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村便り:2007-07-01(日) (里芋畝の草取り、ジャガイモ、エシャロット、赤ソラマメ)
投稿日:2007-07-04(水)

里芋類の管理
 午前中に、昨日から始めた里芋類の畝の草取りを完了するため、朝一番に作業に着手。畝の長さは昨日の半分弱で、2時間かかった。追肥し元寄せして作業完了。

草を取り終えた里芋類の畝
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 草を取り終えた里芋類の畝。
男爵の収穫
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 男爵の収穫
エシャロットの収穫
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 収穫したエシャロット。
 手前のトロ箱に入っているのは、5球に分球したもの。向こう側のは、それより少ない数しか分球しなかったもの。手前のものを種にし、向こう側のを食べる。いずれ栽培が安定したら、食べるほうを多くするが、試行栽培の今は種を優先している。
 なお、私は刻んで生で食べるのが好きである。タマネギに似た、刺激の強い味である。
 元寄せはこれで二度目だが、あと一度、梅雨明けまでにやりたい。里芋は芋がつく株元に土を被せてやらないと芋が太らない。しかし被せすぎると、芋が長くなる。だから生育に応じて、梅雨明けまでに、二、三回に分けて少しずつ土を被せてやる(といっても、一度も元寄せできない年もあるのだが)。〈一回目は親芋のため、二回目は子芋のため、三回目は孫芋のため〉に(ただし、これは気持ちを表現していて、実際の芋の成長に対応しているわけではない)。

男爵の掘りあげ
 午後は畑仕事。まず、男爵(ジャガイモ)を半分ほど掘りあげる。残りは、まだ茎が青いのでそのままにしておく。これから梅雨の晴れ間を見ながら、男爵、メークイン、roseval、普賢丸を掘りあげる。普賢丸は昨秋初めて作ったが、まだ味わったことがない。そこで茎は青かったが、試食するため二株掘りあげる(*)。
(*)夜、さっそく揚げて食べてみた。粉質で甘味がある。ma femme が、サツマイモみたい、と言ったが、なるほど、サツマイモのようなジャガイモ、と言えなくもない。

エシャロット
 エシャロットも掘りあげた。去年よりやや早いが、植え付けは去年の3月26日より一カ月あまり早い2月20日に植えたので、生育期間は、去年に比べて一カ月長かったことになる。

 去年は、収穫した種を翌春(つまり今春)植えるため保存していたら三分の二が腐ってしまった。そこで今年は秋の始め(9月初中旬)に一部を植えてみようと考えている。

 一度だけ、種苗カタログで本物のエシャロットの種を見つけて買ったことがある。そのときの栽培説明書がまだ保存してあるが、この前、見直したところ、初秋に植え付けて冬に地上部が枯れたら収穫する、と書いてあった。エシャロットによく似ているワケギは秋に植えると冬になると枯れ、春先にまた芽を出す。ワケギは春に薹立ちすることはない(あるいは、稀)だが、エシャロットは薹立ちするようである。薹立ちしてしまえば、食用に適さなくなる(薹立ちしたタマネギを思い浮かべていただきたい)。だから、初冬に掘りあげる、ということなのだろう。

 地上部が枯れるまでにどのくらいの大きさにまで生育するか分からないが、小振りでも我慢できる程度であれば、食べられるし、翌春に種として植えつけることもできる。もし秋植えが成功すれば、二期作が可能になる。すなわち

(1)《春植え→夏収穫》 収穫したものは、冬までの食用にすると同時に、秋植えの種にする。
(2)《秋植え→冬収穫》 収穫したものは、夏までの食用にすると同時に、春植えの種にする(*)。
(*)ただ、問題は、初冬に収穫したエシャロットを春に植えつけしたとき薹立ちしないだろうか、ということである。素人頭で考えると…
 秋に植えたエシャロットが春に薹立ちするのは、一定期間、低温にあい開花の下準備(花成誘導)がおこなわれるためである。夏収穫のエシャロットは、次第に高温になる時期に生育するので、花成誘導はおこなわれない。しかし、冬収穫のエシャロットは生育後期に低温にあう。掘りあげれば、低温経験は御破算になるのだろうか。それとも、その経験は保存されるのだろうか。
 ともあれ、問題には、今秋と来春の実験が答えを出してくれるだろう。

