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血/気のめぐり 【太極拳】
投稿日:2006-12-27(水)

 12月22日(金)は太極拳の稽古納め(といっても、まだ4回しか稽古をしていないが)。

 がらんとした朝の体育館は、暖冬とはいえ、寒い。私は下はジャージのトレーニングパンツ、上は長袖シャツを二枚着ている。下着のシャツは薄手だが、保温性・吸湿性・発散性のある登山用のものだから、それなりに防寒性はある。足は裸足ではなく、シューズを履く。太極拳用と銘打ったシューズもある(師匠は羊の皮でできた専用シューズを履いている)が、私のは紐なしの普通のもの。他の弟子二人も似たような出で立ち。

 太極拳の動きはゆっくりとしているので、身体は温まらない。とくにむき出しの手はこごえる。薄手の手袋をはめたいくらいである。

 稽古をはじめてしばらくして師匠曰く、「私は今日は着込んできましたから、もう身体がぽかぽかしてきました。手も温かいですよ。触ってみますか?」最後の言葉にまたもや心がぐっと動いたが、師匠のふっくらとした白い手に、私のごつごつと節くれだった手で触るのは《美しく》はあるまいと思いとどまった。

 たしかに師匠は着込んでいるようにも見えた。それにしてもこのぐらいの運動量で身体が温かくなるものか?考えたすえ、二つの可能性にたどりついた。ひとつは、同じ動きでも未熟者と熟練者とでは質が違う、という可能性である。熟練者の場合、動きとともに《血》が、いや《気》が、体中をめぐるのかもしれない。未熟者は、動きだけで、《気》が伴わない。この推測は、いかにも太極拳的である。もうひとつは、ひどく散文的な可能性で、もしかしたらお師匠さん、今日は体中にカイロを貼りつけてきたのかもしれない(笑)

yogaマット
(クリックで画像の拡大)
 yogaマット(ピンぼけですが…)
 yoga体位法をするには、おおよそ二畳半くらいの広さがあればいい。ある時、小さなスポーツ店に入ったら、yogaマットなるものを売っていた。幅 60cm、長さ170cmほどのマットであり、たたみ一畳にもならない。こんな狭いマットでは体位法はできない、と思っていた。
 体育館(板張りの床)でyogaをやろうと思ったとき、そのマットを思い出した。そして、マットは身体が床に当たる部分に使い、滑り止めでもあることを知った。使用してみるとなかなか役立つ。畳の上では身体が滑ることがあるが、マットの上ではそのようなことはない。マットは厚さが5mmもないが、身体が硬い床に当たるときの痛みを十分に和らげてくれる。
 硬い床でyoga体位法をするときには、もっていて損はないグッズである。
 私が実践している別の身体技法であるyoga体位法はたしかに身体が温まる。動きは少ないが体位を維持しているあいだ筋肉が強く緊張するため、と思われる。体位をほどくと、それまで緊張していた筋肉が弛緩し、同時に発熱する(血のめぐりがよくなる)。体位によっては、ほどくと、呼吸が激しくなることもある。静的な見かけとは反対に、身体自身は活性化している。太極拳に熟達したら、このように、《血》…ではなく《気》のめぐりを体感できるようになるのだろか?

 太極拳の稽古の前後にyoga体位法の実習をつなげようと思い、今日ははじめて稽古のあとにyogaをやってみた。でもすぐに女子学生が二人やってきて近くで食事を始めた。訊くと、午後から授業があるようである。食事を終わると予習(たぶんダンスのようなもの)をやっていた。女子学生が近くにいても、私は気後れはしないが、彼女たちは、当然ではあろうが、おじさんの、変なポーズなど見たくはないようである。ずっと私に背を向けていた。…今度からは太極拳の前にやるようにしよう。

 夜は太極拳の忘年会。財布係は私。若者と飲み話すのは楽しい。太極拳の故郷に旅行しよう(河南省の陳家溝というところが発祥地と言われている)、という話まで出た。この夜、私ははしゃぎすぎて、したたか酔っぱらいました。
村便り:2006-12-24(沢庵漬)
投稿日:2006-12-25(月)

