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村便り:2007-09-22(日) (一日体験入農)
投稿日:2007-09-27(木)

播種:タマネギ(黄、赤)、ジャガイモ(普賢丸)
定植:白菜(普通白菜、タケノコ白菜)

「農業実習」
 今日は「一日体験入農」(「一日体験入学」をもじった言葉)の学生が二人やってくる日。彼らは私のゼミに出席している大学院生であり、かつ太極拳仲間である。一人は博士課程[現在の名称は「博士課程後期」]の女子学生(Uさんとしよう)、もう一人は修士課程[「博士課程前期」]の男子学生(K君としよう)。Uさんは、K君や私の、太極拳の老師[先生]で、大学生時代は表演競技としての太極拳をやっていた。彼女は私が農夫でもあることに(あるいは農業に)興味をもったようであり、「農業実習」(彼女の表現)をやってみたい、と私に申し込んだ。私は、普段の農作業は単調できついがいいか、と確かめた。私としては、農作業の時間を犠牲にして、彼らのために農的イベントを設けるつもりはなく、「農業実習」に来るなら、普段のままの作業を見せ、やらせるつもりだった。彼女は、草取りでもいい、と答えた。そして、K君を誘ってやって来ることになった。
 二人はUさんの車で約束の朝10時にやって来た。私がアドバイスした通りの、帽子をかぶって、長袖、長ズボン、ゴム長の服装。都会に育った、百姓とは無縁の二人の「体験入農」が始まった。

人参畝の草取り
 まず畑を案内してから、早速、彼らのためにとっておいた作業をしてもらうことにした。人参畝の草取りである。人参は8月21日に種蒔きしてから、畝は草が生えっぱなし。そろそろ間引きの時期になった人参は草の中に埋もれかけていた。彼らが作業をしている間、私は近くの畝でタマネギの播種作業を行なった。

 おっ、大きな虫がいる、とK君は抜いた草にいた虫をつついた。Uさんも珍しそうに見る。人参葉にはよくつくキアゲハの老齢幼虫であった。アゲハの幼虫だよ、と私が言うと、彼らは信じられないようだった。

「わたしは農家の嫁にはなれない」鍬体験
 ついでジャガイモ植え。まず畝の草を除いて、肥料を撒き、鍬で耕した。広い範囲であれば耕耘機を使うが、30片弱の種芋を植える程度の畝は鍬で十分。四つ鍬で土の起こし方を説明して、彼らに耕してもらった。四つ鍬は重いようだったので、軽めの三つ鍬に代えた。K君はさすがに男の子、いちおう様になっていた。Uさんは、鍬を持ち上げて、鍬で打つ地面に狙いをさだめるように少し間をおいてから、すとんと鍬を落とす。うまくこつが掴めない様子だった。「わたしは農家の嫁にはなれない」が彼女の、鍬の初体験の感想だった。

 昼食後は、二人が小屋の中で食後の休憩をとっている間、私は耕耘機で白菜を定植する畝を軽く耕した。わずかに生えかけていた草を抜くためである。耕し畝を整えてから耕耘機を洗った。そのころ二人は小屋から出てきた。耕耘機を農機小屋に入れてから、白菜の定植。

肥担桶
(クリックで画像の拡大)
肥担桶。プラスチック製。水を一杯に入れると20リットル入る。写真の担桶には15リットル入っている。
担桶かつぎ
 白菜を定植するには、定植穴をあけて、まずそこに水を流し込む。そのために畝まで担桶[タゴ]に入れた水を担いで運ばなければならなかった。担桶には水を15リットルを入れ、それを担ぎ棒の両端にぶら下げるから、担ぐのは都合30リットルの水になる。担ぎ方を簡単に説明して、まずK君に担いでもらった。担ぎ上げることは簡単にできたが、肩に棒が食い込み運べそうになかった。ついでUさん。30リットルは重い。よろめきながらやっと担ぎ上げたが、そこまで。太極拳の老師には肥担桶は向かない(似合わない)か。最後に私。肥担桶を担げないようでは百姓はできない。担ぎ棒は肩におくのではなく、肩と首の付け根、肉が盛り上がっているところに置く、と説明して運び始めた。上下動は少なくして歩かなくては、水が担桶から跳ね出る。彼らは私の姿を見ながらそのことが分かったようであった。

 白菜を定植してから、彼らがもって帰る野菜を収穫した。トマト、ピーマン、インゲン(三度豆)、甘トウガラシ、シカクマメ、空芯采をわが家の畑から、ナスを従姉の畑から採った。

