<< 2006-11 >>
SunMonTueWedThuFriSat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

2006/11/02
このページの記事一覧   1/1
 (クリックで個別ページ表示)
記事の分類
 (クリックで分類毎に表示)
以前の記事
 (クリックで月毎に表示)
村便り:2006-10-27(月と生活)
投稿日:2006-11-02(木)

 先週残ってしまった2畝弱を、午後、刈り上げた。

 金曜日だが、明日は出張するので、またまた休暇をとった。授業の準備に追われる学期中に休暇をとると、それ以外の日にきつい皺寄せがくる。そうは言っても、熟れ具合からして、またすでに刈った稲の脱穀との関係で、さらに一週間日延べしたくはない。そこでやむなく休むことにした。

 刈り残していたのは、いま「村の入口の写真」に写っている田んぼである。この田んぼのウワコウダはダブになっていて、上隣の田んぼとの境あたりになると、水を落としてからも歩くと足が沈むくらいである。バインダーは足が10cm以上も沈むようなところでは使えない。今年は稲刈り時に晴天が続いているので乾いているかと期待したが、裾[田んぼの縁]はやはり鎌で刈らざるをえなかった。

日没時の月
(クリックで画像の拡大)
 日没時にどんな形の月が、空のどのあたりに、出ているかがイメージできるような図を作ってみた。
 東西を結ぶ水平線の上側が空である。水平線を直径とする円周上(円は図には描かれていない)に8つの月を配した。
 新月は、旧暦1日の月、上弦は、7日か8日の月。満月は15日の月、下弦は、22日か23日の月である。図ではそれぞれ日没時の位置に配置されている。たとえば、上弦は日没時に天高いところにある。
 月は円周上を時計回りに回る。上弦は、次第に西にくだりながら夜半には西に没してしまう。下弦は、夜半になってやっと東の空に顔を出し、日の出時には天の一番高いところまでのぼっている。
 月は円周上を動くが、《自転》はしない。だから、空にのぼった下弦は、上弦とは反対側の面が明るい。
 刈った稲を稲架のまわりに集めて稲架掛けを始めたのは、日没間近の午後5時であった。この田んぼの近くには電柱に街灯がある。稲架のナル[横木]はその街灯に向かって掛けてある。光りを利用しようと街灯に向かう姿勢で作業を進めた。すっかりと闇が降りてから西をふり返った。するとまだわずかに明るみの残る空に、月の出ているのが目に入った。新月から六日たった、三日月様の月である。不意をつかれ、引きつけられるように空を見上げた。

 月は近くの街灯には敵わぬほどの明るさである。しかし明日か明後日には半月。日没時には空高くかかる。この大きさになれば、日が落ちてから稲架掛けができるくらいには明るく野を照らすであろう。しかも、夜半までは空にある。

 「星を戴いて出で、星を戴いて帰る」という言葉がある。もしかするとこの言葉の裏には月明かりが絡んでいるのではないか、と想像した。陰暦の7日あたりから10日ほどは日没後も、曇っていなければ、月で明るい。15日から一週間ほどは日の出前でも明るい月が残っている。農繁期にはそれを利用できる。「星を戴いて出で」ても夜明け前から仕事を始めることができ、「星を戴いて帰」っても日没後に一働きはしている。

 都会に住んでいれば、いや、いたるところ《常夜灯》が輝いている現代では田舎でも、月の光を意識することはない。ところが昔は、半世紀ほどもさかのぼれば、月は生活に深く関係していた。名月を愛でるこころも上っ面の風流心ではなく、生活に根づき、いわば血の通った感情であったろう。

 日没後まで作業をした今年の稲刈りで、月との距離がぐっと縮まった気がする。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
最新20コメント
Powered by
Serene Bach 2.19R