年前に亡くなった。父と同い年だから、90歳くらいであったろう。亡くなってからしばらくして母屋が解体され、納屋だけが残った。その納屋を解体しようとしている様である。近所におばあさんの弟さんが住んでいる。その人と、近くの大工さんが二人で作業をしていて、私の従姉がそれを見ていた。

足踏み脱穀機
(クリックで画像の拡大)
足踏み脱穀機。
 脱穀胴の爪が一部欠けている。それでも十分に使えるが、もしわが家の脱穀機の爪が流用できれば、付け加えることができる。
 向こう側に立ち、ペダルを足で踏み胴を回転させる。脱穀した穀物はこちら側に飛び出る。脱穀機に幌をかぶせて、穀物が飛び散らないようする。脱穀機の高さは65㎝ほど。
 画像の左隅に青いビニールシートの一部が見える。おばあさんの弟さんから、使わなくなった動力脱穀機を買い取った。シートは、その脱穀を覆っているもの。新旧ふたつの脱穀機がO家からわが家にやってきたことになる。
 弟さんは、その家に小さいころから住んでいた。私にとっては、物心ついてからいつもすぐ隣にある家だった。だから、残った納屋が解体されるのは、自分の世界の一部に穴があくような思いがする。(弟さんにとっても、似たような気持ちかもしれない。)記念に、解体前の納屋(かつての全体ではなく、その一部だけになっていたが)をカメラに撮って置こう、と思った。そのとき、カメラを忘れてきたことに気づいた。しかたないか、と時折、解体作業に眼をやりながら、農作業をしていた(仕事はじめは、大豆のしごう[脱穀作業])。

足踏み脱穀機
 柱の一部を切断し、軽トラックで引っ張ると、屋根が落ちた。「ええがいに、いったね[うまい具合に運んだね]」という声が聞こえた。しばらくして、従姉が私のところに来た。「あんたがた、[足踏み]脱穀機あるん」ときく。「あるが、壊れとる。使えん。とっとるだけじゃ」と答える。「O[おばあさんの家の名前]のはまだ使えるよ。もろうたら」と従姉。私は曖昧な返事をした。解体された納屋に戻った従姉はそこから私を呼んだ。行くと「もろうときんさい」と従姉。その脱穀機は、一部部品の欠けたところがあるが、まだ現役で働いている。最近は大豆の脱穀に使われていた。かつては蕎麦の脱穀にも使ったそうである。むろん、ずっと昔は稲の脱穀にも使っていたはずである。貰い手がいなければ捨てる、と言うので、貰うことにした。

 おばあさんの弟さんは歳を取り、現在は農作業も縮小している。稲作は、田植えと収穫を委託している。そんな状態だから、脱穀機をこれから使うことはない、と判断したのだろう。私としては、具体的な使い道としては蕎麦の脱穀を考えているが、それ以外には、おばあさんとその弟さんの《形見》という気持ちがある。軽トラックで運んでもらい、蔵の軒下に収めた。
村便り:2014-01-03(金) (明けましておめでとうございます。)
投稿日:2014-01-03(金)

 二足の草鞋の生活は、いよいよこの春から始まるシーズンかぎりとなりました。来年3月でサラリーマンを辞めるからです。父の死をきっかけに始めた、この生活を、昨シーズンまでで、18年続けてきました。二足の草鞋は最初から坐りの悪い生活でしたが、その状態のまま、最後のシーズンも終わりそうです。

ビワの花
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ビワ(バラ科)の花。
 ビワは冬に花をつける。寒さに耐えるため、身を縮めてくっつき合っているような、地味で小さな花である。(芳香があるらしいが、かいだことはない。)初夏に実が熟する。
 このビワは植えたものではない。鳥が種を運んできたか、人間が食べかすを捨てたのか、そんなふうにして屋敷の端に定着した。背景の、落葉した樹はウワミズザクラ(バラ科)。種を蒔いたのは、おそらく鳥。
 
モクレンの蕾
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モクレン(モクレン科)の蕾。
ハクモクレン(白木蓮)。こちらは蕾の状態で冬を過ごし、初春に花を開く。背景の常緑樹はゲッケイジュ(月桂樹、クスノキ科)。いずれの木も植樹したもの。これらも屋敷の端に生えている。

 なお、ビワもモクレンも12月28日、今冬、初冠雪の日に撮影。
 サラリーマンの草鞋を脱いでからの生活については、いろいろと思い惑っています。「てつがく村」の存続の可否も含めて、これから1年の間に決心しなければいけません。

 ともあれ、今年もよろしくお願いします。
村便り:2013-11-30(土) (あと少し。人の後押し。)
投稿日:2013-12-01(日)

 稲架7つを残して11時半から脱穀開始。脱穀開始時と途中で計った水分含有量は、16.3%(晴天)、15.5%(晴天)、16.3%(この時点で、晴天から曇天に変わっていた)。脱穀すれば、たいてい水分は減るので、ぎりぎりの水分含有量(多くても16%)。