 先週で正月前の授業が終わり、今年も余すところ一週間ほどになった。正月までに片づけたい仕事がある。沢庵漬と白菜漬、蕎麦や黒豆の風選、稲刈りと脱穀の後そのままにしているバインダーとハーベスターのメンテナンス等々、とてもとても一週間ではできない量の仕事がある。それらが気になってこの頃は夜でも目が覚めると眠気の中で焦ってしまう。でも、緊急度の高いものから手をつけ、後は年明けに回すしかない。

大根を干す(クリックで画像の拡大) 今年は大根を洗ってから干した。今までは抜いて土のついたまま干していたが、漬け上がりが《美しく》なるように泥を落としてやった。
 今日のメインは沢庵漬。大根は二週間前から干していた。干し始めて最初の一週間は天気の悪い日が続いたので、今年は乾きが悪いかもしれない。大根の乾き具合について、春が終わるまでに食べてしまうのなら、大根を曲げると「く」の字型になるまで干し、初夏までもたすのなら、「つ」の字型になるまで干す、といった目安があるが、私はいちいち曲げてはみない。田植えが終わる(我が家の場合は6月始め)まで保存するつもりで二週間干す。そして二週間後には乾き具合がどうであれ、漬ける。天候と大根に相談していたのでは、他の仕事(サラリーマン稼業も含めて)との調整がつかない。

 沢庵にする大根は宮重大根を使う。播種後三カ月生育したものから、大きすぎず小さすぎないのを選んで抜いて干す。今年は52本だった。60本から70本を目標にしていたのだが、我が家は今年は大根が不作。でもこの本数で、ぎりぎり間に合うだろう。


 沢庵漬をする前にまず明日漬ける予定の白菜を抜いて調整し、干した。作業をしていると従姉が「ひやかし」に来た。「あんたがたの白菜はようできとるね。Oのお姉さん[おばあさん]は、アリタイの白菜は品種が違うんじゃなかろうか、ようりんさった[言っていた]。うちがたのは虫だらけじゃけど、虫がぜんぜんおらんね。」と従姉。「品種は特別なもんじゃない。虫がおらんのは、わしゃ、よそより一週間遅う蒔くけんよ。」と私は答えた。

 白菜は、早生と晩生の二品種を蒔くことにしている。今日、収穫したのは早生品種である。また蒔き時は周囲より一週間遅らせる。すると虫にやられにくい。早蒔きすると定植初期に群がるようにやってくるダイコンサルハムシの被害もまずない。また青虫が葉っぱの中まで食い荒らすこともない。

 午後2時にモト作りから始めた沢庵漬が5時までに終わると、そそくさと帰途についた。今日はクリスマス・イヴなので早く帰るように、と家族から「命令」されていたからである。

 なお沢庵漬に関する詳しい情報は、以前の記事を参照してください。
村便り:2006-12-16(黒豆を叩く)
投稿日:2006-12-19(火)

 農耕のシーズン中は早起きするが、冬になると朝はなかなか布団から出る気がしない。少しでも暖かい布団の中にもぐっていたい。それでも急ぎの農作業があれば起きざるをえないが、冬になれば、そんな仕事は少なくなる。また、平日、とくに授業のある火曜日から木曜日までは、暗いうちに(といっても6時半頃だが)家を出るので、朝寝坊のできる日は睡眠不足の解消をしたい。そんな理由で、このごろは週末に朝寝坊することが多くなった。

 冬の朝寝坊は自然の節理にかなっている、と勝手に理屈をつけてみる。年がら年中、睡眠時間を削って働いては身体が壊れる。冬眠をする動物のように、人間も《冬眠》すべきである(というのが、若いころからの自説である)。秋の終わりにたらふく食べて脂肪をつけ、冬は暖かい巣穴で過ごす。巣穴はともかく、私の場合、たしかに脂肪がつく。夏の間は腹をつまむと皮膚しかつまめないが、冬になると脂肪の層を感じることができる。すると、自分の身体はちゃんと四季の風土に棲息する動物をやっているな、と変に感心する。

