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村便り:【週間短信】2019年03月04日(月)-10日(日)
投稿日:2019-03-10(日)

03月09日 ジャガイモを伏せる; 隣百姓?
03月04日 ウグイス; 鯉の養殖場; クズ



 03月09日(土) 
投稿日:2019-03-09

今年の春は暖かい。

ジャガイモを伏せる
ジャガイモは例年、3月15日に伏せる[「伏せる]とは、種芋の芽出しをする作業]ことにしている。ジャガイモは霜に弱いので、発芽してから霜に遭うと、葉が枯れてしまう。3月15日は、霜害に遭わないような植え付け時期である。だから、伏せるのは数日あと、というのが例年のやりかだが、これから農作業が忙しくなるのを考えて、暖かい春なので、早めに伏せることにした。

2月18日から浴光催芽をしていた種芋は小さな芽が出始めている。自家採種したデジマ、普賢丸、アンデス赤である。それ以外に、男爵とメークインの種芋を購入した。こちらの方は、買ったときすでに芽が出ていた。

小さくとも芽が出ていると、大きな種芋を切り分けるときの目印にもなる。私はデジマは種芋1片(重さの基準は50g)につき、芽を3つ、それ以外の品種は、2つ出させることにしている。芽がひとつだと、大きな芋ができて、使い勝手が悪くなるので、複数の芽を出させて大きさを抑制する。少数の大芋か多数の中芋か、という選択だが、収量は変わらないように思う。


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1片50gを目安に(実際には30gから50gの大きさになる)、芋を切り分け、切り口を乾かしているところ。


隣百姓?
伏せる畝は、定植する畝の近くを選んだ。草取りをして、鍬で起し、伏せる畝を作る。草取りをしていると、隣のお姉さんが「そこ、何を植えるん」と声を掛けてきた。それからひとしきりジャガイモについて雑談。彼女も近々植えるとのこと。彼女の妹(私にとって、年齢的には「お姉さん」)はいま種芋を干しているところらしい(すなわち浴光催芽しているらしい)。また、鍬で起していると、今度は隣の畑の人もジャガイモの植え付け時期についてきいてきた。彼は霜のことを心配して、尋ねたようである。その人は百姓経験が少ないので、時期について明確な意識はもっていない。私はといえば、20年余りやっている。この地の自然環境についてはそれだけの経験的知識はもっている。経験から言えば3月15日に植え付けすれば霜にやられることはまずない、と答えた。ジャガイモは、一般的には、春の最初の植え付け作物。多少の違いはあるものの、同じ自然環境で百姓をやっているので、同じ頃にみんな一斉に作り始める。「隣百姓」という言葉がある。他人を気にして横並びの行動をする、といった否定的意味合いがあるが、じつのところは、四季の歩みに合わせて作業を行なう百姓の、理に適った行動様式ではある。

夕方5時前に作業完了。今の時期、私は、夕方は4時を回ると帰り支度を始めることにしている。帰ってから、食事の支度を含めて家事をすることを考えれば、そのタイミングで仕事仕舞いしないと、寝るのが遅くなる。(したがって、起きるのも遅くなる。)でも、《残業》せざるを得ないこともある。四季の歩みに遅れることはできないので。もっとも、今日の《残業》はたいした時間ではない。


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種芋を伏せ床に並べたところ。
 このあと、ジャガイモが隠れるくらいに土をかける。

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土をかけたあと、防寒のために藁をかぶせる。





 03月04日(月) 
投稿日:2019-03-05

ダブ周辺の草刈りの続き。

ウグイス
(そういえば、今朝、今年はじめてウグイスの声を耳にした。すでに十分に練習したかのような、完成した囀りをしていた。ただし単発。)

今日はダブの上側、里道を挟んで隣り合う雑種地の草刈り。草刈りは単調作業である。作業しながら、いろいろ考えたりする。今日は昔の思い出。


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県道の側溝から左側、半月状の空き地が鯉の養殖場だったところ。その当時は県道はもっと狭かったので、養殖場はもっと広かった。当時に比べれば、県道の幅は倍ほどに拡幅され、側溝はそのとき新たにつけられたのではないだろうか。
 画像左端が、3月2日に草刈りをした、里道に沿った水路周辺。