サツマイモのおやつ
 作業途中、従姉がおやつを出してくれた。冷たいお茶とサツマイモである。私は作業途中でおやつを食べる習慣がないので、お茶だけをもらった。二人には皮つきのサツマイモは美味しいようであった(とくにUさんにとって)。おやつとは別に、従姉は二人に、トマトをもぎ取らせその場で食べさせてもくれたようである。私は最初から二人を「接待」するつもりはなかったが、従姉が代わってやってくれた格好になった。

 午後5時すぎ二人は帰っていった。彼らにとって「一日体験入農」はどうだったろうか?「一人農家」の私としては、これからも時々、いや、しょっちゅう(でも勉強に差し支えない程度に)「援農」に来てくれることを夢想(妄想?)しながら、彼らを送った。
村便り:2007-09-22(土) (中古のカッター)
投稿日:2007-09-26(水)

 今日からの連休三日の初日は、残り二日で行なう定植や種蒔きのため、畝の準備を主体とした作業。作業の途中、JA農機センターの若い職員が軽トラでやって来て、裏の畑でトマトの世話をしていた私に声をかけた。頼んでいた中古のカッター(稲藁切断機)を運んで来たのだ。

 昨年から、稲刈りから籾乾燥までの作業を委託できなくなり、稲刈り、稲架掛け、脱穀を自分自身でやり始めた。稲刈り機は一昨年購入していたが、脱穀機(普通「ハーベスター」と呼ぶが、私はどうもなじめない)はなかった。ところが、或る農家で不要になり放置してあった、古い脱穀機とカッターが手に入った(*)。脱穀の時期までには十分に時間があったので、それまでに整備(エンジン・オイルの交換、消耗部品の交換など)をしてもらおうと思っていたが、去年は、結局、もらったままの状態で使った。そこで今年は、早くからJA農機センターに整備を頼んでおいた。8月に整備をしてもらったところ、脱穀機はオイルとベルト交換で済んだが、カッターは主要な部品が磨耗しているのが分かった。しかし、古い機械なので部品が入手可能かどうかがはっきりしなかしなかった。メーカーに問い合わせてもらったが、新しい部品はもうなかった。
(*)新しい型の脱穀機は、脱穀機本体にカッターを取り付け、脱穀すると同時に藁を切断することができる。だが、私のもらった脱穀機は旧式なので、別に独立型のカッターが必要。

 藁は短く切断してから田んぼに散布し鋤きこむが、大量なので、押し切り[手で押して切断する、超小型ギロチンのような道具]で切断することは事実上不可能。だから藁はカッターがなければ、燃やすしかない。しかし、せっかくの有機肥料の素を煙と灰にするのはしのびない。そこで、中古を探すことにした。すると、JAの職員は、ちょうどいま出てきそうな中古がある、と言う。そして一週間ほどして、話がまとまったので中古を斡旋できる、との電話があった。値段は新品の三分の一。私は手を打った。

 中古は、直接交渉すれば安く手に入る。現物がそのままで売り手から買い手に動くからである。それに対し、JA農機センターを通すと、高くなるが、消耗部品交換も含めて整備をしてくれる。価格は年式にしたがって大体決まっていて、価格から整備費を差し引いた金額が元の所有者にわたるようである。だから、丁寧に使ってあれば、整備費が少なくて済む分、元の所有者の手取りは多くなる。(以上、以前、農機センターの職員から聞いた話。)

 手に入ったカッターは、以前のカッターと出力は同じ。見た目は、以前のより大分新しそうである。土蔵の入口側についている長い庇の下に、脱穀機と並べておいた。
村便り:2007-09-14(金) (ネズミ大根[山口大根]の種蒔き)
投稿日:2007-09-22(土)

 朝、ネズミ大根を蒔く。種は一昨年、長野の人からいただいて、それから自己採種してきたもの。「山口大根」といい、長野の或る地域で作り続けられてきたものであり、その種を少量いただいたのである。ネズミの形をした激辛大根で、パサパサした肉質である。かの地ではソバの薬味に使うそうである。長野の人は、短冊に切って天ぷらにしてもおいしい、と言っていた。
 野菜は、その家、その地方の食生活にとけ込めないと、定着しない。そういう意味では、このネズミ大根は、瀬戸内の山間部の村では、まだ「異邦人」的な存在である。でも少量でも作り続けてみよう、と思っている。作り続けるには、種苗会社では扱っていない品種なので、自己採種するしかない。昨秋播種してこの夏に採種したもので二、三年分は優にあるが、今年も採種を試みるつもりである。二、三年続けて株を選抜しながら採種を続けると、この地方に馴化した品種になるのではないか、と思う(期待している)。
村便り:2007-09-08(土)…15(土) (畑の農繁期)
投稿日:2007-09-20(木)

 9月は、秋の畑の農繁期。「村便り」は9月7日で止まっているが、農作業はそれからも続いている。その日その日の記憶はもう薄れてしまったが、作業は記録してあるので、播種と定植を中心に、これまでの農作業を簡単に紹介する。



