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村便り:2007-06-04(月) (機械での田植え終了)
投稿日:2007-06-05(火)

 やっと田植えが終わった。

 「村便り」は、懸念していた通り、田植えの準備のため二週間あまり記事の掲載ができなかった。田植え前、三週間ほどは、畦塗り、アラジ(荒代掻き)、代掻き(植代掻き)のため、田んぼにつきっきり だった。
 サラリーマン稼業もあるので、週日は、早朝と夕方を使う。さすがにトラクター作業は、たとえ月夜であっても日が暮れてからは、したくない。足場の悪い田んぼの出入りで怪我をしたくないからである。しかし、鍬だけを使う手作業の畦塗りは、終わらなければ、日が落ちてからも続ける。これが結構、気持ちがいい。この時期、夜になると気温が下がるが寒いわけではない。夜陰に浸され田んぼの水に入って作業をしていると不思議な快感を覚える。月や星を友に仕事をせざるをえない兼業農家の、かくれた楽しみとも言える。

 トラクターは、田んぼの水の中で走らせたあとは、原則として、洗う。トラクター作業は日没までに終えるが、屋敷にもどると、ポンプでくみ上げた井戸水をホースで勢いよくかけてトラクターの泥を洗い流す。泥はまだ濡れているので、水の勢いで流れてしまう。井戸端には照明がないので、闇の中でトラクターの一部分を照らしだすヘッドランプの光を頼りに、水をかける。トラクターの洗浄が終わると、身体も濡れてしまう。

 田植えは、6月2日(土)を予定していた。しかし、代掻きが予定通り進まず、6月4日(月)になってしまった。サラリーマン稼業との兼ね合いを考えると、この日がリミットである。月曜日は授業も会議もないので、休暇をとれる。しかし、火曜日からは授業があり、月曜日にできなければ、田植えは一週間も遅れてしまうことになる。苗の生育状況を考えれば、それは避けたい。最後の代掻きは土曜日だった。ふつう代掻き後、三、四日はおいて田植えをする。代掻き直後は田の泥がまだ落ち着いていない(柔らかい)からである。だから月曜日の田植えは《見切り発車》だった。

 田植えは乗用田植機を使う。一昨年、それまで田植えを委託していた人が病に倒れ、去年から、10年落ちの中古田植機を買い求め、自分で田植えを始めた。田植え二年目。しかし、田植機は一年に一日使うだけだから、去年の経験は忘れてしまい、今年も田植え一年生。機械に慣れた人の倍も時間をかけて日没時になんとか作業を終えた。片づけ、田植機の泥洗浄などを終えて、帰宅したのは夜10時。

 田植機はパワーステアリングではないので、思いのほか握力を使う。ハンドルを回す腕力そのものは、一日操作しても、通常の農作業でのレヴェルを超えないが、握力は違う。一日の作業が終わると、両手の小指と薬指がつるような状態だった。

 ともかく、稲作の最初の大きな山はこれで越えたことになる。ひと安心。(田植えに関しては、植えつぎが残っている。田植機が植えなかった株を補植する作業である。)
村便り:2007-05-13(日) (井手堰き、里芋の定植など)
投稿日:2007-05-17(木)

 我が家の田んぼは三本の井手[農業用水路]に関係している。田植えの準備が始まる頃、それぞれで井手堰き[井手の整備]がおこなわれる。四月下旬と先週日曜日に二つの井手堰きがあり、今日は最後の井手堰き。いずれも始まるのは朝8時、井手床[井手の源]あたりに集合して作業を始める。三本の井手は、いずれも川から水を引いているが、今日のは一番上流から水を引いている。だから最初の田んぼに至る道のりが長い。今は全線がコンクリートでかためられているうえに、関係する田んぼが多く、したがって人手も多いので、作業はさほどきつくない。2時間あまりで作業が完了。

 それから里芋類の定植にとりかかった。普通の里芋、八つ頭、京芋を温床で芽出ししていたが、すでに定植適期を過ぎていた。定植適期は、一枚目の葉が展開し始めるころ。里芋類は適期を過ぎると植え傷みしやすい。しかし、田植えの準備時期には畑の作物を十分に手をかけてやることができない。まあ、植え傷みしても、それなりの収穫はあるはず。普通の里芋を60個、八つ頭11個、京芋を2個定植。京芋の種は頂き物。ただ伏せたイモ16個のうち15個は腐ってしまい(伏せるまでの保存の仕方が悪かったため)、かろうじて生き残りのこったのはたったの一個。でも芽を二つ出していたので、二分割して定植した。