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県道の向こう側が、旧養殖場の空き地。県道の手前、画像中央に、逆三角形と、その続きに、長方形の、狭い2枚の田んぼ(2枚の境界あたりに電柱がたっている。)が見えるが、それがかつては、旧養殖場と一体の田んぼであった。
 県道の向こう側は荒れ地のように見えるが、じつは耕作放棄された田んぼ。一帯は湿田であり、いまはごくわずかしか耕作されていない。


鯉の養殖場
ここはずっと昔は田んぼだった(はずである)。ところが、明治になり、峠ひとつ越えた瀬戸内海に面した寒村に軍港が築かれ、海軍工廠もできた。軍港に周辺の村から通勤する職工を運ぶ必要もあったからなのだろうか、村を通り抜ける車道が新設された。田んぼは車道に分断され、わが家の田んぼはもともと狭かったのに、さらに狭い二つの区画になってしまった。比較的広い方はいまも田として使っているが、狭い方は田としては狭すぎる。田として利用していた時代もあるかもしれないが、私の小さいころの記憶に残っているのは、鯉の養殖場である。養殖場は農協が経営していた。養殖した稚魚は田に放たれ、1年後に売られたそうである。養殖事業はやがて廃止され、施設は撤去されて、農耕可能な土地に戻った。しかし、それ以降は空き地のままである。いまさら耕作地でもないから、利用するとしたら果樹を植えるくらいか。

クズ
草刈りを定期的にしていないので、ここはクズが侵入してきている。単なる草地であれば、この面積なら、草刈機を使って除草するのに半日もいらない。しかし、クズの蔓は草刈機に巻きつく。そこでまず鎌で切りのけるのだが、思いの外、時間がかかる。(根から抜かない限り、また再生するが、そんな手間隙をかけることはできない。)

クズにはいろいろな利用法があるようだが、私が覚えているのは薪を縛る紐としての利用。小さいころ、小学校にあがる前だったろうか、父と一緒に薪をとりに山にいったことがある。そのとき、父が木の枝を束ねて縛ったのがクズの蔓。蔓は切り取ったすぐは柔らかくて粘りがあるので紐代りになる。

などなどと思い出しながら作業を進めた。想像が過去にしか向かないのは老齢がなす術か。

結局、一日働いて(といっても実働は4時間弱であるが)、この旧《鯉の池》の4分の3しか草刈りはできなかった。ここを含めて、草刈りをしてその草を燃やすまでには、あと3日は必要だろう。もう春。作業をしていると暑くて上着を脱いでしまう。急がなくては… 春の足は速い。
村便り:【週間短信】2019年02月25日(月)-03月03日(日)
投稿日:2019-03-04(月)

03月02日 昔の里道脇を流れる水路
02月25日 アスパラガス畝の整理; マーシュ



 03月02日(土) 
投稿日:2019-03-04

昔の里道脇を流れる水路
2月の下旬から、ダブ[湿田]の整備をしている。2月22日の短信にも書いたが、ダブは去年は時間の都合でやむなく休耕にし、管理作業をすることもなく放置していた。今年は稲を作る予定なので、荒れてしまった田んぼとその周辺の整備をしている、というわけである。


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整備する前のダブの様子。

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左の画像の、左端にある横手はイノシシに荒らされていた。その横手を掘りなおしたところ。田んぼ内部に溜まった水を排出するため。
 長さはさほどないが、泥水の中の作業なので難渋した。


今日は、用水路(昔の用水路は、明治時代に作られた県道によって分断され、今は県道の側溝を利用している)からダブに配水する水路周辺の草刈りをした。この水路は、県道が作られる前は、里道[りどう。一般に、1mほどの幅で、馬車も利用できた。公道。]として使われていた道に沿っていたと思われる。道は今でも地積図には記されているが、実状は道の体をなしていない。県道によって分断されてからは、田んぼにアクセスする通路としてしか利用されて来なかったのではないか。

草を刈っていくと、忘れ去られた過去の生活の痕跡が現れてきて、想像をかきたてる。女児二人をもうけながら離縁された女性は、子を残して出てきた家を振り返り振り返り「かわいいよう、かわいいよう」と泣きながら隣村に帰っていった、と今は亡き隣家のおばあさんから聞いているが、それはこの道を通ってだろうか、とよく思う。