黒豆を叩く(クリックで画像の拡大) 写真中央から少し右上よりのところにある腰掛け状のものに、こちら向きに腰掛けて、黒豆を叩いた。まず、木槌で一株の鞘全体を叩く。すると鞘は口を開けて、中から豆が出始める。さらに「まとり」(Y字状の木製の道具。写真では2本見える。)で叩く。
 以前は、木槌だけで叩いていた。しかし、青森の方に「まとり」を送っていただいてからは、それも使っている。木槌は重量があるのでざっと鞘を崩すには便利である。しかし、場所を限定して叩くといった細かい作業ができない。そこで次に「まとり」を使って豆を叩き出す。

 青森の方は、豆を叩くにも「まとり」を使う、と説明していたが、きっと重量のない「まとり」だけでは力が必要であろう。木槌と「まとり」を組み合わせることによって、より効率的に豆叩きができるように思う。ちなみに「まとり」は蕎麦を叩いている写真を見て欲しくなり、青森の方から送っていただいた。村ではこのような道具は見たことがない。
 …そんなわけで、畑に着いたのは10時半だった。今日のメインは黒豆(黒大豆)を叩く[叩いて豆を鞘から出す]こと。

 一カ月前に黒豆は抜いて稲架掛けした。それから晴天が続いて鞘が乾き、叩くのに好適な時期が12月始めにあった。しかし私は、急ぎの仕事が別にあり、その時期を逸した。それからは雨の日が断続的に続くようになった。去年の黒豆は年が明けてから叩いたが、今年もぐずぐずしていては、去年の二の舞になりそうな雲行きになった。先週末、雨が続きそうな週間予報だったので、黒豆の稲架にビニール・シートを被せた。昨日、金曜日は一日晴天。そこで朝、シートを外し豆を太陽に当てた。今日は「晴れ、時々曇り」の予報だが、夜は雨になるらしい。他の仕事を考えると、黒豆を年内に叩くとしたら、今日がラストチャンス。鞘は乾ききってはいなかったが、決行することにした。

 実際の天候は「曇り、ときに晴れ間」。シートを広げて、そこで黒豆を叩いたが、日が射さない上に風があった。それでも身体を動かしていると、寒くてこごえる、というほどではなかった。11時半からはじめて、昼食休みを挟んで、夕方5時まで作業をした。途中、二人がやってきて雑談したから、実質的な作業時間は4時間ほどであろうか。暗くなるころにやっと片づけを終わった。

 黒豆は、さらにゴミを除いて選別すると、利用可能な状態になる。
村便り:2006-12-03(ソラマメとワイルド・ロケットの定植)
投稿日:2006-12-10(日)

(一週間前の村便りです ^^;)

 12月に入った。畑も田んぼも冬支度が完了していない。畑は、目立つところでは、冬になり枯れてしまったニガウリとトマトがまだ片づけてない。全体的にいかにも「下農」(*)の畑といった風情である。
(*)「上の農人は草のいまだ目に見えざるに中うち[中耕]し、芸[くさぎ]り、中の農人は見えて後芸る也。みえて後も芸らざるを下の農人とす。是土地の咎人なり。」(宮崎安貞『農業全書』)

 午前中、ニガウリを片づけた。自然畝で栽培したニガウリは、穴施肥をして定植し、追肥は発酵鶏糞を二度施しただけであったが、旺盛に生育したくさん実をつけてくれた。不施肥で定植し追肥でつなぐだけで十分収穫がある、と思われるような生育ぶりであった。来年はそのやり方を試してみるつもり。