ズッキーニ定植
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定植したズッキーニ。
 畑の色は実際より赤っぽく写っている。
 定植する時は植え穴に水を一杯に入れてやり、定植してから株の回りにたっぷり水を掛けてやる。すると今の時期では、あとは水やりしなくても活着する。
 近所の食堂で遅い昼食を済ませて、午後はズッキーニの定植。黄と緑の二種のズッキーニをあわせて18株定植。さらにジャガイモの追肥と元寄せをした。
 その間、畦切りを終えた田んぼの一枚に水を入れる(「村便り:2007-05-12(土)」の三枚目の写真参照 )。

 帰宅して一日の疲れを取るためヨーガをしようと思ったが、風呂に入っている間に、子どもがヨーガをする部屋に布団を敷いたため、断念。疲れが溜まったままの身体で就寝。
村便り:2007-05-12(土) (畦切り)
投稿日:2007-05-14(月)

 五月始めの連休から少しずつやってきた田んぼの畦切りをようやく終える。田植えの準備は、大略を述べると、(1)荒起こし、(2)畦切りと畦かき、(3)荒地(荒代掻き)、(4)畦塗り、(5)代掻き(本代掻き)の順におこなう。その第2番目の作業がやっと完了したことになる。

畦切り
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畦切り。
 畦切り専用の鍬とシャベルを使う。シャベルで目印をつけて、鍬で土をかき取る。最後にシャベルで凸凹を修正して仕上げる。この田んぼ(本文中の説明で概念図を使った田んぼとは違う)は去年休耕したので、かき取る土の量が多くなっている。
 畦切りは単純ではあるが、腰に負担のかかる作業である。腰の左右への負担を均等にするよう、時々、鍬を握る手の左右を入れ換える。たとえば右利きで打つときは右側の腰に負担がかかる。
コンクリート畦
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コンクリート畦。
 農道や井手を整備したところでは畦はコンクリートになっている。そのような畦は三つ鍬で土をかく。あらかじめ、シャベルを使って畦に直交する方向に、2、30センチメートル間隔に切れ目を入れると作業しやすい。
畦かき。
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横手の畦かき。
 この田んぼは農道際に横手を通してある。横手と田んぼの境もやはり土をかいておくと、トラクター作業に目安ができる。
 畦切りは畦塗りの下準備である。去年、畦に塗りつけた泥を専用の鍬でかき取り、畦を塗る「壁」を作る。畦にはモグラが住んでいるため、畦を切るとモグラが開けた穴が出てくることがある。その穴は泥で作った「栓」などでしっかりと蓋をしておく。さもないと田んぼに水を入れても、そこから抜けてしまうことになる。畦を塗るのは、傾斜地の田んぼでは、低い方向に向かう側の畦と、場合によっては、低い側と高い側を結ぶ畦である。田の記事で使った図を使って説明すると、下側の畦と、横手と田んぼを区切る狭い畦のうち、右側の取水口(入水口)と排水口(出水口)を結ぶ部分である。

 また畦をかくのはそれ以外の畦である。トラクターで耕耘したり代掻きをするとき、石垣やコンクリートで畦が作られているところでは、際[きわ]まで鋤くことができない。畦に近づき過ぎると、機械と石垣やコンクリート畦が接触するからである。だから、あらかじめ鍬で際の土を掘りあげておく。また、横手と田んぼを区切る狭い畦様の部分もかいておくと、トラクターを横手に寄せる限界の目安ができて、耕耘作業がしやすい。図にある田んぼでは、上の畦は低い石垣、左の畦はコンクリート製なので畦をかく。また、畦を塗るところ以外の横手もかく。


 畦切り・畦かきが完了した午後、トラクターで田んぼ二枚を荒起こし。草が生えていたので、その草を処理するためもないではないが、代掻きを二回すれば、それ以前に少々草が生えていても埋め込むことができる。だからわざわざ代掻き近くなって荒起こしをする必要はない。しかし、今年は代掻きを一回で済ます「実験」をしてみようかと思っている。そのために乾田状態のときに耕耘して草を処理したのである。


関連記事
「畦塗り」(『天地人籟』2006-07-10)
村便り:2007-05-07(月) (新緑の中を走り抜ける)
投稿日:2007-05-07(月)

 畑と田んぼでの仕事が一段と忙しくなった。「村便り」は、懸念していた通り、執筆時間がとれず中断してしまった。

 畑は作業に割くことができる時間が少なくなると、播種は「間引き運転」をする。作付け予定表通りに野菜を作ることは私の現状では無理である。蒔くべき畝ができていないときには、ポット育苗して時間稼ぎこともある。しかし時間が稼げず、大きくなりすぎた苗を定植することもある。また、発芽しても草取りをする間がなく、草の中に埋もれさせてしまうこともある。「芽が出るまでの楽しみ」そう従姉は私の野菜作りを評するし、また私自身もそうだと思っている。

 ところが、稲作の場合はそうはいかない。主食ではあるし、田植えができなければ、農協の育苗センターに注文している苗を無駄にしてしまうことになる。だから田植えの一カ月前くらいから尻に火がつく。大げさでなく、働きづめに働いて、田植えに間に合わす。

