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村便り:2008-02-11(月) (工業団地造成、コンビニ建設)
投稿日:2008-02-15(金)

 最近は寒さのせいで出無精になったうえに、学期末の採点などに時間をとられて、野良に出ることが少ない。9日(土)はレポートの採点、10日(日)は卒論読みのため「出勤」。三連休のうちせめて今日だけは野良仕事をすることにした。

晩冬のタマネギの管理
 現在気になっている作業は、ひとつは田んぼでの藁切りと散布、もうひとつはタマネギの定植(と第二回目の追肥)である。そのうち、時期がすでに遅れつつあるタマネギの定植を優先することにした。タマネギは11月終わりに定植するが、その時に小さい苗は苗床に残し二月始めに定植する。小さすぎると寒害にあって消えてしまうことがあるので、苗床に密集して残して寒さに対して「集団防衛」させるのだが、その苗を2月始めに定植するのは、ひとつは、立春がすぎ寒さが峠をこしたからであり、もうひとつは、2月になるとタマネギの根が動き始めるからである。根が動き始める前に定植してやれば、それ以降の生育が順調に進む。

(ちなみにタマネギの二回目の追肥は二月始めに行い、同時に中打ち[中耕]をする。中打ちは除草目的もあるが、初春になって中打ちすると条間に伸びてきた根を切ることになる。だから、二月に入ると早々に追肥・中打ちをするのである。私の場合は、この中打ちが二回目にして最後の除草。あとは草が伸びてきても抜かない。除草するとタマネギの根を切ることもあるが、それ以降生えてきた草が減収につながるということはないからである。)

 畝がまだできていないので、まず、畝に施肥して耕耘機で鋤き返し畝立てしなければいけなかった。作業は午前10時位から始めたが、午後から井手[水田用の用水路]の集まりがあるので、結局のところ、耕耘機で鋤き、溝をあげたところで作業を中断せざるをえなかった。

井手と工業団地
 井手の集まりは午後2時から井手頭の家であった。集まりは、市が買収した旧ブドウ園での工業団地造成の第二期工事を着工するにあたり、市側が、水利の問題で井手に関わる人たちに説明をするためのものであった。

 井手側は7人(井手に関係する家で現在水田として耕作している家は7軒)、市側は6、7人(正確な数は覚えていない)が参加して説明会が始まった。

 3区画の造成をする第二期工事は、6、7月に着工され、約二年後の、平成22年3月に完成予定である。山を崩し造成する。

 市側が井手側に了解を求めたのは

【工事中の休耕補償】
(1)工事中、泥水が隣接の井手に流れることがある。そこで井手掛かりの田んぼは二年間休耕してもらい、その間は休耕補償金を支払う。

【調整池の水を井手に流す】
(2)工業団地からの排水(排水とは雨水であり、工業廃水は下水に流す)はいったん調整池に溜め、調整池からあふれた水は、流域計算で45パーセントを小川(田の口川)に、55パーセントを井手に流す。山林は造成されると、それまでの保水機能をうしなう。そこで、調整池(700トン貯水可能)に稲作用の利水機能をもたせる(言い換えれば、必要とあらば調整池の水を抜いて井手に流してもよい)。

という二点であった。

 1点目に関しては、誰も異存はなかった。泥水が流れるといっても雨量の多い時期にかぎられ、しかもその量は耕作に差し支えるほどではない(第一期工事の経験から)。また、泥水に含まれるのは工事に伴う泥だけであり、それ以外の成分は含まれない。休耕補償金を出すといっても、休耕は義務ではない。実際、第一期工事の際も同様の処置をとったが、休耕した田んぼはなかったそうである。

 2点目に関しては、私には心配があった。稲作期間には、雨による増水で調整池をあふれた水は井手を通って田んぼに入る可能性がある。その水を稲が吸って育ち、その米を我々が食べる。団地に入る工場の性格(環境に負荷をかけるような工場は導入しない)からしてMIナMAタ病のような悲劇がおきる心配はまずないだろう。しかし工場側の不注意、ないし、排水は水田に入ることに対する認識不足のせいで、雨水に別の成分が混じらないとはかぎらない。そのことに対する十分な対策をとらなければならない。

