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村便り:2007-11-01(木) (ソラマメの播種)
投稿日:2007-11-02(金)

赤ソラマメ
 ソラマメは10月下旬に種蒔きをすることにしているが、今年は予定よりわずかに遅れた。ソラマメは翌年の初夏に若いマメを茹でたりして食べるためのもので、一寸ソラマメ系のものを蒔く。しかし去年は、一寸ソラマメに加えて、赤ソラマメを蒔いた。一寸ソラマメの中から選抜した(種袋の説明)にしては小振りな豆であったが、食味はよかった。アパートの隣人にあげたところ、その人から、種が欲しい、と頼まれた。ソラマメが好きだそうで、赤ソラマメが気に入った様子だった。

赤ソラマメ
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赤ソラマメ。
 ソラマメはビニール袋に密封して冷蔵庫で保存した。比較的明るい色のものもあるが、大部分は黒ずんだ赤である。選抜していくと、明るい色が基調になるかもしれないが、食味がそのままかどうかは分からない。今はいろいろ試してみる余裕がないので、ポットに蒔く種としては、大きさを基準に選び、色は明暗とり混ぜた。
ポットに播種したソラマメ
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ポットに蒔いたソラマメ。
 青い豆は、着色したもの。購入した種は、ソラマメにかぎらず、着色したものがよくある。
ソラマメの採種と種の保存
 私は一度ソラマメの自家採種を試みたことがある。採種後、冷蔵庫で保存していたが、秋になって見ると、大部分がマメゾウムシに食い荒されていた。それでも蒔いてみたが、ゾウムシの穴がある豆は発芽しなかった。それにこりて、以後は採種したことがない。

 しかし、よく美味しいものをいただいている隣人の頼みだったので、久々に採種した。さいわい、完熟した鞘は採種に十分すぎるほどあった。折角なので、隣人に分けた残りを秋まで保存しておくことにした。マメゾウムシが産卵していても孵化させたくはない。本で調べた結果、二種類の方法で保存することした。ひとつは、冷凍庫で二日間凍らせたあとで、冷蔵庫にもどして保存する方法。冷凍するのはマメゾウムシの卵を殺すため。むろん凍らせる前に豆は十分に乾かしておく。もうひとつは、乾燥した豆を密封して冷蔵庫内の一番温度の低い(0℃から5℃の間)場所で保存する方法。いずれの方法もうまくいき、マメゾウムシが発生した跡のある豆は皆無だった。発芽も順調なら、来年は、一寸系のソラマメも採種しようかと思っている。

 播種作業は午前中に行なった。ポリポットに育苗土(*)を詰め、種を7、8割り方埋め込むだけ(**)の作業。一寸系2品種、合計63ポット、赤ソラマメ53ポット。
(*)大豆やソラマメは、育苗期間が短いので、畑や田んぼの土をそのまま(肥料なしで)詰めるだけでいい。畑に土を取りにいくのが面倒なので、贅沢にも、育苗土(農協で購入したもの)を使ってしまった。

(**)ポット育苗では、豆は発芽しやすくするため、土の中には埋没させない。

村便り:2007-10-28(日) (稲刈り終了!)
投稿日:2007-10-29(月)

 今日で今年の稲刈りは終了(「完了」ではない)するつもり。

 午前中は倒れた稲架の掛け直しと、昨日刈り始めた、最後の田んぼの稲架立てをする予定であった。

倒れた稲架
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倒れた稲架。
 倒れた稲架は登り竜のようにも見える。
 この写真のカメラの位置から、おばあさんは私に声をかけた。
稲刈り終了
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稲刈り終了。
 左手にウンカで枯れた稲が残っている。土が柔らかくて足場が悪いので、鎌でしか刈れない。しかし、株は中途から折れたようになって曲がっているので、刈りにくい。そこで、この部分は田の神様と野鳥への捧げ物にすることにした。
強風で倒れた稲架
 稲架はひとつ、昨日の強風で倒れてしまった。最初から支柱のひとつのすわりが悪かった稲架だった。稲を掛けてしまったあとでは、稲全体はかなりの重量があるので、支柱のすわりは稲束を掛けたままでは直せない。稲架は、掛け始めは動きやすい。支柱とナル[稲架の横木]とは連結していないので、よけいに不安定である。そこである程度の重量の稲束が掛かるまで、支柱のすわりには注意を払う。ところが、この稲架の場合、支柱のバランスが崩れたのに気づかず、掛けてしまった。あとから全体の重量バランスを考えて、弱い支柱あたりの稲束を他に移動したが、強風には効果がなかった。

 稲架を立てなおすため、稲束を全部外すと、支柱の二本が折れていた。支柱は地中に数センチ差し込んである。倒壊したときに土から抜けなかった支柱が稲の重みで折れたものと思われる。

