てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2006-09-24(一日は短い!)
投稿日:2006-09-25(月)
一日は短い!そんな思いで農作業の一日が終わる。

 週末は畑仕事。野菜の種を蒔くためである。
 週末に入る前は、土曜日は畑仕事、日曜日は田んぼ仕事と目算を立てていたのだが、いざ始めてみると二日とも畑仕事にとられることになった。田んぼでの仕事は、稲刈りにそなえて田の水を落とす作業。稲刈りは10月の第二日曜日あたりと第三日曜日あたりを予定しているので、最初の稲刈りを予定している田んぼはそろそろ落水しなければいけないし、それから一週間後に稲刈りをする田んぼも周囲の溝を浚って下準備をしないと追いつかなくなる。だからといって、野菜の種蒔きものんびりとやっていられない。結局、緊急度を考慮して、畑仕事を選んだ。

ltr060914inaho.jpg
(クリックで画像の拡大)
 ふと交尾中のカマキリが目に入った。一匹の雌カマキリに二匹の雄カマキリがとりついて、ムカシヨモギの枝に止まっていた。秋晴れのさわやかな日など彼らの眼中にはない。まるで凝固しているようであったが、彼らのなかでは生の最後の炎が、静謐な激しさで燃え上がり、生の継承の営みが行われていた。
 自然全体の季節的な移ろいにあって己の生の時節をあやまたず見抜く。その時節を懸命に生きる。それを本能と言い切ってしまうのは皮相的すぎはしないだろうか。本能から《自由》になった知性の、むしろ戯言ではあるまいか。全体のなかで己の時節を生きる、そんな農の営みでありたい。
 畑には夏の間に草が繁茂してしまった。これには相応の理由がある。去年の夏あたりから、我が家の農業事情が変化し始めた。ひとつは、それまで草取りなどの作業をときおり手伝ってくれていた老母の手があてにならなくなったことがある。その後継として私の家族(すなわち、ma femme)に多少の期待をかけたが、家族は、町生まれ町育ちのため、老母に輪をかけて百姓のことは知らない。しかも、私と一緒に農地から離れたところで暮らしている。したがって、作物の収穫以外は、ほとんど期待できなかった(これからも期待できないだろう)。もうひとつは、今年から稲作を委託なしで、すなわち私《一人》でやることになったことがある。稲作は、自立(定年後を予定していた)を目指して、少しずつ委託作業を減らしてきたが、いたしかたない事情で、自立を今年まで前倒しせざるをえなくなった。だから、農業事情は今年から私にとって未経験の領域に入った。掛け値なしの《一人農家》になった。その無勢の《一人》の周りで草がはびこった、というわけである。

 丸一日作業をしたとしてもそんなに多種類の野菜を植えつけできるわけではない。土日の二日では、カブ(白カブと赤カブ)の種蒔き、ネギ(九条ネギ、下仁田ネギ)の定植、ワケギの植え付けである。むろん種蒔きや定植以外にも、相変わらず草刈りと耕耘、草焼きなどの作業もある。日曜日の最後には、暗くなるのと競争で白菜を定植する畝を耕耘して畝立てした。残った野菜は、今週中に早朝、出勤前に畑に立ち寄って、少しずつ植えるしかない。

 一日が短い!そんな思いをもたいない日は《一人農家》にはない。悲痛な叫びのようにも思えるが、裏返せば、生の充実からのほとばしりでもある。
コメント
--------------------

コメントを書く



     
Powered by
Serene Bach 2.19R