新緑
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新緑の灰ヶ峰。5月1日16時。
 五月の初夏は、なかなか手をかけてやれない畑と、何としてでも予定日に田植えをしなければならない田んぼとの間を往復しながら、新緑の中を走り抜けることになる。

 そんなわけで、4月28日(土)から5月6日(日)の、いわゆる「大型連休」は毎日、新緑をいやというほど「楽しんだ」。5月1日(火)と2日(水)は授業がある日なので休暇をとるわけにはいかず、夕方の時間を農作業にあてた。

 昨日、5月6日(日)は雨。朝8時からの井手堰き[田植えを前にしての農業用水路の協同整備作業]を終えると、農作業ができない雨のせいもあろうが、さすがに気力(と体力)が萎えた。午後は休養して、明日(すなわち今日)からの「連戦」にそなえた。

 以上、元気に生きていることをお知らせする短信でした。
村便り:2007-04-15(日) (痛む腰を友に種蒔き)
投稿日:2007-04-16(月)

 相変わらず腰の調子が思わしくない。しかし痛みは軽くなっている。腰に負担がかかる田んぼでの仕事が本格化するまでに腰の状態をもとに戻しておこう(来週の日曜日には井手堰きがあり、稲を作る以上、作業には参加しなくてはいけない)。

 金曜日夜の雨で土が湿っていたため、土曜日の畑仕事は見送った。田んぼでの作業はできるが、腰に相談して、「出勤」してデスクワーク。授業に使うプリントを印刷したりした。

 日曜日の今日は昼前に畑にやってきた。土曜日は一日晴れていたので、金曜日に作った畝は、種蒔きや定植ができるまでに土が乾いていた。ただ雨に打たれたあとの土は、乾くと薄くて硬い表皮ができたような状態になる。そのままでは種蒔きができないので、まず、三つ鍬で畝の表層を軽く掻くように耕して「表皮」を崩す。普段なら造作ないことではあるが、今日は少しやっては腰を伸ばして腰をかばうようにした。それでも痛いところがあると腰の使い方が不自然になるのだろう、腰の右側に局在化していた痛みが腰全体に広がるのを防げなかった。忙しいとゆっくりと病気にもなっていられない、と変な不平を心のなかでぶつぶつと呟きながら、作業を継続。

 種蒔きは、人参、ビート、ふだん草(うまい菜)、極早生ミニ大根。

人参を蒔く
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人参を蒔いた畝。
 人参は、平鍬で畝の方向に垂直に切ったガンギ[蒔き床]にパラパラと蒔く。蒔き床の土は、蒔く前と蒔いた後との二回鎮圧する。種を蒔いたあと、土はかけないか、かけても気持ち程度にする。今日は手前の篩で細かい土をふるいかけた。そして、発芽まで畝全体を、保湿のため、寒冷紗などで覆う。乾燥した夏期には発芽まで毎日灌水する。
 我が家では人参は決まった畝で栽培する。写真で言えば、真ん中の畝と、その右隣の畝が人参用である。写真に写っているのは畝の三分の一強。人参は連作すると肌がきれいになる、と言われている。
 人参は蒔いてから三カ月は経たないと食べられる大きさにならないから(むろんそれまでにも間引き菜は利用できる)、七月下旬から収穫することになる。人参は年に四回蒔く。まず、二月にビニールトンネル内に蒔く。それからは、三月終わりから四月始め、七月上中旬のまだ梅雨が明けない頃、最後に、九月始めに、いずれも露地に蒔く。九月始めに蒔いた人参は年明けから収穫を開始して、三月に薹が立つまで利用する。そのころにまだ残っていれば、掘りあげて葉っぱを切り落とし、畑に浅く埋めて囲っておく。二月に蒔いた人参は順調に生育すれば、六月から収穫できるから、六月から翌年四月までは人参が手に入る計算になる。

 ビートとふだん草は、ホウレンソウと同じアカザ科。ビートは、我が家では定番野菜で、サラダとして利用する。草全体が赤いのと根が太るのを除いてはホウレンソウにそっくりなので、間引き菜はおひたしにして食べることができる。ふだん草は、我が家では不人気であるが、生鮮野菜が少ない夏に重宝する。市場には出回らない(市場では珍しい?)野菜なので都会生活者にはなじみのない野菜かもしれない。老母は煮物に入れて食べる(葉っぱは肉厚で煮崩れしにくい)。

 最後にジャガイモ(男爵)を定植。全部で60片の種芋を植えた。他の三種類のジャガイモはもうすこし伏せ床においてもいい状態であった。

 一日が終わると腰のあちこちにチクチクと痛みを感じた。夜、たっぷり時間をかけて丁寧にヨーガをすると痛みはほぼ和らいだ(腰の不調が完治したわけではないが…)。
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