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村便り:2007-01-02(白菜の本漬け)
投稿日:2007-01-12(金)

 正月二日ではあったが、12月31日に水が上がった白菜の本漬けをした。

 12月25日に仮漬けした白菜は、当初の予定では大晦日までに本漬けにするはずであった。経験からすれば、漬けて三日ほどすれば水が上がる。本漬けは水が上がって三日後を目処におこなう。すると、計算上は大晦日までには本漬けにできるはずであった。ところが今年はなかなか水が上がらなかった。塩梅や重石は今までと変わらない。仮漬けしたときには水の上がりを確実にするため、差し水をする。それも従来通りであった。再度差し水をしようか、と考え出したとき、一点だけ従来と違うことに気づいた。

本漬け
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本漬け。
 ふたつに割った面を上にして樽にぎっしりと詰めていく。漬物の元は、塩、トウガラシ、コンプ、スルメ、柚子の皮である。根元に切れが入っているが確認できるものもある。荒漬けのさい、この切れ目を入れるのを忘れたのである。
 漬けるときは、右の樽に掛けてあるビニール手袋を使う。衛生上の配慮からではなく、素手で作業をすると、冷たい水で手が凍えるからである。
水が上がる
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水が上がった状態。
 本漬けした翌日、すでに水が上がった。荒漬けと違い、本漬けはすぐに水が上がる。水が上がって漬物石の下側は浸かっているのがお分かりだろうか?
 白菜は漬ける前、根元に十字の切れ目を入れ、そのうちの一つの切れ目を境にふたつに割る。ふたつに割られた白菜には、根元の芯に割れ目と直交する切れ目が残っている。その切れ目は、根元に塩が滲みやすくする。その十字の切れ目を今年は入れるのを忘れたのである。(白菜漬は、2002年から始めて7回の経験がある。しかし、漬け方はまだ身体の記憶にはなっていない ― 身についていない ― ようである。)

 白菜は漬けると、重石の重みで嵩が減り、また、塩の効果で水分が葉から浸出する。すると水が下から上がってきて、押しつぶされた白菜全体を浸す。ところが想像するに、切れ目の入らなかった根元は重石で嵩が減りにくく、水分も出にくい。そのため、今年は水の上がりが悪かっただろう。

 12月30日に仮漬けの白菜を取り出し、根元に切れ目を入れてから漬けなおし、差し水も足した。すると翌日は完璧な水の上がり具合だった。そこで1月2日に本漬けすることにしたのである。

 白菜漬は1週間ほどしてから食べ始める。1週間ほどではまだ味はなじんでいない。しかし、漬物工場で生産されて賞味期限付きで販売される商品とは違い、手作りの漬物の醍醐味は幼年期から老年期まで漬物が成熟・老熟していく過程をすべて味わえるところにある。今回はまず二週間ほど先の週末に、若い味を楽しむ予定である。
秘湯
投稿日:2007-01-09(火)

 変わった温泉に行った。秘湯とでも言うべきであろうか。

 この前の日曜日(7日)、雪見の一日旅行をした。瀬戸内の雪のほとんど降らない町に住んでいるので、子どもが雪を見たがる。そこで、冬に一度、県北や山陰側に雪見ドライブをするのが数年来の恒例となっている。雪見だけではつまらないので、食事するところを考えたり、温泉につかったりする。今年は山間の一軒宿を目指すことにした。

 国道54号線を北上し、島根県側に入ってしばらくして左折し、今度は県道を走る。朝からの雪で周囲は雪野原。県道ともなると除雪してない個所もあり、深い轍をたどるようなこともあった。県道から小川沿いの道に入ってしばらく走ると目的の温泉に着いた。小川に面した小さな宿である。

 着いたのは16時。宿の人は、冬季なので17時に閉める、という。「はじめてでてすか?」と訊かれた。はい、と答えると、泉温が35℃だが大丈夫か、と訊き返された。湯は源泉のままで加熱していないそうである。冬に湯につかるには、暖かい時期から湯に慣れておくのがいいのだが、と説明を受ける。一瞬ためらったが、せっかく来たのだから、入っていくことにした。

 浴槽は地面を2メールほど掘り下げた地下にある。褐色に濁った湯で、浴槽の底の板の間から泡を立てながら湯が湧いている。療養専用の湯なので洗い場はない。泉温が低いので、30分から1時間つかるのがいい、と説明にあった。説明書きにはさらに、高張泉[湯の成分の濃度が体液より高い温泉]なのでつかっているうちに、浸透圧で皮膚から直接、温泉の成分が身体に吸収される、とあった。湯の温度が低いので、10月から5月は五右衛門風呂に湯が沸かしてある。上がり際にその湯に使って身体を温める。40分ほどつかり、その上がり湯で身体を温めてから、寒い冬の空気の中に出た。