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草刈り前。

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水路は画像の中心あたりから画像奥に向かってついている。里道はその水路の右脇を同じように画像奥に向い、ダブにぶつかってからは右に折れ曲がって県道に合流する。私が古老から聞いた限りでは、この道はかつては村の中心街道のひとつだった。





 02月25日(月) 
投稿日:2019-03-04

アスパラガス畝の整理
3月に入るとアスパラガスが出始める。その前に、去年収穫が終わった後、整理しないままにしていた畝を整える必要がある。昨日からその作業をしている。

まずやるべきは、枯れた去年のアスパラガスの茎を切り除き、これも枯れたままになっている昨秋から草を除き、生え始めている草を抜くこと。
アスパラガスは去年から収穫を始めた。種を蒔いてから3年目でやっと収穫が始まる。生育期間の長い作物である。その代わり、息も長い。10年あまりも収穫を続けることができる多年生植物と言われている。もっとも私自身はそんなに長くもたせたことはないが。

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 整理する前のアスパラガス畝。短い畝が3本。
アスパラガスと秋の草は枯れ、畝は春の草で被われている。


マーシュ
草を除いていくと、3畝のうち真ん中の畝からマーシュ([仏] mâche)が現れてきた。去年の春、別のところに生えていたものを移植した。マーシュはずいぶん以前にはじめて作り、それからはわが家の畑のあちこちで自生するようになった。冬の間、サラダとして利用するヨーロッパ原産の野菜だが、最近は採ったことはなかった。アスパラガス畝を新たに作ったとき、冬のあいだ空くこの畝をマーシュ畑にしようとふと思いついた。そこで1株だけここに移植してみた。

マーシュは5月になると白く可憐な花が咲き、小さな種をたくさん落とす。それが冬になると発芽する。

目論見どおり、昨初夏に落ちた種が冬の間に発芽していた。今年はさらに畝に何株か移植して、今冬は畝全体がマーシュで被われるようにしたい。それからが収穫。


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真ん中の畝の中央あたり、マーシュが群生している箇所がある。そこに昨春、マーシュ1株を移植した。離れたところにも種が飛んだようで、他のところにも生えている。

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マーシュの拡大画像。鎌は小型の草取り用鎌。



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他の畝にもマーシュを移植しておいた。

村便り:【週間短信】2019年02月18日(月)-24日(日)
投稿日:2019-02-20(水)

02月18日 ジャガイモの浴光催芽



 02月18日(月) 
投稿日:2019-02-18

ジャガイモの浴光催芽
春ジャガの浴光催芽を始めた。ジャガイモは3月中旬に伏せて[「伏せる」とは芽出しのために仮植えすること。芽が出ると定植する。]、4月中旬に定植する。伏せる前に、1ヶ月ほど種芋を日光にあてるとしっかりとした芽が出る。

春のジャガイモは、品種として、メークイン、男爵、デジマ、普賢丸、アンデス赤を植える予定。メークインと男爵は、種芋を購入する。春の植え付けしかできないので、昨夏に収穫した芋は今の時期にまだ残っていても、老化しているので種芋には向かない。(10月頃から芽が出始めるので、何度か芽かきをして、老化の進行を抑える。しかし、春先になると萎んでくる。)他方、デジマ、普賢丸、アンデス赤は春秋兼用種なので、初冬に収穫した芋を種として利用できる。

春夏兼用種の芋は今の時期、まだ芽が出ていない。そこで日光に当てて発芽を促すのである。(浴光催芽をしなくても、収穫できる。すなわち、必要不可欠な作業ではない。しかし、催芽すれば元気な芽が確保できるし、収穫も早まる。)


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左から、デジマ、アンデス赤、普賢丸

村便り:【週間短信】2019年02月11日(月)-17日(日)
投稿日:2019-02-19(火)

02月17日 今シーズン最初の植え付け:大根と人参の播種



 02月17日(日) 
投稿日:2019-02-10
大根と人参の播種
2月の初旬に、大根と人参を蒔くことにしている。露地ではふつう4月に入ってから蒔くので、1ヶ月半ほどはやい。まだ寒い時期なので、ビニールトンネルをかけて温度を確保する。野菜の少ない春先に、間引きながら利用する。