 目論見通りになると、エシャロットは安定して栽培し、利用できることになるが…結果は今冬のお楽しみ。

ピーマン類の定植完了
 ピーマン10株を定植して、ピーマン類の定植は完了。

赤ソラマメの採種
 さらに赤ソラマメを採種する。赤ソラマメは粒は小さいが、茹でても皮の赤が変色せず、食味もよい。アパートの隣人に差し上げたら、種がほしい、と言われた。ソラマメの種は常温で秋までおくと、孵化したマメゾウムシが中から出てきて穴を空ける。かつて採種したことがあったが、種の多くにゾウムシの卵が産みつけられていたため、発芽が悪かった。それ以来、自家採種はしていない。低温(0℃から5℃)で保存するとゾウムシの発生を防げるそうであるから、今年は試してみよう。
村便り:2007-06-30(土) (梅雨なのに暑い一日)
投稿日:2007-07-03(火)

収穫したニンニク
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 収穫したニンニク。
 左側は〈普通の〉ニンニク。右側は葉ニンニク。春、成長し始めた茎を食べる。しかし、我が家のシェフは、臭いがきつい、と嫌う。いまはただ種をとるためだけに少量栽培。
ダブの草刈り
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 ダブの草刈り。一カ月半ほどすると、草は、草刈り機の回転刃の先に立っているぐらいの丈になる。
 左側の休耕田は他家の田んぼ。境には横手[田んぼ内の細い水路]が走っているが、その横手は左側の田んぼに属する。他家の田んぼの草も刈るが、我が家の田んぼのためである。この一帯は休耕田・耕作放棄田が多く、猪が出没する。そこで隣接する他家の田んぼの草を刈って田んぼと荒れ地との間に緩衝地帯を設け、猪が近づきにくくする。
 出穂期(8月の後半)以降は、田んぼを囲んで、ダミーの電気柵を張る。
草の生えた里芋の畝
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 草の生えた里芋類の畝。
 左側が、コイモ(子芋を食べる、普通の里芋)。右側が八つ頭と京芋。草取りのあと、この畝がどう変わるか?明日の「村便り」をお楽しみに!
 午前中はまず、自然畝のニンニクを収穫する。ニンニクは6月後半、茎の半分くらいが黄色くなって収穫する。このニンニクは、肥料は、昨秋の植え付け時に発酵鶏糞を畝の表面に施しただけである。初夏に薹が立ってくると、それを折りとってやる(薹はいわゆる「ニンニクの芽」として食べる)。薹をそのままにしておくと、先に小さな種球をつけるが、肝心の根は太らない。自然畝では、その程度の世話で(だから、ほとんど世話なしで)ニンニクはできる。

 午前中のメインは田の畦の草刈り。6月23日の作業で残ったダブ[湿田]での作業である。草刈り機を動かす混合ガソリンはタンク一杯しかなかった。畦を8割方刈り終えたころ、エンジンが停止してしまった。土曜日なので歩いていける農協の売店は閉まっているし、ガソリンスタンドに行くには軽トラックが必要なので、残りは後日、ということにして、午前中の仕事は切り上げた。