小春日和
(クリックで画像の拡大)
小春日和。朝10時撮影。
 記事の内容とは関係のない画像ですが…
 陽光を受ける白い山茶花、枝に残る朱色の熟柿、その背景に青々と澄んだ空。私にとっての小春日和の1イメージ。
 まず、「村便り:2013-11-28(木) (初雪)」の画像にある4稲架を脱穀した。

「運ぶのを手伝おうか?」
 農作業をしていると、近くの農道を知っている人が通り掛かり、挨拶をしたりする。今日は最初に、田んぼの近所のSさん(私より5歳年上)が、私が脱穀しているところまで来て声をかけた。話が聞き取れるように、脱穀機の出力を落とした。「(脱穀した籾の袋を)運ぶの手伝おうか?」と彼。以前も、雨が降り出したら袋を運ぶのくらいは手伝うで、と言ってくれていた。彼の家は、我が家の田んぼの近くに田んぼがあるが、ごく一部を畑に転換しているだけで、あとは耕作放棄状態。でも、その畑があるので、田んぼで作業している私とはよく出会い、話をする。「うん。でも、ええわ。Fに、夕方に運搬車をもってきて、袋を軽トラに積んでくれる、ゆうけん[言うので]。」と答える。「ほんまに、ええん?」「うん。ありがとう。」

 Fさん(私より10歳年上)は前回脱穀した時にも、原動機付の運搬車で籾袋を軽トラックに積んでくれた。「孫の子守のついでじゃけん。」と言いながら、孫娘(小学校に上がるまえくらいの年齢)を連れてきて作業をした。籾袋は20㎏余り。不用意に持ち上げると腰を痛めるくらいの重さである。そして、脱穀が終わったあと、田んぼに散らばる袋を集めて、トラックに載せるのは一仕事である。だから、籾袋を運んでもらうと、1稲架よけいに脱穀できる。

「しめ縄の穂がいるんじゃが…」
 しばらくすると、農道を上がってくる人が見えた。小学校の同級生であるが、村の住んでいる地区が離れているので、このあたりの農道で見かけることはない。散歩なのか、と思い、眼で挨拶をしただけで、作業を続けた。すると、後ろから彼が声をかけてきた。「一束もらえるかの。しめ縄を作りょぉるんじゃが、ホが足らんのんじゃ」と言う。私は藁が必要なのだと合点し、すでに脱穀の済んだ田んぼを指して、「あそこにあるけん、もってって[もって行って]や」と答えた。脱穀機は藁カッターを装着しているので、脱穀した藁はその直後に裁断してしまう。それでも、農作業に使うため、カッターを作動させずに少量の藁束は残してある。しばらくすると彼は帰って来て「ホがいるんじゃ」と言う。その時やっと彼の必要なものが分かった。しめ縄につける稲「穂」が必要なのである。稲架からまだ脱穀していない稲束を外して彼に渡した。「これ[一束]だけでええんや?」「これだけありゃ、足りる。」と、彼は礼を言って去った。この時期、稲架が立っているのは我が家の田んぼしかない。私にとっては不本意のことではあるが、彼の役には立ったことになる。

 4稲架を脱穀し終わると、脱穀機を軽トラックに積んで、わずかに離れた、最後の田んぼに運んだ。自分自身で籾袋を集めるとすると、この時点で今日の作業は終了しなければならない。しかし、私はFさんをあてにして、最後に残った3稲架の脱穀を始めた。時間を計算するとあと1稲架はできる。はたして作業の途中にFさんがやってきた。脱穀が終わるのに時を同じくして、Fさんが軽トラックに籾袋を10袋積んでやってきた。「ここの袋も運ぼうか?」とFさん。「ええわい。3袋しかないし、[軽トラックまで]すぐじゃし、わしが運ぶわい。」と私。「わかった」と去るFさんにお礼を言い、後片付けの作業にとりかかった。

「あんた方の田んぼか」
 作業の途中ふと顔を上げると、田んぼに沿った県道の歩道を歩いてくる人と眼が合った。また小学校の同級生だったが、「穂」を求めたのとは別の男性である。「いつまでも稲架が残っちょる[と]思よぉったが、あんた方の田んぼか。」彼はそこが我が家の田んぼとは知らなかったようである。しかし、散歩で見かけるたびに「いつまでもこがん[脱穀しない]が、どこの田んぼじゃろうか」と怪訝に思っていたに違いない。彼と話をしながら、私は雲の切れ目から見える山の端に沈む太陽がしきりに気になった。ひとしきり話をしたあとで、彼はまた散歩を続けた。私は軽トラックに今日最後の3袋を積んで、屋敷に急いだ。蔵の収納庫に今日の13袋を積み上げおえたころは、すでに夕闇が迫っていた。
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