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村便り:2007-11-09(金) (エンドウの種蒔き)
投稿日:2007-11-10(土)


エンドウ播種
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自然畝での播種。
 草をかき分けて蒔く場所を作る。草の根があれば、手鎌で取り除く。除草器のとがった先で穴を空け、種を落とす。写真では三粒蒔いてあるのがお分かりかと思う。(実際には、穴を空けた除草器の刃が土にまだ刺さっている横に種を落として、除草器を土から抜くので、したがって、抜いたとたんに種が土に隠れるので、このように蒔いた種が見えていることはない。)種に土をかけて、平手で叩いて土を鎮圧し、スクモ[もみ殻]をかける。スクモは、蒔いた場所の目印、保湿、防寒のため。
 夕方4時からエンドウの種蒔き。エンドウは自然畝に蒔くことにしている。エンドウは自然農法でも満足のいく収量がある。近所のおばあさんは11月10日にエンドウを蒔くことにしているそうだが、私は11月初頭に蒔くことにしている。だから、わが家としては少し遅い種蒔きである。ちなみに、去年は5日と8日に分けて蒔いている(去年の村便りには、二回目は9日となっているが、授業のある日に蒔いているので、前日の8日の間違い、と思われる)。

 エンドウは二種類、すなわち実エンドウ(莢を剥いて中の実だけを食べる品種)とスナップ・エンドウ(軟らかくて厚い莢と実をともに食する品種)蒔く。実エンドウは一カ所3粒あてで30カ所、スナップ・エンドウは4粒で40カ所蒔いた。通常、一カ所4粒蒔いて、春先に2株に間引くのだが、今年は実エンドウは種が足りず、3粒に減らした。

 実エンドウを蒔いている間に日没。スッナプ・エンドウを半分も蒔かないうちに暗くなったので、ヘッドランプを頼りに作業を続けた。暗がりでの作業は道具類を見失いがちなので、注意が必要。注意していたつもりなのに最後の最後で、手袋の片方を見失ってしまった。大型の懐中電灯を灯して探したが、見つからなかった。明日、もう一度探すしかないか…
村便り:2007-11-08(木) (サツマイモ掘り…)
投稿日:2007-11-09(金)

 午後一コマ目の授業が今週最後の授業。肥料購入とエンドウの種蒔きのため、15時半に退社、じゃなくて、退校でもなくて…退出(とでも言うんでしょう)。

収穫したサツマイモ
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収穫の全量が、トロ箱ひとつ…この中からいくつ種芋が採れるだろうか。
 肥料は農協で購入するので、月曜から金曜までの営業時間中に行かなければならない。小屋で野良着に着替えて閉店30分前に店に滑り込んだ。代金は口座引き落としなので、必要な肥料の数量を伝票に書き込んで、サインした。人員削減で店にいるのはおばさん一人。一緒に来てもらうと店ががら空きになるので、いつものように、私一人で倉庫に入って軽トラックに肥料を積み込み、(土蔵と小屋しか建っていない)屋敷に帰った。

 エンドウの種蒔きは中止。というのも、種を小屋にもってきていたと思っていたが、どこを探しても見当たらなかったからだ。おそらくは、まだ自宅に置いたまま。そこで急遽、予定を変更してサツマイモを掘ることにした。今年のサツマイモは、草に埋もれて蔓が育たなかった。サツマイモは蔓が繁りすぎると、いわゆる蔓ぼけで、芋が育たないが、逆に、今年のように貧相な蔓でも、芋が太る見込みはない。実際、掘りあげると、蔓についた芋の数は順当なものであるが、太っていない。手をかけてやれなかったので当然の結果であるとはいえ、やはり、株を掘るたびに落胆した。40株ほど植えたので、生育が順調なら、食べきれないほどの収穫量はある。育苗して定植した手間を思い返し、株数を思うと、余計に落胆し、最後には暗澹たる気分になった。

(*)9月終わりに畝の草を取った。その時の畝の状態は、「村便り:2007-09-30(日) (ニンニク植え、サツマイモ畝の草取り)」に画像として掲載してある。
村便り:2007-11-04(日) (農耕、生身が触れ合う)
投稿日:2007-11-05(月)

 今日から脱穀開始。二回ないし三回の週末を使って脱穀を済ます予定。稲刈りに三回の週末を使ったので、脱穀にも同じ回数を当てはめた。

 去年は、農協においてある米の水分計量器で籾の乾き具合を確認したあとで、脱穀にとりかかったが、今年は、「稲架二十日」という言葉を指標にした。手刈りと稲架掛けが普通であった頃は、水分計量器は使わなかった、あるいは存在しなかった(と思う)。経験に基づき、晴天の続き具合、籾を剥いだ米を噛んだ時の歯ごたえといったもので脱穀時期を決めていたに違いない。「稲架二十日」はそのような経験から生まれた、つまり経験則である。