 午後は里芋類の畝の草取り。
 里芋類は5月13日に定植して以来、何時だったかわすれたが、一度だけ軽く元寄せしたきりで、面倒を見なかった。休耕田は普通の畑より草が多い。例年のことだが、梅雨の間に草が繁茂し、里芋類は草の中に埋もれてしまう。里芋は草と競争して大きくなるほどには強くない。また元寄せしてやらないと芋の太りがよくないが、草が繁っている畝は元寄せはできない。結局、冬に掘りあげてみると、イモ数が少なく、しかも小さい。温床で芽出してまで定植してやるのに、こんな収量では悔しくて情けない。
 そこで今年はなんとしても草取りと元寄せを、きちんとしてやろうと決心した。普通の里芋、60株の草を取るのに、じつに、3時間半かかった。残った八つ頭と京芋(筍芋)の畝は明日に回して、草取りが済んだ里芋に施肥して元寄せ。

 夕方、長ナスを5本、定植。長ナスは最初の定植。これから全部で10本あまりを蕾がついた株から順次、定植する。

 梅雨に入ってから雨が降らない。この日も晴れていて、昼間は真夏並に暑かった。昼下がり、里芋畝の草取りをしているとき、かすかに気分が悪くなり、ん?日射病になるかな、と思ったくらい(日差しのせい、というより、昼食後すぐに仕事を再開したためかもしれない)。水は一日で2リットル飲んだ。
村便り:2007-06-27(木) (黒豆の播種)
投稿日:2007-06-28(木)

 夕方、黒豆の播種。

 黒豆は毎年休耕田に作る。昨夕は、種蒔きするポリポットに土を詰めた。野菜の育苗には通常、農協で買う育苗土を使うが、大豆は畑の土を詰める。育苗期間は長くないし、肥料も必要としないからである。今日は、そのポリポットに一ポットあて一粒蒔いた。60株植えるつもりで全部で80ポットに蒔いた。大豆の発芽率は高いから75ポットは芽が出るはずである。

黒豆の播種
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稲の育苗箱に並べたポリポット。
屋敷にもって帰り、鳥除けのためネットで覆って育苗する。
 黒豆を育苗するのは、ひとえに鳥害対策のため。直播きすると、発芽したとたんに食べられてしまう。豆が二つに割れた形で地上に出るので、目立つし、なかなか食いでのある餌になる。ついで初生葉(双葉)が出て、本葉まで出ると、もう鳥の食欲はそそらなくなる。そのころに定植する。

 昨夕は溝を上げてひと畝作ったが、今日もまたひと畝作った。休耕田のように平らなところでは溝の作り方が難しい。傾斜地なら、雑に溝を作っても排水されるが、平坦地では溝の深さを微妙に調節しないと溜まった水が流れださない。基本は、排水口のところを一番深くして、次第に浅くするのだが、実際には一遍で理想的な傾斜はできない。だから、雨が降ったあと、水の流れ具合を見て、一、二度溝を上げなおして微調整する。

黒豆の発芽
(クリックで画像の拡大)
 発芽した黒豆。7月3日(火)夕方撮影。
 月曜日からやっと梅雨らしい雨になった。火曜日の夕方、屋敷に行くと、黒豆が一斉に発芽していた。それまでもすでに発芽の兆候はあった。ポットの土の表面がひび割れていたのである。ひび割れは、豆が発根し上にふくらみ始めた徴である。しかし水分が十分でなかっためであろうか、なかなか豆が現れてこなかった。そこに、たっぷりの降雨があり、水を存分に吸い込んだ勢いで土から頭を出した、ということであろう。
 まだ芽が出ていないポットは3つである。そのうちの2ポットは、豆がのぞきかけているから、発芽は間違いないだろう。残り1ポットは、降雨以前には発芽の兆候はあったものだが、いまのところ鳴りを潜めている。したがって、発芽率99パーセントは確保できよう。もしかすると100パーセントになるかもしれない。
 育苗中はポットを、画像の上の端に見えるネットで覆っている。
 定植は一週間以上先になるだろうが、ともかく溝は上げておかなくてはならない。溝がないと、雨が降ると、土がなかなか乾かない。今は梅雨時であるから、いっそう乾きにくい。