 午後はソラマメとワイルド・ロケットの定植。ソラマメは、一寸ソラマメと赤ソラマメの二種類をポット育苗したものである。植え穴を掘って定植して、その周りにぐるっと発酵鶏糞と牡蠣殻石灰をまいた。防寒のため、定植して裸地になった苗の周囲に、籾殻もまいた。一寸ソラマメは48株、赤ソラマメは38株を定植。収穫は来夏、五月終わりになる。

 最後にワイルド・ロケットを定植。ロケット(ルッコラ)は最近知られるようになった。イタリア料理店でサラダに混ぜて出されたりする。ロケットは、秋に種蒔きすると春に薹立ちして枯れるが、ワイルド・ロケットは多年草。一度つくったことがあるが、春に薹を立たせたままにしておいたら、いつのまにか消えてしまった。今度は二度目の挑戦。

カマキリの卵(クリックで画像の拡大) ニガウリの支柱。「下農」の畑。
 秋の終わりまで立てたままにしておいた支柱には、よくカマキリの卵がついている。そのような支柱は、孵化するよう、来夏まで立てておく。
ソラマメの定植(クリックで画像の拡大) ソラマメの定植。
 自然畝の草の中に定植していく。草と一緒だと冬の間、寒さが幾分かでも和らぐ。手前の、まだポットに入っているソラマメを含めて、3株のソラマメが写っている。見分けられますか?
ワイルド・ロケット(クリックで画像の拡大) ワイルド・ロケット。
 畑には9株定植して、残りの3株は家に持ち帰ってベランダで育てることにした。サラダの「薬味」的な使い方だから、近くにあった方が便利。畑のものは来春夏、採種するつもり。
村便り:2006-12-01(新米の精米)
投稿日:2006-12-04(月)

 今年の新米をはじめて精米した。精米はいつもは妹がすることになっており、新米の、初回の分に関しても、すでに妹に頼んであった。しかし、我が家で食べる米が底をつき、急遽午後に精米することにした。

 米は籾の状態で保存し、必要に応じて(平均すれば、一月半か二カ月に一回のペースで)農協の精米所でひく。精米所が営業する日は季節によって異なる。そこで電話して確かめると、今月は月・水・金が営業日になっていた。精米所には機械を操作する人が一人いる。定年退職した村の人が非常勤で詰めているのである。手当てがいくらだかは知らないが、ボランティアに近い仕事ではないか、と思う。

 籾を投入すると、籾摺り、選別(未熟米が排除される)、精米の連続的なプロセスを経て15kg(1斗)単位で精米が出てくる。玄米が欲しければ、選別を終えた時点で米を出す。何年前までかは忘れたが、古いシステムでは、籾摺り(選別を含む)と精米は別々になっていて、籾摺りを終えた玄米を精米機まで運んでいた。農協に精米所ができるまえは、石臼に入れた籾や玄米を、足踏み式の杵でついて籾摺りや精米をしていたはずだが、私はその時代は知らない(石臼はまだ残っている)。

 精米が済むと、糠と籾殻は回収する。糠は糠漬けの材料にしたり、畑にまいて肥料にしたりする。もみ殻もさまざまに使う。稲は、米を食べるだけでなく、藁はむろんのこと、まるまる利用して、棄てる部分はない。

 ちなみに精米料は1kgにつき21円(消費税込み)。米袋は中古が1袋42円(消費税込み)で買える。

 精米が終わってから、今年の収穫量を判断した。単位面積あたりの収量は去年よりは劣る。今年は作況指数が100を割った、と新聞で読んだが、我が家の場合も感覚的にはその程度である。精米後の量を試算してみた。その量を基に、我が家ときょうだい家族が食べる分、友人に送る分、知人などに贈る分…と頭の中でおおまかに計算すると、これから一年なんとか食いつなげそうである。今の「豊かな」時代、米はなければ買えるとはいえ、この一年、辛苦して米を作った私としては、一年分の米が保証されたのは、深い安堵である。そして、やはりありがたい。ありがたい、といっても、いまどき流行りの「自分自身を褒めてあげたい」式の、自己に向けられた賛嘆ではなく、自分ではない何か大きなものへの感謝のような気持ちである。
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