 工業団地の前は大住宅団地が計画されていた。その説明会に出たことがある。

 住宅団地にもやはり調整池が必要である。調整池に集まるいわゆる雨水には何が混じるか分からない。車の洗浄水程度ならまだしも、廃オイルなどが流されないともかぎらない。私は、調整池を出た水はいったいどこに流れるのだろうか、と不安になった。県の職員に質問した。すると彼は、調整池の近くにある小川に流す、と答えた。私は、そこは小川ではなく農業用水路だ、そんなところに流してもらっては困る、と言い返すと、その県職員は憮然とした顔で私を見た。担当職員からしてその認識である。ましてや団地の住民には調整池以降の水の行方についての、正しい認識どころか、関心さえあろうはずがない。たとえ正しい認識をもったとしても、米は村産のものを食べるわけではない。するとどうしても倫理感がうすれる。

 私には、住宅団地造成は、百姓をやめろ、という通告のように思えた。さいわい、住宅団地はバブルとともにはじけ散ってしまった。

 そして今度の工業団地である。これは着実に進行している。私はかつての心配を今度は工業団地からの排水について抱いた。そこで市側に、工場が調整池に流す「雨水」の管理をしっかりしてほしい、と要望した。市側は、分かりました、と答えたが、私はさらに要望を重ねた。分かりました、と口で言っても、声はすぐに消えてしまう。問題が起こっても、時が経てば、そんなことは言いませんでした、と居直られても何の証拠も残っていないから、こちら側は手の打ちようがない。また、しばしば担当者が変わり、前の担当から何も受け継いでいません、なんて言われることもある。そこで、雨水の管理について形(すなわち文書)に残してほしい。こう、私は要望を重ねた。市側は、検討します、と約束したので、検討の結果は必ず井手側に伝えてほしい、とくどく市側に要求した。

 そのとき要望したのは、市が工場建設の契約をするとき、工場側に雨水は井手に流すことになるので管理をきちんとするように伝える、ということであった。今はおそらく二つの文書が必要であろうと考えている。ひとつは、市は契約時に、工場側に対して、雨水以外の水は調整池に流さないよう管理し、何らかの理由によって万がいち雨水以外の水が流れた場合は十分な善後策をとる、と約束させる旨を記した文書を、市が井手側に渡す。もうひとつは、工場が、同内容の管理と善後策を約束した文書を井手側に渡す。このように二重に防衛線を張らなくては、我々の命は守られない、と私は考えている。この考えは、休耕補償の契約のために市側がやってきたら、はっきりと伝え、二種類の文書が残るよう圧力をかけるつもりである。

 私は第二期工事の準備工事(道路整備など)の着工式の挨拶と思われるものを耳にしたことがある。畑で農作業をしていたとき、林の向こう、工事現場と思われる方角から拡声器からの声が流れてきた。「いまは住民が山に入ることがなくなり、山は荒れ放題である。」工事は、荒れ放題の山を有効利用するためである、と言いたげな口調であった。声の主は、おそらくは市の担当責任者であろう。

 開発が予定されている区域は、40年ほど前に山を切り開いて開設したブドウ園の跡地である。ブドウ園はすぐに経営破綻し、それからは、大部分が原野や山林に戻りつつあった。山の「有効利用」のため、かつてはブドウ園を開設し、今度は工業団地を造成する。山の価値を金でしかはかることを知らぬ人間の仕業である。ブドウ園よりも、ましてや工業団地よりも、「荒れ放題」の方がよほど価値がある、となぜ発想できないのであろうか。旧ブドウ園を莫大な金を費やして買収した市の言い分は、その費用を少しでも回収するために工業団地を作らざるをえない、というものである。たしかに団地を作って買い手がつけば手っとり早く費用の回収ができる。その時点では、その売買だけを見れば、収支は改善できる。しかし、山を崩して造成された団地は山のもっていた機能と価値を肩代わりすることはできない。山や農地は、まるで金を産む装置のように扱われているが、金でははかれぬ、あるいは金では買えぬ、機能と価値をもっている。造成によってそれらを未来永劫うしなってしまうのである。

 休耕補償の話をしていても、調整池からの排水の話をしていても、虚しさと、それを引き裂く悲しみと憤りをずっと感じていた。その気持ちが私の口調を激しくした。そして、その気持ちは自分自身にも跳ね返る。団地造成を許してしまった。もう元にもどすことはできない。するとできるのは、造成の影響を最小限にくい止めることだけである。残った命-我々の命、他の生き物の命、山の命、農地の命-は守らなければならない……。