 村便りは「特記事項」がないと書かないが、実際にはほぼ毎日、出勤や帰宅の途中に畑や田んぼに寄る。体力を消耗しないでまっすぐ出勤したい、さらに疲れを上乗せすることなくまっすぐ帰宅したい。しかし、それでは一人兼業農家は成り立たない。

 今朝(といっても、この記事を書いている28日の朝)、農地に向かう途中カーラジオから、「半農半X」という言葉が聞こえてきた。地元の新聞社の記者がインタビューに答えていた。IターンやUターンで帰農した人が、農業をメインにしながら他に自分の好きなことをやる、というライフスタイルことを言うらしい。最初は、「半農半サラ」で「通いの一人兼業農家」の自分のことも含まれるのか、と思って聞いていたが、どうもそうではないようであった。私のようにどちらにも足を突っ込んでいて、思いっきりの悪い、二足の草鞋は含まれない。そして「半農半X」は若い世代にも、高年世代、とりわけ定年退職期にある団塊世代にも支持されている、と記者は語っていた。人が犬を噛まないと新聞記事にはならない。半農半サラはどこにも転がっている事例であり、その数や犬が人を噛む事例以上であろう。そして、とりたたて「支持」もされない。というか、若者には嫌がられるライフスタイルである。でも、今の日本農業を支えているのは、この半農半サラだろうに、と思いながら、ラジオを聞き流しながら、畑と田んぼに急いだ。

中國新聞の記事
「『半農半X」でいこう ― 大切なのは『リンクマン』」
村便り:2007-06-23(土) (畦の草刈り)
投稿日:2007-06-26(火)

 午前中と午後の前半は、畦の草刈り。

 畦の草刈りを最後にやったのは田植えの二週間ほど前だったと思うから、今日から逆算すると一カ月以上前である。草丈が高くなり、刈った草が田んぼの中に入ると、まだ小さい稲に覆い被さってしまいそうである。(実際、草の下敷きになった稲があったので、畦から[普通の長靴なので田んぼの中には入れない]竹竿で除けてやった。)

 草刈りにはむろん草刈り機を使う。大きなエンジン音が耳を聾し、エンジンの振動が把手を通して手を細かく震わせる。聴覚を守るためしばしば耳栓をするが、今日はつけなかった。手に伝わる振動の方は和らげようがない。エンジンを止めても、手の方はしばらくはしびれたままである。

 一度、刃で足の指を切り裂いてから(指が飛んでいても不思議はなかった…)、把手はきちんと握るようになり、また足の位置にも注意を払うようになった。高速で回転する刃が土に食い込んだりすると暴走し、自分に向かって来ることがある。きちんと握るのは、手で暴走をくい止めるためである。また、足は、右を前に、左を後ろにする。草刈り機は、回転する刃が先端についた金属棒を右から左に旋回させながら、草を払う。刃が自分の方に暴走してきた場合、右足を前にして身体を斜めにしておくと、避けやすい。

 足指を切り裂かれたときは、ゲシ[傾斜地の田んぼで、上下の田んぼの段差をなす部分]の草を刈っていて、左足を前に出していたのである。ゲシを刈るときは、畦に立ち、ゲシの斜面に沿って、刃を右下から斜め前に引き上げながら草を刈る。畦は狭いので、どうしても身体は斜めにせざるをえない。刃は右から左に動かすのだから、身体のバランスからすれば左足を前に出したほうがいい。逆に右足を前に出すと、背中から下の田んぼに倒れるバランスになりやすい。だから、怪我をしたときの足の位置は、バランスを考えれば正しかったのである。しかし、足を切りやすい。

 だから、今では右足を前に出し、また、刃を下から斜め上に動かすためには身体を右側にねじり曲げてから左にもどすのではなく、膝を曲げて身体を低くしてから膝を伸ばすようにしている。

 一部を残して、畦の草刈りは済んだ。

 午後の後半から夕方にかけて、パプリカ、万願寺トウガラシ、伏見甘長、ヒモトウガラシの定植。
村便り:2007-06-22(金) (パプリカとサツマイモ)
投稿日:2007-06-25(月)