 温泉成分が身体に浸透したせいか、あるいは思いなしか、帰りの車の中では身体が中からぽかぽかしてくるようであった。

 ちなみに温泉は島根県の千原温泉。この温泉はホームページを開設しているので、興味のある方は、検索エンジンで調べてみてください。
村便り:2006-12-30/31(農耕の2006年は大晦)
投稿日:2007-01-06(土)

 今年最後の二日は農機具類の片づけなどをした。

バインダーとハーベスター
 バインダーは稲刈りの後、ハーベスターは脱穀の後、ざっと清掃したが、一年後にまた使用するまで格納しておく状態にはなかった。タイヤなどの泥をきれいに落とし、藁屑や籾は取り除き、燃料(ガソリン)は抜いておかなければならない。泥は錆を呼び、ゴムを劣化させる。藁屑や籾のあるところはネズミの巣になる。ガソリンを長期間入れたままにしておくと、劣化し、エンジンが始動できなくなる。

 今年は稲作は完全自立したが、まだ作業の要領がつかず、また農繁期にも人手が十分でないので(田植えは補植まで一人だけでやった)、使った農機具(田植機、バインダー、ハーベスター)は作業後、泥をざっと落としただけで、別の農作業に取りかからねばならなかった。その結果、田植機の場合、6月始めに田植したものの、格納できる状態にしたのは8月であった。稲刈りと脱穀は加勢があったが、農機具の後片付けに関しては、田植えのときと同じであった。

 私のような《通いの一人兼業農家》の場合、農作業は後片付けまでいちどきにやってしまわないと、いつまでも切りがつかない。農耕にあてる時間がかぎられているので、どうしても切迫した作業だけに追われてしまうからである。といっても、人手がないから、いちどきに終えることができない。手詰まり状態のまま、終わらない農作業が溜まっていく。物理的に溜まるだけではなく、心理的にも気がかりという形で溜まっていく。

 だから、バインダーとハーベスターを清掃し、ゴミを取り除いて、所定の場所に格納すると、憑き物が落ちたような、すっきりとした気持ちになった。

藁の収納
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 藁は、小屋の棚に収納する。藁は10束ずつを一括りにしたものを40括り納めたので、都合400束になる。もち米の収量からして藁束は600束ほどあったはずであり、入りきらなかった束は欲しいという人にあげ、また、踏み込み温床の材料として畑に積んでおいた。
 一昨年、去年と藁はネズミにかじられた。かじられると藁束は、束と垂直方向に切れ目が入ったような状態になる。一昨年は、切れ目の原因が分からず、脱穀機のせいにした。去年同じことが起きてやっとネズミの仕業であることが分かった。過去2年間はしごう[調製]する前の豆や蕎麦を小屋の床に転がしていたため、ネズミを呼び、そのネズミがさらに藁束に残っていた籾を狙ったのである。今年はネズミを呼ばないように注意したつもりであるが、結果はいかん?
使い藁
 稲作関係でもうひとつ気になっていたのは、藁。脱穀した後の藁は切断して田んぼに鋤きこむ。しかし、一部は使い藁として小屋に納めておく。使い藁は普通、もち米のものを利用する。理由ははっきりしないが、たぶん丈が長く、粘りがあるからだろう。その藁を11月始めに田んぼから屋敷まで運んだ。しかし藁の収納場所にはまだ去年の藁が残っていたので、庭に重ねた。地面からの湿気を遮るためビニール・シートを敷いた上に、藁を重ね、その上に、雨露を避るため、ビニール・シートを被せておいた。そのままで2カ月近くも経ったのである。

 去年の藁を出して、今年の藁を収納棚に入るだけ納めた。

年越し蕎麦
 31日の夜は、自宅で年越し蕎麦を打った。蕎麦粉は青森産の階上[ハシカミ]早生。軽くなった心で美味しい蕎麦を食べて、農耕の2006年が幕を閉じた。
明けましておめでとうございます
投稿日:2007-01-04(木)

  謹 賀 新 年

 今年もご愛顧のほどよろしくお願いします。

 「てつがく村」の今年を抱負を述べます。

 まず、通いの一人兼業農家の一年を「村便り」(「天地人籟」の下位コーナー)として掲載していきます。

 「村便り」はすでに昨秋から掲載し、いまでは27記事になっています。しかし、その記事は試行的なものと考えていました。「村便り」の構想を抱いたものの、はたして継続的に掲載できるだろうか、という不安があったからです(いまでも、あります)。そこで、比較的余裕のある秋から冬にかけて試行的に掲載を続けて、余裕のない農耕のシーズン中でも掲載を継続できるかどうか、予測してみようとしました。三カ月近く試みた結果、不確かながらも見通しがついたような気がします。そこで、年頭にあたり「村便り」のコーナー開設を正式に発表することにしました。

 以前にも(2002年)「農耕日誌」という名称で農耕の一年を綴ったことがあります。それにもかかわらず、改めて農耕の一年を綴ってみようと思ったのは、当時と違い、いまは畑作のみならず稲作も、田植えや稲刈りを委託することなく、自分一人で担うようになったからです。つまり、畑作も稲作もともに一人前の百姓になったからです。稲作の自立は去年でした。したがって、今年は二年目になります。一人前といっても、去年は見習いと言うべきで、れっきとした一年生になるのは今年からでしょう。

