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2008/12/01
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村便り:2008-11-26(水) (稲架を片づける)
投稿日:2008-12-01(月)

 11月23日(日)に脱穀が終わって、稲が外され、骨組みだけになった稲架はそのままにしておいた。脱穀が終わったのが16時、米袋を小屋に運び終わったのが、すでに暗くなった18時前。稲架を解体して運ぶ時間はなかった。

 月曜日は雨、火曜日は授業。その間《裸》になった稲架が気になっていた。木曜日と金曜日は業務で一日中拘束される。週末は、遅くなったタマネギの定植が待っている。頭のなかでスケジュール表を眺めていると、今日、午後一コマの授業が終わり、夕方暗くなるまでの《空欄》を利用するしかなかった。

夕暮れの田んぼ
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脱穀が終わり、稲架だけが残った晩秋の、むしろ初冬の田んぼ。向こうの山に太陽が沈んだばかりである。
 片づけるべきナル[稲架の横木]は12本。ナルは孟宗竹を使っているが、月曜日の雨で割れ目から雨が入っていたもの3本を除いて、9本を屋敷に運んだ。長さ9メートルのナルを担いで屋敷に持ち帰り、屋敷から田んぼまでは駆け足で移動すると、一本につき10分の所要時間。屋敷から田んぼへは沈む太陽に向かって走ることになり、ふと『走れメロス』の物語を思い出した。私の帰りを待っている友人があるわけではないが、あの太陽が山の向こうに沈むまでは…という気持ちは似ていた。屋敷までの行程には県道を横切るところがある。朝夕のラッシュ時には交通量が多くなる。暗くなってから、長いナルを担いで横断するのは危険である。最後の一本を運ぶときはすでに薄暗くなっていたので、懐中電灯でこちらの存在を知らせるようにしたが、それでも車からは分かりにくいようで、遠くから来る車がこちらの気配に気づき、確認のために照灯をハイビームしたくらいだった。

 ナルを運び終わると完全に夜の闇。今度は稲架杭(稲架足とも言う)の番である。稲架杭はナル一本につき、13本使用するから、150本ほど。それを軽トラックの荷台に積んで帰った。明日、木曜日は雨の予報なので、稲架杭は荷台に積んだまま、シートを被せておいた。

稲架の方向
稲架の方向
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稲架の方向。
 稲がまだかかっていないふたつの稲架の方向がほぼ南北である。同じ水平面上の向こうの田んぼ(他家の田んぼ)の稲架は複数のナルがつなげてあり、田んぼの形状にしたがって配置されている。また、一段上の田んぼ(わが家の田んぼ)に見える三つの稲架は少しずつ方向が変化している。その変化は、稲架を立てるにしたがって、方向に気づきだしたためである。
 今年はじめて稲架の方向を意識した。いままでナルは2、3本はつなげて稲架を立てていた。そのぶん稲架杭は少なくて済むが、長くなるためナルの方向は田んぼの形状に規定されがちである。わが家だけでなく、他家の田んぼでも、そのような稲架の立て方をしてある。しかし、考えてみれば、ナルは南北方向にするのが、稲の乾燥のためには理想的である。稲は、ナルの両側に振り分けるように掛けられるので、南北方向にすると、一方は東側、他方は西側に向く。すると両側は同じ時間だけ日差しを受けることになるからである。ただ、ナルはつなげることはできない。稲刈りの途中から方向のことに気づき、南北方向を試してみた。来年からは、9メートルのナルを一本ずつ使い、すべて南北方向にするつもりである。すると、耕作面積は狭いが、同じ長さの10数本の稲架がすべて《磁石》になったように整列するので、壮観かもしれない。
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