 夕方、パプリカ(カラーピーマン)を7本定植し、ついでサツマイモの苗を植える。


調理用トマト
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5月26日に定植したトマトの現在の様子。トマトは、調理用トマト、赤トマト、黄トマトを作っている。写真は調理用トマト。中玉で、皮がかたく、酸味が強いが、作りやすい。火を通しても崩れにくい。
ナス
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定植した翌日のナス。花がすでに大きく開いている。
パプリカ
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 パプリカの、6月25日朝の様子。
 ピーマンや甘トウガラシは、苗床においているとカメムシが群がる。そこで、カメムシが群がりはじめたころに自宅のベランダに持ち帰り育苗を続けた。しかし、今度はアブラムシがとりついた。畑ではピーマン類にアブラムシがつくことはないが、ベランダには他の植物がないので、アブラムシはしかたなくついたのだろう。自然畝に定植すると、すぐにアブラムシはいなくなった。
サツマイモ
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 サツマイモの、6月25日朝の様子。
定植してから雨が降ったおかげで(降雨を狙って定植したのだが)、すでに活着が始まっている。一番手前の苗がたち始めているのがお分かりだろう。
 パプリカを含むナス科野菜(*)は三月上旬に温床に種まきをし、成長の早いトマトを除き、六月になって定植を始める。定植適期がきても田植えのため手が回らず、6月10日(日)に植え継ぎが終わり、トマト以外の定植にやっと着手した。
(*)トマト、ナス、ピーマン、トウガラシなど。


 ナス科野菜は自然畝で作る。苗床で定植適期を迎えたものから順次、定植する。草を刈り、穴を掘り、穴いっぱいに水を注ぎ、水がしみこんだらポットから苗を移し入れ、土を戻した上からまた水を注ぐ。最後に株の周囲に発酵鶏糞をショベル(大型の移植ごて)ひとすくいを撒いてやる。穴施肥(*)は面倒なのでやめてしまった。
(*)穴施肥に関しては、
『自然農法爾』の二つの記事、「自然農法再考(2005-08-12)」と「キュウリとノリ菜(オカノリ)の定植(2005-8-23)」を参照してください。

 まず12日(火)に、ナス10本とパプリカの赤5本(*)。ナスは稲の世話をしている間に定植適期をわずかにすぎてしまった。最初の花がふくらみかけた頃が適期であるが、すでに花は大きく開いていた。このナスは二種類育苗しているもののうちの先発。少し遅れて定植する長ナスが後発の本命。最初のナスは本命が出てくるまでの繋ぎ。パプリカは極早生種。したがって普通ピーマンより早く定植できる。そして普通ピーマンができるようになるまでは、普通の緑ピーマンとしても利用する。なおピーマン類の定植適期は一番花の開花時。
(*)ピーマン類は今年は、普通のピーマン、パプリカ(カラーピーマン)、伏見甘長、万願寺トウガラシ、ヒモトウガラシを作っている。最後の三品種は甘トウガラシ、つまり辛くないトウガラシ。シシトウ[ガラシ]もその類。長い間シシトウを作ってきたが、去年から品種を変えてみた。


 ついで17日(日)に、甘トウガラシ類の第一弾として、伏見甘長3本。そして今日は、パプリカの赤を2本、黄を5本追加した。

 サツマイモは採苗すると26本とれた。苗は、蔓の先を葉っぱ5枚つけて切り取る。蔓は大きくなると葉っぱの付け根から根が出始めるが、根が出ていないものがいい。この前の日曜日に作った畝はまだ植えるための細工をしていなかった。そこでカマボコ状の植え場所を13カ所作って、各々に2本ずつ苗を植えた。畝には、まだ、20本ほど植えられるスペースが残っている。しばらくしてまた蔓が伸びてきたら追加して植える予定。作業が終わったときには薄暗くなっていた。
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