<< 2008-12 >>
SunMonTueWedThuFriSat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

2008/12
このページの記事一覧   << 2/2
 (クリックで個別ページ表示)
記事の分類
 (クリックで分類毎に表示)
以前の記事
 (クリックで月毎に表示)
村便り:2008-11-29(土) (米袋を蔵におさめる)
投稿日:2008-12-04(木)

籾袋
(クリックで画像の拡大)
11月24日、脱穀した籾を積んだ軽トラック。手前がわが家の田んぼ。17時20分。
 11月24日(月)に脱穀し終えた籾は、蔵におさめないで、小屋に積んでおいた。脱穀が終了したのが夕方だったので蔵は開けたくなかったからである。湿気を中に入れないため、蔵を開けるのは晴れた昼間ということにしている。今日は昼過ぎまでは日差しがあり、午後から天気がすこし崩れる、という予報だった。いつまでも小屋においていたのでは邪魔になるし、心理的にも落ち着かない。そこで天気の崩れるまでに米を小屋から蔵に移動することにした。


古いもち米
蔵
(クリックで画像の拡大)
小屋は右側にわずかに見えている。そこから籾袋を蔵に運んだ。画像は翌日(11月30日)のもの。蔵は南東向き。日差しの向きは15時のもの。
 小屋と蔵は隣接しているので、一輪車に2袋ずつ積んで運んだ。籾のはいった袋は、一袋おおよそ25kg弱(計量したわけではなく、精米量から逆算した重さ)。蔵には米専用の収納庫がある。ブリキで内張りした大きめの押し入れ、といった風情である。そこにはまだ古いもち米が残っている。一昨年のが2袋、去年のが3袋。一昨年のは廃棄するしかあるまい(廃棄といっても《故郷》である田んぼに戻すのであるが)。去年のは一部すでに予定されている譲渡先がある。モチ米は昔と違い、今は使うことが滅多にない。かといって使わないわけではない。だから少量は作るのだが、結局いつも余らしてしまう。今年は籾袋にして収穫が5袋あった。これでも多すぎる…古い米は収納庫から出してから新しい米を詰めた。

蔵に侵入するネズミ
 収納庫には計算上は40袋入る。10袋積みで4列入るからである。しかし現実にはそんなに高く積もうとすると、狭い場所で重い袋をあげなければならないので、腰に負担がかかる。30袋あまり積んで、あとは収納庫の外に積む。外に積んだ袋にとって問題はネズミ害。壁に2、3箇所小さな穴が開いていて、そこからネズミが出入りする。むろんその穴を潰せば侵入を防ぐことができるが、あえて開いたままにしている。そこを潰してもどこか他の場所に開けられ、その場所が荷物の後ろに隠れて発見できないと、ネズミ対策をとれないからである。穴の開いた壁にびったりとネズミ取り用の粘着板を置く。そこを通過せざるをえないように置くのである。粘着板にくっついたまま死んでいる野ネズミを見ると可哀相だが、仕方ない…

 収納作業の終わりごろになり空が曇り始め、終わった直後から雨がぱらつき始めた。


苗の量と収量
 私は稲の苗をあまり使わない。一反(10a=1.000㎡)で16枚が標準とされている。一株の本数に換算し直すと、3本から5本である。私は一株2本から3本を植える。機械で植えつけ本数を厳密に決めることはできないから、一株に1本のところも出る。そういう植え方をすると一反11枚ほどで足りてしまう。ちなみに、株間は30cm×20cmである。気になるのは、そうした粗植と収量の関係であるが、わが家の場合では、委託していた(したがって、標準植えの)過去の記録を見る限り、粗植も標準植えも変わらない。むろん変わらないとの予測のもとに粗植を実行しているのだが。
村便り:2008-11-26(水) (稲架を片づける)
投稿日:2008-12-01(月)

 11月23日(日)に脱穀が終わって、稲が外され、骨組みだけになった稲架はそのままにしておいた。脱穀が終わったのが16時、米袋を小屋に運び終わったのが、すでに暗くなった18時前。稲架を解体して運ぶ時間はなかった。

 月曜日は雨、火曜日は授業。その間《裸》になった稲架が気になっていた。木曜日と金曜日は業務で一日中拘束される。週末は、遅くなったタマネギの定植が待っている。頭のなかでスケジュール表を眺めていると、今日、午後一コマの授業が終わり、夕方暗くなるまでの《空欄》を利用するしかなかった。

夕暮れの田んぼ
(クリックで画像の拡大)
脱穀が終わり、稲架だけが残った晩秋の、むしろ初冬の田んぼ。向こうの山に太陽が沈んだばかりである。
 片づけるべきナル[稲架の横木]は12本。ナルは孟宗竹を使っているが、月曜日の雨で割れ目から雨が入っていたもの3本を除いて、9本を屋敷に運んだ。長さ9メートルのナルを担いで屋敷に持ち帰り、屋敷から田んぼまでは駆け足で移動すると、一本につき10分の所要時間。屋敷から田んぼへは沈む太陽に向かって走ることになり、ふと『走れメロス』の物語を思い出した。私の帰りを待っている友人があるわけではないが、あの太陽が山の向こうに沈むまでは…という気持ちは似ていた。屋敷までの行程には県道を横切るところがある。朝夕のラッシュ時には交通量が多くなる。暗くなってから、長いナルを担いで横断するのは危険である。最後の一本を運ぶときはすでに薄暗くなっていたので、懐中電灯でこちらの存在を知らせるようにしたが、それでも車からは分かりにくいようで、遠くから来る車がこちらの気配に気づき、確認のために照灯をハイビームしたくらいだった。

 ナルを運び終わると完全に夜の闇。今度は稲架杭(稲架足とも言う)の番である。稲架杭はナル一本につき、13本使用するから、150本ほど。それを軽トラックの荷台に積んで帰った。明日、木曜日は雨の予報なので、稲架杭は荷台に積んだまま、シートを被せておいた。

稲架の方向
稲架の方向
(クリックで画像の拡大)
稲架の方向。
 稲がまだかかっていないふたつの稲架の方向がほぼ南北である。同じ水平面上の向こうの田んぼ(他家の田んぼ)の稲架は複数のナルがつなげてあり、田んぼの形状にしたがって配置されている。また、一段上の田んぼ(わが家の田んぼ)に見える三つの稲架は少しずつ方向が変化している。その変化は、稲架を立てるにしたがって、方向に気づきだしたためである。
 今年はじめて稲架の方向を意識した。いままでナルは2、3本はつなげて稲架を立てていた。そのぶん稲架杭は少なくて済むが、長くなるためナルの方向は田んぼの形状に規定されがちである。わが家だけでなく、他家の田んぼでも、そのような稲架の立て方をしてある。しかし、考えてみれば、ナルは南北方向にするのが、稲の乾燥のためには理想的である。稲は、ナルの両側に振り分けるように掛けられるので、南北方向にすると、一方は東側、他方は西側に向く。すると両側は同じ時間だけ日差しを受けることになるからである。ただ、ナルはつなげることはできない。稲刈りの途中から方向のことに気づき、南北方向を試してみた。来年からは、9メートルのナルを一本ずつ使い、すべて南北方向にするつもりである。すると、耕作面積は狭いが、同じ長さの10数本の稲架がすべて《磁石》になったように整列するので、壮観かもしれない。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
最新20コメント
Powered by
Serene Bach 2.19R