村便り:2006-10-27(月と生活)
投稿日:2006-11-02(木)
先週残ってしまった2畝弱を、午後、刈り上げた。
金曜日だが、明日は出張するので、またまた休暇をとった。授業の準備に追われる学期中に休暇をとると、それ以外の日にきつい皺寄せがくる。そうは言っても、熟れ具合からして、またすでに刈った稲の脱穀との関係で、さらに一週間日延べしたくはない。そこでやむなく休むことにした。
刈り残していたのは、いま「村の入口の写真」に写っている田んぼである。この田んぼのウワコウダはダブになっていて、上隣の田んぼとの境あたりになると、水を落としてからも歩くと足が沈むくらいである。バインダーは足が10cm以上も沈むようなところでは使えない。今年は稲刈り時に晴天が続いているので乾いているかと期待したが、裾[田んぼの縁]はやはり鎌で刈らざるをえなかった。
月は近くの街灯には敵わぬほどの明るさである。しかし明日か明後日には半月。日没時には空高くかかる。この大きさになれば、日が落ちてから稲架掛けができるくらいには明るく野を照らすであろう。しかも、夜半までは空にある。
「星を戴いて出で、星を戴いて帰る」という言葉がある。もしかするとこの言葉の裏には月明かりが絡んでいるのではないか、と想像した。陰暦の7日あたりから10日ほどは日没後も、曇っていなければ、月で明るい。15日から一週間ほどは日の出前でも明るい月が残っている。農繁期にはそれを利用できる。「星を戴いて出で」ても夜明け前から仕事を始めることができ、「星を戴いて帰」っても日没後に一働きはしている。
都会に住んでいれば、いや、いたるところ《常夜灯》が輝いている現代では田舎でも、月の光を意識することはない。ところが昔は、半世紀ほどもさかのぼれば、月は生活に深く関係していた。名月を愛でるこころも上っ面の風流心ではなく、生活に根づき、いわば血の通った感情であったろう。
日没後まで作業をした今年の稲刈りで、月との距離がぐっと縮まった気がする。
金曜日だが、明日は出張するので、またまた休暇をとった。授業の準備に追われる学期中に休暇をとると、それ以外の日にきつい皺寄せがくる。そうは言っても、熟れ具合からして、またすでに刈った稲の脱穀との関係で、さらに一週間日延べしたくはない。そこでやむなく休むことにした。
刈り残していたのは、いま「村の入口の写真」に写っている田んぼである。この田んぼのウワコウダはダブになっていて、上隣の田んぼとの境あたりになると、水を落としてからも歩くと足が沈むくらいである。バインダーは足が10cm以上も沈むようなところでは使えない。今年は稲刈り時に晴天が続いているので乾いているかと期待したが、裾[田んぼの縁]はやはり鎌で刈らざるをえなかった。
月は近くの街灯には敵わぬほどの明るさである。しかし明日か明後日には半月。日没時には空高くかかる。この大きさになれば、日が落ちてから稲架掛けができるくらいには明るく野を照らすであろう。しかも、夜半までは空にある。
「星を戴いて出で、星を戴いて帰る」という言葉がある。もしかするとこの言葉の裏には月明かりが絡んでいるのではないか、と想像した。陰暦の7日あたりから10日ほどは日没後も、曇っていなければ、月で明るい。15日から一週間ほどは日の出前でも明るい月が残っている。農繁期にはそれを利用できる。「星を戴いて出で」ても夜明け前から仕事を始めることができ、「星を戴いて帰」っても日没後に一働きはしている。
都会に住んでいれば、いや、いたるところ《常夜灯》が輝いている現代では田舎でも、月の光を意識することはない。ところが昔は、半世紀ほどもさかのぼれば、月は生活に深く関係していた。名月を愛でるこころも上っ面の風流心ではなく、生活に根づき、いわば血の通った感情であったろう。
日没後まで作業をした今年の稲刈りで、月との距離がぐっと縮まった気がする。