 最初の稲刈りは三週間前だったので、稲は稲架に二十日は掛かっていたことになる。雨もほとんどなかったので、籾は十分に乾いているはずである。

脱穀
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 脱穀。作業時には、機械の左側に稲束をおく台を拡げるのだが、今は畳んである。
 脱穀をすると、機械の下部にある受け皿や、藁の排出側(写真の機械で言えば、右側に突き出ているベルト)にあるゴミ受けに籾が溜まる。ゴミを篩と箕で振るい除けて、その籾を回収する。
 従姉が脱穀を手伝ってくれた。彼女が稲架から稲束を外して脱穀機(ハーベスター)の棚におく。その束を私が脱穀機に送り込む。束の根元を回転しているチェーンに挟み込むと、束は自動的に脱穀ドラムの上を通過して、穂から籾が外される。一人でもできないことはないが、二人だとやはりはかどる(作業時間は半分になろうか)。

 農作業には複数人が協同してやるものがある。機械化された近代農業は協同作業を機械のオペレーター人の作業に合理化しようとする。しかし、機械化を徹底することはできないし、ましてや、小型機械しか使わないような小農では、まだまだ協働の場面が多い。稲の収穫作業について言えば、稲刈り時には、刈り取りを担当する者がいれば、稲を稲架に掛ける者もいる。また稲架掛けは、稲束を掛けやすいように分けて渡す者と、その束を稲架に掛ける者がいる。(むろん、これらの作業を、時間はかかるが、一人で行なうこともできる。私もしばしば一人で行なう。)お互いに息を合わせなければうまくいかない。ペアで稲架掛けをするときは、強い意味で「息を合わせ」、刈り取りする者と、稲架掛けする者たちとは、弱い意味で「息を合わせる」。そのようにして、いくつもの「息」がひとつの「息」になる。

 従姉とペアでの脱穀作業もスムーズにやろうと思えば、「息を合わせる」必要がある。「息」とは、私が稲束を脱穀機に送り込むスピードに遅れないように、従姉が棚に稲束をおく、といった単純な動作の速さにかかわるだけではない。「息」とは、作業に必要な身体部分の動きだけではなく、身体全体、人間全体で吸い吐かれるものである。私から言えば…従姉は動作は機敏な方である。気の回り方もやはり機敏である(すなわち、ある意味で、気が利く)。だから機敏な「息」をする。私は、と言えば、こちらが動かないうちに先回りしてくる機敏さには抵抗感を覚える。だから、従姉の「息」と私の「息」は表面では協調しながらも、裏ではぶつかり合う。もっといえば、「息を合わせる」のは、二つの別々の生身全体である。だから、表面としての作業の上では「息が合い」ながらも、作業を支える生身全体としてはどこか「息」が揃わないところもある。それに気づきながらも、二人は協同して作業をする。

 農耕はもともと家族的な協働である。家族は生身をさらけ出し、触れ合いながら一個の有機体のようなものを形作る。それと同じように、たとえ他人と協働するにしても、そこでは生身と生身が直接結び合う。生身の結びつきという関係性は農耕全体、地域的に言えば、農耕的共同体全体を覆っている。家族を出発点として村全体にまで、次第に希薄になりながらも、貫徹している。

 都会の生活では個人的情報は他者に対して秘匿されている。村の生活では、すべて筒抜けである。お互いにお互いの生身を知り抜いている。その上で「個人」としての生活が営まれる。

 農業体験で自然と触れ合う、といったことが語られる。都会生活者を対象とした農業体験なら、そのようなフレーズが呼び込みに効果はあろう。しかし、農耕とは、自然と触れ合うだけでなく、人間同士が生身で向き合い、触れ合うことでもある。こう言えば個を尊重する人たちは農業体験に対して及び腰になるかもしれないが、そ こ ま で 触れ合いを深化して初めて、都会生活には欠けている経験を味わうことができる。

 …などと、久しぶりに、たいていは頭の中にしまっておく屁理屈を走り書きしてみました m(_ _)m(オソマツデシタ)
村便り:2007-11-03(土) (一人農家の「生きのび」方)
投稿日:2007-11-04(日)

 久しぶりに畑に戻った。畑は屋敷(土蔵と小屋しか建っていない屋「敷」)周りにあるのだが、稲刈りが忙しく様子を見ていなかった。いや、見たくなかったのである。畑に入れば、草取り、間引き、追肥などしなければならない作業が否応なしに「見え」てしまうからである。三週連続で週末にした稲刈りのあとは、今度は脱穀である。最初に刈った稲はもう十分に乾いている。だから、今週末から脱穀を開始する。その前に、エンドウの種蒔きと、極早生タマネギの定植をしたい。そこで今日一日は畑で過ごすことにした。

