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村便り:2008-08-06(水) (三回目の、ため池の水を抜く)
投稿日:2008-08-13(水)

 雨が降らない。今日もまた亀池[井手に所属するため池]の水を抜いた。三回目である。最初は7月29日、二回目は8月2日だから、最初のときに話し合いで決めた四日に一回のペースである。井手の水は、7月29日以降、すべてため池に入れるようにしている。すなわち、ため池から下流の井手には水が流れていない。したがって、田んぼに水を入れるには、ため池の水を抜くしかないのである。このように渇水期には共同で水の管理をする。

 池の水は、一回目、二回目同様、5時半に抜いた。水がわが家の田んぼに入るまで、田んぼで作業をすることにした。


黙祷
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 黙祷。
 稲のすぐむこう、刈り払い鎌が立ててあるあたりに立ち、背景の山の方を向いて黙祷した。山の方角が広島の方角である。
 刈り払い鎌のすぐむこうには里芋類が育っている。その下の休耕田には、さらにその下の田んぼ近くに、黒豆が育っている。(黒豆は画像では確認しづらいかもしれない。)
 今日は8月6日、63年前、広島に原爆が投下された日である。毎年、この日になると原爆投下の時間、8時15分には黙祷することにしている。百姓を始めてからは、田の草取りを中断して黙祷したこともある。今朝、畑で野菜に水やりをしていると、市の広報車がやってきて、8時15分には合図のサイレンが鳴るから黙祷をしてください、といった内容の放送をした。その放送を聞くまでは、8時15分近くになるとカーラジオをつけ、放送に合わせて黙祷をするつもりであった。腕時計をつけてはいるが、数分は狂っている。できれば、時刻ぴったりに黙祷をしたかったからである。ところが、その放送を聞いて、サイレンが鳴るなら、時計を気にしていなくとも、またどこにいても、黙祷の時間は分かるだろう、という気になった。そこで、早々と田んぼに向かった。

 田んぼでは、まず休耕田で作っている里芋類の畝周辺の草を刈った。草刈り機の音を響かせながら草を刈り進んだ。草刈り機では刈りにくい畦際の草を、刈り払い鎌で処理していたとき、ふと思い出して時計を見た。するともう8時45分くらいになっているではないか! 合図のサイレンは鳴ったのだろうか? もしかしたら、草刈り機のエンジン音がサイレンの音をかき消したのだろうか? いずれにしても、時間は8時15分に逆戻りすることはない。私は田んぼに立ち、広島の方を向いて、30分遅れの黙祷を捧げた。


黒豆の芯止め
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 黒豆の芯止め。
 今年は種蒔きが遅れたため、まだ草丈が小さい。
 
里芋類
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 里芋類。
 子芋[里芋]の根元を刈った草で覆った。土が乾燥しきった今になってやるのは遅いが、今度雨が降れば役立つだろう。理想としては、梅雨明け前にこのように被覆してやるべき。
 里芋類周辺の草刈りを済ませると、黒豆の芯を止める作業をした。黒豆は本葉5枚程度で芯を止めないと、葉ばかりが茂り実のつきが悪くなる。今年は大豆は黒豆だけである。去年作った、青大豆と鞍かけ豆は時間がとれず種蒔きができなかった。


 今日は水がやってくるのが遅い。すでに水を2回抜き、また池に補充される水が少ないため、水圧が下がったのが原因と思われる。単位時間あたりの水量が減っているのである。田んぼに水があたり[入り]だしたのが14時半、あたり終わったのが18時半。前回は2時間半だったのが、今日は4時間かかった。(最後の田んぼまで水があたり終わったときは20時を過ぎていた、と後日聞いた。)
村便り:2008-08-03(日) (井手の草刈り)
投稿日:2008-08-12(火)

定植スティックセニョール

 伏原井手の井手堰き[初夏にやる農業用水路-井手-の整備]が5月11日(日)にあった。井手は小川の上流が取水口で、そこから人家の少ないところを経て、二手に分かれ、さらにしばらく流れ下って田んぼ地帯に入る。だから、田んぼ地帯での井手の長さに比べて、ふだんは草刈りをしない地帯の長さが長い。後者の地帯は一年間に草木が茂り、井手を覆う。次の年の井手堰きでは、その草木を刈り払うのに労力がいる。そこで、今年から夏に一度草刈りをすることに決めた。