 両作一人前になるにともって、二足草鞋の生活は、肉体的にも時間的にも一段と厳しいものになりました。正直なところ、辛かったり、苦しかったり、鬱屈したりするのは、日常茶飯のことです。まあ、どんな人生を送るにしても、状況はそう変わるはずはありますまい。でも重要なのは、部分的な負の価値ではなく、全体として正の価値だ、と考えています。二足草鞋の生活が全体として正の価値をもつものとして体験できれば、部分的な負は全体的な正によって浸透されて、絶対的な負であることをやめる、と考えています。たとえば、苦労のしがいがある、と言われるときの苦労が、そのような負でしょう。

 通いの一人兼業農家という、私の、二足草鞋生活がはたして全体として正の価値をもつようになるかどうかは、分かりません。しかし、その生活を、いままで同様、これからも生き抜いてみよう、そしてその生活を一年間、農耕の側面から綴ってみよう、というのが「村便り」の意図です。

 体裁上の制限として、字数を上限を1000字程度にします。いままでの試行からして、1000字の制限はきついのですが、字数を無制限にすると、最初、コンパクトな記事を、と心がけていても次第に長くなり、それにともない、気軽に記事を書けなくなることが、少なくとも私の、経験から分かっています。

 1000字は本文の字数であり、画像につける説明は含まれません。したがって、舌足らずのところは、できるときには画像の説明で補うつもりです。また、長い文章が必要な記事は「天地人籟」の別立て記事として書くつもりです(もっとも「村便り」に執筆エネルギーのほとんどをとられてしまいそうですが)。


 ついで、「太極拳」というコーナーを設けます。ただし、こちらはいつまで続くか/続けられるか、分かりません。執筆意図は、去年の11月半ばに始めた太極拳を中心に身体について綴る、と漠然と示すにとどめます。実際、私自身、先がはっきりとは見えていません。


 以上です。
村便り:2006-12-25(白菜の荒漬け)
投稿日:2006-12-28(木)

白菜を干す
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白菜を干す
荒漬け
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荒漬け
 真ん中の桶の上に置いてある外葉は、手前の桶のふたにするためのもの。外葉でふたをして落としぶたを置き、その上に重石を載せる。真ん中の桶はすでに重石まで載せてある。
 ちなみに、一番奥の桶は、沢庵漬。
石臼を重石に使う
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追加の石は思案の結果、石臼を使うことにした。形状といい重さといい、ぴったりだからである。ただ、洗うのが面倒であること、また、石臼は、いまは使っていないが将来使う可能性を考えて、漬物のにおいをつけたくないこと、のふたつの理由で、ビニール袋に入れた。
 午後、昨日、昼前から干していた白菜を漬けた。白菜は、まず荒漬けして水が上がったら、本漬けする。今日は荒漬けである。


 白菜は二日間干した(実質は丸一日)。母は白菜を二日ほど干してから荒漬けしていたが、私がやりだしてからは干さずに漬けていた。ところが、三年目の去年、1月終わりに漬けた白菜の味がよくなかった。旨みの抜けた青菜の塩漬け、といった味だった。何が原因か特定はできなかったが、干さなかったためではないか、と推測し、今年から漬ける前に干すことにした。

 なぜ干すのか、私ははっきりした理由は分からない。沢庵漬にする大根の場合、干すと甘味が増す。白菜を干すのはわずかな期間だが、大根と同じように甘味が増すのかもしれない。あるいはまた、葉の表面や切り口が硬くなり、葉の中の旨みが抜けにくくなるのかもしれない。

 昨日と今日は晴天だった。だから白菜はたっぷりと日差しを浴びたはずである。また、明日は雨の予報。すると、漬けるのは今日の午後しかない。早めに職場を退出し、16時すぎから作業を始めた。

 白菜の数は19個。それを二つ割りにしているので、38片。重量にして48kg。個数、重量とも今まで最大である。荒漬けには50リットルの漬物桶を使っていたが、今年はそれに入りきらなかった。そこで40リットルの桶も使って、二つの桶に荒漬けした。

 今までは荒漬けの重石を16kg×2個の32kgにしていた。ところが、今年は桶が二つになったので、重石が足りなくなった。経験からして、16kgの重石ひとつでは、水が上がりにくい。あるいは、上がらないかもしれない。ともかく漬け終えると暗くなったので、数年前まで使っていた自然石をさらに重ねるか、あるいは漬物石を買い足すか、明日までに考えて結論を出すことにして、帰宅した。

 白菜漬の詳しい説明は、「白菜漬」(2003年1月5日の記事)を参照してください。はじめて白菜を漬けたときの体験談ですが、やり方や塩などの量は、干すことを除いては、今でも変わりません。
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