今冬は暖かいので、早めに蒔きたかったが、畝の準備ができずに、今日になった。大根・人参畝を含めて、冬に利用していない畝を全部、耕耘機で起こそうと思っていたが、畝の草刈りなど下準備が進まず、とうとう大根・人参畝だけを別に整備することにした。予定の畝は草が生えているので、まず草を抜く必要がある。畝の面積は狭いが、全面にびっしり生えているので時間がかかる。そのあとで、施肥して鍬で3回耕した。1回目は四つ鍬で、あと2回は三つ鍬で耕す。大根十耕というが、根菜類を作るときは土を細かく砕いてやる。前作の太い根が残っていればそれを除く。硬いものが土中にあれば、根がそれにあたって、又根になってしまう。

今年は少なめに蒔いた。沢山できたところで、一人では食べきれない。余ったものは人にあげるが、それでも捌ききれないことが多い。そこで、多少の余裕をみこみながらも、少量、作ることにした。


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四つ鍬で耕したところ。

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三つ鍬で耕したあと、レーキで整地し、平鍬で溝をあげる。



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ガンギ[蒔き床]を平鍬で切り、水をまく。

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向こうから人参を4ガンギ、それから大根を4ガンギ蒔く。[説明]



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ビニールトンネルで畝を被覆。

村便り:【週間短信】2019年02月04日(月)-10日(日)
投稿日:2019-02-11(月)

02月10日 作るのは手間だが、荒れるのははやい。; 畑の隅の樹木
02月08日 畑の草焼き



 02月10日(日) 
投稿日:2019-02-11

一昨日、2月8日に草焼きをしたのと同じ(屋敷の)《前の畑》で作業。

作るのは手間だが、荒れるのははやい。
この畑は全体としては去年1年間放置していただけだが、一部5年も放っておいた畝もある。今日はそこを復旧する作業をした。蔓性の雑草が樹木の生えている小区画から侵入し、ノビルも所々に生えている。春から夏の間はイタドリ[方言では「カッポン」と言う]も出る。農地は数年放置すると原野に戻る。荒れるのははやい。

蔓性の雑草は年中青々としている。この草は普通の雑草ではないので、もしかしたらわざわざ植えたのかしれない。匍匐茎を伸ばし、茎から根を生やす。やっかいな草である。それを鍬で掘り返す。すると地中には、木の根も伸びている。イタドリの根もある。春になれは、そこからイタドリが出てくる。

畑の隅の樹木
すぐ隣には大きな樹木がある。ウワミズザクラのようだが、畑に鳥が蒔いた種が芽を出し、父が山桜と勘違いして、切らずにいた。私が百姓を始めたときにはすでにある程度の背丈があったから、樹齢は30年を超えるだろうと思う。枝が繁る時期には鳥たちの集会所になっている。

また、ナワシログミ[グミは方言では「グイビ」]もある。低木だが、この木としては幹が太い。ウワミズザクラより以前から生えていると思われる。わざわざ植えたのか、それも鳥が蒔いたものを切らずにおいたのか。実は食べられはするが、小さいので試食することはあるが、成るがままにしている。

だから、畑を耕しているというより、林を開墾している感覚を覚える。

小さな区画の「開墾」に一日のほとんどを費やしてしまった。

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《開墾》前。
畝の方向は画像の水平方向。画像の右上に木肌が灰色の木が見えるが、それがウワミズザクラ。その左側、木肌が黒く、小さい葉っぱが緑に繁っているのが、ナワシログミ。

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《開墾》後。



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別の角度からみた《開墾》後。

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名前の分からない蔓性の植物。





 02月08日(金) 
投稿日:2019-02-09
畑の草焼き
午前中は家で愚図愚図していたので、午後1時に畑に到着。前の畑で草焼き。

この区画は去年は、春から初夏に温床を利用しただけで、何も作らず草が生えるがままにしていた。2月2日に草刈りをしたので、今日はその草を焼く。畑の隅には、ノビルと、蔓性の草(名前は分からない)が侵入しているところがあるので、そこは丁寧に除草した。ノビル(ラッキョウを小型にしたような野草)はとくに注意が必要。茎はひき抜くと簡単に切れて、鱗茎[茎の根元がふくらんだもの。ラッキョウではこれを食用にする。]が地中に残る。茎はこの場合いわばトカゲの尻尾のようなもの。鱗茎は残れば、復活する。生命力がじつに強い。

明日は午前中みぞれが降る、という予報。5時過ぎまで作業した。

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草刈り前の畑。

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草焼き。画像右側上に去年の春作った温床の残骸が見える。

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