 初夏の井手堰きは集合時間が8時であるが、今日は、盛夏の暑さを考えて、7時集合となった。村まで車で小一時間かかる私にとって朝の7時は厳しい時間ではあったが、時間ぎりぎりに到着することができた。作業はすでに始まっていた。草刈り機を扱う人と、刈り払われた草木を整理する人とに分かれて、作業は進んだ。2時間後、井手が二手に分かれるところまでたどり着いた。そこで一休憩。渇いた喉をビールなどで潤した。そこからは人間も二手に分かれる。私は、分岐点にある池(亀池)を貯水池としている分流側に向かった。(ちなみに、もう一つの分流にも、分岐点からすこし下ったところに、貯水池-ボウズ池-がある。)

 そこからの作業はわずか。亀池側の人たち(7人)は、木陰で、今日の反省とこれからの水の配分(亀池の水を抜いた場合の配分である)を話し合って解散した。


キュウリの支柱
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 キュウリの支柱。自然畝。
 
 一日の残りは畑作業。

 午前中は、7月26日に定植した四葉キュウリのウロ[支柱]を立ててやった。

 午後はスティックセニョール[棒状の花蕾を収穫するブロッコリーの仲間]の定植作業。畝の草取りをして、鍬で起こした。長い間雨が降っていないので、土がかたい。大きな効果はないと分かっていたが、土を少しでも扱いやすくするため、散水した。

スティックセニョールを定植する畝
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 スティックセニョールを定植する畝。
 枯れ草を焼き、草をとり(まだ除草していない)、鍬で起こして整地する。
 
定植したスティックセニョール
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 定植したスティックセニョール。 防蝶のためネットを被せる。

村便り:2008-08-02(土) (二回目の、ため池の水を抜く)
投稿日:2008-08-11(月)

 7月29日に、最初にため池(名前は「亀池」)の水を抜いたとき、四日後にまた水を抜くことを決めていた。一回目と同じ5時半に水を抜き始め、わが家の田んぼに水が来たのが、10時半頃だった。前回よりも来るのが早い。前回の水のおかげで、田んぼはまだ湿っているからである。2時間ほどで、5枚の田んぼに水がゆきわたった。

 その間、穂肥をまく。午後は、黒豆と里芋類の元寄せ[土寄せ]。
穂肥
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穂肥。
 穂肥は出穂20日前に施す。わが家の場合、出穂は8月20日ころになる予定。今年は、田植え後20日から1カ月に施す追肥はしなかった。私は追肥よりは穂肥を重視する。
 
黒豆の元寄せ
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黒豆の元寄せ。
 黒豆は元寄せすると、倒覆防止の他に、増収の効果があるそうである。
 
里芋類の元寄せ
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里芋類の元寄せ。

村便り:2008-07-29(火) (ため池の水を抜く)
投稿日:2008-08-08(金)

 昨夕、6時半、井手(*)の関係者がため池の堤防に集まり、渇水対策について話し合った。7月に入ってから雨らしい雨がなく、井手の水が細くなって、田んぼが乾いてきた。田んぼによっては、土の表面が白くなるほど乾いている。ため池の水を抜いて当面の渇水をしのごうか、という相談だった。
(*)わが家が関係している3本の井手のうち小川の上流を水源とする井手。この井手にはため池がひとつある。

 井手頭によれば、ため池の水を抜くのは6年ぶりとのことであった。私には、去年、一昨年は水の心配がなかった記憶はあるが、それ以前になるとはっきりしない。6年前は12回水を抜いた、と井手頭は説明した。さて、どうしようか、と井手頭は集まった人たちに質問した。しばしの沈黙のあと、私が口を開き、穂肥[出穂20日ほど前に施す]をまきたいから水がほしい、と言った。誰にしても水を抜くことには逡巡はなかったはずであり、私の発言がなくても結局は水を抜くことになったはずである。私の発言で直ちに井手頭は明朝、5時半から水を抜くことを決めた。

 集まったのは7人である。私が百姓を始めた12年前は、このような集まりに来るのは、12人であった。12年の間に、耕作を休止したりやめたりした家が5軒あった、ということである。ほとんどは、それまで耕作していた人が年老いたり死んだりして、後継者がなかったり、次世代が農業に携わらなかったり、あるいは、できなかったりする場合である。こうした事情は、たぶん日本の中山間地の農業の現状を反映している。