タマネギ種蒔き(1)
(クリックで画像の拡大)
タマネギの播種。
 私の種蒔きの仕方を紹介する。
 写真の蒔き床(ポールで囲ってある長方形の部分)は、80cm×120cmである。80cmは一定で、播種量によって120cmとなっている辺の長さを変える。種1mlにつき20cmにする。120cmであるのは、したがって、蒔く種が6ml、ということになる。80cmは最後に蒔き床を覆う藁の長さを考慮しての長さである(下の写真参照)。
 蒔き床を整地し、鎮圧したあとで、苦土石灰(私は、カキ殻石灰を使う)を薄く、しかし、全面白くなるように散布する(蒔き床の左部分を参照;私はストレーナーを使って撒く)。黒いタマネギの種を識別しやすくするためである。それから、種をパラパラと、だいたい全面おなじ密度になるように、蒔く。密度は、背景の白のおかげで、目視で簡単に確認できる。
 その上に、土をかける(蒔き床の右部分を参照)。私は篩を使って覆土する。
(次の写真の説明に続く)
タマネギ種蒔き(2)
(クリックで画像の拡大)
(前の写真の説明から続く)
 覆土した上から籾殻を、下の土が見えないくらいに、たっぷりと撒く。さらにその上を藁で覆う。
 籾殻と藁は乾燥防止のためである。また、タマネギの種は好暗性の[光が射さないように暗くしてやると発芽しやすい]発芽をするので、そのためでもある。藁は風で飛ばないように、棒などで押さえておく。
 発芽までは毎日灌水して、乾かないようにする。
2007-09-08(土)
播種:極早生タマネギ

 タマネギは、9月20日過ぎに黄タマネギと赤タマネギを種蒔きする。黄タマネギは、品種を選べば、6月収穫から翌年の3月までは貯蔵できる(芽が出ない)。だから、4月と5月が端境期になる。ところが、極早生タマネギは、5月始めに収穫できる。だから、極早生タマネギを作れば、端境期が一カ月に短縮でき、事実上、年中タマネギを利用できることになる。以前、セット球(*)を使って端境期を凌ごうと試みたことがあったが、栽培が難しいことと、種が入りにくいことが原因で続かなかった。極早生タマネギは、播種期と定植期が、普通のタマネギと少し早いだけで、栽培の仕方も難易度も変わらない。
(*)「ホームタマネギ」という名称で販売されているのが、セット球。2月にビニールトンネルの中に種蒔きし、5月下旬、2cmほどの小球の時に収穫して夏のあいだ保存するとセット球ができる。それを晩秋ないしは初秋に定植する。


2007-09-11(火)
播種:宮重大根、三浦大根、カザフ辛味大根、聖護院大根

 大根類は9月10日を目処に種蒔きする。この日を境に、私にとっての秋の農繁期が本格的に始まる。いくら乾燥した夏の年でも、この時期になると畑の土に湿り気がもどってくる。表面は乾いていても、表土を鍬で軽く剥いでやると、湿り気を帯びた土が現れてくるようになる。
 宮重大根(青首大根)は大部分は沢庵に使う。また、年内に利用する。三浦大根は年明けてから利用する。三浦大根は、吸い込み型(*)の大根なので寒さに強いからである。カザフ辛味大根はおろすと美味しい。「辛味」という名前がついているが、激辛ではない。清冽な辛味、とでも表現できようか。
(*)普通(と思う)大根は抽出型である。大きくなると根が地上に現れてくる。吸い込み型は、根はほとんど地上に現れない。地中に向かって伸びるのである。だから、寒気に触れる部分が少なく、真冬でも肉質が劣化しにくい。


2007-09-12(水)
播種:紅芯大根

 中国大根。形は丸く、中が赤みがかっている。サラダに利用する。赤い彩りを添えるのにいい。


ソバの畝
(クリックで画像の拡大)
休耕田のソバの畝。
 白っぽく見える葉は、風にあおられて裏返しになっているもの。
2007-09-13(木)
 一日の休暇をとって農作業。午前中は休耕田でソバの元寄せ。条間には雑草(主としてシロザ)が密集して生えているが、まだ小さいので、平鍬で削り取り、それからソバの株元に土を寄せる。すなわち、除草と倒伏防止を兼ねた作業である。
 午後は屋敷周りの畑での作業。

