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村便り:2009-04-01(水) (降る時を知っているのか? 名残雪)
投稿日:2009-04-04(土)

 夕方から雨が降り出した。帰宅途中、畑に寄って温床の世話をしなければならない。夜間の低温を防ぐため、叺[かます]を育苗ボットの上に被せ、温床全体を被覆するビニールをぴったりと閉めるのである。村に向かう車のフロントガラスに当たる雨粒はしだいに霙[みぞれ]に変わり、村に着くころはむしろ雪と言えるほどになっていた。車載温度計の指す外気温は1℃。春になって寒さのぶり返しがあるのは普通のことだが、四月に入って雪とは、エイプリル・フールの今日にあわせて言えば「うっそー!」である。



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名残雪、ピンぼけ画像。
 先週末の講中親睦旅行のとき、ある人が、最近の《地球温暖化》に関連させながら、「昔ぁ、四月になっても雪が降るときがあった」と言っていた。私は四月になってからの雪は記憶にない。遅い雪としては、小学校の卒業式のとき、ぼた雪がひとしきり激しく降ったを覚えている。その雪とともに記念写真を撮っているので記憶に深く刻まれているのかもしれない。

 ただ四月初めは春といえど寒かった(いまでも寒い)。今はそんな風習はなくなったが、四月三日には子どもたちが《節句》と称して、(当時としては)豪華な弁当を作ってもらい、山に《花見》に出かけていた。四日、五日も《残り節句》として、弁当の残りをもって遊びに行った。

 なぜ《節句》というのか確かなことは知らないが、旧暦三月三日の節句を太陽暦に読み替えたからか。《花見》と言っても、山に行って花が咲いているわけではない。せいぜいコブシが咲いているくらい。全体にまだ冬枯れの姿である。それでも、質素な食事しかしていない当時ゆえに、手作り羊羹とか、玉子焼きとか、そのほか普段は食べないようなものが入っている弁当はめったにないご馳走であり、加えて、サイダーなどのビン入り飲料を携えての山遊びは、子どもにとっては待ち遠しい大イベントのひとつであった。《とっぴん》と称する節句専用の飲料もあった。ひょうたん型のガラス瓶に入った甘い色水であり、たしか木の栓がしてあった。


 もうそんな時代の名残は現実には残っていないのに、今夕はなぜか名残雪。山奥は積雪になるだろう、と思いながら(あっ、"SkiAgain" の名残雪かも)、そそくさと温床の世話をして帰途についた。
村便り:2009-03-30(月) (飲み疲れの残るからだで人参を播種)
投稿日:2009-04-04(土)

播種(畑)ニンジン

 3月28日(土)と3月29日(日)は講中の一泊旅行だった。

 講とは葬礼の互助組織のこと。葬儀がまだ自宅と村の火葬場で行われていた時代は生活していく上で不可欠の組織であった。その時代には講山の管理が毎年、講中総出で行われていたし、それ以外にも親睦的な集まりが定期的に行われていた。しかし、市営の火葬場を使うようになり、また、参列者への賄いが講中による手作りではなく仕出し弁当になり、さらにまた、葬儀場も民営の専用ホールを利用する家もでるようなった今は、講中からの援助は昔ほどの重要さはもたなくなった。昔は講から八分にされると生きていけなかったが、便利になり経済的にも裕福になった現在では、講の援助がなくても葬儀を営むことができるほどになった。それにつれて講組織は弱体化していく運命にあった…

 弱体化から講を救ったのは、あるいは、弱体化の歩みを遅らせたのは、講山の一部が市によって買い上げられてできた現金の財産だった。その使い道として年に一度の親睦旅行が始まった。現金ができたのなら構成員で分配すればいいではないか、という考えがあるかもしれないか、組織の性格上、おそらく財産の分配はできない。「総有」という概念がある。財産の管理は組織に属し、個々の構成員には財産権はない。すなわち、構成員は財産の分割を要求することは、たとえ組織を離脱するときでも、できない。そして、個々の構成員に属する権利は、組織によって益をうける権利になる。講とは、おそらくそういう意味での「総有」的組織なのである。村有地への入会権、水利集団に属する農業用水路への水利権なども、そのような「総有」的関係にある。講は、言ってみれば《前近代的》な組織なのである。

 《前近代》的所有関係と人間関係が、《近代》の進展につれて消滅していくのは自然なことなのかもしれない。ところが、講は消滅をまぬかれた、あるいは、消滅が延期された。

 今年の旅行の目玉は、有馬温泉と洋上クルージングだった。参加者は二極化している。小学生までの子どもか、定年退職後の年代に属する高齢者かである。サラリーマン現役は私を含めて二人しかいなかった。働き盛りはすっぽりと抜けている。参加者の年齢層は、講の行方を暗示しているようにも思える。消滅? もしかしたら、再生?

 …などと、久しぶりに理屈をこねてみたが、講旅行の、私の《実態》といえば、酒びたり(笑)



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代わり映えのしない畝の画像ですが… 何もないと寂しいので、付けておきます。
 向こうの不織布がかかっているのは、3月27日にダイコンを蒔いたところ。ニンジン畝にもこのあと不織布をべた掛けした。
 まだどこかに、旅疲れならぬ、飲み疲れが残るからだで、今日(月曜日)の夕方、先週の金曜日に準備していた畝に人参を蒔いた。春蒔金港五寸[@サカタ]と金港四寸[@サカタ]。金港四寸は去年の残り種。五寸よりは若干早生のようである。
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