捜索願
 立てなおした稲架に再度、稲束を掛けていると、田んぼの横の農道を下ってきたおばあさんがいた。足どりはおぼつかない。おばあさんは私に声をかけた。何かを尋ねたようだったが聞き取れなかったので、作業の手を休めて近くに寄り聞き直した。「〇△という家は知りませんか?」おばあさんは尋ねた。村の住人の名前としては、私には覚えのないものだった。彼女の歩いていく方向の集落の名前を挙げて、どの集落の家か質した。「下とか西とか[「下」や「西」は私が挙げた集落の名前の一部]、そんな細かいことは言わん。〇△と言えば、この辺では知らんもんはおらん。」おばあさん返事に、私はたじろいだ。私は村の家の名前ならほぼ全部知っているつもりである。その私の知らない名前を「知らんもんはおらん」と自信たっぷりに言われると、自分の方が余所者のような気になった。いろいろ話していくうちに、辻褄が合わなかったり、腑に落ちないことをおばあさんは口にした。

 田んぼの隣に小中学校の同級生が住んでいる。彼女が家のまえで立ち話をしていたので、加勢を頼んだ。同級生を交えておばあさんとしばらく話したあとで、同級生と私は、警察に電話したほうがいい、という結論になった。彼女が電話してくれることになった。しばらくして、彼女はもどってきて、警察に電話したところ捜索願が出ていた、とのこと。おばあさんはどうも灰ヶ峰の向こうの市街地からバスに乗ってやってきたようであった。そこから警察がやってくるにしても30分近くはかかる。同級生はおばあさんを自分の家に連れていき、警察の到着を待つことにしてくれた。

 思わぬハプニングで仕事が中断して、稲束を掛けなおす作業が完了しないうちに昼食時になった。

今年最後の稲刈りの午後に三人の加勢
 午後、稲架の掛けなおしが済むと、最後の田んぼ、ダブの稲架立てをはじめた。この田んぼでは、稲束を二段にかけるとして、3本のナル(9mの孟宗竹)が必要である。稲刈り最後の午後は、妹と ma femme が手伝いに来てくれることになっていた。ma femmeに続いて、約束の時間を少し遅れて妹もやって来た。妹は子ども(私にとっては姪)も連れてきていた。三人とも百姓の熟練者ではないが、これだけの手があれば稲架掛けには十分である。稲架掛けは彼女たちに任せて、私は稲刈りを続けた。

 昨日で足場のいい範囲の稲は刈り終えた。あとは、まず足場のさほど悪くないところを選んで、バインダーを変則的に走らせて少しずつ刈るしかない。ウンカで枯れた稲束は、結束されずにバインダーから投げ出されることがある。おそらくは、稲束が軽すぎて、結束できる位置の上まで持ち上げられるためであろう。すると機械が結束動作をしても、紐が稲束には引っかからず、結び目となって稲と一緒に放出される。

バインダーのスタック
 ついにバインダーが泥濘状態の土に埋まりこんだ。バインダーは軽いので慌てることはない。あゆみ[農業機械をトラックに載せたり、段差を越えさせたりするための渡し板 -わが家のは、アルミ製]を車輪に噛ませて、低速走行にしたバインダーをあゆみ側に引っ張れば引き上げられる。

 夕方5時で女性たちには引き上げてもらった。あとは暗くなるまで、ひとりで鎌で刈り進んだ。結局、全体の五分の一ほどが残ったが、今年の稲刈りはここで打ち切り!
 屋敷に帰り、闇の中、ヘッドライト(車のではなく、頭につけるタイプのライト)の明かりで、バインダーの泥を洗い流してから帰途についたのは19時半だった。
村便り:2007-10-27(土) (刈り取り作業あと、闇にのぼる不気味な満月)
投稿日:2007-10-28(日)

 最後に残ったダブ[湿田]の稲刈りをすることにした。ウンカ害から逃れた稲だけを刈って、残りは焼き払ってしまう、というのが作業を始める前の心づもりであった。

 いつもよりは遅く、11時頃から作業を始めた。まず、田んぼを囲んでいるダミーの電気柵の撤収。アルミ線を巻きとり、ポールを抜きとりながら田んぼの周囲を廻っているうちに、全部刈りとってしまおう、と思いだした。茎は枯れながらも実は充実してる稲を実際に目にすると、頭の中で算段しているとは違った気持ちになる。執念で刈りとってやる、という気持ちがかたまった。