播種:ホウレンソウ、ベトラーヴ
定植:渦巻カリフラワー、カリフラワー、ブロッコリー

 ホウレンソウは(できれば)10月半ばまでに三回蒔く。9月始めから蒔けるが、まだ高温期を脱していないので発芽しにくい。だから少し気温が下がって(といっても今年はいつまでも暑いが)蒔く。、一昼夜水に浸してから蒔くと発芽しやすい。ちなみに、村の気候では、10月半ばを過ぎて種蒔きすると、十分に大きくならないうちに春を迎えてしまう。
 ベトラーヴ(フランス語)は別名ビート。ホウレンソウと同じアカザ科。根元が太り、それを利用する。根元が太るまでは、赤いホウレンソウ、といった草姿。サラダにして食べる。フランス留学時代に初めて知った野菜。わが家の定番作物になっている。
 カリフラワーのうち「渦巻」の形容詞がついているのは、渦巻型に盛り上がった形(ソフトクリームを思い浮かべていただきたい)のカリフラワー。面白い形なので、遊びのつもりで苗を作った。
 ブロッコリーは二種。遅く採れるようになる品種は、主花を採ったあと、側花がたくさん出るタイプのもの。だから春先まで利用できる。


2007-09-15(土)
播種:高菜、広島菜、春菊、エシャロット

 漬け菜類は9月半ばを過ぎてから種蒔きを始める。早蒔きすると虫がつきやすいからである。ホウレンソウや春菊(キク科)は早蒔きしても虫害は心配ないが、広島菜などアブラナ科は注意が必要。
 エシャロットは、日本で同名で出ている早取りラッキョウではなく、種球がワケギに似た、正真正銘のエシャロット。種はフランスから輸入した(正確には、友達に送ってもらった)。3月に植えて夏に収穫する、という作型で栽培できることは分かったが、夏に収穫した種は翌年の3月になるとかなり腐ってしまう。そこで、今回は、9月植えで年内収穫、という作型が可能かどうかを実験してみることにした。これである程度の大きさの種球が収穫できれば、食用にも翌春の種用にも利用できる。そして、二期作ができるとなれば、この地で安定的に栽培できることになる。結果は?請う、ご期待!
村便り:2007-09-07(金) (キャベツ類の定植)
投稿日:2007-09-10(月)

 昨日つくった畝にキャベツ類を定植。冬に収穫するキャベツ類(キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー)は7月中旬から8月始めにかけて種蒔きして9月に定植する。今日定植したのは、キャベツ(普通のキャベツ、縮緬キャベツ、紫キャベツ)、芽キャベツ、カリフラワーである

 ここ数年は初秋に定植するキャベツ類は自然農法畝に定植していたが、今年は慣行農法畝に変えることにした。自然畝では、定植した苗が根切り虫やナメクジにやられて消えてしまうことがよくあり、また、カリフラワーは、肥料を要求するためか、育ちが悪い。自然畝でも工夫と世話(*)を惜しまなければ、それなりのものが出来る、と考えてはいるが、今年は日和ってしまい、易きに流れた。ただ、慣行農法にあてた場所は、夏のあいだ草が繁茂し、なかなか定植できる状態にすることができなかった。数日前に畑の草刈りをし、やっと昨日、耕耘機で丁寧に土を砕いて畝にした。そのようなわけで、ポット育苗してた苗はすでに定植適期(キャベツ、カリフラワーは本葉5枚程度)をすぎていた。
(*)根切り虫は事前に発見することはできない。しかも、自然畝は雑草が生えているので、根切り虫には格好の住み処である。根を切られたら、その周辺を浅く掘ってイモ虫を見つけ出して退治し、被害の拡大を防ぐしかない。
 ナメクジに茎をかじられるのを防ぐためには、定植した株の周囲、半径10㎝ほどは土を露出させる。土を乾燥させまいとして株まわりを枯れ草などで覆うと、ナメクジのために橋渡ししてやるようなものである。ナメクジは乾燥を嫌い、湿り気を好むからである。露出した土に、元肥を兼ねて、発酵鶏糞をまいておくのもいいかもしれない。
 自然農法は、自然放任農法ではない。それなりの肥料を施さないと満足できるものはできない。野菜の〈顔〉を見ながら施肥してやる。また、草に埋もれないように、時折草を刈って株元に置いてやる。
 自然畝と慣行畝とでは定植密度を変える。慣行畝の場合、キャベツは1ガンギ(1メールほどの長さ)に3株植えるが、自然畝では、2株である。自然畝ではいくぶん粗植にしないと育ちが悪い。ただし、カリフラワーは背丈が高くなるため、また、芽キャベツは収穫の容易さのため、慣行畝でも、1ガンギ、2株にする。

 作業は午後後半に始めた。レーキで畝を均し、定植穴を掘って、そこに、桶で担いで来た水をたっぷりと入れる。定植してから、また苗の周りにたっぷりと水をやる。最後に、蝶の飛来を阻止するためネットを被せて、作業は完了。沈む太陽と競争で作業を進めて、終わった時には暗くなりはじめていた。
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