タマネギの苗
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草に埋もれた極早生タマネギの苗。
 苗が分かりますか?
トマト
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従姉によると今朝は霜が降りていたそうである。おそらくこの冬初めての霜。霜が降りると、トマトは終わりである。
ネギの畝
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秋に定植したネギは順調に育っている。ネギの畝と、その右隣の畝では昨秋、菜っ葉類(ロケット、水菜、広島菜、ビタミン菜)を育てた。春に薹が立ち、初夏に種を落とした。その種が発芽し、今や菜っ葉畝のようになっている。
 畑を見回ると案の定、草だらけ。極早生タマネギの苗は草に埋もれていた。葉菜類は一部をのぞいて間引きは不要だが、根菜類(大根、蕪、人参)は間引かないと、株同士が押し合いへし合いしていずれも大きくならない。数品種作っている大根や蕪は大部分が間引かないままになっている。週末には一日、家族がやってきて、ma femme が野菜を収穫するのだが、間引きや草取りはほとんどやってくれない(収穫に時間がかかるので、できない?あるいは、農耕は素人なので、そこまで頭がまわらない?)。作物は草に埋もれ、株同士が掣肘し合って大きくならない…わが家の畑のいつもの有り様である。

 手が回らないのなら、作らなければ、あるいは、作る面積や品種を減らせば、いいじゃないか、と言えるかもしれない(周りの人たちもそう思っているかもしれない)。しかし、種を蒔かなければ収穫できない。また、作付けを減らしても、手がないのは変わらないわけだから、自然放任状態も変わらない。ところが、面積や品種が多ければ、できない品種があっても、小振りであっても、なんとか収穫量は確保できる。心ならずも続けてきた「自然放任」栽培であるが、最近はこんな「論理」を考えるようになった。通いの一人兼業農家が生き延びていくひとつの方法かもしれない。

 ひとしきり「悲惨」な状況を確認したあとで、タマネギを定植する畝作りを始めた。まず、草取り。これで午前中は終わり。午後、耕運機で鋤いて、畝立て。溝を作り、畝の表面を整地したところで、日没作業終了。タマネギの定植かエンドウの種蒔きのいずれかも済ませたかったが、ひとりだと、まあこんなものか…
村便り:2007-11-01(木) (ソラマメの播種)
投稿日:2007-11-02(金)

赤ソラマメ
 ソラマメは10月下旬に種蒔きをすることにしているが、今年は予定よりわずかに遅れた。ソラマメは翌年の初夏に若いマメを茹でたりして食べるためのもので、一寸ソラマメ系のものを蒔く。しかし去年は、一寸ソラマメに加えて、赤ソラマメを蒔いた。一寸ソラマメの中から選抜した(種袋の説明)にしては小振りな豆であったが、食味はよかった。アパートの隣人にあげたところ、その人から、種が欲しい、と頼まれた。ソラマメが好きだそうで、赤ソラマメが気に入った様子だった。

赤ソラマメ
(クリックで画像の拡大)
赤ソラマメ。
 ソラマメはビニール袋に密封して冷蔵庫で保存した。比較的明るい色のものもあるが、大部分は黒ずんだ赤である。選抜していくと、明るい色が基調になるかもしれないが、食味がそのままかどうかは分からない。今はいろいろ試してみる余裕がないので、ポットに蒔く種としては、大きさを基準に選び、色は明暗とり混ぜた。
ポットに播種したソラマメ
(クリックで画像の拡大)
ポットに蒔いたソラマメ。
 青い豆は、着色したもの。購入した種は、ソラマメにかぎらず、着色したものがよくある。
ソラマメの採種と種の保存
 私は一度ソラマメの自家採種を試みたことがある。採種後、冷蔵庫で保存していたが、秋になって見ると、大部分がマメゾウムシに食い荒されていた。それでも蒔いてみたが、ゾウムシの穴がある豆は発芽しなかった。それにこりて、以後は採種したことがない。

 しかし、よく美味しいものをいただいている隣人の頼みだったので、久々に採種した。さいわい、完熟した鞘は採種に十分すぎるほどあった。折角なので、隣人に分けた残りを秋まで保存しておくことにした。マメゾウムシが産卵していても孵化させたくはない。本で調べた結果、二種類の方法で保存することした。ひとつは、冷凍庫で二日間凍らせたあとで、冷蔵庫にもどして保存する方法。冷凍するのはマメゾウムシの卵を殺すため。むろん凍らせる前に豆は十分に乾かしておく。もうひとつは、乾燥した豆を密封して冷蔵庫内の一番温度の低い(0℃から5℃の間)場所で保存する方法。いずれの方法もうまくいき、マメゾウムシが発生した跡のある豆は皆無だった。発芽も順調なら、来年は、一寸系のソラマメも採種しようかと思っている。

 播種作業は午前中に行なった。ポリポットに育苗土(*)を詰め、種を7、8割り方埋め込むだけ(**)の作業。一寸系2品種、合計63ポット、赤ソラマメ53ポット。
(*)大豆やソラマメは、育苗期間が短いので、畑や田んぼの土をそのまま(肥料なしで)詰めるだけでいい。畑に土を取りにいくのが面倒なので、贅沢にも、育苗土(農協で購入したもの)を使ってしまった。

(**)ポット育苗では、豆は発芽しやすくするため、土の中には埋没させない。

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