ふたたび、コンビニの建設について
 井手と市の話し合いが済んでから、井手内輪の話があった。それも終わり、玄関に向かっているとき、部屋の奥から「おい、ちょっと待てや」とFさんが呼び止めた。「村便り:2008-01-27(日)」で話題にしたコンビニ建設の話である。残ったのは他に、今日寄り合いをもった井手の井手頭(Iさん)と、コンビニ建設用地として田んぼの貸す予定のHさんである。前の村便りに書いたように、Iさんは、コンビニから井手への廃水を拒否した。そこでFさんと私の田んぼが関係する別の井手にコンビニが頼みに来た。

 私は先日から考えてきた自分の意見をFさんに述べた。コンビニの廃水を、我々の井手も拒否する、というものである。やむを得ない理由(そんな理由は考えられないが、と私は付け加えた)により受諾する場合には「税金」をとる、と続けた。「税金」とは廃水を流す補償金である。私としては、補償金がほしいわけではない。なによりもコンビニができてほしくないのである。コンビニができても住民には何のメリットもないどころか、デメリットばかりである。

 コンビニ用地に当てられる予定の、一番広い田んぼはすでに埋め立てられている。Hさんが貸す田んぼも埋め立てられことになる。いったん埋め立てられた田んぼは、田んぼには戻せない。そう言うと、Hさんは「それは分かっちょる。ほいじゃが、わしゃ、はや作りとうなあんじゃ」と答えた。「作りとうないなら、荒しちょった方がよっぽどええで。また田んぼに戻せる。」と私は言った。田んぼが潰されるのが私には耐えられない。いまは、たとえばHさんの所有かもしれないが、ずっとずっと昔に開田されてから所有者は何度も変わったはずである。その田では数しれぬ何人もの村人たちが汗を流してきたはずである。その人たちを土の下に埋めてしまう感覚がするのである。だから、私にはHさんに強く言った。

 もっと理性的に考えると、食料自給率が40パーセントを切る日本でこのまま農地が減少していって、いいはずがない。農地ベースで計算して、外国に、日本の農地をはるかに上回る農地面積を依存している日本の状況はきわめて危険である。農地をコンビニ用地に不可逆的な仕方で転換して、その土地から利益を吸い取る。利益を吸い取られた土地の地下はいわば空洞になってしまう。その比喩は日本の危機的状況を具象している。

 コンビニ用地には里道[りどう。幅3尺ほどで公共の道。]がある。その里道は、建設予定図からするとコンビニの建物の前を横切っている。里道は、田んぼが耕作されていたときには、広い畦として存在を保ちながらも、道として利用されてはいなかった。その里道は建設計画の中でどうなったのだろうか? もし住民がその里道の整備を要求し、たとえば里道が舗装されるとすれば、コンビニ用地は真っ二つにされることになる。そうなればコンビニになるだろうか…そんな話も出た。

 Hさんは、FさんとIさんと私の話を聞きながら、困ったような顔をしていた。「ええがいになるようにしてぇや。わしゃ、仮契約をすませとるんじゃけん」と頼むように言いもした。「[賃貸料として]なんぼ、もらうんない。」とFさん。「たいしてもらやぁせん」とHさん。「本契約をしちょらんし、金もたいしてもらわんのなら、どうなってもええじゃろうが。どっちにしても[廃水を受諾するかどうかを]決めるのはわしら[その場にいる者では、Fさんと私]じゃけんの」とFさんは困っているHさんを面白がるように見ながら言った。

 コンビニはFさんの家と県道を挟んだ向かいにできる。「コンビニできたら環境が悪りゅうなるで。24時間営業じゃけんの」と私。「暴走族のたまり場になるかもしれんで。なんでコンビニみたいなおかしなものを作ったんかいの」とIさん。FさんはHさんに向いて「あんたがたは奥の方にあって関係ないじゃろうがの」。しだいにHさんはコンビニ建設について周囲の者がどんな意見、どんな感情をもっているか分かってきたようであった。

 しばらく意見を交わして、最後の三人もIさん宅を辞した。
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