 水の配分に関しては、昔は各家から《水番》を出して管理したこともあったが、いまは7軒の田んぼであるから大まかである。ため池に近い田んぼから順番に水を入れて、田んぼ全体に水が行きわたったら、次の田んぼに入れる、というやり方である。



大町に入る水
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 わが家の一番上の田んぼに入る水。
 わが家の田んぼは、7軒の田んぼのうち、下から二番目である。だから、5時半に水を抜いたとしても、わが家の番になるのは昼頃にはなる。昨夕、相談のあと、あて口[田んぼへの取水口]は水が入るようにしておいたので、今朝はゆっくりと村にやってきた。

 わが家の田んぼへは12時半ごろから水があたり[入り]はじめ、5枚の田んぼに約三時間で水が行きわたった。(最後の家の田んぼにまで水が入ったのは19時半だった、という話を翌日聞いた。)

 これからは、井手の水はため池に入れて貯水するため、田んぼ地帯を走る水路部分には水は流れなくなる。今度は4日後にため池の水を抜く。
村便り:2008-07-26(土) (最後のジャガイモ掘り上げ、ポット育苗、四葉キュウリ)
投稿日:2008-08-02(土)

育苗南宝、サボイエース、ネオルビー(以上、キャベツ)、子持ちキャベツ、緑嶺、ハイツ(以上、ブロッコリー)、スノークラウン(カリフラワー)、アキシマササゲ
定植キュウリ[四葉キュウリ]

最後のジャガイモの掘り上げ
 午前中、最後に残ったジャガイモ、roseval(*)を掘り上げた。日照り続きで畑の土は硬くしまっている。三つ鍬を畑に打ち込んでも、さくっと突き刺さらない。鍬はがちっという反動ともに浅いところで止まってしまう。

収穫したroseval
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 収穫したroseval。
 
ポット育苗
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 ポット育苗。
 ポットに種蒔きするための《七つ道具》とともに。右側の袋は、育苗土。育苗土はその奥にあるプラスチックの箱に入れて、ポットに詰める。袋の左隣のストレーナーは、種蒔きしたあとに覆土するため。その向こうの青いコップは育苗土を計量するもの。軽く一杯で、写真のポット2個分。ストレーナーとコップの間の板切れは、土を詰めるポットを載せるため。ポットの底の水抜き穴から土が漏れるのを防止する。
 
定植した四葉キュウリ
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 定植した四葉キュウリ。全部で10株。
 rosevalは表皮が赤く、長楕円形のジャガイモ。草勢はおとなしく、その地上部に相応して、イモの数は少ない。一株に、三、四個。大きさは比較的揃っている。このジャガイモは外国(フランス)で育成された品種で、大手種苗会社から種芋を買い求め、以後は自家採種を続けている。
(*)roseval[ロズヴァル]を一方の親として育成された品種で、登録品種名は「シェリー」であるが、私は roseval と呼んでいる。

 私が収集したかぎりでは、情報が少ないので、栽培法は試行錯誤である。草勢がおとなしく、かつ大きく成長することはない。またイモ数が少なく、イモは株もとにつく。したがって、比較的密植をしたほうがいいのではないか、と思われる。土寄せは厚くしない方がいいようである。イモは比較的深いところにつくので地表に出にくく、また、土を寄せすぎると、地表近くに小さなイモがたくさんついてしまうからである。地上部がおとなしいので、草に埋もれないように注意する。


キャベツ類、秋インゲンの播種
 午後は、南宝、サボイエース、ネオルビー(以上、キャベツ)、子持ちキャベツ、緑嶺、ハイツ(以上、ブロッコリー)、スノークラウン(カリフラワー)、アキシマササゲをポットに播種。自宅のベランダで育苗する。アキシマササゲ以外は、晩秋から冬にかけて収穫するもの。

 アキシマササゲは今年は始めて栽培する秋インゲンである。岐阜の方にいただいた種。彼の地では7月中下旬に播種するとのことであったので、播種期はそれにならった。極早生種のインゲンは8月上旬に蒔く。アキシマインゲンは調べたところ、晩生種とのことであったから、7月中の播種が適当であろう。


 最後に、今年最後の(といっても二作目であるが)キュウリ(四葉キュウリ)の定植。このキュウリは、なぜか分からないが、発芽率が非常に悪かった。ともかく10株確保できた。

 一週間前に種蒔きしたニンジンは、毎朝夕に水やりをしたおかげで、発芽を始めていた。
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