ダブ
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刈り取り前のダブ。
 周囲を除き、ウンカ害で枯れて、窪んでいる。
ウワコウダの刈り取り
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ウワコウダの、蛇行した外辺に沿って、5条分、鎌で刈りとったところ。
今日の作業、終了
(クリックで画像の拡大)
17時、作業終了。
 背景の山には残照があるが、田んぼのあたりはすでに日が落ちている。
 ダブ状態はウワコウダ[斜面にある田んぼで、上側の部分]がとくにひどい。ウワコウダはバインダーが入らない。だから、その部分は鎌で刈りとらざるをえない。田んぼの外周は、4条植えの田植機で往復する。したがって、8条が田んぼの形状に沿って植わっている。そのうち5条分を刈りとることにした。私は田靴[たぐつ - 膝下まで長さのある、薄いゴムでできた田んぼ専用の靴]に履きかえて田んぼにはいった(普通のゴム長では作業しにくいほどの泥濘状態である)。ダブの状態は年によって違うが、今年は落水作業が遅れ、しかも中途半端にしか作業をしていなかったので、5条分刈りとってもまだバインダーが入れる土のかたさに到達しなかった。

 5条というのには理由がある。鎌で刈りとる場合、10株分を一束にする。だから5条分(すなわち5株を)を右から左へ、ザッザッザッザッザッというリズムで刈りとると、2回刈ると一束分になる。しかも、5株で稲をもつ左手が満杯になる。だから、5条なのである。

 鎌での手刈りをしていた時代は落水作業にさほど気をつかわなくてもよかった。水が引ききらないようなところでも、切り株の上に足を載せて刈り進んだ。ところが、バインダーが入り、コンバインが入るようになると、稲刈りまでに土を乾かしておかなければならなくなった。それでもバインダーは軟らかい土に比較的強い。足が10㎝あまり沈むようなところでも刈りとってくれる。しかしコンバインは重量があるので、土が乾いていないと使えない。機械は、大区画に整理し、排水をよくした田んぼで使うことを前提に作られている。コンバインはとくにそうである。わが家のように、昔のままで、圃場整備されていない田では、刈り取り機械はコンバイン程度が相応である。

 暗くなるまでに三分の二ほど刈りとった。それから、明日の稲架掛けのために、ナル[稲架の横木]を3本運んだ。9メートルの孟宗竹は、一日の疲れがたまった肩には重く食い込む。2本目を運んだ頃にはもうとっぷりと暮れていた。西の空には宵の明星が輝いていた。それを背に、もう一本運ぶため屋敷に戻っていた。すると前方の山の端が明るくなり、丸い明かりの一部が見えた。なんだろう?といぶかしがった。満月だとすぐに分かったが、上り切らない月は、周囲の闇とのコントラストで、ぞっとするほど気味悪い大きさであった。
画像の追加
投稿日:2007-10-24(水)

 村便り:2007-10-13(土) (稲刈りの準備)に画像を追加しました。画像は、藁紐で稲束を縛ったもので、縛り方の説明もあります。
村便り:2007-10-21(日) (今年はこれで稲刈りは終わり?)
投稿日:2007-10-23(火)

 昨日、周辺だけ刈った田んぼの稲刈り。この田んぼには、四分の三ほどはもち米を、残りはうるち米を作っている。昼食までに刈り取りと稲架立てを行なった。


おうぎ田
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今日、刈り取り稲架掛けした田んぼ。
軽トラに積んだバインダー
(クリックで画像の拡大)
バインダーを軽トラックに積んで帰り支度を完了した。今年バインダーが働くのは、今日が最後になるかもしれない…
 昼食後、稲架掛け。一人だと今日中には終わらない。途中から、ma femme の加勢を得て、夕方5時過ぎに稲架掛けを完了。

 最後に、5畝のダブが残った。ここは最初にウンカにやられたところで、いまは周辺だけを残し、ウンカ害で全面が枯れている。順序からすれば、この田んぼから稲刈りをはじめるべきであったが、ひとつは、被害が大きかったので他の被害の少ない田んぼを優先したため、もうひとつは、タブのうえに水を落とすのが遅れたため、土がバインダーを使えるまでに乾かなかったために、先送りして、結局は最後になった。

 これほどに枯れてしまっていると、やる気がおきない。バインダーでなんとか刈り取り結束できるかもしれない。しかし、それを稲架に掛けるのは時間がかかる。コンバインで刈れば、稲架掛けのプロセスを省略できるので、健康な稲の状態の場合と比べて手間に変わりはないだろう。しかしコンバインはない。そんなことを考えると、いっそ焼き払ってしまおうか、とさえ思う。しかし、5畝だと、大人三人が一年に消費する米は十分に穫れるだろう。それを考えると躊躇する気もおきないではない。決断は一週間後に伸ばして(一週間後には、ダブは全面枯れてしまうかもしれない…)、今日の作業を終えた。
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